第4話 愛しきものよ

 1


 ブラックロータスは《星崩し》の光の矢を見上げていた。


 美しい。


 薄暗い迷宮の中では決して見ること叶わなかった光にブラックロータスは一瞬にして心を奪われていた。


 それが光の矢による攻撃だとは分かっていながらも、流星のごとき光を美しいとブラックロータスは思った。


 その一瞬を狩人は逃すわけがない。


『グモオォォォ』


 ブラックロータスの右目が熱くなる。遅れて痛みが思考を支配する。


 射手であるハンチングの矢は確かにブラックロータスの右目を貫いた。


 痛みにより、防御が疎かになったブラックロータスに千を超える光の矢が降り注がれる。


 光の矢がブラックロータスの鋼鉄の皮膚に突き刺さる。貫通はしないが、断続的な痛みにブラックロータスは耐える。しかし、降り注がれた矢の絶望的な物量に精神は持ちこたえるが、身体が持たない。


(我は死ぬのか)


(まだ、足りない)


(まだ、闘い足りない)


(我はもっともっと生きたい)


 ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン


 ブラックロータスの心臓が脈打ち高鳴る。ブラックロータスは祈った。それが祈りだったのかどうかは分からない。願ったのだろう。神話の時代より退屈を持て余した魔牛は知ってしまった。


 強敵と合間みえる戦いの甘美なる魅力を。


 胸の高鳴りを。


 何よりブラックロータスはまだ満足していない。


 足りない。


 全然足りていない。



 ブラックロータスの身体の中で熱いものがうねりをあげる。


 そのうねりが全身を駆け巡り、光の矢より受けた傷口の熱さを奪っていく。


『グモオォォォ』


 それは初級回復系統魔法治癒であった。ブラックロータスは今まで肉体による存在の力で十分だった。まるで幼子のように思うがままにワガママに力をふるうだけであった。自身に宿りし魔力のことなど知るよしもなかったのだ。


 ブラックロータスは痛みの感覚が失くなったと思えば、《治癒》により傷が再生したと思えば再び光の矢による痛みで気が狂いそうになる。人種であれば、痛み耐えられずにショック死しているであろう。


 しかし、ブラックロータスは嗤っていた。


(……死なない)


(まだ……遊べる)


『オオオオオオオオオオオオ』


 全身の傷口が《治癒》によって光輝く。薄暗い迷宮の中で、まるで星座のように輝く。


 ブラックロータスは《星崩し》による幾千の流星に耐えきった。


 ブラックロータスが地面に倒れこむ。


 ブラックロータスは星のない迷宮の天井を見上げて、ゆっくりと眼を閉じた。



 2


 ブラックロータスが目を覚ました。


 薄暗い迷宮の天井はいつものように闇である。ブラックロータスは思考した。


 我は幻でも見ていたのであろうかと。


 角と左手首は斬られ、光の矢による地獄のような痛みに耐え、散々な幻であった。そして、自身の力をふるうことができた甘美なる一時であった。


 ブラックロータスは地面より起き上がろうと右手をついて、ほぼ同時に左手をつこうとして上半身のバランスを崩した。


 ブラックロータスは左手首がないことに気付く。手首から先はないが、傷は塞がっている。そして、よく見ると周りの地面がまるで掘り返されたようなおうとつである。


(幻ではない)


(我は戦った)


『オオオオオオオオオオオオォォ』


 ブラックロータスは歓喜した。先ほどまでの戦いは幻ではなかった。


 先の痛みも、角、右目、左手首の欠損が、我の記憶が胸の高鳴りが、身体中の熱さがそれを証明している。


 ブラックロータスは立ち上がり、部屋全体を見渡す。


 独眼竜となったその瞳は、先の戦いの好敵手達を探す。


 いない。


 ブラックロータスは迷宮内の空気を吸い込み、息を吐く。そして、己の鼻を働かせる。


 そこには、自身の血であろう匂いに加えて、金属制の鉄の匂い。人種の汗の匂い。先まで感じることのなかった身体の中にある熱い力(魔力)と同じ大気中の魔力残滓を感じる。


 しかし、それらは全て幻でもあったかのように時間を追う毎に薄れていく。


 ブラックロータスは駆け出した。


 その甘美なる己の欲を満たしてくれた幻を、好敵手達の僅かな手掛かりを手繰りよせるように階段まで駆ける。


 ブラックロータスが階段を登ろうとした刹那に……


『ガグガァァォァァ』


 ブラックロータスは見えない壁に阻まれ、その勢いのままに後方に吹き飛ばされる。


 ブラックロータスはダイアン迷宮、主部屋の門番であり行動できる範囲は四十階層だけである。ブラックロータスとてそれは本能では分かっていた。


 だが、狂乱状態のブラックロータスにはそのようなことなど理解できない。


『グモオォォォ』


 ブラックロータスは階段の見えない壁を両の腕で叩きつける。手首から先のない左手もおかまいなしだ。


 急がなければならない。


 あの好敵手達は、愛しい人が行ってしまう。


 我は待っていたのだ。


 神話の時代より、我と戦える強きものを。


 強きものよ。気高きものよ。愛しきものよ。


 我を、我を、我を、置いていくな


『ガグガァァォァァオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォ』


 ブラックロータスは叩いた。


 両手両足が血まみれになるが、《治癒》がまるでブラックロータスの意思とは関係なく傷を再生する。


 ダイアン迷宮四十階層にて、三日三晩、その悲痛な叫びと壁を叩く音が鳴り止むことはなかった。



 第一部 四十階層 完


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ダイアン迷宮 紅牛コフィンと銀狼 ナポ @napoleon0307

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ