第14話 妖魔が攻めて来る話

 ベルーナ伯爵は立て続けにもたらされる凶報を受け、ほとんど恐慌状態に陥っていた。


 まず、トレアの街の冒険者達が巨大スライムの討伐に失敗し、魔石の採取が全く見込めない状態に陥ったとの報告が届いた。

 これへの対応策もまとまらぬうちに、レオナルドとブレンテス侯爵家の者達がボロボロの状態で帰って来た。


 レオナルドは回復薬の効果で普通に話せるまでに回復していたが、その右腕は失われていた。

 彼はベルーナ伯爵に、婚約も全ての約束も破棄すると言い放って、一時も領都に留まることなく立ち去った。ミレディアには会う事すらなかった。


 そして、彼らを追いかけるように南の砦陥落の報が続く。

 加えてトレアの街がスライムに占拠されて滅びたとの情報も入って来た。

 ベルーナ伯爵は、それらのどれに対してもまともに対応する事が出来なかった。


 ベルーナの街の住民達も、いやベルーナ伯爵領の全土の住民達も激しく動揺していた。

 トレアの街の冒険者が壊滅したという情報に関しては、一般の住民にはほとんど知られていない。

 しかし、数日前に意気揚々と出陣して行った、次期領主という人物が酷く哀れな状況で帰還したことは住民の耳目を集め、その不安を煽った。

 そして、続いて起こった南の砦の陥落とトレアの街の滅亡という重大事は、とても隠せるものではなく、全ての住民に巨大な衝撃を与えたのだ。




「マリウスを探せ! あの者を探し出してなんとしても連れてくるのだ!!」

 ベルーナ伯爵は重臣一同にそう命じた。

 そして、なりふり構わずにマリウスを探し始めた。


 最早マリウスに頼るほかない。トレアの街からの第一報にもそう書かれていたが、言われるまでもなくベルーナ伯爵もそう考えた。


 マリウスを追放した時、彼を殺さずに痛めつけただけで追放したのはただの気まぐれだったが、今思えば僥倖だ。

 マリウスは他ならぬベルーナ伯爵らによって声と手指を奪われ、魔術が使えなくされていたが、失われた身体機能は身体欠損回復の霊薬や高位の回復魔法によって取り戻すことが出来る。


 無論マリウスは怒っているだろうから、今度こそミレディアを娶らせてやる必要はあるだろう。だが、それを認めてやれば、マリウスはまた喜んで働くはずだ。

 あれほどミレディアに惚れ込んでいたのだから。

 ベルーナ伯爵は厚顔にもそうに思っていた。


 だが、このベルーナ伯爵の行為は、彼の評判を致命的に下げることになる。

 彼がマリウスを追放した事が、今のベルーナ伯爵領の惨事の原因であると民衆に認識させてしまったからだ。


 迷宮都市トレアから離脱した冒険者たち、そして、南の砦から逃げた兵士達は、口々に実はマリウスは偉大な人物で伯爵領に大いに貢献していたのだと吹聴していた。

 そして、そんな人物を利用するだけ利用して、無残に追放した伯爵たちのやり方に納得できなかったのだ。と述べて、自分達の卑劣な振る舞いを正当化しようとした。


 それは、虚飾を含む自己正当化のための言説だったが、一定の説得力を持っていた。

 改めて客観的にみてみれば、マリウスの行いが伯爵領にとって多大な益をもたらすものであり、事実彼がやってきてしばらくしてから伯爵領の状況が急激に良くなったということは、民衆にも十分に認識できたからだ。


 そこに、ベルーナ伯爵が慌てふためいてマリウスを探しているという情報が知れ渡った。

 このことは、マリウスが今の状況を改善させる事が出来るほどの人物であった事を証明していた。

 そして、それほどの人物である彼を追放した事こそが、今の惨事に繋がったのだと認識させる事になる。


 その認識は事実そのものだったため、調べれば調べるほどその事を肯定する証拠を見つけることができた。

 こうして、ベルーナ伯爵の評判は地に落ちてしまったのだった。




 トレアの街がスライムに占拠されてから更に十数日が過ぎた。

 懸命な捜索にもかかわらず、マリウスの行方を掴む事はできなかった。

 そして、ベルーナ伯爵領の状況は一層悪化していた。

 妖魔の活動範囲が広がっていたからだ。


 他の土地に当てがある者達は次々とベルーナ伯爵領を離れた。

 逆に新たに伯爵領を訪れる者は誰一人いなかった。

 唯一来訪したのは、ブレンテス侯爵からの婚約も全ての約束も破棄することを正式に告げる使者だけだ。


 そしてついに、ベルーナ伯爵領の全住民を絶望のふちへと突き落とす、決定的な事態が生じた。

 南の森から妖魔が大挙して攻めこんで来たのだ。

 その数は2000に達した。


 ベルーナ伯爵領に残されていた騎士と兵士は、合わせても100程度。

 戦える領民を総動員しても、1000に届くかどうかにしかならない。

 とても勝ち目はなかった。


 この最悪の事態を受け、ベルーナ伯爵は王都へ救援を求める使者を送った。

 これほどの事態を引き起こした事を公にしてしまえば、その責任を問われ領地を召し上げられる可能性もある。

 だが、今はそれすら気にしてはいられなかった。


 しかし、この時ベルーナ伯爵はひとつ心得違いをしていた。

 彼は自分が把握している状況に対して、最悪の事態だとの判断をくだした。だが、彼は正確な状況を把握できてはいなかった。

 実際の現状は、彼が思っているよりも更に悪かったのである。

 王都への救援要請を伝える使者は、王都に辿り着くどころか、ベルーナ伯爵領を出ることすら出来てはいなかった。




「ブハハハハ」

 領都ベルーナから北に伸びる街道。

 王都へ向かうその街道で、ベルーナ伯爵の使者を殺したオークの王ブルンクデスドバルドが哄笑した。


 彼は南の砦を落とした後、数日かけてベルーナ伯爵領の状況を調べた。

 そして、ベルーナ伯爵領が他の大きな都市から孤立した位置にあり、比較的容易に連絡線を遮断できることを知った。

 その上で自ら精鋭部隊を率いて領都ベルーナの北に回りこみ、連絡線の遮断作戦を実施した。

 残してきていた腹心の部下に命じて伯爵領への本格的な侵攻を行ったのは、そうした準備が整ってからだった。


 ブルンクデスドバルドはベルーナ伯爵領を完全に征服するつもりだった。

 そしてその為に、自軍の損害をほとんど出さずに、伯爵領の軍を潰す策も用意していた。

「ブハハ」

 彼はもう一度笑った。これから自分が行う殺戮と暴力の事を考えると、笑いが止まらなかった。

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