(2)
***
――近頃、昔の夢をよく見るようになった。今まではせいぜい一年に数回で、しかも大抵が悪夢だった。
大勢の兵に追われ取り囲まれる夢や、冷たい地下牢に閉じ込められ飢えて苦しむ夢。あるいは、死んだ後に虫や小動物に転生しては無残に死ぬ夢。
どれも過去の記憶というよりも、記憶の中で凝り固まったイメージのようなものだ。恐怖で跳ね起きて、変な動悸や冷や汗に悩まされた。
しかし、最近の夢は違う。昔の記憶をそのままなぞっている。
幾度もの転生で薄れてほとんど忘れて、自分の意思で思い出そうとしてもできないはずのに、夢の中では不思議とはっきり現れる。
夢はすべて、黒天宮での呪妃と小華の夢だった。今思えば、小華と過ごした時間は、呪妃の人生の中で唯一穏やかで幸せなものだった。
最初こそ追い出そうとはしていたが、己を恐れることなく献身的に仕える彼に、呪妃は次第に心を許していった。
王宮で恐れ憎まれ、術や呪詛で多くの人々に手を掛けてきた彼女が、唯一心を休めることができる存在となっていた。
『呪妃さま、今日は一段と冷え込みますね。火盆で衣を温めておきました』
『胡桃を貰ってきました。炒って甘い糖蜜でからめましょうか? それとも小さく砕いて、松の実や瓜の種と一緒にりんごに詰めて蒸しましょうか』
『呪妃さま、庭に梅が咲いておりました。いい香りですよ』
小華が向ける笑みは、純粋に呪妃を慕うものだった。多くの者が向けてくる、へりくだったり、媚を売ったり、恐怖を隠したりするためのものではなかった。
すると小華につられ、己も自然と笑みを浮かべるようになっていた。普段は面を付けて隠していたが、自室ではさすがに外している。緩む顔を見られたくなくて手や袖で隠しても、小華には見られていたようだ。
いや、むしろ、呪妃の表情を見逃すまいと、少しでも笑ってくれるようにと、逆に甲斐甲斐しかったように思える。
胡桃や木の実の類、甘いものが好物だというのを知られていて、食卓には必ずそれが用意されるようになっていた。どこからか届く梅の香に気をとられていたら、翌日には満開の梅の花が花瓶に飾られていた。
よく気の付く少年は、年が長じ、やがて青年へと移り変わる年頃になる。
いつの間にか背は追い抜かれていた。肩幅は広くなり、華奢だった白い首はしっかりとして、喉仏がはっきりと出てきたというのに、彼の美しさは変わらなかった。
それどころか、磨き上げられて洗練されていく。女に扮装することで必然的に肌や髪の手入れをしていたせいもあろう。目も当てられなくなると思っていた女装姿は、男とも女ともつかぬ倒錯的で危うげな色香を匂わせる。美しい仙女のような見目に、彼の持つ本来の性がにじみ出てくれば、黒天宮に仕える使用人達は男も女も彼に見惚れた。
浮いた噂が出てこなかったのは、その頃には彼が呪妃の『お気に入り』として知られるようになっていたからだ。
恭しく傅く彼が見上げてくる。その目に宿るのは憧憬や敬愛、それから。
『呪妃さま、私は貴女を――』
彼はあの時、なんと言っていたのか。
夢の中で、呪妃は己を見上げてくる彼を見つめる。音を発することなく、薄く紅を刷いたような口元が動く。
それはやがて天華のものへと変わって、夢は途切れてしまう。
目が覚める度に、薄れていたはずの記憶がどんどん鮮明になっていくのが、怖かった。
一つ色が鮮やかになれば、それが滲んで広がるように、くすんでいた景色は色を持ち始める。登場する人間は声を持ち、熱を放ち、感情がこちらにまで伝わってきそうなほど、明確になっていく。
それだけならいい。だが、穏やかな日々が続かないことを、晩霞は知っている。
この後に必ず訪れるのは、屈辱と絶望と苦痛。そして千年も続く地獄のような転生だ。それすらも鮮明になって己の夢として現れたとき、自分は耐えられるのだろうか。
少しずつ、だが確実に近づいてくる前世の悪夢の気配に、晩霞は悩むようになっていた。夢の原因は十中八九、天華だ。彼の顔を見る度に、小華のことが、前世の記憶がちらつくのだ。
***
小華と同じ顔をして、小華と同じように振舞う彼は、どうして朱晩霞の前に現れたのか。
何が目的なのか。
天華に対する疑惑と不安が、晩霞の中に渦巻いていた。
「それなら……どうして、楚先輩は私に親切にするんですか」
問いかけながらも、天華から距離を取るように足が勝手に後ろへ下がる。鞄を持つ手に力が籠り、彼を見上げる目はどうしても険しくなった。
警戒を露わにした晩霞に、天華の蜜色の目が揺らぐ。天華が何か言いたげに口を開きかけた時だった。
「――朱晩霞」
背後から、誰かが名を呼んだ。
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