02 ハイリップ
チチチ。
ベッドにはいったのは外が明るくなってから。
太陽は完全に昇っていました。
手紙を書くのに熱中しすぎましたね。
「よう。起きたなアンちゃん」
あなたはベッドに腰掛けました。
おはようのキスをすると照れて頭を掻きましたね。
『女にもて遊ぶ10箇条』とやらをソーマに仕込んでるようですが、モテたことないと思います。
「ごめんなさい寝坊しました」
シニロウさんよりも遅く起きたなんて、一緒に住んで初めて。
手紙を書くことって魔力があるのかもしれません。
「朝飯できてるぜ。なんだか知らんが根を詰めるなよ」
めったにキッチンに立たないひとだけど、たまに作る料理はけっこう美味しい。
「もう根を詰めません。その代わり今夜お話しましょう」
「あ、いや、一緒に食おうや。ソーマなんかつまみ食いして遊びにいっちまったぞ」
「あ、もう」
彼はそそくさと寝室を出て行った。
そんなだから手紙を書かなきゃイケないんじゃない。
しばらく寝不足は続きそうです。
遮光カーテンを開くと、白いレースを透って朝の陽射しが差しみます。
停まっていた2羽のロビンが慌てて飛び立ちました。
外はいつもと同じ街。
蒸気機関と工場の黒煙と煤けてる。
朝なのに夕闇みたい。夜ほどじゃないけど暗い。
青空が楽しめる日は、大雨や嵐が去ったときだけ。
それでも私は、この暮らしが好き。
過去は終わったこと。愛する人さえいれば満足なんです。
人の心が、欠けているのかもしれません。
□ 〇 □ 〇 □ 〇 □ 〇 □
マリアたちは物陰に隠れながら街を逃げていた。
決起した集団はいたるところにいる。貴族を倒せと怒鳴り散らし、しゃれた門があれば貴族と決めつけ壊して押し入る。血色のいい家人を縛り上げ、王が書いた罪状を読み上げて連行する。食糧や金目の物は没収される。
高級レストランや高額商品を取り扱う店も憎しみ対象だ。金払いのいい貴族しか相手にしなかったからだ。油がまかれて火が放たれる。庶民を小ばかにしていた店主はリンチにされ、妻と娘は犯された。
貧民や手癖の悪い不良たちは盗賊と化した。宝石店や国外品をあつかう店を狙い目に着くものはすべて奪っていく。マリアがよくいくパン屋は族が押し入った後だった。
「あんなに平和だったのに」
威張り散らかしてる警備の騎士が、今夜に限ってひとりもいない。どこへ消えたのか。こんなときこそ出番だというのに。
「こっちだ。遅いよ姉ちゃん」
マリアは弟の後ろを追いかける。
「まってよハイリップ」
迷いのない早足であい路を進む弟を、懸命に追いかける。背中を見失わないようにするので精一杯だったが、街の様子は嫌でも目に入る。
いたるところに迷子がいた。ママはどこ。逸れて泣くじゃくっている。泣いて親を呼ぶのは本能だがいくら泣いても現れない。
助けたいけど余裕がない。マリアだって逃げなきゃいけない。あとから来る父と母に無事な姿をみせるのだ。
「姉ちゃん。本気で走れよ」
「スカートが足にまとわるつくのよ。しょうがないじゃない」
「切るかたくしあげろよ。もっと速いはずだろ」
「そんなはしたない真似はできないわ」
「お淑やかぶってる場合か。足元を救われるぞ」
「気品を失くしたら淑女はおしまいなの」
ハイリップは舌打ちして足を速めた。距離がどんどん開いていく。逸れてしまいそうだ。
「ど、どこにいくのか教えてよ。逃げる当てはあるの?」
「安心しなよ。こういう時は天に任せるんだ」
カトラスを振り回しながら、そう答えた。
別れて逃げたほうがいいかもしれないと、マリアははじめて思った。
「危ないのは人間さ。とにかく人のいない場所に行くんだ。あとちょっとで街を抜ける」
「あんた意外と考えてるのね。見直したわ」
中心街から離れるほど建物の高さは低くなった。煉瓦だった建材がの木になる。隙間なく建っていた家屋に庭ができた。だんだん、家と家の間隔が開いてくる。
月の明りで辺りがよく見えた。もう空気に煤はなく、畑や水路が放つ田舎の匂いが満ちていた。燃えてる物はひとつもない。マリアたちは逃げきった。弟の足がようやく停まる。
「農地だ。ここまでくれば安心だな」
「そうね。どこで父さんたちを待とうかしら。目印を打ち上げるのはどうかしら。あんた火で家紋つくれたでしょ」
ハイリップは器用だ。原則からはみ出ないマリアとちがい好奇心のおもむくままに試す。錬成陣を紙に書いて持ち歩くのだって、マリアは絶対にやらない。一部でも字が薄くなったれ役にたたないし、陣のどこかが擦れたり滲んでくっ付いたりすれば、暴走しないとも限らない。
そんなことはお構いなしのハイリップ。危なっかくチャレンジするから、技術はマリアの先を行く。悔しいけど認めていた。
「報せてあげて。私たちはここにいるって」
最高の提案でしょ。胸を張ったマリアだったが、ハイリップは月明りでもわかるしかめっ面をつくった。
「紋章をあげる? ばかか姉貴は。貴族に居場所を教えてしまうだろうが」
バカって言った。ヒドイ言い草。指摘されてマズイとわかったけど、姉への言い方ってものがある。尊厳をまもりながら言い返す言葉を考えていると、ふいに男の声がした。
「貴族ならここにいる。教えてくれなくていい」
バッ、バッと、たくさんの灯りが空に上がった。真昼のように明るくなった辺りを照らすと、誰もいないと思っていた農家。納屋とその裏から、20人ほど男たちが姿を現した。
「ハイリップ……」
「後ろに隠れてろ。アンタたち誰だっ」
馬にまたがっている者が多い。街を警備する騎士たちの制服を着ていた。暢気に笑ってる。下卑た笑いだ。なにが起こったかわからずマリアは混乱した。こんな所でなにを。
暗くてわからなかった。牢の車を曳く馬車が何台かあり、人が閉じ込められてる。
「よくぞ参られた錬金術師の子供たちよ。キミらで18人目。親は自らを囮にして子供を逃がす。そして子供らは安全を求めて街の外を目指す。賢しげに、まるで朱印を推したようにその行動を疑いもしない。道中は快適だったろう? 【固縛】」
見えない綱が身体に絡みついた。
「え? なにこれ」
振りほどこうとするがほどけない。ぐるぐる巻きに胴から足までしめつけて、身動きがとれなくなった。
「ハイリップ! 助けて!」
「姉ちゃん! おわっ」
網は弟にも巻きつこうとしたが、一呼吸だけ遅れた。
ハイリップはさっと巻物を取り出すと、防御の服を錬成する。
「〔身をまもる気衣〕」
うっすら光る衣が弟の体をまもる。網はそれ以上締め上げることができなくなった。
「ほう。
弟が立つ足元がぱっくりと割れた。地面の亀裂が大きく広がる。ハイリップは声もあげず、あっさりと落ちてしまった。
「ハイリップ ハイリップーー!」
地上に突きでたカトラスが揺れる。這い上がろうとしてるのだ。割れ目は急速に塞がってハイリップを飲み込んだまま閉じた。何事もなかったように地面は平らになる。は汚れた剣が地表に残った。
「うそ、は、ハイリップ……」
地面の中がどうなってるかなんて考えたこともないが、体が動かせず息がつけないことはわかる。マリアは剣を見つめていた。
「名乗りが遅れてすまない。私はバルバリ・オスタネス。今日よりキミらの主になる」
この男がバルバリ・オスタネス。陰気な切れ長の眼、くるりと曲がった口ひげ、地面まで届く長いマント。腕の下にぶら下げた円筒籠が異質だ。貴族なら誰しも携帯してるイミフの装飾物。それを片腕に5ずつ。動きにくくないのだろうか。
逃げたくいても縛れた体がいうことをきかない。つま先で跳ねるが、半歩も進めず、倒れてしまう。冷たく軟らかい物の中に顔半分が埋まった。
「うぐ……」
口にじゃりじゃりと柔らかい何かが入ってきた。臭い。豚か牛の糞が混じった泥だ。
「ぺっぺっ」
父は弟に、マリアを護れと言った。守るべき姉を残してやられてしまった。護衛役は失格であった。
「……ハイリップ」
マリアは情けない思いでいっぱいになった。いったい自分が何をしたっていうのだ。明日は学校へ行くはずだったのに。服だってドロドロ。情けなくぶざまな醜態をさらしてる。
たしかに、わがまま言ってみんなを困らせたりして彼女だが、こんな理不尽な仕打ちを受ける悪女じゃない。悪さなんてしていない。
「父さん母さん。良い子にします。これが夢なら覚めてください」
「ふふ。泣くとは気が早い。明日から泣くことしかできなくなるのだ。今夜くらい楽しく笑ってみせよ 【解除】」
バルバリ・オスタネスは馬上で笑う。見えないロープがほどけた。体が自由になった。けども心から硬直して体が動かない。
この男は、錬金術師を殺したがってると父は言っていた。私は殺される。
「テストをしよう」
「テスト……?」
男が提案する。なにか知らないが、テストとやらに受かることができれば解放してくれるのだろうか。バルバリ・オスタネスを満足させれば。マリアは受け入れるしかなかった。
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