(5)

「小朱! 奇遇ですね」


 公園の入り口でばったりと出会ったのは、楚天華だ。

 満開の花すら霞む美貌を持つ青年が、花も恥じらう麗しい笑みを浮かべる様に、今朝見たばかりの夢を思い出してしまった。

 晩霞は頬が引き攣りそうになるのを堪えつつ、挨拶をする。


「お……おはようございます」

「おはようございます」


 笑顔で返してくる天華の声と顔が、小華のものと重なった。頭を振って残像を飛ばそうとするが、晩霞の様子に天華が怪訝そうに眉を顰める。


「大丈夫ですか? 顔色が少し悪いようですが……」

「あ、ええ、大丈夫です。少し寝不足なだけで」


 嘘だ。昨日はあれからすぐに寝付いて、たっぷり睡眠をとれていた。

 予想していた夢見の悪さは無く、むしろ穏やかなもので、起きた時に少しだけ勿体なく思ったくらいだ。小華は本当に美少年だった、と呑気な感想さえ抱いた。

 そして、そんな小華が成長した姿にそっくりな天華が、夢の中と同じように心配げに晩霞を見つめてくる。


「体調には気を付けて下さいね。近頃は朝夕の寒暖差が激しいですし……よかったら今日のお昼ご飯、一緒に行きませんか? 近くに美味しい薬膳を出す店があるんです」

「お誘いはありがたいのですが、楚先輩もお忙しいのでは……」

「いいえ。企画展が済むまでは他部署への出向もなく、四海奇貨館にいられることになりましたので。せっかくだから、これを機会に皆さんと交友を深められればと思っています。」


 断りづらい誘い方をしてくる。しかも「皆も誘って、ぜひ」と警戒を解く台詞も付け足した。


「……はい、わかりました」

「よかった。お昼が楽しみです」


 そう言って微笑むと、天華は当然のように晩霞の隣に並んで歩き始める。

 朝の公園は人が少ないが、スタイル抜群の美貌の青年が颯爽と歩く姿に、人の目がちらちらと向く。ジョギング中の若い女性や通学中の学生達、散歩中の老夫婦など、老若男女問わず一様に天華を二度見、三度見していた。

 注目される彼から距離を置きたくて、晩霞は歩く速度をそっと緩める。少し離れたことでようやく一息付けることができ、斜め後ろから改めて天華を見やった。

 プラタナスの梢を揺らす風が、彼の短い髪を揺らしていた。何となく襟足を見つめていると、ざあっと葉擦れの音が大きくなる。

 吹き付けた強い風に咄嗟に目を閉じ、開いた時。晩霞の目の前を、長い髪が流れた。

 緩やかに波打った長い黒髪が、木漏れ日を反射する。編まれた髪の一房が、明るい鳶色に艶めいて光った。

 驚いて瞬きをした後には、長い髪は消えて、短く刈られた襟足とシャツの襟が視界に映る。身体は強張り、知らず息を詰めていた。


 ……今のは幻なのか。夢の続きをまだ引きずっているのか。


 立ち止まった晩霞に、前を歩いていた天華が振り返る。


「小朱? どうかしましたか」

「なっ……何でもありませんっ」


 胸のつかえをかき消すように勢いよく答えると、天華はまた心配そうな表情を見せる。それに作った笑みを返して「早く行きましょう」と促した。

 四海奇貨館を囲む檻、もとい鉄柵が見えた時は、今日は妙にほっとした。



  ***



 企画展の準備は、学生時代の実習でも行ったことがある。

 テーマを決め、展示する資料を選定し、展示の構成を考え、予算やスケジュールを立て、掲示用の資料を準備し、展示して開催に至る。

 流れはシンプルだが、外部への後援や出品の交渉、予算の計上と調整、掲示するパネルに載せるキャプション(説明文)作成のための調査研究、図録やポスター作りのための写真撮影から印刷、券や販売用のグッズを外部へ依頼して調整を繰り返し……と、実施に至るまでの下準備は複雑で手間暇が掛かる。テーマを決めてから開催に至るまで、大きなものでは数年掛かることが多いそうだ。実習でも、一年をかけて行ったものだ。

 もっとも、四海奇貨館で行われる今回の企画展はすでにテーマも展示する資料も決まっている。外部への後援や出品の交渉は無く、ちらしやポスター、グッズや図録も必要ない。晩霞達が行うのは、展示会場のレイアウト、展示物のキャプションやパネルの作成、来場者用の簡単なパンフレットの作成がメインだった。

 準備期間は二か月と短いが、通常の企画展に比べれば業務量は少ないので、充分に間に合いそうだ。

 だが、初めてで、しかも展示の一部を任されることになった晩霞には不安の種が多い。学生の実習でやっていた時とは違う。心せねばと、晩霞は自分に割り当てられた展示のシナリオ案を作った。


 展示には、テーマに沿ったストーリーが必要だ。入り口から出口まで順路に沿って進む見学者が、展示の説明を順番に追い、テーマを理解できるように工夫する。そのためのシナリオを作って、会場のレイアウトを決めていくのだ。

 晩霞が割り当てられたのは、五代十国時代の『十国』で、天華と一緒に担当する。

 五代十国時代は、唐の滅亡から北宋の成立までの間に起きた、華北・中原を統治した五つの王朝(五代)と、その周囲の地域を支配した地方政権(十国)が興亡した時代である。

 五つの王朝は後梁・後唐・後晋・後漢・後周、十国は前蜀・後蜀・呉・南唐・荊南・呉越・閩・楚・南漢・北漢とされている。

 展示会では、五代の方がメインになる。文物や資料も多く、五十年の間に様々な者が玉座を求め、奪い奪われていく波乱万丈な歴史はストーリー性も見応えもある。

 だが、晩霞自身は十国の方に興味があった。広い大陸にあった国々は、土地土地で文化や産業が大きく違う。最初は前世を調べるのが目的だったが、調べるほど自分の知らないことが多く出てきて面白くなり、論文を書くに至った。

 ひとまず、十国の位置関係を地図で示し、年表にまとめるのは必須。各国の要綱をまとめて、どの国を自分の展示のメインにするかは周館長達に相談しよう。

 そう決めて、晩霞はうんと伸びをした。



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