第18話 紙束の山を越えて

 その日の夜、黙々と筆を進めていた彼方は、少し休憩をしていた。


 「ふう……。これはいい話になりそうだな」


 ある程度書き進めた彼方がそんなことを思っていると、部屋のドアが勢いよく開かれる。


 「へいっ! かな兄!! やってる!?!?」


 「何だそのキャラ……。やってるよ」


 どれどれと言いながら千沙が覗き込んでくる。


 そして、机の上に置かれた原稿を見て、千沙が珍しく素っ頓狂な声を上げた。


 「もへ? かな兄、ナニコレ?」


 「ん? ああ。これか? 一回書き上げたんだけど、さすがに後味が悪くて、今書き直してるんだよ」


 そこにあったのは、既に完成した原稿と、新たに書き直している原稿の山だった。


 その山の上に置かれたプロットを見た千沙は、ついに兄の頭がおかしくなったと思ってしまった。


 「……かな兄、正気?」


 「ああ。目標は2週間で完成だな」


 彼方の自信がどこから来ているのか、千沙には全く分からなかった。




 そして彼方の宣言通り、2週間後。


彼方と千沙、祐介は二葉のカフェにやってきていた。


 「というわけで、読んでくれ」


 「あー。ハイハイ」


 「よーし!! 読むぞー!!」


 「まさか、本当に2週間で完成させるなんて……」


 彼方の取り出した原稿にそれぞれ思う所があるのか、口々に言いたいことを言って、原稿を受け取り、読み始めた。


数時間後、読み終えた全員が一息ついて一斉に意見を言い始めた。


 「何でこんな設定思いつくんだよお前は!?!?」


 「もうちょっとハッピーエンドにならなかったの!?!?!」


 「これ本当にかな兄が書きたいこと書いただけじゃん!!!」


 三者三様な反応に彼方は満足げな表情をしていた。


 「いい反応をありがとう。もしかしたら何も反応してくれないんじゃないかってひやひやしたよ」


 


彼方の書き上げた作品は、白黒しか分からない少女とそんな少女に惹かれた少年の物語だった。


 少年は彼女に色を取り戻してあげたいと思い行動するが、その想いも虚しく、少女は目の前で死んでしまう。


 その後、少年もその影響か、次第に視界から色が失われていく。


 少年の目に移る色は白と黒と、あの日見た赤。


 その景色に耐えられなくなった少年は、少女と同じように自ら命を絶ってしまう。




 「こんなのみこ先輩もさすがにドン引きだよ……。それに、みこ先輩に伝えたいことが何なのか全然分かんないよ!!」


 「ん? あー、それはもう伝えたから別にいいんだよ」


 「……え?」


 「……は??」


 「あれ? 言ってなかったっけ?」


 「「はあ!?!?!?!」


 祐介と千沙は、あの後彼方と白河の間で行われたやり取りについて、一切聞かされていなかった。


 「じゃあこれ何のために書いてるの!?」


 「白河さんに題名を書かせるためだよ」


 「え? ごめん、彼方。全然分かんないんだけど」


 千沙と二葉は混乱して、話が全く理解できなかった。


 「要するに、白河さんが題名を消せたのは、自分の作品だったから。未完成にしてもいいようなものだと思っているからだと思うんだ。だから、白河さんに読ませてやるんだ。絶対に題名を消せないようなそんな最高の作品を」


 彼方は改めて自分の考えを二人に話した。


 そこまで聞いて、やっと話を理解した二人は、納得がいかないと言った表情で頷いた。


 この場で彼方以外に、状況が分かっている二葉はすかさず彼方に一言物申した。


 「でも、彼方。これがその最高の作品ってやつなの?」


 バッドエンドではあったものの素直に面白かったし引き込まれた。


 ただ、これが最高の作品と言われたら、それはちょっと…と言いたくなるのが二葉の本心だった。


 そしてその質問を待っていたと言わんばかりに、彼方はにやりと笑った。


 「もちろん。それは第一稿だからな。白河さんに読ませたいのはこっちだ」


 彼方はもう一つ、持っていたバッグから分厚い原稿の束を取り出した。


 「え……。さすがに厚すぎない?」


 「見掛け倒しじゃないから安心して読んでくれ」


 「いや、安心できないんだけど……」


 「ほら、そこの異議ありと言いたそうな二人も読んでくれ」


 隅っこの方でいじけている二人に原稿を渡すと、ひったくるように奪い去っていった。


 その姿に、彼方と二葉は苦笑いした。




 原稿を読み始めた三人。


 最初は、軽く読み流しているようだったが、段々とその手もゆっくりと速度を緩めていった。


 (え……?)


 (おいおいおいおい、マジか!?)


 (そう来たか…)


いつの間にか、三人は彼方の世界に取り込まれ、もはやページをめくる手を止めることは出来なくなっていた。


 気が付けば、閉店時間になるまで読み続けていた。


 店が完全に閉まった頃、ようやく全員が読み終え、そして完全に言葉を無くしていた。


 「どうだった?」


 彼方の質問に答える者は誰もいなかった。


 ただ、誰かが泣いている声だけが聞こえた。


 全員の様子を見た、彼方は席を立ち上がった。


 「千沙……。お前……」


 「……何?」


 千沙の頬を涙が伝っていた。


 祐介と二葉が泣くところまでは行けると思っていた。


 しかし、まさか自分の作品を読んで一度も泣いたことがない千沙が涙を流すなんて全く予想していなかったのだ。


 その予想外の涙に、彼方は希望を感じた。




 その日は、夜も遅いので解散することになった。


 自室に戻ってきた彼方と千沙。


 千沙は目を赤くして、不機嫌そうな表情をしていた。


 「まだ怒ってるのか…?」


 「……別に。悔しかっただけだもん」


 千沙は彼方の作品で泣くことは一生ないと思っていた。


 泣くとしても、まだずっと先のことだと思っていた。


 しかし、実際にはこんなにも早く泣かされてしまった。


 それが、千沙にとってはとても悔しかった。


 でも、その反面、自分を泣かせるだけの作品を作ってきたことが少し嬉しかった。


 「なあ、千沙。ここ少しだけ気になるんだけどどうしたらいいと思う?」


 そして、どんなにいい作品を作っても、いつも通り自分の意見を求めてきてくれることがとても嬉しかった。


 だから、千沙はすぐに機嫌を直して、いつも通り愛のある厳しいアドバイスをした。




 その後、彼方は色んな人にアドバイスをもらいながら、第三稿を仕上げていった。


 「よし! 出来た!!」


 数日後、ついに第三稿が完成した。


第三稿が完成した瞬間、彼方は自分で書いた作品に涙を流していた。


 多くの人に助けてもらって完成した作品は、今の一宮彼方に作れる最高傑作だと確信した。


 「ん? かな兄、出来たの?」


 彼方の作業を見守っていた千沙が、原稿が完成したのを嗅ぎ取って布団から飛び起きた。


「ああ。第三稿の完成だ」


「読んでいい!?」


「頼む」


いつも通り、一番最初の読者として、千沙が彼方の作品を受け取る。


最初に、原稿を受け取った感想は、今までで一番枚数が多いなと思った。


きっと、この第三稿は彼方が今まで書いた作品の中で、最も気合の入った作品だと直感で感じ取った。


 千沙も第二稿を読んだ時以上の気持ちでページをめくった。


 そこにあったのは、今まで読んだ彼方の作品の中で間違いなく一番の作品だと思った。


 読み終える前に、自分が泣いていることは分かっていた。


 それでも、読む手を止めるわけにはいかなかった。


 千沙は、涙を流しながらページをめくり続けた。


 最後のページを読み終えた千沙は、涙を必死で拭って、少し赤くなった目で彼方の方を見た。


「かな兄……。色々とまだまだ雑なところはあったけど、最高に面白かったよ!!」


 千沙の誉め言葉は、まだ心のどこかで自信がなかった彼方の背中を思い切り叩くような、そんな安心感があった。


 「これなら……。これなら白河さんの心を動かせるかもしれない」


 多くの人に支えてもらった。多くの人に背中を押された。


 あとは、もう進むだけだ。


 彼方は、絶対に白河の心を動かしてやると空に誓った。


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