第19話 モノクロの涙は色づいて
夕日が差し込む放課後の教室。
誰もいなくなった教室に彼方と白河がいた。
彼方の手には、分厚い原稿の束が握られていた。
「白河さん」
「一宮くん……?どうしたの?」
「待たせちゃってごめん」
彼方は白河に原稿を差し出した。
「これって……?」
「白河さんに題名を取り戻させるって言っただろ?そのためにどうすればいいか色々考えたんだ。その結果、この作品にたどり着いた。……読んでみて」
「……うん」
白河はその原稿を受け取って、黙ってページをめくり始めた。
一定の速度でページをめくり読み進めていく。
ある程度読み進めたところで、白河はびくりと体を震わせた。
そこから少しずつ読み進める速度が上がっていく。
その表情はページをめくるたびに、若干だが揺れ動いているように見えた。
白河はページをめくる手を緩め、ゆっくりとページをめくっていった。
白黒しか見えない少女は、一人の少年に色々な色を教えてもらっていく。
しかし、白黒な世界が当たり前だった少女にとって、自分の知らない色を教えてもらうことは苦痛でしかなかった。
自分の知らないことを知っている少年が恨めしくて羨ましかった。
そんな少女の姿に白河はどこか共感していた。
白河にはこの少女がどうなるか何となくわかってしまった。
少女は少年に多くのことを教えてもらった嬉しさと、どうあがいてもそれが自分の体験として分からない少女は苦しみ続けた。
そして少女は、少年の前で命を絶ってしまう。
少女の身体から飛び散った赤い血が、少年の視界を染め上げていった。
それでも少年は諦められなかった。
少女にこの美しい世界を見せるまで諦めるわけにはいかなかった。
少年は多くの代償を支払い、何度も何度も同じ時を繰り返した。
そこまで読んでしまった白河は、もう彼方の世界に囚われてしまっていた。
繰り返しの中で、一つずつ少女の世界に色を与えていく少年。
気が付けば、少年の視界には白と黒と赤しか映っていなかった。
やっと少女の見ていた世界を知った少年は、最後に残った赤を、少女に与えた。
全ての色を知った少女の目に移ったのは、少年の笑顔と色彩豊かな美しい世界だった。
少女は涙を流した。
ボロボロになって、自分の目に映る色を失ってまで少女にこの世界を見せようと戦ってくれた少年を少女は泣きながら抱きしめた。
もはや少年の眼には白黒の世界しか映っていなかった。
それでも、空にかかる虹は、目の前で笑う少女の姿は色鮮やかに映り続けた。
原稿を読み終えた白河は、自分の視界が涙で歪んでいることに気が付いた。
彼方の原稿の上に、涙がポロポロと零れ落ちていた。
「あれ…?あれ…」
白河の瞳からは次々と涙があふれてきた。
必死で涙を抑えようとするが、それでも涙が止まらなかった。
世界の色が失われた少女と自分の色を全て与えた少年。
題名という色を失った少女と必死に色を取り戻そうとする少年。
少女と少年の姿が何故か分からないが、今の白河と彼方の姿に被ってしまって、どうしようもなく涙が止まらなかった。
「何で……。何で……」
色々な感情がこみ上げて、渦巻いて、ぐちゃぐちゃになっていた。
もうあふれる涙を止めることが出来なかった。
「し、白河さん……」
「涙が……止まらないの……」
白河は彼方の方を見ずに、ただただ泣き続けた。
そんな白河の頭を、彼方はゆっくりと撫でた。
しばらくして、白河は泣き終わったのか涙の跡を拭いながら、涙で濡れてしまった原稿を眺めていた。
「原稿、濡らしちゃってごめん……」
白河が申し訳なさそうに呟くが、彼方は首を横に振った。
「いや。大丈夫だよ。それだけ、俺の作品がよかったってことでしょ?」
彼方は意地の悪い笑みを白河に向けた。
その彼方の表情に、白河は少しだけ頬を膨らませた。
「……一宮くんの、ばか」
そんな初めて見る表情に彼方の心を突き刺した。
ただ、今は見蕩れてる場合じゃない。
見惚れている場合じゃない。
「白河さん。どうだった…?」
「……すごく、よかった。初めて、こんなに、泣かされた」
「そっか……。ならよかった」
彼方は心の底から喜びたい衝動に駆られた。
しかし、喜ぶにはまだ早かった。
本題はここからだ。
「それで、白河さん。この作品、問題点があって……」
「……?問題……?」
「うん。実はこの作品、題名がないんだ」
「え……。あ、本当だ」
確かに彼方の作品には、題名が書かれていなかった。
白河にとっては当たり前の光景だったからか、気づくことなく読み始めてしまっていた。
しかし、今ならそれがおかしいと分かる。
題名を書いていない作品に完敗したのが悔しいと語っていた彼方がそんなミスをするわけがない。
きっと、わざと題名を書かなかったのだとすぐに分かった。
だって、読み終わった今なら分かる。
この作品に題名は絶対に必要だ。
こんな空白が存在することが違和感でしかなかった。
今までそんな感覚を覚えたことなんてなかったのに、どうしてこんなに胸がざわつくのか分からなかった。
「白河さん。俺のお願い、聞いてもらえるかな……?」
「……えっと、もしかして」
「うん。白河さんに、題名を書いてほしいんだ」
彼方は白河の目を見つめて、真剣な表情でそう言った。
そんな真剣な目から逃れるように、白河は俯いて、原稿を見つめていた。
この作品に題名が付いていないことは許せない。
でも、それを自分が付けるなんて考えられなかった。
これは自分の作品ではない。彼方の作品だ。
だから、いくら許せないからと言って、人の作品に題名を付けることは出来ないと思った。
「……出来ないよ。私にはやっぱりできない」
「……そっか。なら、これはお蔵入りか」
そう言って、彼方は原稿を自分のカバンにしまおうとした。
「ま、待って……!!」
その手を白河はとっさに止めていた。
「ダメ、だよ。一宮くんの気持ちは嬉しい。でも、それは自分の作品なんだから、ちゃんと完成させなきゃ。作品が可哀そうだよ…!」
彼方はその言葉を聞いて、安心した。
白河はきっとずっと前から作品は完成させなければいけないということは分かっていた。
だから、あと一歩。もう少し背中を押してあげれば、きっと……。
「……うん。そうだな。そうだよ。完成させてあげなきゃ可哀そうなんだよ……!! でも、白河さんは、ずっと自分の作品の題名を消し続けた」
「あ……」
「でも、完成させないと作品が可哀そうって、それが分かってるなら、きっと書けるよ」
彼方は微笑みながら、白河に再び原稿を手渡した。
白河はゆっくりと原稿を受け取り、ペンを取った。
白河は原稿を見ながら、自分の言葉を、彼方の言葉を繰り返していた。
分かっていた。ずっと分かっていた。
どんなに終わってほしくないとしても、必ず終わりは来るし、終わらせなきゃいけない。
終わらないものはたくさんあるし、終わるものだって同じくらい多くある。
そして、今自分の手にある物語は、きっと終わらせなきゃいけないものだ。
終わらせてこそ、輝く作品だ。
白河は覚悟を決めて、題名を書こうとした。
ただ、彼方の作品の題名を自分が付けるなら、少しぐらい自分の色を混ぜてもいいのではないか。
「……ちょっとだけ、あっち向いてて」
そう思った、白河は少しだけ、彼方に目線を逸らしてもらうようにお願いした。
白河の言葉に彼方は大人しく従った。
彼方が後ろを向くと、白河はゆっくりとその原稿に題名を書き込んだ。
同時に、こっそり一部分だけ物語を書き換えて、小さく折り目を付けた
「……もう、いいよ」
白河の方を向いた彼方に、その原稿を手渡す。
手渡された原稿。
そこにはずっと空白だった題名が書き加えられていた。
「白河さん……」
「私は……どんな作品にも終わってほしくないし、終わらせたくない。でも、終わることで完成する作品だってある。一宮くんの作品は、私がずっと、目を逸らしていたことを気づかせてくれた。だから、ありがとう。……彼方、くん」
白河は寂しそうな、嬉しそうな笑顔でそう答えた。
彼方は自分がやったことが本当に正しいことなのか分からなかった。
でも、白河の笑顔を見て、やってよかったと思った。
彼方は原稿に書き加えられた題名を見ていると、小さな折り目が付いていることに気が付いた。
「……それと、少しだけ、私の色を、混ぜちゃった」
彼方がそのページを開く瞬間に、白河がそんなことを口にした。
そのページには、少しだけ書き換えられた結末があった。
色を失ったまま終わる少年が、色を取り戻して終わるように書き換えられていたのだった。
そして、小さく白河からのメッセージが添えられていた。
『勝手に書いちゃってごめんね。でも、終わるなら、ハッピーエンドがよかったから』
跳ねるように顔を上げて白河の方を見ると、白河は少しだけしてやったりという顔をしていた。
自分の色を完全に取り戻した、白河は、少しだけ表情が豊かになったような気がした。
そんな白河を見て、彼方は、少しだけ、白河を完全に覚醒させてしまったことを後悔した。
だって、今以上に好きになってしまう確信があったから。
「結局、白河さんには勝てなそうだな……」
彼方はそんなことをぼやきながら、白河に微笑んだ。
そして、彼方はすっかり忘れていたことを思い出した。
「あ!」
「……?どうしたの?」
「白河さん!!もう一個お願いがあるんだけど、いいかな?」
「実は────」
彼方は白河に事情を説明し、あることをお願いした。
「……いいと思うよ?だって、これは、彼方くんの作品だから」
「それはそうなんだけど……。白河さんのために書いた作品を、しかも題名までつけてもらったものを自分のために使うのは気が引けるというか…」
「……じゃあ、私からもお願いがあるんだけど、いい、かな?」
「俺に出来ることなら」
彼方が了承すると、白河は彼方にあることを耳打ちした。
「え……」
「……ダメ、かな?」
「……わ、分かった。頑張る」
白河のお願いに、彼方は、やっぱり勝てないなと心の中で思った。
ただ、白河の笑顔を見られるなら、これも悪くないなと思った。
□
それから数週間後、部室に集まった文芸部部員たち。
そこでは部員に見守られて、彼方と部長が向き合っていた。
「……というわけで。一宮、大賞受賞おめでとう」
「あ、ありがとうございます……!!」
彼方は賞に応募し、見事に大賞を受賞したのだった。
「いやー! まさか、あれを賞に応募するなんてな」
「まあ、あれ本当にいい作品だったしね」
二葉と祐介は彼方の作品を思い返しながら口にした。
あの日、彼方が白河にお願いしたことは、この作品を賞に応募していいかと言うことだった。
白河はある条件を提示し、快く了承してくれた。
「でも、まさか大賞まで取れるとは思わなかったよ」
「よし! 今日は一宮を盛大に祝うとしよう!!」
「いいっすね! さすが部長!!」
九道の一言により、部室は瞬く間にお祭り騒ぎとなった。
そんなお祭り騒ぎの始まりを聞きながら、彼方は、こっそりと部室を抜け出し、教室に向かっていた。
この喜びを彼女に一番最初に伝えたかったから。
教室には、いつも通り白河が残っていた。
教室に入ると、白河がこちらに気づき小さく手を振ってくる。
彼方も手を振り返して、白河の方に近づいた。
「……彼方くん、どうしたの?」
「白河……三琴さんに伝えたいことがあって」
「……?」
「あの作品、大賞取ったよ」
「……!!そっか。よかった」
心からそう思ってくれているのか、白河は微笑んでくれた。
その微笑みに、彼方も微笑み返した。
「ありがとう、三琴さん」
お祭り騒ぎが続く部室の黒板には大きく彼方の作品の題名が書かれていた。
『モノクロの虹』
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