第13話 南の砦と迷宮都市が大変な事になる話

 襲撃を決行することを決めたブルンクデスドバルドの行動は早かった。

 戦機を見るに敏だったともいえる。

 レオナルド達を襲ったその日の夜に砦に攻め寄せたのだ。


 レオナルド一行は、砦に立ち寄ってレオナルドの応急処置をしたが、それだけでほとんど休む事もなく砦を立ち去った。

 オークたちの戦力がほとんど削られておらず、直ぐにも襲撃があるかもしれないと思ったからこその行動だった。だが、そのような事は砦の守備隊には一切伝えられなかった。


 結果、砦には詳しい事情も知らされず、酷く動揺した守備隊だけが残される事になってしまう。

 その動揺を見透かしていたかのように、その日の夜に夜陰に乗じて妖魔の大軍が襲い掛かったのだ。

 砦はひとたまりもなく崩壊した。


 まず、隊長のジロンドに不満を持っていた少なくない数の兵士達が、何の躊躇いもなく砦から逃げ出した。

 それは、以前ジロンドに向かって、マリウスの言う事を聞いておくべきだったと訴えた兵士と、その意見に同調した者達だった。


 このことにより他の兵士たちも更に激しく動揺してしまい、弓矢の援護を受けつつ丸太を使って砦の門を破壊しようとするオークたちに有効な反撃を行えなかった。

 そして、間もなく門は壊され、多数の妖魔が砦の中になだれ込んだ。


 その時点で、ジロンドが逃げた。

 隊長の逃走は直ぐに残っていた守備兵たちの知るところとなり、当然その士気は崩壊。砦は陥落したのである。




 砦が陥落した少し後。ジロンドと妻のヴェルナ、そして腹心の部下3人は砦付近の森の中を慎重に進んでいた。

 砦から領都の方へ伸びる道には既に多数の妖魔が屯していたため、一旦付近の森の中に入ったのだ。


 ジロンド達が進む先から1人の兵士やって来る。それは偵察に向かわせていた兵士だった。その兵士はジロンドに小声で告げた。

「隊長。駄目です。この先にオーク共がいました。もう少し左の方に進んで迂回しましょう。それも急いだ方がいい。妖魔共も索敵範囲を広げているようです」

「分かった。行くぞ、ヴェルナ」

 ジロンドは妻に声をかけてから左方向に向かって足早に進み始めた。ヴェルナがそれに続く。


 だが、しばらく進んだジロンドとヴェルナは驚愕した。

 進む先に3体のオークと、10体近いゴブリンとボガードの姿を認めたからだ。

 慌てて後ろを振り返った2人は、そこで初めて後について来る者が誰もいないことに気付いた。

 ジロンドとヴェルナは、腹心の部下と思っていた者達から囮として使われてしまったのだ。


 妖魔達も直ぐにジロンドとヴェルナの2人に気がついて迫ってくる。

 ジロンドとヴェルナは愕然としながらも、直ぐにその場から逃れようとした。だが、背後からも2体のオークと5体のゴブリンが現れ、挟み撃ちを受けてしまった。

 こうなれば最早戦うしかない。

 2人は覚悟を決めた。


 ジロンドが正面の妖魔たちを、ヴェルナは背後から来た妖魔たちを受持つ形になった。

 ジロンドはバトルアックス、ヴェルナはシミターをそれぞれ構える。


 ジロンドの戦い方は、重厚な鎧の防御力を頼りに回避を無視して全力の一撃を放つというものだ。

 ヴェルナは逆に、鎧も武器も軽い物を装備して回避を重視し、攻撃も威力よりも手数を重視していた。


 しかし、この時ジロンドは非常に不利な状況にあった。

 いつも装備している板金鎧ではなく、皮鎧しか身に着けていなかったからだ。

 彼は砦から逃走するに当たり、大きな音を立て動きを阻害する板金鎧を脱いでしまっていた。

 当然、いつもなら無視できるような軽い攻撃すら彼の体に届く。

 彼がオークの1体を倒したとき、彼も既に傷だらけになっていた。


 ヴェルナもまた苦しい戦いを強いられていた。

 ヴァルナは、並みのオークの攻撃程度なら余裕を持って避けるだけの技量を身につけている。

 しかし、それは1対1で戦う場合の話だ。

 今は多数のゴブリンの存在が問題だった。


 ゴブリン程度の攻撃を避けるのは容易い事だが、それでも多少体勢は崩れる。

 続けざまに攻撃されれば尚更だ。

 そこにオークの攻撃が来た場合、それを避けるのはヴェルナの技量では難しい。

 例え相手が格下でも、数に囲まれるという事はそれだけ危険なのだ。


「ぐわぁぁぁ!」

 ヴェルナが妖魔たちの攻撃をかろうじて避けている中、ジロンドが叫び声を上げた。

 ジロンドはオークの持つ槍でその腹を正面から背中まで貫かれていた。

 動きを止めてしまったジロンドの足を、もう1体のオークが槍で払う。


 たまらず倒れたジロンドにオークが襲い掛かる。

 そして、オーク共はまだ生きているジロンドを食い始めた。

「ぎゃぁぁぁ!」

 ジロンドの悲鳴が響き渡った。


「あ、あああ……」

 夫が生きながら食われる惨事を目の当たりにしたヴェルナは、そんな無意味な声を上げる事しかできなかった。


 彼女は今日まで自分の事を勇猛な戦士だと思っていた。

 しかし、砦が多数のオークに襲撃されたと聞き、自分がオークに襲われる事を現実的に意識した時から、恐怖に囚われてしまっていた。

 そんな情けない自分を必死に否定しようとしていたが、ジロンドの有様を見てついに恐怖を隠す事すら出来なくなっていた。


 動きを止めてしまったヴェルナのシミターを、オークが槍で強く打ち据え弾き飛ばす。

 ヴェルナは戦う為の武器すら失った。


 ヴェルナが逃げないようにゴブリンたちが周りを固めている。

 オークはヴェルナに向かってにじり寄って来る。

 その目には、強烈な性欲と、更に食欲すら浮かんでいる。


「助けて。誰か、助けてくれ!」

 ヴェルナはついにそう叫んだ。

 ――――臆病者め。

 かつてマリウスから発せられた罵りの言葉が、また聞こえたような気がした。


 そして、恐怖に打ち震えるヴェルナに、オークたちが殺到した。




 南の砦がオークによって陥落した2日後。迷宮都市トレアでも大惨事が起こっていた。

 その日、迷宮管理部局に依頼された斥候が、スライム・インペラトールの様子を見るために迷宮に潜った。


 スライム・インペラトールが発生した部屋に近づいたその斥候は、予想よりも遥かに早くスライム・インペラトールに感知されたことに驚かされた。

 斥候は即座に逃げ出したが、スライム・インペラトールの追跡は執拗で、多数のスライムすら動員した激しいものとなった。


 どうにか迷宮から抜け出し、斥候はようやく安心した。

 今までトレアの街の迷宮において、迷宮で発生した魔物が迷宮の外に出て来ることは一度もなかったからだ。


 しかし、安心するのは早すぎた。スライム・インペラトールは、既にその迷宮の法則に従う存在ではなくなっていた。

 スライム・インペラトールは斥候を追って、トレアの街に溢れ出た。百以上のスライムがそれに従う。

 トレアの街が始まって以来経験した事がない惨劇が、引き起こされようとしていた。




 トレアの街は大混乱に陥った。

 ベルーナ伯爵領において領都に次いで安全な場所にあり、いざとなれば冒険者達を戦力に数える事ができるトレアの街には、元々まともな兵は常駐していなかった。


 しかし、冒険者達の内最も優れた者達が既に壊滅しており、更に幾つもの冒険者パーティが街から去ってしまっている。

 今のトレアの街には、スライム・インペラトールはもとより、普通のスライムを倒す為の満足な戦力すらない。

 街の住民たちはただ逃げ惑う事しかできなかった。




 メリサは、迷宮管理部局の建物に中で、1人逃げ遅れてしまっていた。

 今は資料保管室に逃げ込み、蹲って身を隠している。

 だが、スライムはいかなる方法によってか彼女の存在を感知した。


 ドン、ドン、ドン、と扉に重いものがぶつかる音が何度も響く。

 ドガン、そんな大きな音が響き、ついに扉がはじけとんだ。

 そして、スライムが資料保管室に入ってくる。


「きゃぁー」

 その姿を見てメリサは悲鳴を上げた。叫ばすにはいられなかった。

 スライムの中には、取り込まれ半ば消化されたメリサの元同僚の姿があったのだ。


「助けて!  助けてマリウスさん!」

 メリサは、彼女が知る者の中で、この状況を何とかできる可能性がある唯一の人物の名を叫んだ。

 彼女にできることはそれだけだった。

 だが、スライムは構わずにメリサの方に這い寄って来る。

 それを止めるすべは、彼女にはなかった。


 そうしてこの日、トレアの街はスライムが占拠する街となってしまったのだった。

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