07 木霊の庭



 街にきた最初のころ。私は安い宿を点々としていました。

 なぜ点々かといえば、追い出されるからです。


 ソーマは大人しい子ですけど、赤ん坊って、昼夜関係なく泣きますから。

 夜中でも「出て行ってくれ」と追い出されます。

 隣り部屋の客が怒鳴りこんでくることも、たびたびありました。


 そんな時は、空き地や路地裏で野宿します。

 街は暖かくて過ごしやすいのですが、変な人間が絡んでくるので森より危険です。


 いっそ森に戻ろうか。

 何度も思ったものですが、ソーマは孤独にさせたくなかった。

 宿泊を断られることもありました。宿の間で、子連れの女が広がったのです。


 錬金術で作った品々が評判になったのは、運が良かった。

 店に置いてもらえる数が増え収入が増し、防音の効いた宿に泊まれるようになります。


 貯めたお金で、街はずれの店舗を安く借りられたのです。


 後で気づいたのですが、巾着袋には防音の錬成陣の紙スクロールもあったのです。

 心に余裕がないのはダメですね。





 □ 〇 □ 〇 □ 〇 □ 〇 □





 『外れの森』は人の手が入らない広大な自然が原始のまま残されてる。たくさんの魔物や獣が棲む危険な森だ。錬金術師や薬師やとっては素材の宝庫でもあった。


 ハレルヤが、庭を案内するよう慣れた足取りで森をつき進む。少し遅れてマリアとメイラが着いていく。ときおり獣が現れる。坊ちゃん育ちとは思えない華麗な剣さばきでしとめるびに、自慢げに振り返った。


「亡くなった祖父がこの森に住んでいてね。僕も小さいころよく遊びにきていたんだ。狩りも魔術も祖父から教わった」


 毎日のように貴重が素材をもってくる理由がわかった。


「バルバリさんもですか?」


「兄さんは来ようとしない。都会が好きだったのかな。街じゃ別の家に住んでたけど」


 ハレルヤはぼかしたが、それはバルバリが別腹の子供だから。本宅の別荘なんか行きたくないにきまってる。


「あまり奥じゃなければ目をつむっても歩けるよ。あいたっ」


 しゃべりながら木の根に足を引っかけて転ぶハレルヤ。帰りの道が心配になる。


 2時間歩いても、まだ着つかない。森は奥に入るほど深く暗くなっていく。どこまでいくつもりなのか、そろそろひき返さないと夜になってしまう。


「ハレルヤ殿。帰りませんか?」


 メイラが肩を震わせて告げた。侍女は薬草探しに森に来るが、こんな奥に来たことはない。マリアは、ざまあみろな顔になったが、言葉にはしない。からかうどころではなく、マリアも帰りたい気分だった。ハレルヤは「もう少しだから」と声の笑顔で返す。辺りはさらに暗くなっていく。もはや表情がわからない。


 道なき道を進むこと、さらに30分。本気で怖くなってきたマリアの目の前が、突然開けて明るくなった。


「ここだよ。僕は『木霊の庭』と呼んでる」


 マリアとメイラは同時に息を飲む。


 太樹木の生えてない広い空間だった。明かりの原因は、降り注ぐ陽光と思ったのだが違う。見えているが空は小さい。光は浮いていた。赤や青や黄色や白、ほかにも色とりどりが、手の届かない高みから足元までを埋め尽くしてたのだ。


「うわあっ」


「綺麗……」


 きれいとしかいいようがない幻想的な光景。光の届きにくい森の底だというのに、家の燭台全部と街路のガス灯を集めたくらい、煌々と眩しい。


 現れる光の色には法則のようなものが見受けられた。揺れる草花からは緑色、地の下からは黄色、小さな泉からは水色。なにもない空中からは白といった具合だ。ふんわり漂いながら、ぶつかったり通り抜けたりしてる。


「これが精霊……なのね」


「精霊はね。自然が深いほどはっきり見えるんだ。彼らにとってエネルギーが満ち満ちてるんだね。信じてくれたかな」


 ハレルヤは腰につけた籠を外してフタを開いた。何もなかったコップの中にまあるい光が青く灯った。


「うわぁ」


 精霊だ。いつもそこに精霊がいたのだ。エネルギーが弱くなってしまい、明るく光ることができなかっただけ。彼は嘘なんかいってなかった。


 マリアたちの周りにふわふわな光たちが遊びに来る。手を広げてみると優しくまとわりついてくる。触れる感じはない。でもなんだかこそばゆくて、自然に笑みがこぼれた。


「見えなくたって触れなくたって存在するものがあるのね。疑ってごめんなさい」


「よかった。さて。いつまでもいると彼らの邪魔になる。そろそろ帰ろうか」


「はい」


 精霊たちは、立ち去ろうとする私たちの上に集まり、さよならするように、輪を描いてまわりだした。それから1列に並び直すと、闇に染まった地面を明るく照らす。


「明るくしてくれるの? ありがとう」


 精霊の道はずっと先まで真っすぐ。光は森を抜けるまで続き、迷うことなく家に着くことができた。ハレルヤはいつのまにかマリアの手を握ってる。それがなんだか心地よく、マリアからも握り返した。


 家につくと夕食のいい匂いがして、お腹がぐぅっと鳴った。メイラは慌てて裏へと駆け込ていき水を汲んだ桶をもってきた。手の汚れを落として家の中へ入ると、食堂ではすまし顔の執事が食事の準備はできておりますと告げる。

 ハレルヤが椅子をひきいてマリアが着席する。いつものよりも美味しいディナーだった。


 今日は良い日だった。外れの森に来てから最高の一日だった。メイラと少し仲良くなった気がするし、ハレルヤともちょっとだけ心が通じた気がする。


 辺鄙な森だけど思ったより悪くない。マリアのが知らない素材もわんさか眠ってるかもしれないと思うと、自分でも探して見つけてみたくなる。奥まではいけないが入り口くらいは大丈夫。


「またハレルヤに案内してもらおう」


 口からでた言葉に驚いたけど、いいアイデアかもしれない。マリアの頼みなら彼は断らない。望めば森のどこへでも連れて行ってくれる。あんな頼りになる人はほかいない。


「わ、私はなにを言ってるの」


 ふと、正面にある大きな鏡に目がいく。写っているのは頬を紅くした少女だった。

 森で繋いだ手の温もりを思い出して体が熱くなっていくのを感じた。


 コンコン。


「うわっ」


 ノックの音が響いて座ってたベッドから跳びあがった。


「入ってもいいかな?」


 ハレルヤだ。こんなときに来るとはタイミングの悪い。入っちゃダメ。拒否権を発動しようしたが、言葉となる前に扉が開いて彼が入室した。急いで丸テーブルを倒して影に隠れる。


「マリア……?……ひとりでかくれんぼ?」


「え、ええ。見えない精霊さんを仮の鬼にして、見つからないようにしてたの」


 何いってるのよこの口は。

 立ち上がって倒したテーブルを直すのを彼が手伝ってくれた。体が触れる近さを意識して胸がどきどきした。


「聞いてくれマリア。僕たちにとって大切なことだ」


 おそらく彼は「そろそろぼくたちも……」と続けるだろう。幾度となく繰りかえされた定型句。マリアはこれまで冷たくあしらってきた。だけどなぜだろう。今夜は、あしらう自信がない。


 とても長い数秒が過ぎて彼の口が開いた。


「落ち着いて、聞いてほしい」


「う……うん」


「いましがた兄から【センドボイス】が届いたんだ。「言葉送り」の魔術なんだけど、街から遠いからひとりぶんの精霊が消失して……それは、まあいいんだけど」


「うん……うん?」


 よほど言いにくいことらしく、モジモジしてる。なんだかわからない。けど、マリアの期待したことではなさそう。すこしだけガッカリした。


 心の中でハレルヤをなじる。聞きたくない。こんな気分のとき、バルバリの話を持ち出すなんて、デリカシーの欠片もない。「遅いから明日にして」とぷいと横を向ける。彼は静かにいった。


「キミの、ご両親が死んだそうだ」


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