あとがき

 恋愛はきっと人それぞれで、それに定義のしようなんてないのだと思う。

 よくある手法だが例えば広辞苑を見てみよう。


「男女が互いに相手を恋い慕うこと」


 なるほど、では「恋い慕う」とは何か。


  「恋しく思って追い従おうとする」


 ふむ。怪しくなってきた。さらに「恋しい」とは何か。


  「離れている人がどうしようもなく慕わしくて、切ないほどに心惹かれるさま」


 少し正解に近づいてきた気がする。つまり広辞苑が言いたいのは「恋愛」とは「会いたくてたまらない」と言うことだろう。

さて、どうだろうか。

 では会いたくて堪らなくなるほどではなければ恋愛ではないのだろうか。

 違うだろう。あえて理系ぶった鼻につく嫌な言い方をすれば、これは命題の対偶が真でないため、命題も真ではないと言えよう。

 それぞれの「裏」が本当にこれでいいのか、そもそも論理学を簡単に持ち出すなと言うさらに面倒臭い理系からの指摘は一旦無視させていただく。

 じゃあ恋愛とは何だろうか。

 私はこう定義する。(もちろん読者諸君それぞれの定義があって構わない)


「子孫繁栄を目的とした男女間で行われるそれらの行動すべて」


 恋愛に付随する恋心や好きといった感情、もちろん会いたいという思いでさえ、それらは全て最終的に何に行きつくのか。性欲だろう。

 性欲でないのならばそれは私の中では恋愛ではない。

 性欲、つまり本能的に子孫を残したいと思う心は、悪いものではない。

 むしろ神聖視すらされるべきものだと私は思う。

 なぜならそれは正しく人類がどんなものであれどんな形であれ「遺す」ことに必要なものだからだ。

 恋愛は美しい。それは「遺す」ことへと繋がる。

 たとえそれが実らずとも、意味が理解できずとも、感情すらも分からずとも。

 その道は、酷く美しく、儚く、永遠なのだ。

 そしてそれを紡ぐのは、道を成すのは、いつだって「言葉」なのだ。



  これは恋愛小説ではない。 終

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これは恋愛小説である。 天野和希 @KazuAma05

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