番外編:皆がずっと気を揉んでいたこと

「えーと、殿下。あのですな」


 ホーソンがこれほど口ごもり、気まずそうに視線を揺らす姿を見るのは初めてだった。しかし、俺にそれを面白がる余裕は無い。彼が言いたい事は予想がつく。分かりすぎる程に分かっている。


「言うな。分かっている」

「殿下⋯⋯」


 大きくため息をつかれた。しかし、ホーソンは意を決したように口を開いた。


「敢えて言わせて頂きます。お世継ぎが重要な事はご承知ですな? そこはお分かりになっておられますな?」

「分かっている、分かっているよ。言うなって言っただろう」


 俺は頭を抱えたくなった。いや、文字通り頭を抱えてその場にうずくまった。


「でも、殿下に解決策が無いなら、誰かがどうにかしなくてはならないでしょう」

「頼む、やめてくれ。どうにかするから、本当に分かっているから」

「それとなく王妃様から妃殿下に伝えて頂きましょうか」

「駄目だ! 絶対にやめてくれ。そんなことは断じて許さないからな!」


 ホーソンを責められない。彼だってこんな事を言いたくないはずだ。皆がホーソンなら何とかするだろうと期待し、それを一身に背負っての進言だろう。


「では、お父君に相談してみるというのは⋯⋯」

「さすがに! さすがに、それは出来ない。頼むから放っておいてくれ!」


 うずくまり続ける俺を見て、これ以上は何を言っても無駄だと判断したのだろう。ホーソンは「分かりました」と一言残して立ち去った。


 俺は今、新しい問題を抱えている。世継ぎ問題は次期国王という立場の俺にとっては自分だけの問題ではない。


 問題には、かなり前から気がついていた。


 ロイダに正式に結婚を承諾してもらい、公の場にも連れ出すようになり、婚儀の支度は順調に進んだ。その流れで今後の生活について聞かれた時の事だった。珍しく宰相であるホーソンの息子が自ら俺に聞きに来た。


「殿下と妃殿下の部屋はどうされますか」

「今のままでいいよ」


 俺が答えた瞬間、その場の空気が凍った。わずかに遅れて、宰相自らが聞きに来た意図に気がつき、自分の鈍感さが恥ずかしくなった。ロイダとヨーナと俺の三人で眠ることが自然になりすぎて、その生活を変える必要があるなんて考えもしなかった。


(そうか、世継ぎか⋯⋯)


 周囲が結婚の次に世継ぎを望む事は当然の事だろう。三人で平民の一家のように暮らしている事を身近にいる人間は知っている。この環境が世継ぎを望むのに適していない事も。


 しかし、どうすれば良いのか全く解決方法を思いつけない。ロイダに相談するなんて論外だ。口に出すことを想像しただけで地面を転がりたくなる。俺は周囲の心配に気が付かないふりを続けた。


 父が「今まで通りの生活を続けるらしいな」と婉曲に言ってきた時にも、侍従が「ヨーナ様のために、女の子が喜びそうなとっておきの可愛い部屋を用意しましょう」と言ってきた時にも、俺は意図に気がつかないふりを続けた。


 ちなみに、とっておきの可愛い部屋をヨーナは気に入ったが、寝台を使うのは昼寝の時だけだ。


 婚儀が終わり、ロイダが正式に王太子妃になった後も、俺たちの生活は変わらなかった。もちろん彼女は公務を行うようになり社交にも出るようになり、日中の生活は大きく変わった。それでも「ただいま」と三人で部屋に帰り、枕を並べて寝る生活は変わらない。それに俺が幸せを感じている事も変わらない。


 俺もロイダも周囲の期待に応えて公務を行っている。特にロイダは期待を遙かに超えていると皆が褒めそやしている。それでも、周りは心配し続ける。ホーソンの進言は、それが限界を超えたと言うことだ。俺はどうにか解決しなければならないのだろう。


「本当に、ヨーナのお部屋は素敵ね」


 仕立屋夫婦と、俺の服の相談が済んだ後にお茶を囲む習慣は平民のアーウィンに戻ったようで、気持ちが休まる憩いの時間になっている。


 今日は、仕立屋の旦那が俺の服の細かい部分を調整している間に、ヨーナが自分の部屋を夫人に自慢したらしい。


「ヨーナがこだわるものですから、長椅子や寝台の飾り布の刺繍が大変だったんですよ」


 大変と言いつつロイダは嬉しそうにヨーナを見つめて言う。ヨーナは、ロイダが書く下書きに何度も注文をつけていた。大変そうだったが、刺繍が完成したときのヨーナの喜び方は想像以上で、何もしていない俺まで嬉しくなる程だった。


「本当にあれは素晴らしかったわ。お弟子さん達がロイダの腕に追いつく事は無いんじゃないかねえ」


 仕立屋夫婦は、ロイダたっての希望で妃殿下とは呼ばない。ロイダは今まで通りの態度を続けて欲しいと願い、それに応えた仕立屋夫婦も人目が無い場所では、かつてと同じ態度を続けてくれている。


「ヨーナもあんなに素敵な寝台なら、怖い夢を見ることも無いから安心だね。昔はいつもロイダにぴったりくっついてないと寝れなかったものね」

「ヨーナ、まだちょっと怖がりなの。夜に起きた時は今でもね、お姉さまかアーウィンさまに、ぴったりくっつくの」

「え?」


 仕立屋夫婦が揃って俺の顔を見た。


「ヨーナは、まだ一人でお手洗いにも行けないのよね。果物を食べ過ぎた夜なんて何度も起こされてしまうの」


 ふふふと笑うロイダに視線を移してから、仕立屋夫婦はもう一度、俺の顔を見る。言いたい事は分かる。俺はロイダがヨーナを見ている事を確認してから、仕立屋夫婦に向かって頷いた。何とも情けない顔をしていたのだろう。みるみるうちに二人の顔に同情の色が浮かぶ。


「えっと、えっと、ヨーナ。私らは二人で寂しいと思う事があるんだ。ほら、ロイダとヨーナは結局、私らと一緒に暮らしてくれなかっただろう」

「うん。おじさまとおばさまは寂しいの?」

「私らには子供が授からなかったからな。二人のことを娘のように思っているけど、前ほどは会えなくなっただろう。とっても寂しいよ」

「うん、ヨーナも少し寂しい」


 夫人が夫の意図に気づいたのだろう。援護をする。


「もしヨーナが良かったら、うちに泊まりにいらっしゃい。とっておきのドレスを作る相談をしましょう。それで、久しぶりに故郷の料理を作って夜遅くまで懐かしい話をしましょう」

「わあ、ヨーナ行きたい! お姉さま、行ってもいい?」


 ロイダも目を輝かせた。


「楽しそうね。私も行きたいわ!」

「「「えっ!」」」


 仕立屋夫婦と俺の大声に驚いたような顔をして、すぐにしょんぼり身を縮めた。


「ごめんなさい。立場を考えたら簡単に王宮を離れてはいけないでしょうか」

「ろ、ロイダ。えっと、うちはただの町の小さな家だから警護も難しいだろうし、物々しい兵士にうろつかれても商売に影響が出てしまうな」

「そうそう、殿下の服を仕立てさせて頂いている事も、周りには秘密にしているのよ」


 慌てる仕立屋夫婦の言葉を素直に受け取り、ロイダは少し寂しそうな顔をした。本当は警護なんてどうにでもなる。でも、行っていいよとは言いたくない。


「すまない、ロイダ。窮屈な立場にしてしまったな」

「いいえ、アーウィン様。覚悟の上ですから平気ですよ。気になさらないでください。ヨーナ、私がいなくても我がまま言ったりしない?」

「うん、大丈夫」

「おじ様、おば様、本当にお言葉に甘えてよろしいですか?」


 二人は安心したような笑顔を見せ、夫人はヨーナを引き寄せてぎゅっと抱きしめた。


「故郷の料理を、お土産としてヨーナに持たせるから、楽しみにしていてね。ヨーナが嫌じゃ無ければ、いつでも何度でも来て欲しいくらいよ」

「おばさま、ヨーナ、あのお魚のキュウッとする味のが食べたい」

「ああ、ヨーナはあれが好きだったわね」


 俺の感謝の視線を理解したのか、旦那は力強く頷いてくれた。話を聞いていたと思われる侍女の一人が、珍しく足音を立てるほど慌ててどこかに走って行くのが視線の端に映る。恐らくホーソンあたりに報告しに行くのだろう。


 思わぬ助けを得て俺の問題は解決しそうだ。


(いや、解決するのか?)


 全く意図に気がつかないロイダの様子に少しだけ不安を感じた。


 しかし、数日後の夜。ヨーナのご機嫌な歌声を聞きながら、ロイダに優しく髪を拭いてもらっていた時の事だ。


「あの、一つお願いがあります」

「ん?」


 珍しい事もある。彼女の顔を見上げると、前を向いていてくださいと言われてしまう。彼女は少し屈んで小声で俺の耳元でささやく。


「ヨーナが、おじ様とおば様の家に行ったら二人で過ごせますか?」

「え?」


 振り返ろうとするとタオルを被せられてしまう。彼女の声が消え入りそうに小さくなる。


「すみません、恥ずかしいので、こちらを見ないでください」

「ごめん、分かった。⋯⋯俺は、出来れば公務を早く終わらせて二人で過ごしたいと思っている」


 鼓動が大きく早くなる。


「あの、あの。二人で、えっと」

「何?」

「庭を散歩してみたい⋯⋯です。あの美しい庭を、二人きりで歩いてみたいです。ずっと憧れていました」


 俺は肩に置かれた彼女の手をぎゅっと握りしめた。


「俺が一番気に入っている場所を案内する。君と俺、二人だけだ」

「ありがとうございます」


 ロイダはタオル越しに俺を抱きしめてくれた。すぐに離れて、何事も無かったかのように柔らかい手つきで髪を拭く。たまらずタオルを除けて彼女を見上げると、赤く染まった顔をして少し潤んだ瞳を向けてくれた。


(大丈夫だ)


 ロイダなりに、夫婦として二人きりの時間を大切にしようとしてくれている。周りの雑音なんてどうでもいいじゃないか。ロイダとの出会いから結婚まで、皆が思う王子らしさなんて欠片も無かった。王位継承の問題だって、周りがあれこれ言ったがロイダと乗り越えられた。世継ぎの問題だって、周りがどう言おうと俺達らしく、少しずつゆっくりと解決すればいい。


 愛しさが溢れ、俺は立ち上がってロイダを抱きしめた。すぐに「わたしも!」と叫んでヨーナが飛びついて来る。二人まとめて抱きしめる。やっぱり俺はそれを、この上なく幸せだと感じる。


(終)


◇◇◇


 最後まで読んで頂いてありがとうございました。

 気持ちが通じ合った後は、二人で過ごす時間をほとんど持てなかったアーウィン様とロイダでした。周りも気付いてくれたので、今後は公務の合間にこういう時間を作ってもらえるかもしれません。


 新連載を始めました。

 婚約者を交換しようと企む女の子二人の話です。二人は皇太子妃に仕える侍女で、諜報を受け持つ王子に目を付けられてスパイ活動のような事もさせられてしまいます。

 お互いの婚約者たちの思惑も絡んで⋯⋯。


 こちらも完結まで毎朝更新します。よろしければお立ち寄り下さい。


婚約者、交換しましょう?

https://kakuyomu.jp/works/16817330669585905379


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海からやって来た王子は陽だまりの花園に安らう 大森都加沙 @tsukasa8omori8

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