第20話 一宮彼方と白河三琴①

 それはいつの話だっただろうか。


 あれは確か、小学生の時だった。


 彼方はある女の子に憧れていた。


 その子は教室で一人ずっと何かを書いていた。


 彼方はその子がずっと気になっていた。


 今思えば、一目惚れだったのだろう。


 ある日、彼方は勇気を出して、その子に話しかけた。


 「ねえ、なにやってるの?」


 彼女は本を書いていると答えてくれた。


 彼方は、恐る恐る読ませてくれないかと聞いてみたところ、彼女はゆっくりとその書きかけの文章を読ませてくれた。


 小学生だった彼方には全てが衝撃的だった。


 それから彼方は毎日毎日その子が書いている物語を読ませてもらった。


 彼方はその女の子が書く物語がとても好きだった。


 だから、その物語が終わると聞いた時、とても悲しかった。


 終わってほしくない、ずっと読んでいたいと思った。


 でも、どんな終わり方をするのか、どんな結末を迎えるのかとても楽しみだった。


 結局、あの物語はどんな結末だったのか。


 そう。あれは確か────。




 ある日の休日、彼方は珍しく昼過ぎに目を覚ました。


 いつもならとっくに起きて、何かしらしているのだが、連日の疲れからか目を覚ますのが遅くなってしまった。


 下からは千沙のはしゃぐ声が聞こえてきた。


 「(友達でも連れてきたのか? ごゆっくり……って、ゆっくりは出来ないだろうなあ。まあ、千沙の友達だし、俺には関係ないけど)」


 などと、益体もないことを考えていると、千沙と友達の声は彼方のいる部屋の方に近づいてきた。


 「(騒がしい千沙の友達と言うことは友達も騒がしいのか? 逆に、大人しい子かもしれないな)」


 天井を見上げながら、千沙の人間関係というあまり考えないことを考えていると、二人の声は彼方の部屋の前にまで近づいた。


 ノックと共にドアが開けられ、そこには千沙と白河がいた。


 「お邪魔します、彼方くん」


 「ああ。いらっしゃい。ゆっくりしていってね」


 「うん」


 彼方は部屋の前から声をかけてくる白河に顔を上げて返事をした。


 「彼方くんって、いつもあんな感じなの……?」


 「うーん……。今日は珍しいかな? いつもは小説書いてばっかだし」


 「そっか」


 そんな会話をしながら、白河は千沙の部屋に入っていった。


 「白河さ……三琴さんがうちに来るなんて珍しいこともあるもんだな」


 彼方は再び読書を始めた。


 そして本を閉じ、勢いよく起き上がり、急いで千沙の部屋をノックした。


 「千沙!? ちさああああ!!!」


 何故、白河が自分の家にいるのか。


 もしかしたら、他人の空似かもしれない。


 事実を確かめるために、千沙のドアを叩き続けた。


 「もう、うるさい!! 何!?!?」


 「今、白河さんがいた気がしたんだけど、気のせいだよな??」


 「はあ? 寝ぼけてるの??」


 千沙の後ろには不機嫌そうな白河の姿があった。


 「……多分、寝ぼけてたんだと思う」


 彼方はだらけていたところを見られたのが恥ずかしくなり、顔を覆った。


 そんな彼方の服を誰かが引っ張った。


 目の前には白河が、不機嫌だと目で訴えかけていた。


 「……彼方くん。さっき、白河さんって言った」


 「……え?あ。その……ごめん。三琴……さん」


 「……うん。許す」


 下の名前で呼びなおしたことで、機嫌を直してくれたようで、いつも通り優しい微笑みを浮かべた。


 あの日、白河が彼方に求めたことは、自分のことを下の名前で呼ぶことだった。


 それ以来、彼方も白河も下の名前で呼び合うようになった。


 しかし、彼方は恥ずかしさからまだ名字で呼んでしまう時があり、その度に、白河に不機嫌そうな顔をされていた。


 「それで、今日は千沙と遊びに来たのか?」


 「あー……まあ、うん。そんな感じ」


 千沙にしては歯切れの悪い回答だなと彼方は思った。


 「まあいっか。じゃあゆっくりしていってね」


 「あ、かな兄! あとでお茶持ってきて!!」


 「はいはい」


 


 千沙の使い走りにされながら、彼方はリビングのある一階に降りていった。


 キッチンで二人分のお茶とお茶菓子を用意しながら、改めて白河がこの家にいる状況が不思議でならなかった。


 別に自分が招待したわけでもなければ、彼方に会いに来たと言うわけではないのだが、妙に緊張してしまう。


 それはきっと普段絶対に遭うはずのないシチュエーションであっているからだろう。


 いや、千沙のあの白河への敬愛ぶりを見たら、むしろ今までこういうことがなかったのが少し不思議だった。




 「おーい。お茶持ってきたぞ」


 再び千沙の部屋の前に戻ってきた彼方は、ノックをして千沙の返答を待つ。


 「かな兄、ありがとー!! そこ置いといて―!!」


 どうやら二人で何かをやっているようで手を離せないらしい。


 彼方は千沙の言うとおり部屋の前にお茶とお茶菓子を置いて、自室に戻った。




 彼方が自室で読書始めてから数十分経った頃、千沙の部屋が勢いよく開かれ、そしてそのまま彼方の部屋のドアが思い切り開かれる。


 「かな兄!!! 出かけるよ!!!!」


 「……は??」


 千沙の唐突な宣言に目を丸くしていると、千沙は「10分で支度しな!!」と言い残して部屋に戻っていった。


 「な、何なんだ……」


 彼方は全く訳が分からないまま、制限時間を課せられた。


 とりあえず、拒否権がないことだけを理解し、彼方は準備を始めた。




 10分以内に支度を終え、玄関に向かうと、千沙と白河が待っていた。


 そこで彼方は改めて見る白河の私服姿に、心臓が摑まれるような感覚を覚えた。


 「ジャスト10分。さすが、かな兄! 完璧!!」


 しかし、そんな感覚も千沙の言葉でどこかに行ってしまった。


 満面の笑みで自分を褒める千沙に、彼方はため息をついた。


 「それで、どこに行くんだ?」


 「それは、ついてからのお楽しみ」


 どうやら千沙の唐突な提案には白河も一枚噛んでいるようだった。


 少しだけ驚きながらも、何が待っているのか少しだけ楽しみに思いながら、三人は外に出た。

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