六、困難を乗り越えて、必ず生き残らなくてはならない
喫茶店でフルーツティーを味わっていると、待った? と声がかかった。ふりかえると、ラフなロングシャツ姿のエマがそこに立っている。
「あっついから早めに来て涼んでた」
「あー、ほんとうんざりするよね」
エマは顔をしかめて席に着くと、メニューに目を通す。そしてフルーツティーを頼むと、久しぶりと笑った。
エマに会うのはゴールデンウィーク以来だ。中学、高校まで一緒だったけど、お互い違う大学に進学してからはさすがに忙しくて会うのは少なくなっていた。でも、たまにメッセージや電話のやり取りはするし、今でも気負いなく会える仲だ。
「エマは大学の方どう?」
「まだ一年だし、みんなと足並み揃えて必修単位やってるだけ、って感じかな。あと第二外国語のドイツ語がちょっと大変。ミドリは?」
「まあ、ぼちぼち。なるべく必修落とさないよう頑張ってる」
落としたらシャレにならないもんね、とお互い笑って、私たちは一息つく。中学からの友達と、こうやってくだらないことを言い合えるのがありがたい。
エマがそっと横髪を耳にかける。中学の頃は三つ編みだったけど、今はふわりとしたレイヤーカットでちょっと大人っぽかった。
もちろん、あのレッドブラウンの髪色は今も変わらない。中学の頃はあんなに目立ってしょうがなかったのに、今では街行く大学生の姿に自然と溶け込んでいる。髪を染めては駄目なんて校則が、なんだかすごくおかしく思えるくらい。
じっと見ているとエマは気がついて、なに? と言ってきた。
「……いや、思ったより長い付き合いだよね、私たち」
「中学の頃だから、もう五年は立ってるかな」
「五年かあ。私、中学の頃で他に連絡取ってる人いないや」
去る人は日々に疎しというやつだろうか。それにしてもエマに会った頃は、こんなに親しくなるとは思っていなかった。ましてや、二人で魔女の会を作るなんて思ってもみなかった。
「……なんか、嫌なことも結構あったけど、中学の頃ってなんだかんだ懐かしい」
感慨深げにエマがつぶやく。確かに嫌なことはたくさんあった。私はエマの髪を見つめながら、中学の頃を思い出す。
*
あの日、私が職員室に駆け込んでから、先生たちはかなり大忙しだったらしい。
まず吉田先生が二年五組の教室に駆けつけたところ、そこにまだ田部たちは残っていたそうだ。どうやら田部たちはエマが忽然と消えたのに驚きながらも、悪ふざけでエマの鞄を漁っていたらしい。そこを吉田先生に見つかって、あっけなく御用となった。
それからエマも観念したのか、正直にいじめのことを先生たちに話し、事態は学校だけじゃなくそれぞれの家庭まで伝わることになったらしい。エマが話すには家に田部の両親が来て、謝罪するまでになったそうだ。そこから更に田部たちはソフトボール部の大会で出場停止の処分になった。
かなり大ごとにはなってしまったけど、それからは田部が絡んでくることはなくなったらしい。試合に出られなくなった上に学年中でいじめをしていたことが知れ渡ってしまったので、さすがにもう下手なことはできないと思ったのだろう。
ただ、周りから変な目で見られるのはエマもそうだった。あからさまに避ける人は少ないだろうけど、やっぱりちょっとは腫れ物扱いだったらしい。エマは最初、気まずそうにしていたけど、数ヶ月たった頃にはもうケロッとしていた。やっぱりエマは強かだ。
そういえば結局、どうやってエマが掃除用具入れから消えたのかは分からずじまいだった。田部たちもきっと驚いていたのだろうけど、先生や親が叱ってくる状況でエマが消えただのと言う余裕はなかったらしい。気になるけど、あの時のことをエマに尋ねるのは私も辛くて、なんとなくうやむやになっている。
ひょっとしたら、本当に魔女なのかな。だから煙のように消えたのかも。エマを見ていると、時々そう思う。相変わらずいきなり現れて驚かしてくる時があるし、時々いじわるだし。でも本当に魔女だとしても、私は全然構わない。どうせ私だって魔女の会の一員だ。脅かす奴らがいたら、一緒に戦いたいと思う。
*
あの事件が起きてから一週間経った水曜日、いつものように図書室のカウンターに座っていると、突然扉が開いた。でも、入ってきたのはエマじゃない。吉田先生だった。先生はにこにこ笑いながら、図書委員頑張ってる? と声をかけてくる。
「あれ? 先生、どうしたんですか?」
「まあ、この間のことでちょっとね。ここなら上森さんと二人だけでゆっくりと話せると思ったから」
「でももうすぐしたら、エマが来ると思いますよ」
「大丈夫。さっきほかの先生に用事頼まれてるの見かけたから、まだしばらくは来ないと思う」
二人で話したいって、なんだろう。先生はカウンターに寄りかかると、私の顔をじっと見つめた。
「この間の佐々木さんのこと、すぐに伝えに来てくれてありがとう」
「え、いや……、私はほとんど何もできてないっていうか。本当はすぐ止めるべきだったのに、怖くてずっと見ていただけだし……」
「ううん、上森さんがいなかったら、絶対もっと酷いことになってた。だから、ありがとうって言わせて」
先生にこんなに率直に感謝されると、正直照れる。私はうつむいて、はい、とだけ返した。ちょっと顔が熱い。
「本当はこういうトラブルは、先生たちがちゃんと見つけて、なるべく解決しなきゃいけない。けどまあ、これは言い訳だけど、先生ってみんな忙しくて。それに生徒と先生ってどうしても壁があるし、いじめたりする子は隠れてやるからね。でも上森さんみたいに、壁を乗り越えて言いに来てくれる子がいるだけでとっても嬉しい」
しみじみとした口調で吉田先生は語る。確かに先生たちが忙しいのはよく分かる。一度に数十人の生徒を相手にして、授業や部活、進路指導とやることがいっぱいある。一人ひとりに目が行き届かないのも無理ない。
でも、その中でも吉田先生は生徒を想ってくれる先生だ。難しくても、私たちを守ろうとしてくれる人だ。じゃなきゃ私が職員室に駆け込んだ時に、真っ先に教室へ走っていかない。こうして私に話してくれることもきっとない。
「これからも、何かしらのトラブルはあるかもしれない。その時、先生には相談しづらかったり、信用できないと思うこともあるかもしれない。けど先生たちは、なるべく皆の力になりたいから、できるだけ頼ってほしい。綺麗ごと言っているようだけど、本当にそう思ってるの」
先生はそう言うと、安心したかのように一息ついた。私は頭を少し下げて、小さい声でありがとうございますとつぶやく。先生がこの学校の司書教諭で本当に良かった。
「そういえばさ、上森さんは佐々木さんと友達だったの? クラス違うけど」
「……まあ。エマはよく図書室に来るんで、そこから仲良くなった感じです」
「へえ。じゃあこれからも仲良くしてね。あの子、ちょっと冷たい態度をとることがあるけど、真面目でいい子だから」
その時、ふと思い出したことがあった。先生は以前、魔女と話してみたいと言ってたことがあったっけ。
あの、と言うと先生は、なに? と目で尋ねてきた。
「……あの、変なこと言うようですけど。先生は、魔女って好きですか」
妙な質問のせいで、先生はきょとんとした顔になってしまった。でも、少し可笑しそうに目を細めて、考えるように視線を窓の外に投げかける。
「……そうね。逆に訊くけど、上森さんは魔女が好き?」
「……たぶん、好きです。昔からファンタジーが好きだし、それに話してみれば、きっと優しい子だと思います」
ふーん、と言いながら、先生は楽しそうに相槌を打つ。眼鏡の奥の瞳がまるで少女のように輝いていた。
「……私も、魔女は好きかな。きっと少しくらいそういう子がいても良いと思う。それにね」
先生は急に声をひそめると、ぐっと顔を近づけて、悪戯っぽく言った。
「……もし、私が魔女だって言ったら、どうする?」
唇の端を妖しく吊り上げ、目を三日月のように細めて、先生はいつかのエマみたいに笑った。そう、少し怖いけど、人を魅了してやまない魔女の微笑み。
放課後の薄暗い図書室の中、私と先生はしばらく笑いあっていた。
*
店員がフルーツティーを運んできたところで、エマがそういえばと口を開く。
「この間の漫画、賞取ったんだよね。おめでと」
「ちょ、違う違う! 私が取ったのはあくまで佳作だから!」
同じようなもんじゃん、とフルーツティーをかき回しながらエマは言う。その澄ました表情が憎たらしい。
今年の春、受験を終えた私は以前から描いていた二十四ページの漫画を、とある新人賞に送った。けして大きい賞ではないけど、もともと好きな漫画誌がやっている賞だったし、中学の頃から「いつか……」と思っていたのを受験後ついに実行したのだ。
大賞、優秀賞は即デビュー。賞金も出て、選考の先生からコメントやアドバイスももらえる。そう思うと緊張と興奮で心が震えた。今までもネットとかでちょこちょこ描いたのを投稿したことはあるけど、それ以外で人に見てもらうというのは初めての機会だ。
あわよくば大学生漫画家デビュー……と甘い夢を見たものの、正直自信はそこまでない。ネットを見渡せば自分より画力のある漫画家の卵はいくらでもいるし、飛び抜けてストーリーテーリングの才能があるわけでもない。強いて言うなら熱量だけは一丁前にあるぐらいの自分が、どこまでいけるのか。そんな気持ちで投稿して、結果は選外の佳作。雑誌に作品名とペンネーム、選考者コメントが載ったのはかなり嬉しかったけど、大学生漫画家デビューにはほど遠い。
「まあ、初投稿で佳作っていうのは、かなり良いんじゃないの? だって一次選考で落とされちゃう作品だってあるんでしょ?」
「そうだけど、別に喜んでていい結果でもないというか……」
私は面白かったと思うんだけどね。エマはフルーツティーを飲みながらつぶやいた。以前、エマには完成原稿を見せたことがある。その時もエマは面白かったと言ってくれた。友達の贔屓めもあるんだろうけど、素直にそれは嬉しかった。
でも、それだけじゃきっと足りない。もっと評価を得るには絵を練習しなきゃいけないし、ストーリーも丁寧に作りこまなくては。そのためにも、今日はエマにお願いすることがある。
「エマ、そういえばなんだけどさ……」
そうは言ったものの、何? と返してきたエマに上手く切り出せなくて、私は黙って脇に置いてあった創作ノートに手を伸ばす。
「あ、それって創作ノート?」
「うん、まあ、そう……」
ページをめくっていくと、中学時代の恥ずかしいデッサンが次々と現れる。それから微妙に目をそらしながら、私は目的のページを開いた。黒いローブをまとう魔女の立ち絵だ。
覗きこむようにしてエマがその絵を眺める。それ、エマがモデルなんだと言うと、エマはびっくりして顔を上げた。
「……へえ、だいぶ幼いね」
「中学生の頃に書いたから。それに、この子も十四歳くらいって設定だし」
「ふうん。でも、ちょっと美化してない?」
「そうかな。私から見たら、エマってこんな感じだけど」
エマは一瞬照れたように口元をほころばせると、だいぶ可愛く描かれてるよと言った。
「……で、この子がどうしたの? よく描けてるけど」
「あー……、実は、この子を登場人物にした漫画を今度描こうと思ってて……」
え? とエマが小さく声を上げる。その声に隣の会社員っぽい女性が、何事かと顔をこちらに向けた。慌てて私たちは女性に頭を下げる。
「……やっぱ、駄目? 嫌だった?」
「嫌ってほどじゃないけど……。あれなの? 私がモデルだから、わざわざ許可もらうために今日呼んだの?」
「エマが気にするかどうか分かんなかったから……」
うーん、と唸ってエマは黙りこんでしまった。恥ずかしいのは分かる。私だって自分がモデルにされるのはちょっと抵抗がある。でも、
「……あの、嫌だったら別のキャラクターで描くから! でも、エマが良いよって言ってくれるなら、やってやろう! って気に私もなれるというか……。それに私、この子の魅力とかたぶん一番知ってるし、この子とだったら面白い漫画描けるんじゃないかなって思うの。だからさ……、どう?」
恐る恐る顔色をうかがうと、エマは難しい表情をしている。でも、やがて何か決めたように一息ついた。
「……『魔女はお互いを助け合わなくてはならない』、だっけ?」
そう言うと、エマは悪戯っぽく笑った。妖しくも魅力的な魔女の微笑みだ。つられて私も笑う。ひょっとしたら、エマと同じ表情かもしれない。
真夏の喫茶店で、二人の魔女が昼下がりから堂々とお茶をしているなんて、周りの人は考えてもいないだろう。でも、それでいい。私たちがお互い知っていれば、それだけで少し息がしやすくなる。嫌なことがあっても、魔女狩りがあっても生きていける。だからこれは私たちが生きていくための、魔女の会の秘密だ。
魔女の会の秘密 伊奈 @ina_speller
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