第四話 再会(1)


 重い荷物を持っていれば、代わりに持ってくれる。

 部屋を出ようとすれば、ドアを開けてくれる。

 道を歩くときにはさりげなく車道側に立つ。

 楚天華の行動は紳士的……の度を越えていた。ランチに誘われればいつの間にか支払いは済んでいて、休憩時にはタイミング良くお茶を淹れてくれて、晩霞の好きそうなお菓子を持ってきてくれて、急な雨の日には己の傘を差し出して……と甲斐甲斐しく献身的だった。大企業の御曹司なのに忠実な僕のように振舞い、しかも板についている。

 そんな晩霞と天華の様子に、陶は最初のうちこそ「やっぱりオーナーは晩霞ちゃんに気があるのよ!」とわくわくしていた。陶の好きな恋愛ドラマに出てくる、スパダリ御曹司と平凡OLの設定に重ねては、晩霞よりも照れたりはしゃいだりしていたものだ。


『ねえねえ、何か進展はあった?』

『晩霞ちゃんはオーナーのことどう思ってるの?』


 期待に満ちた目で陶に尋ねられても、晩霞は「何もありません」と答えるしかない。

 そう、本当に何もないのだ。

 かれこれ一ヶ月以上経つが、晩霞と天華の間には何も起こらなかった。

 保管室で手に触れられて以来、進展はまったくと言っていいほど無い。せいぜい、晩霞が遠慮したり断ったりすることを諦め、天華の至れり尽くせりの世話を受け入れるようになったくらいである。

 甘酸っぱい話の一つもないとあれば、陶の関心は次第に薄れていった。今は、新しく始まったブロマンス古装劇の魅力をたっぷりと語ってくるくらいだ。

 陶の追及が無くなってほっとしたものの、もやもやとしたものは残った。

 その正体を掴めぬまま日々を過ごし、企画展まで二週間を切った日のことであった。




「お先に失礼します、お疲れさまでした」

「お疲れさまー」


 まだ残って作業をすると言う周館長と林主任に挨拶をして外に出ると、当然のごとく門のところで天華が待っていた。

 十二月に入り、寒さは増して日が沈むのは早い。企画展が近づくにつれて残業することも増えた。公園内の外灯は少なく、道が暗いからと天華がマンションの前まで送ってくれるのが近頃の日課となっていた。

 事務の陶は定時に帰り、周館長と林主任は晩霞よりも遅くまで残ることが多いから、必然的に天華と二人きりになってしまう。

 大丈夫だと三度断り、そして三度とも押し負けた。穏やかそうに見えて、この青年は強情だった。

 諦めの境地で、晩霞は斜め前を歩く彼の後を大人しくついていく。


「足元に気をつけて下さいね。よかったら腕を掴んでもいいですから」


 いつものように言ってくる彼に、晩霞はふと尋ねてみる。


「楚先輩は、どうしてそんなに優しくしてくれるんですか?」


 晩霞の問いかけに、天華が振り返る。ちょうど外灯の下で、きょとんと目を丸くする彼の表情がよく見えた。


「どうして、とは?」


 不思議そうに首を傾げる彼に、晩霞は言葉を探しながら続ける。


「あの、こんな風にあなたに優しくされ続けていると、勘違いするかもしれないというか……」

「勘違い?」

「例えばですよ。優しくされ続けると、その、相手は好意を……自分のことが好きなんじゃないかと、そう、勘違いしまうんです。ほら、友達とか恋人とかに、優しくするでしょう? 相手のことが好きで、そういう存在になりたいから、優しくするんじゃないかと……」


 こんな細かいことまで言わせるなと頬を熱くしながら、晩霞は言った。

 そう。これが、晩霞の中でもやもやとしていたことだ。

 晩霞は、天華に親切にされる理由が思い当たらなかった。ただただ優しく、甲斐甲斐しくされるのは、どうにも落ち着かなかった。

 それが彼の好意であるとするなら断ればいいだけだし(多少気まずくはなるが)、それ以外の理由でもいい。何かしら、決着をつけたいと思ったのだ。

 だが――。


「いいえ。そんなことは、少しも考えたことはありません」


 戸惑いながら答えた天華の声は、いつもよりもどこか強い口調だった。そんなこと、と繰り返す彼の目は真剣で、頬は少し強張っている。

 嘘をついている様子は無い。むしろ、なぜそんなことを晩霞が聞いてくるのかという訝しげな表情をしていた。

 今までにない天華の態度に、晩霞は居た堪れなくなる。頬に上がった熱が、冷たい空気にさらされて耳まで冷たくなってくる。紛らわしいことをするなと思う反面、心の奥では不思議と納得もしていた。

 天華には、下心というか、恋心のようなものがまったく見えなかったからだ。何と言えばいいのか、晩霞に尽くすのが彼にとって『当たり前』という自然な態度で、それは友人とも恋人とも違う距離感に思えた。

 そう、まるで――。


 まるで、呪妃に仕えていた『小華』のように思えていたのだ。


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