第3話 おはよう


「愛する人同士だからこそ、勘違いやすれ違いは生じるもの。それを乗り越えられるのか、諦めるのか。」


【汝は妻を生涯愛し……】

結婚式の神父さんの言葉を何度も思い出す。

あの時誓った言葉なんて、ウソばっかり!!!


そう思って布団をもう一度被る。

今日は起こしに来ても、朝ごはんなんか作ってやるもんか!と決め込んで二度寝を決行した。

昨日、夫婦になって初めてケンカをした。



きっかけは些細なことだった(と相手は思っているのだろう)。

毎晩毎晩、夜遅くまで仕事で。

夕ご飯を作っても、ラップをする毎日で。

スマホに送られてくるメッセージは、

≪今日も遅くなる。≫

といつも同じものばっかり。

私はそのメッセージを読んでから、もそりもそりと一人で夕ご飯を食べていた。


そんなある日、誰かのSNSに夫の姿が偶然映っていた。

そこには、誰かと二人で会っている夫の姿だった。

相手の人は、丁度大きな木とかの陰で誰かは分からなかった。

性別さえも不明で。

でも、これで仕事でって言い訳は、嘘だったって分かった。


そのことを腹が煮えくり返るくらいムカツイタけれど、グッと堪えて帰ってくるまで何も言わなかった。

夫はその日もベロベロに酔っぱらって帰ってきた。

「おかえり。」

‟なさい”なんて言ってやんない。私怒っているんだから!とアピールするも、夫はそんなことに気がつきゃしなかった。

そんなことで更にムカツキが増した。

夫は上機嫌でフラフラとネクタイを緩める。

上着も脱ぎ捨てて、ポトリポトリとその場にテンテンと要らない衣服を置いていく。

いつもだったら、しょうがないなあって笑いながら拾っていたけれど、今日はそんな気分じゃない。

ソファに座ってから、夫はやっと私が怒っていることに気がついた。

「どうしたの?」

顔を真っ赤にして、夫はなんでもない風に聞いてきた。

その言い方に、私はカチンと来た。

「自分の服くらい拾って、ちゃんとハンガーにかけなよ。」

いきなり怒るのはダメだろうなあ、なんて思ってまずは正論を言う。

そんな私の言葉は届いていないのか、夫はニヤーと笑った。

いつもいつも、私が拾っちゃっているから、それが染みついちゃったみたいで。

甘やかすんじゃなかったな、なんて私は反省した。

「拾ってよ。」

命令形に出来ないのは、私が彼に惚れてしまっている証拠。

どれだけ心の中で怒っていても、顔を見ただけで少しだけ怒りは薄らいでしまう。

ダメダメ、ケジメはちゃんとしないと!と思って、少し強気に出る。

それでも、夫はそんな私の様子を、ニヤーと新しい甘え方かな?くらいにしか捉えていなかった。

彼は一歩もソファーから立ち上がろうとはしなかった。

私が少しイライラしているのは感じ取ったのか、

「どうしたんだよ?何か嫌なことでもあったの?」

と聞いてきた。

あなたのことよ!と大声を出しそうになるのを、グッと堪えた。

感情的に怒るのは、何故か負けた気になるから。

私は声を出す代わりに、携帯を差し出した。

画面にはSNSの写真がデカデカと表示してある。

夫は受け取るまでニヤニヤとしていたけれど、携帯の画面を見た瞬間に顔を一変させた。

ほろ酔い気分も一気に醒めたらしい。

無言になった夫に向けて、

「これ誰?」

と冷静な声で告げる。

それに対して夫は口を開かなかった。

即答出来ないところが、怪しさと決定的な答えを私に突きつけた。

「どうして見え透いた嘘つくのよ?嫌いなところがあるなら、キッパリ言いなさいよ!」

冷静にと頭の中では思っていても、私の口から出た声はトゲがかかっていて、大きくなった。

夫はそんな私の声に、一切反論しなかった。

「どうして何も言わないのよ?!何が不満なのよ?」

私が一方的に喋っているだけだった。

情けなくなっていった。

その時、ボソリと夫が口を開いた。

「……から。」

一瞬だけ時間が止まった。

「何を言ったの?」

私はイライラとした思考を止めて、そう聞いた。

すると、少しだけ何かを逡巡してから、夫はもう一度口を開いた。

「浮気とかじゃないから。」

と私の目を見て。

その言葉に、私は眉根を寄せて怪訝な顔をした。

信じられない!この場に及んでもまだ言うか?!

「じゃあ、どうして嘘ついたのよ?仕事だって!おかしいじゃない。あきらか、同僚の人じゃないじゃない!私、ちゃんと覚えているのよ?結婚式に出席してくれた人たちのこと!」

と私はまくし立てた。

そうしていないと、その場にうずくまりそうになったから。

私の反論を聞いて、夫は、

「同僚じゃないけど……浮気じゃないって!」

と言って、携帯の写真を指差す。

彼は写真を大きく伸ばして更に言った。

「これは、この店のオーナー!俺の親戚だよ。」

と彼は少し哀しそうな目をして、そう言った。

親戚なんて体の良い言い訳……なんて思っていたら、

「結婚式には都合が合わなくて、来れなかったの。この日も、ちょっと相談に乗って貰っていただけなのに。」

ホント、誰だよこんなの載せたやつ……と彼は小さくぼやく。

「相談って……何の?」

と私も若干の冷静さを戻した声で聞くと、夫は頭をガシガシと掻いて、少し考えてちょっと目線を下にして照れた感じに顔を歪ませて、上に目線をして、とたっぷりと考え込んだ。

その行動に、早く話してよ!と急かしたい気持ちになったけれど、私は我慢した。

すると、やっと決心がついたのか、夫は、

「今は言えない。」

とキッパリと言った。

その返答に、待たされた怒りが相まって、

「はああああああああああああ?!?!?!」

と大声を出した。

私はそれまでのやり取りも色々溜まりに溜まって、

「もう知らない!」

とその場を後にした。

二人の寝室にカギをかけて、ベッドにもぐりこんだ。

全ての家事を放棄した。

何が今は言えないだ!

浮気じゃないだ!

さっさと弁解出来るならば、言えばいいのに!

と完全に私の頭には血がのぼっていた。


そして今に至る。

我ながらとっても子供じみた行動をしてしまったとは、後からジワリジワリと感じた。

でも、それまでの不安感が爆発した。

相手への苛立ちも。

それまでも、少し嫌だなあとか不快感を持つことはあっても、すぐにそんなものを消すような出来事があったから、ケンカになんて発展しなかった。

恋人同士の時でさえ、ここまでのケンカなんてしなかった。

寝室にはカギをかけたからか、自身の行いを考えてか、夫は入ってこなかったみたいだ。

きっとリビングのソファで寝ているんだろう。

何か羽織るものはあったのだろうか?

冬じゃないからといっても、流石に夜は何かを掛けていないと寒いはずだ。

なんて、昨日の怒っていた感情はどこへやら、彼の心配をしていた。

そのことに気がついて、私は一つ苦笑を漏らした。

なんだかんだ言っても、彼のことが私は好きなのだ。

だからといって、SNSの裏切り行為は許せないけれど。

それとこれとは話は別!と思って、ドアを凝視した。

その時だった。

コンコンコン

とノックの音がした。

その後で、

「起きてる?」

と少し遠慮がちな声がした。

私は驚きと、まだひねくれた感情から何も言わなかった。

すると、しばらく間が空いてからもう一度、

「まだ怒ってる?」

と彼の声がした。

私は、大人げないかな?と思って、

「起きてるよ。」

と答えた。

すると、

「出てこられる?」

と尚も少しだけしょんぼりしたような声が聞こえた。

流石に反省したか?と思って、私は、

「わかった。」

と言って、のそりのそりと少し焦らしながら、ドアに近づいていった。

たっぷり時間をかけて、カギを開け、ドアをゆっくりゆっくりと開ける。

土下座でもしてくれるのかな?と思いつつ、ドアを全開すると、

「おはよう。」

と言って、夫がドアの前に満面の笑みで立っていた。

まさかの表情と言葉に、私は若干の不快感を覚えた。

でも、それはそのすぐ後に目に飛び込んできた言葉に、相殺された。


ドアを開けたリビングの壁一面に、お誕生日でよく見かける横断幕が掲げられていた。

周りには風船も所狭しに浮いていた。

横断幕には、夫の少し下手くそな字で、

【結婚記念日1周年!!!!!】

と書かれてあった。

「えっ?!えっ?!」

と驚いている私を見て、夫は、

「やっぱり忘れていたか。」

とため息とともに吐いた。

忘れていた。夫の裏切り行為で頭が一杯で。

口元を手で押さえて、呆然と突っ立っていた私を夫はそっと抱き寄せて、

「不安にさせてごめんな。どうしても、ビックリさせたくて。あんな風に意地悪されていたなんて知らなかったんだ。」

と私の耳元でそう言った。

私はまだ情報処理が追いついていなくて、頭の中はパニック状態だった。

夫はそっと私を放して、優しく私の右手を握って、机の方に誘導した。

机の上には、朝からにしては豪華すぎる食事が用意されていた。

その中に、まっさらな何も食べ物が載っていないお皿の上に、一つの包みが置いてあった。

「開けて。」

と夫が私の目を見て言った。

私は彼が言うとおりに、お皿の上の包みを開いていった。

包みを開くと、その中からはキラキラのブローチが顔を出した。

そのブローチは、二人が初めてデートしに行った場所、ヒマワリ畑をモチーフにしたキラキラのスワロフスキーで作られていた。

「これ……」

と壊れ物を扱うように私はブローチを手に取った。

夫はそんな私の様子を笑って、

「付き合うきっかけになったヒマワリ。僕たちの好きな花でしょ?」

と言ってもう一度私を抱きしめた。

「不安にさせてごめん。こんな風にまた君を悲しませてしまうかもしれないけれど、そんな僕だけれど、これからも一緒に歩いて欲しい。」

と彼は言った。

その言葉に、私は感極まって涙を流した。

「私こそ……すぐに怒っちゃうけれど……こんな私だけれど、これからも一緒に居て欲しいよ。」

そう言うと、彼は私の顔を真正面に見据えて、顔を重ねた。

私もそれを静かに受け入れた。

たっぷりと相手の熱を感じてから、夫は、

「じゃあ、朝食食べようか?教えて貰った通りに作ったから、味は大丈夫だと思うよ。」

と言った。


あの日会っていたのは、この日の食事を教えて貰う為で、会社帰りに何度も練習していたらしい。

夫が作った朝食を食べて私は、また涙を流しながら、

「美味しい。」

と笑顔を向けた。

その顔を彼は見て、満足そうに笑ってくれた。



その数か月後、私たちは、私のナカに新しい命を授かった。



≪END≫

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