第15話 伯爵が出陣する話
妖魔の大侵攻が起こった2日後。
妖魔の軍団は領都ベルーナまで徒歩で1日とかからぬ場所で屯していた。
多くの民が領都ベルーナに避難し、ベルーナの街は難民でひしめいた。
ベルーナ伯爵の長女であるミレディアは、妖魔の侵攻が起こった日から、自室に引きこもった。
もれ聞こえてくる自分を非難する声に耐えかねたからだ。
今や多くの民が、ベルーナ伯爵がマリウスを追放した事がこのような重大事を招いた原因であると認識していた。
特に、ミレディアこそがマリウスを追放する事になった元凶と思われ、槍玉に挙げられていた。
城に勤める者達すらそのような話をするようになっており、それはミレディア本人の耳にも達していたのだ。
その中には、マリウスを利用する為にミレディアの方からマリウスを誘ったのだろう。などという、実際よりも悪い話すらあった。
「どうして、私が責められなければならないの。私が全部悪かったとでも言うの」
自室に篭ったミレディアは、そうつぶやき打ち震えていた。
ベルーナ伯爵には、打ちひしがれる家族をいたわる余裕はなかった。
圧倒的に劣勢な状況に追い込まれた彼は、打って出る事も出来ず領都に篭り、ひたすら王都からの援軍の到着を待っていた。援軍など来ないことも知らずに。
そんなベルーナ伯爵に更なる凶報が届く。
「トレアのスライムがこちらに押し寄せて来ているだと!」
その報告を聞き、ベルーナ伯爵は思わず大声を上げた。
「どうして、そんな事になった」
伯爵の問いに伝令兵が答える。
「妖魔共です。妖魔が巨大スライムを挑発して、まるで餌で釣るようにコボルドを食わせたりして、こちらに誘導して来ています。大小200以上のスライムもそれに続いていますッ!」
「おのれ~」
唸り声を上げるベルーナ伯爵に参謀役の家臣が進言する。
「伯爵様。スライム相手の守城戦は、今の我々にとっては最悪です。
スライムは苦もなく城壁を登ってきますし、城門の隙間から入り込むことも可能。豊富な油でもあれば城壁で焼き払う事が出来るでしょうが、我々には油の備蓄もない。
城壁近くまでこられたら確実に城壁内に入られます。
騎士や常備の兵士なら十分に成長したスライムとも戦えるでしょうが、臨時徴兵した民兵では戦いになりません。城壁内に入り込まれれば大混乱は必至。
その状況で妖魔も攻めてくれば全てお仕舞いです」
「要するに、スライムを城壁近くまで来させてはならんということだな」
「そうです」
「仮に騎士団で出撃してスライムを叩くとして、その間に妖魔が攻めてきたらどうする」
「妖魔共には攻城兵器がないので、城壁は有効です。民兵達でも城壁の上から弓矢を放ったり石を投げたりすれば効果はある。スライムに攻められるよりはましなはずです」
「……」
しばし考えた後、ベルーナ伯爵は口を開いた。
「儂自ら騎士団を率いてスライムを叩く。その間民兵を率いて城壁を守るのは、貴様に任せるぞ」
現状では戦力を分散させるべきではない。
スライムに対して有効に戦える戦力は、自分を守るべき護衛の騎士も、それどころか自分自身すらも含めて、文字通り全ての戦力を集中させて、まずスライムを叩く。
それがベルーナ伯爵の決断だった。
ベルーナ伯爵も、領主として領土と領民を守るという責任感をなくしてはいなかった。
そう決めたからには、一刻も早く動かなければならない。
まかり間違ってもスライムに城壁に取り付かれるわけには行かないし、出来る限り迅速にスライムを倒して領都にとって返し、妖魔共にも対処しなければならないからだ。
だが、参謀役の家臣は沈痛な面持ちのまま口を開いた。
「伯爵様。軍事的には妥当な判断だと思います。ですが、今の状況で伯爵様ご自身が領都を離れるのは、問題が生じる恐れもあるかと……」
「どういうことだ」
「その、現在領都の民は酷く動揺しており、流言飛語が飛び交う状況です。今伯爵様が領都を離れますと、有らぬ噂が広まる可能性も危惧されかねません」
「何が言いたい! はっきりと言え」
「も、申し上げます。伯爵様が領都を離れた場合、最早お戻りになられぬと考える民も現れてしまい、民兵どもも動かなくなる恐れがございます」
「儂が民と領土を捨てて逃げるとでもいうのか!!」
「そのようなことを考えてしまう領民も現れかねないという事です……」
「馬鹿な!」
その意見はベルーナ伯爵に大きな衝撃を与えた。
彼は到底善人とは言えない人物だった。しかし、領主として領地と領民の事を大事に思ってもいた。
マリウスを騙して働かせたのも、それが領地と領民の為になると思ったからだ。
そのベルーナ伯爵にとって、民に疑われるというのは耐え難いことだった。
だが、彼にも今の自分の評判が地に落ちている事は分かっていた。
民は自分を信じてくれるとは、とても言い切れない状況だ。
「……出陣の為の式典を開いて、家族をここに残す事をはっきりと示そう。領都に我が家族が残っている事が分かれば民も落ち着くだろう」
「畏まりました」
こうして、急遽式典が開かれる事になった。
と言っても、たいそうな準備をする余裕などない。
出陣する伯爵と騎士団を、伯爵の家族と文官たちが民衆の前で見送るというだけの行為だ。
それは、要するに伯爵の家族が領都に残る事を民衆に知らせるためだけの行為だった。
式典に集まった民衆の様子は険悪だった。
彼らは皆、現在の悲惨な状況は、全て伯爵が偉大な魔術師だったマリウスを追放したから起こったことだと思っていた。
要するに伯爵の失政がこの事態を招いたと考えていたのだ。
さすがに騎士や兵士が集まる中で、伯爵らを責める発言をする者はいなかったが、民衆が伯爵とその家族に強い悪意を持っているのは明らかだった。
(なぜわしが、民にこのような目で見られねばならんのだ……)
今まで自分が守ろうとして来た民に悪意を向けられるという、到底許容できない状況に、ベルーナ伯爵は身を震えさせた。
伯爵の家族も民の悪意をぶつけられ大きな衝撃を受けていた。
ミレディアはほとんど倒れそうだったし、伯爵夫人のエリザベータも二女のアンジェリカも蒼白になっている。
少し前まで尊敬と賞賛の目でしか見られたことがなかった彼女達には、それは余りにも過酷な仕打ちだった。
だがその式典は、民衆の多くに、ベルーナ伯爵は逃げるわけではないということを理解させる事には成功した。
ともかく、ベルーナ伯爵と騎士団は出陣し、スライムの群の討伐へと向かったのである。
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