(6)


 一か月の研修期間が終われば、新入社員達はそれぞれの部署に配属されることになる。本人達の希望と適性を見て、面談の後に決定する流れだ。

 晩霞は経理事務を希望していた。高いボーナスが出やすいのは営業や広報といった成果が目に見える仕事の方だが、晩霞は社外に出てばりばりと活躍するよりも、社内でデスクワークする方がよかった。

 成果を出したところで、出る杭は打たれてしまう。楊彩雅のように、入ったばかりの新人の彼女ですら、妬み嫉みの的となるくらいだ。人の様々な思いが渦巻く中に自ら飛び込みたくない。今生はできるだけ平穏に暮らしたいのだ。

 経理事務は、営業や広報のような人気のある部署ではないので、おそらく晩霞の希望は通るだろう。それほど緊張せずに面談室に入ると、人事課長の女性がおっとりとした口調で尋ねてくる。


「朱さんは学芸員の資格を持っていたわよね」

「は、はい」


 いきなり学芸員の話が出てきて、晩霞は戸惑う。学芸員と経理、いったい何の関係があるのか。


「朱さんに、『四海奇貨館』へ行ってもらいたいの」

「四海奇貨館、ですか?」


 聞き慣れない名前に首を傾げる晩霞に、人事課長は答える。


「グループが所蔵する美術品や文物を集めた、私設博物館のようなものよ」


 博物館。思わぬところで出てきた名前に、晩霞は目を丸くした。そういえば、『奇貨』は珍しい宝物や掘り出し物を意味する。


「元々は、グループの会長一族が代々蒐集したものを保管するために造られたのだけど、何しろ所蔵品の量が膨大で、しかも歴史的価値、芸術的価値の高いものも多いわ。それで、ただ保管しておくだけなのも勿体ないという話になってね。二十年くらい前から、賓客の接待などに使っているの。まあ、グループ内でも四海奇貨館を知っている人はあまりいないわ」


 四海グループは国を代表する大財閥で、一族の総資産は国家予算に匹敵すると噂もある。彼らが蒐集した物となれば、かなりの価値があるだろう。しかも、公にはされていないVIP専用の秘密の博物館となれば、どんな秘蔵品があることやら。


「四海奇貨館の業務は、博物館とほとんど変わらないわ。主に収蔵品の管理や入れ替え、来客の対応と……詳しい業務内容は四海奇貨館の責任者からも説明してもらうことになるわ。ただね、配属されるのは一人だけなの。元々、少人数の部署だから。先月ちょうど退職者が出て、補充の人員が欲しいと連絡があったばかりなのよ。それで、ちょうど学芸員の資格を持っているあなたが候補に挙がったの。朱さん、どうかしら?」


 一人となると、研修で一緒だった同期とは離れることになる。

 社会人一年目として、同じ部署に同期がいないのは心細いが、それよりも業務内容に惹かれる。元々、最初に希望していた職種に近い仕事だ。諦めていた学芸員。

 それに、晩霞は人付き合いが苦手な方だ。どうせなら小さな部署の方がやりやすい。


「……はい、資格を活かせる部署で働けたら私も嬉しいです。ぜひ、四海奇貨館への配属を希望します」


 晩霞はもっともらしく答えながら、一もにも無く頷いた。




  ***




 照明が落とされた室内を、大きなモニターの光が淡く照らす。

 モニターの前にいるのは四人の人物だ。

 パソコンチェアにだらしなく座って、甘いカフェオレを啜りながら複数の画面を切り替える者。

 中央のデスクに浅く腰かけて腕を組み、眉間に深い皺を寄せてモニターを睨みつける者。

 薄暗い中で手元のタブレットの文書を読みながら、時折モニターに目を向ける者。

 そして、モニターを瞬きもせずに見つめて立ち尽くす者。

 彼らの視線は、モニターに映る一人の女性に向けられていた。

 面談室で人事課長に向き合う、肩までの黒髪を一つにまとめた若い女性だ。

 細身で色白、円らな黒い目に小作りの顔と比較的整った容貌はしているものの、とびきりの美人でもない。人混みに紛れればすぐに分からなくなりそうな、ごく普通の、悪く言えば地味な外見をしている。

 幾つもの角度から撮られた映像を見ながら、眉間に皺を寄せる男はその皺をさらに深めて言う。


「……本当に、あの娘が奴なのか?」

「そうだよー」


 カフェオレのストローを咥えながら、男がマウスを操作して別の画面に女性のプロフィールを出す。


「大学で『僕達』のことを調べていたんだ。ネット検索の履歴、図書館や研究棟のカメラ映像を追跡して、彼女だと特定しましたー」

「ただの偶然じゃないのか?」

「偶然で僕達のうちの三人の名前を揃って調べる? 懐かしい国名も出てきたし、『呪妃』の検索する人なんて初めてだよ。いやあ、ここ数十年、ネットワークに常に網張っててよかったなあ。あ、ネットだけにね!」

「おい、ふざけるのも大概に……」

「彼が調べたのですから、間違いはないでしょう」


 眉間どころか青筋を立てた男に対し、タブレットで文書を読んでいた男が顔を上げる。


「うちのセキュリティシステムの顧問で、『四海八荒』の開発者なんですから。ネット関連においては、彼に口出しできませんよ」


 やんわりと窘められて、眉間の皺の男は鼻を鳴らしながら口を閉じた。

 静かになった室内で書類の男が言葉を続ける。


「それに、彼女には力がある可能性もある。先日のエレベーターホールの映像、あなたも見たでしょう」

「ただの間抜けの可能性もあるだろうが」

「まあ、彼女が本物かどうかを確認するには、私達よりも適した人物がいるでしょう。……そうですよね、殿下」


 声を掛けられたのは、黙ったままモニターを見つめている男――いや、まだ年若い青年だ。緩く波打った髪が縁取る白い頰の輪郭が、小さく震える。

 青年は大きな切れ長の目をゆっくりと瞬かせた。とろりと煮詰まった蜜のような色の瞳に、モニターの女性の姿が反射する。


「ああ、やっと……」


 感極まる呟きは眼差しと同じように甘く、どこか夢を見ているような響きがあった。

 形の良い唇が、声にならない言葉を紡ぐ。




 ――貴女を見つけた、と。




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