第4話 おめでとう


「家族とは言っても、いつでも優しいわけじゃない。それでも、この日だけは優しくしたいものですよね。」



「お兄ちゃんでしょ?」

弟が生まれてから、何十回目(数えるのを止めた)かの同じ言葉が母さんの口から聞こえた。

「幼稚園に入ったって言うのに……」

そんなの関係ないのに。

僕は心の中でそう呟く。

そんな僕の心情なんてお構いなしに、母さんは弟を抱っこしながら、忙しくしていた。

「ほら、ワガママ言わないで。お母さんを困らせないで。」

そう母さんが言う間も、弟はアーアーと声を発していた。

こいつはいっつも母さんに甘えていると思う。

少し自分から目を離されたと思っただけで声を上げる。

本当はそんなに寂しくもないくせに、なんて僕は分かっている。

でも、母さんはそんなこと気がつかない。

弟の甘えた攻撃なんてものに気がつかない。

母さんは弟に甘いんだ。

そんな風に心の中でブー垂れていたら、母さんがまた僕の方を向いて、

「ね?そんな顔しないで。ちゃんとして。」

と僕の手を強引に掴んだ。


幼稚園バスがやって来る。

「おはようございますー。」

少し甲高い声で、先生が母さんに挨拶した。

「おはようございます。」

母さんも先生にすぐさま挨拶する。

「おはよう、タクト君。」

先生が僕の目を見て声をかけてくれた。

「……はようございます。」

今日はちょっと気分が乗らないから、声が小さくなった。

そんな僕の様子に、後ろで母さんが、「ごめんなさいね、無愛想で」と先生に言っているのを僕は聞き流した。

先生は、「いえいえ」なんて言って、バスにそそくさと乗り込んだ。

すぐさまバスは動いた。


今年の4月から近くの幼稚園に通っている。

別段幼稚園が嫌いなわけではない。

友達も出来たし、幼稚園の遊具で遊ぶのは楽しい。

ただ、毎日毎日朝早くに起こされて、時間を急かされて準備をして出かけるのが面白くなかった。

その上、幼稚園に通い始めたことで、母さんも父さんも何かとうるさくなった。

いや、弟が生まれたくらいから、うるさく感じるようになった。

今や僕の家は、弟中心で動いている。

ヨチヨチとだけれど歩くことが出来るようになった弟。

そのことで更に二人とも、何かを警戒するように慎重になっていた。

「タクトのことがあるから、まだ安心ね。」

「何をするか予測がつく分、大丈夫かな?」

なんて二人してコソコソ話しては笑っている。

弟はそんなことに無頓着なのか、首を傾げたり、ニコーって笑ったりして、二人のご機嫌取りをしている。

僕はそれが気に食わなかった。


そんな日々が続いていた時だった。

夕食を食べ終わって、大好きなトレトレレンジャーのDVDを見ていた。

《どうして、ここで一匹も釣れないんだ?!》

とリーダーが船の上で嘆く。

そう言った途端に、船の目の前の海が割れて、怪獣が下から出てきた。

《ハッハッハ!これで今日は収穫はナシだな!トレトレレンジャーよ!》

と怪獣が不敵な笑い声でそう言う。

《クッソー!お前の仕業だったのか?!》

とレンジャーたちが拳を作って、今にも変身するところだった。

《へんしー……》

「タクミ!どうしたの?!」

と母親の悲痛な声が被さった。

僕は、テレビの声が聞こえなくなったことで、イラとして母さんの方を向いた。

すると、母さんはぐったりとした弟を抱きかかえて、呼びかけていた。

弟は目を開けずに、グデンと母さんの腕の中で微動だにしなかった。

流石に僕もそんな弟の様子を見て、ただならぬ雰囲気を感じ取った。

「どうしよう。お父さんはまだ仕事だし……」

と母さんは慌てて、受話器を取り出してどこかに電話していた。

僕はどうしたらいいのか分からなくて、テレビの前に立って呆然と二人を眺めていた。

弟が元気がないのに、どうしたらいいのか分からないなんて。

こんな時どうしたらいいのか、幼稚園の先生は教えてなんてくれなかった。

頭の中でグルグルともう一人の自分が、走り回っていた。

母さんの悲鳴にも似た声が耳に届く。

電話が終わると、母さんは父さんに連絡をしていた。

連絡する機械を持つ手が、少し震えているように感じた。


僕はお兄ちゃんなのに?!


目を瞑って、そう強く思った時だった。


《聞けばいいんだ!だって、分からないんだから!》

とテレビの中から声が聞こえた。

振り返ると、テレビの中ではトレトレレンジャーがまだ動いていた。

リーダーが叫んでいた。

《どうしたら相手の為になるのか、聞かなきゃ!》

と言って、仲間同士で連結をはかる為に、レンジャー達が目配せをして声をかけあっていた。

僕はこれを見て、

「母さん!僕どうしたらいい?」

と母さんに声をかけた。

すると、少し涙目になっていた母さんは、僕の方を見て、

「タクト……ありがとう。じゃあ、タクミのこと少しだけ見てて。何か変なことが起こったら、声あげて。」

と言って、母さんは何かを探しに部屋を出た。

「分かった!」

と僕は大きな声を出した。

僕は弟のことをガンミした。

弟は、苦しそうに胸を上下させていた。

顔はトマトみたいに真っ赤だった。

暫くしたら、母さんが戻ってきた。

荷物を抱えて。

そう思ったら、ピーポーピーポーと僕の家に近づいてくる音が聞こえた。


病院について、お医者さんの話を聞いて、母さんはやっとホッと胸を撫で下ろした。

弟も何らかの処置を施されて、顔の色も真っ赤っかから、普通の顔色に戻っていた。

幾分表情も和らいでいるように僕には見えた。


そんな時、ドタバタとうるさい足音がして、看護師さんの注意する声とともに、扉が開いたら父さんが入ってきた。

父さんの方が弟の代わりに、真っ赤な顔で、ゼーゼー呼吸をさせて、

「タクミは?!」

と開口一番に大声を出すと、

「シー。今落ち着いたから。」

と母さんが父さんを窘めた。

父さんは扉のところで、ヘナヘナと崩れ落ちた。

「良かった」と小さく呟いて。


それから3日後。

弟の熱はすっかり引いて、元気になった。

季節外れの少し強めの風邪って説明された。

今、僕の家の中は、カラフルに装飾されている。

ガチャリと玄関が開く音がして、父さんが大きな白い箱を持って部屋の中に入ってきた。

「ただいまー!」

「お帰り父さん!」

と僕が父さんの方に走り寄っていくと、

「誕生日おめでとう!タクト!」

と父さんは笑顔で言ってくれた。

そう、今日は僕の誕生日だ。


夕ご飯を食べ終わって、食卓の上にはケーキが並ぶ。

「タクトはこの前、タクミを見てくれたもんな。」

と父さんが僕の頭をなでる。

「あの時は本当にありがとうね。」

と母さんが言った。

ケーキの上には火がついた細いロウソクが4本立っている。

部屋が真っ暗になって、父さんと母さんが歌を歌ってくれる。

僕の名前を呼ばれて、僕は空気を一杯吸い込んでから、一気に吹き消すつもりで、息を吐いた。


そして拍手が僕を包んだ。

「おめでとう、タクト!」

「おめでとう、タクト!」

と父さんと母さんが揃って言ってくれた。

弟のタクミも、

「にいに!」

と言って、パチパチと父さん母さんの真似をしてくれた。

「ありがとう。」

と僕は誇らしげに答えた。


3日前、やっと僕はタクミのお兄ちゃんなんだから!って自覚が芽生えて、少しだけ誇らしかった。


今度はタクミの誕生日が来る。

その時は僕が大きな声で言ってやるんだ。

『おめでとう』って。




≪END≫

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る