番外編:恐怖を勇気に変える光

 その女は強かった。細身で小柄な体のどこにから、これほどの力が出るのか。彼女の打撃は木剣を通して俺の腕を痺れさせていた。


 太陽を背負い、不敵な笑みを浮かべる女の瞳は、漆黒の闇のように俺の視線を吸い込む。


 俺はまだ、騎士として一人前と言えない。数年の騎士見習いを経て正式な騎士に引き立てられるのが通常の道だが、俺の場合はそれを飛ばして騎士になった。


 文官は性に合わなかった。それでも、領地での仕事であれば父の補佐を務め、気心が知れた部下達に支えられて勤められただろう。しかし王宮は恐ろしい場所だった。


 仕事の処理能力に加え、権力者達の細かな駆け引きや時流を正確に読んで先手を打つ事、適切な協力体制を敷ける同僚との関係を構築しておく事、苦手な事ばかりで神経が擦り切れそうな毎日だった。


「へえ、聞いていた以上じゃない。努力家なのね」


 女は木剣を軽く振ると、地面に尻を付けた俺に手を差し出した。一瞬迷ったが、俺はその手を取る。女は少し驚いたような顔をした。


「女の手なんて借りるか、そう言う男かと思った」

「それが、手を差し伸べてくれた厚意を無下にする理由になるか?」

「あなた、面白いわ」


 女は白い歯を見せて大きな口を開けて笑うと、後ろに控える数人の見習い達に声を掛けた。


「私が直接、稽古を付けることにする。お祖父様に昼食はまたの機会にと伝えて」


 そのまま振り返り、俺に向かって言う。


「休憩が欲しいなんて、生ぬるい言葉を吐かないでしょうね」


 向けられた微笑みは底が見えない沼のように、俺を引きずり込む。


「望むところだ。俺が劣るからと手加減するなんて、生ぬるい事をするなよ?」

「劣っていると認められるなら、あなたは伸びるわよ」


 言い終わらぬうちに、風のような突きが俺を襲う。俺は髪一筋のところで避けて、次の攻撃に備える。さっきもそうだが、この女が相手だと防ぐのが精一杯で打ちかかる隙すら見いだせない。


(これが、死線を潜り抜けて来た実力か)


 この女、ビリア・クエーツは、この訓練所を運営しているクエーツ家当主の末娘で、一族の中でも群を抜いて腕が立つと言われている。


 クエーツ家は代々騎士を輩出する、この国でも有数の力を持つ家だ。現在の当主はこの国で一番の騎士隊の隊長を務める。近衛兵のほとんどは、この隊から選出されていると聞き、戦乱が続くこの国でクエーツ家を敵に回そうという家はいない。


 しかも、昨年の事件でクエーツ家はサジイル王国との強い縁を得た。サジイル王国は豊かな資源に恵まれ、巧みな外交を行う大国だ。我が国とも、周辺国とも上手く関係を保っている為、どの国もサジイル王国に対して良好な関係を保とうと努力している。


 今やクエーツ家は、我が国で最大の力を誇る侯爵家と肩を並べる存在だ。


 かう言う俺も、サジイル王国との縁のおかげで家を潰されずに済んだ。


 俺の過ちで、我が国で最も権力を持つ侯爵家の不興を買った。彼らが表立って俺に何かをする事は無いが、裏で指示をしているのか、周囲が侯爵家に忖度をしているのか、王宮での仕事は全く進まなくなった。それでも生き残れたのは『アーウィン・サジイルの友人』という評判のおかげだろう


 父は侯爵家へのけじめとして引退して俺に跡目を譲った。俺が踏ん張らなければ家が潰れる。必死で頑張ったが、元々苦手な仕事が更に上手く行かなくなったのだから、地獄のような日々だった。


「君は、騎士になりたいか?」


 救いの手を差し伸べてくれたのは、訓練所の代表だった。クエーツ家の先代の当主で現在は訓練所の運営をしている。気晴らしとして剣の鍛錬に通う俺に、声を掛けてくれた。


「騎士に。⋯⋯なりたい気持ちはあります。どなたか、俺を見習いとして引き受けてくれる騎士がおられるでしょうか」


 見習いを始めるには年齢を重ね過ぎている。世間話の延長のような軽口だろうと思ったが、代表は真剣な顔で続けた。


「見習いと言う年齢では無いだろう。正騎士になりたいかと聞いている」

「正騎士ですって?」


 唖然とする俺を見て代表は愉快そうに笑った。騎士の家の子供ですら、数年の見習いを経て正騎士になる。驚いて当然だろう。


「騎士に必要な礼儀作法は当然身についているだろう。まあ、独特な慣習は多少あるが、そんなものすぐに覚えられる。武術の腕も問題ないし、君は戦略、戦術においても高い水準の見識がありそうだ」


 最近、妙に師範達が俺に対して過去の戦についての戦略や戦術について議論を持ちかけて来ると思った。そういう話題が流行っているのかと思ったが、代表からの試験だったようだ。


「でも、なぜ俺を正騎士に取り立てて頂く気になられたのですか」

「分かっているだろう。あるお方から、君は文官に向いていないから気に掛けてやってくれと言われている」


(やっぱりそうか。アーウィン・サジイル)


 俺を友人だと言ってくれた、サジイル王国の王子。身分を隠してこの国で生活していた時に、アーウィンはこの訓練所で師範として働いていた。その縁で、今でも代表を始めとしたクエーツ家とは親交があると聞いている。


「勘違いするな。誰でも正騎士にする訳ではない。戦の無い国じゃないんだ、うかつな者を据えて見ろ。本人も、配下もあっという間に命を落とす。適切だと判断したからだ。どうする?」

「俺は、騎士になりたいです」


 夢のような話だ。しかしこの時点で、半分は信じていなかった。騎士になる為には多くの文官の承認を経た後、最後に国王陛下の承認を得る。こんな無理な話、その過程で何かしらの邪魔が入ると思ったのだ。


 だから叙任式で国王陛下に剣で肩を打ってもらった時にもまだ、信じ難い気持ちだった。


「君を騎士にする為に、アーウィン・サジイル殿下の威光を借りた事は確かだ。しかし、ここからは実力での勝負になる。生き残りたければ励め」


 代表も、現在のクエーツ家の当主も、俺を気に掛けてくれた。その期待に応えるべく、俺は必死に騎士としての振る舞いを学んだ。剣術、武術についても今まで以上に鍛錬を重ねた。幸いな事に、真っ直ぐな事を好む他の騎士達も、侯爵家の一連の振る舞いには腹を立てていて、俺に好意的だった。


 ビリア・クエーツは、またも地面に転がった俺を立ち上がらせると、小首をかしげて涼やかな声で言う。


「あなた、剣を振った後に少しだけ軸足が揺れるのよ。ほんの気持ちだけ重心を下げなさい」


 自分の癖には気が付いていた。しかし対処は思っていた方法と違う。足腰の筋力が弱いせいだと思い鍛錬していた。ビリア・クエーツの言葉に従うと、なるほど軸足が安定した。


「あなたはすごいな」


 心からの称賛に、ビリア・クエーツは少し頬を染めた。


「あなた、何なの。調子が狂うわ。女に教わって悔しくないの?」


 戸惑ったように言う姿は、年相応の女の子に見えた。


「教えを請けるのに、男も女も関係ない。性別で態度を変える必要があるとは思えない」


 ビリア・クエーツの言わんとする事は分かる。男性が優位に立つこの国で、女性であるが為に辛酸を舐める事も多かったのだろう。


 でも俺は知っている。この女性は、多くの戦場で自ら先頭に立って兵を率い、多くの戦功を立てている。目元にある大きな刀傷もその武勲だ。


「あなた、もう一度名前を教えて。今度は覚えるから」

「ガイデル・シード」


 その後も、折に触れビリア・クエーツは俺に稽古を付けてくれた。その度に、確実に俺の技術は向上した。俺はビリア・クエーツから声が掛かるのを楽しみに訓練に励むようになった。


 戦局はいよいよ深刻になっていると聞く。外交のしくじりにより、複数の国と同時に戦を進める事態となっている。一国とはサジイル王国の手助けにより和平の道筋が見えてきているが、もう一国との方は和平の道は全く見えない。国境の砦のいくらかは落ち領土の一部を既に喪失している。武器の供給も遅れていると聞く。


「私の隊は明日発つ。あなたの隊は来週でしょう? 初めて前線に出る気分はいかが?」


 稽古を終えた後、少し付き合えと言われた俺は軽く汗を流して着替えただけで、指示された場所に向かった。しかしそこで待つビリア・クエーツは、華やかな女性らしい服装で見習いも連れていなかった。


 自分の無粋な恰好に気遅れしながら、俺は真剣に答えた。


「緊張している。自分の命が惜しいからではなく、俺の指示で部下の命が失われる事が恐ろしい」


 今は使われていない物見の塔の窓から身を乗り出し、ビリアは『うわあーっ』と大きな声を出した。


「何だ、どうしたんだ?」


 困惑する俺を見て、ビリアは軽く笑う。漆黒の髪と瞳が暗闇に溶けそうだ。そのまま、いなくなってしまいそうで思わず捕まえたくなる。


「あなたもやってみなさいよ。少しは恐怖が紛れるわ」


(恐怖。ビリアにもそんな感情があるのか)


「うわああああーっ!」


 真似て叫んでみる。窓が向かう方には灯りがほとんど無い。王都を囲む山の所々に物見の塔が立ち、その光だけが瞬いている。俺の恐怖を、闇が吸い込んでくれるような気がする。


「なるほど、恐怖を吐き出せるような気がする」

「さっき、私も怖がることがあるのかって顔をしていた」

「勇猛な噂ばかりを聞く。怯えや恐怖という言葉はあなたの印象からは遠い」

「これでも、常に恐怖と闘っているのよ」


 ビリアは窓から吹き込む風に煽られた長い髪を無造作に払った。


「そうか、安心した。あなたほどの人でも恐怖を覚えるなら、俺がそう感じても恥じる必要は無いな」


 彼女は少し笑うと、するりと窓と俺の間に入り込んだ。近い。ふわりと優しい香りが鼻をくすぐり、急に女性だという事を意識して俺は後ろに下がろうとした。しかし、ビリアは俺の襟元を掴み下がらせない。


「ねえ」


 ビリアは漆黒の瞳を揺らせた。緊張の色が見える。


「私達二人とも無事に戻れたら、結婚しましょう?」

「え?」


 結婚と言ったか。聞き間違いか。心臓が大きく鼓動を打ち出す。


「いや、だって⋯⋯」

「何? 王宮中で噂になったあの彼女を、まだ忘れられない?」

「それは無い」


 下手をしたらサジイル王国との外交問題になりかねなかったあの事件については、未だに口さがない人々の間で、特に侯爵家を良く思わない人々の間で口にされている。


 ロイダの事は踏ん切りが付いている。強がりでは無く、故郷の良い思い出になっている。


「じゃあ、いいじゃない。私の事が嫌い?」


 ビリアは少し顔を近づけた。大胆な行動と緊張した瞳の印象が噛み合わない。


「急にこんな事を言われて驚いている」

「私もあなたも、戦場でいつ命を落としてもおかしくない。だから、私はやりたい事も欲しい物も我慢しない。『いつか』なんて待っている場合じゃないの」


 いつ命を落としてもおかしくない。覚悟していた事だけど、何度も死線をくぐった彼女から発せられると重みを感じる。


「私はあなたが気になる。真っ直ぐで素直で、でも少し臆病で。あなた人に頼るのが苦手でしょう。頼って失望するのが怖いのよ」

「そんな事、なぜ言える」

「あれだけ剣を交えれば分かるわよ。あなただって、私の剣から人柄を読み取っているでしょう?」


 負けん気、向上心、実直であろうとする姿勢。ふとした時に現れる優しさ。


「そうだな。そうかもしれない」

「私も人に頼るのが苦手。でもね、ごくたまにね、守って欲しいと思うこともある。その相手は、あなたがいいと思った」


 『それに』と、ビリアはさらに襟元を引き寄せ、触れんばかりの距離で俺の瞳を覗き込む。


「あなたの、深い海の底みたいな瞳が好き」


 軽く口づけられた。


「なっ!」


 慌てて襟元の手を外して後ろに下がると、ビリアは予想外に顔を真っ赤にしている。本当に大胆な行動と表情が伴っていない。


「私がこれだけ勇気を出して求婚しているのよ。誠実に答えてみなさいよ」


 恐らく俺の顔も同じくらいに赤くなってしまっているだろう。鼓動が早くなりすぎて少し手が震える。


「い、今は考えがまとまらない」

「なら!」

「は、はい」


 ビリアは両手の拳をぎゅっと握っている。彼女も少し震えている。勇気を出した、そう言った。その姿に愛おしさが溢れる。


「二人とも無事に戻ったら、その時には返事をちょうだい。それならいい?」


 俺は彼女に歩み寄り、そっと抱きしめた。口づけをされたくらいだ、少し抱きしめるくらいいいだろう。


「分かった。⋯⋯絶対に生きて帰らないとな」

「そうよ。何としてでも生きて帰って、あなたの答えを聞いてやるんだから」


 心に生まれた温かい光。誰かの為に頑張ろうと思うのは久しぶりの事だ。それは俺の心に力をもたらす。恐怖を勇気に変える。


 俺は腕の中のビリアを、もう一度抱きしめた。


(終)

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