第5話 ただいま
「どんな思い出がある場所も、大切な場所に変わりはありません。」
私は5年前に飛び出した実家の前に居た。
飛び出した当初は、もう二度とこの地を踏むことはないといきこんでいた。
少しだけ若いからこそ、思いあがった気持ちに苦笑を贈りたくなる。
チャイムを鳴らそうと手を伸ばした時、
ガチャリと扉が開いた。
「あれ?あんた、帰ってきたの?」
扉から顔を出した母が、そう口を開いた。
私はあまりのフライングに声を失った。
「帰ってくるならくるで、一言連絡ぐらいしなさい。」
お茶を机の上に置きながら、母の久しぶりの小言を聞く。
「久しぶりの娘に会ったっていうのに、他に言うことあるんじゃないの?」
とつい憎まれ口が零れた。
こういうところを直そう直そうと思っているのに、未だに直らない。
「こっちはねえ、色々準備があるの。お布団ひかなきゃいけない、料理だって量増やさなきゃいけないってね。帰ってくる方は、帰るだけかもしれないけれど。」
と母はそう長々と告げて腰をあげた。
ずいぶん小さくなったのかな?なんて思いつつ、
「私の部屋は?」
と聞くと、
「そんなもの、とっくに物置にしてるわよ。」
とそっけない母の声が返ってきた。
なんだかやるせない気持ちをもって、自分の元部屋に向かうと、母の言った通り荷物がゴチャゴチャと所狭しに置かれていた。
私の丁寧に使われた机の上には、どういう因果か電気ポットや花瓶、何かの景品などが置かれていた。
「なんなのよ。」
一言そう呟いてみたものの、あの日「もう帰らないから!」と飛び出したのは自分だったことに肩を落とした。
当初の目的を果たそうと、ゴチャゴチャの物置と化した部屋の中に入っていった。
足を踏み入れるたびに、ホコリが舞った。
「どれだけ掃除していないのよ?」
と小言を吐いて、ハンカチを口元を覆うように結んだ。
こんなことならマスクを貰えば良かったと思いつつも、もう一度部屋に戻る気にはなれなかった。
自分がしたいことを今しようとしなかったら、この先も出来ない気がしたからだ。
ガチャ、ガチャ、と物をどけながら、目的の物を探していく。
「どこに置いたっけ?勝手に移動させられていないよね?」
とホコリで視界を遮られながら、目を細めながらそう呟く。
家を飛び出して、新しい全く知らない土地に腰を据えてガムシャラに突っ走ってきた。
時には周りから揶揄されて、時には優しく手を差し伸べられて、時には騙されて悔しくなって。その繰り返し。
過去の自分が嫌いで、過去のことなんて思い出さないくらいに忙しくして。
ある日プツンと途切れた。
――私、何しているんだろう?――
そんな疑問が頭の中に浮かんだ。
周りを見渡せば、皆それぞれ新しいステージに上がっていて、携帯のアプリを開けば笑顔の写真で溢れていて。
私もそれなりに友人と遊びに行ったり、パーティーに参加したり。
色々した。
でも、そのどれもが霞んで見えた。
そんな時に実家に置き忘れたモノを思い出した。
――取り戻しに行こう――
そう思ったのは、昨日だった。
即荷物をまとめて、まだ帰省ラッシュの時期じゃなかったから、すんなりと電車も取れて。
帰ったからって劇的に何かが変わるわけではない。
帰ったからって私の気持ちが落ち着くわけではない。
そんなことは分かりきっていたけれど、私はあるモノの為に帰ってきた。
「あんた何してるの?」
音が煩かったからか、母が顔を出した。
「ほっといてよ。」
「何探してるの?」
尚も母はそう聞いてきた。
胸の中で、ウルサイナーとイライラした気持ちがムクムクと膨れ上がってくる。
家を飛び出す前もそうだった。
何かする度に、母親が絶対に声をかけてきた。
コレコレはした?これは持った?コレはどうしたの?どこに行くの?誰と行くの?コレは?アレは?
ほっといてよ!と言う気持ちが膨らんで膨らんで膨らんで、爆発した。
「うるさいなー!私の大切なモノ探しているの!母さんには関係ないでしょ?!」
そう大声を私は出した。
あの日と同じように。
母は私の声にビックリしたのか、目をまんまるくして私を凝視した。
それから、肩を落として、
「あんまり大声出しなさんな。ご近所さんが何事かって驚くから。」
と冷静な声音でそう言った。
「あと、あんたが探しているものは、こっちにのけてあるから。」
とも。
そう言って母は、スタスタと別の部屋に向かった。
何故私が探しているモノが母にバレているのか。
その疑問が私の頭の中を占めた。
母の後を黙ってついて行った。
母は自分たちの寝室に入って行って、小さな箱を取ってきた。
私に箱を差し出す。
私は無言で受け取って、箱を恐る恐る開けた。
箱の中には、私が探していたペンダントトップが入っていた。
「どうしてこれって分かったの?」
震えた声が出た。
ビックリしたからだ。
あの母が私が望んでいるものを分かるはずがないと思っていたから。
すると母は、
「分かるわよ。あんたそれだけはいつも身につけていたじゃない。」
とため息交じりにそう答えた。
それから、
「なのに、出て行った後、無造作に机の中に入っているんだもの。あんなにいつも大切にしていたのに?って疑問に思ったのよ。これは、きっと取りに戻ってくるなと思って、箱に入れておいたの。無くなる前に。」
と手のかかる子だこと、と最後に一言付け加えて、母は台所に消えた。
このペンダントトップは、昔大切な人から、憧れの人から貰ったものだった。
どうしても欲しいと駄々をこねて貰ったものだった。
けれど、家を出る時、その憧れの人から手酷い仕打ちを受けた。
それは私が思ってもいなかったものだった。
だからその時の私は、そのペンダントトップを持っていくことが出来なかった。
でも、月日が経って別のことで落ち込んだ時に、ペンダントトップのことを思い出した。
あれには願い事をかけていたのだ。
それをもう一度見てみたい。
それだけの為に、私はあの一度も帰っていなかった実家に帰ってきた。
「意固地になるのは勝手だけれどね。ちったあ年に1回くらい顔出ししなさい。もしくは、メールとか。」
と母親が台所から声をかける。
「母さんのメールアドレス知らないもの。」
と言うと、
「後で教えるから。」
と心底落胆した声が聞こえた。
「ありがとう。」
と母の背中に向かって伝える。
すると、母親は、
「おかえり。」
とポツリと私の顔を見ずにそう言った。
一瞬なんのことかと思っていたら、
「まだあんたに言ってなかったから。よく帰ってきたわね。疲れたでしょう。」
と今日一番の優しい声で言われた。
私は母の分かりにくい優しさに、顔を歪ませて、
「ただいま。」
と伝えた。
これからは、年に1回は顔を見せに帰ろう。
その度に『ただいま』と元気に伝えよう。
そう私は心に決めた。
≪END≫
たんぽぽの詩 翠 @Sui_00
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