マリアたちのクリスタル

Kitabon

01 親愛なるシニロウさまへ


 私、ずっと悩んでいたんです。どうしたら伝えることができるかって。

 だってシニロウさん。話を聞いてくれないんですもの。


 たしかに私は「本当のことはまだ言えません」っていいました。

 でも、あれから5年ですよ。一緒に暮らすようになって5年。

 「まだ」の月日はとっくに過ぎているのじゃないかしら。


 打ち明けようしても、あなた「キミは謎の女のままがいい」てはぐらかしてばかり。

 魔女とでも思ってるのかしら。私は女です。

 秘密なんかよりおしゃべりのほうが好きなどこにでもいる女ですよ。

 あんな優しく抱いてくださるあなたに、いまさら隠しごとなんてしたくありません。

 話せないストレスで、心がはち切れそうです。


 ソーマだって、懐いてますよね。


 あなたのことジジイって呼んでますけど、照れ隠しってこと、わかってるはず。

 あなたもあのこに蒸気機関の修理を手伝わせてるじゃないですか。激しく言い合う仲の良さに妬けてしまいます。


 

 話を聞いてくれそうもないので、手紙に残すことにしました。

 私なりのけじめ。あなたは死ぬまで読まないかもしれませんね。

 頑固ですもの。


 そうするとこれは遺書になったりするかしら。


 いまシニロウさんは、ベッドで寝てます。

 憎たらしくらい安穏とした寝顔で、寝息をたててます。

 うふふ。鼻をつまんだら、苦しそうに横を向きましたよ。

 絶対に読んでくださいね。いつかきっと。


 私の名前、アンナ・テイラーっていうのは嘘です。

 隠していてゴメンなさい。

 聡明なシニロウさんのことだから察していたことでしょうけど。


 最初は……そうですね。

 生い立ちから書き出すのは長すぎるでしょう。

 居眠りされたら寂しいのですしね。


 刺激的な場面から。あの夜の出来事から書くことにします。

 市民たちが「血の奇跡」と呼ぶ夜のことです。


 大勢の錬金術師たちが死に追いやられた夜。

 人生の変わる切欠となった事変です。





 □ 〇 □ 〇 □ 〇 □ 〇 □




 マリア・アップスロウプは15歳。

 明日は夢にまでみた学校の初日。着ていく制服をながめては、緊張とワクワクで鼓動が高鳴る。寝返りばかりで眠ることできないでいた。「血の奇跡」はそんな深夜におこった。


「マリア、ハイリップ起きろ!」


 マリアの父親が階下で怒鳴った。

 扉の締まった部屋の中まで響いた大きな声だった。


 頑張ってやっと寝ついたマリア幻聴だと思った。薄目を開けて見たカーテンの隙間から灯りが入り込む。それがやけに眩してカーテンを全開した。窓の外では街が燃えていた。


「な、何が起こってるの!?」


 あたふたとブラウンの髪を手櫛で整えると、外着に着替えて、一階へ降りる。燭台が灯ってない。窓から差し込こむ炎の明かりが父と母の姿を照らす。2人は武装していた。


「ふたりとも、なんて格好だよ」


 弟のハイリップが指摘した。彼の髪は同じブラウンで背が少し高い。姉のくせに小さなマリアをよくからかう。


 弟の笑いに、マリアも釣られて噴き出した。まったく似合っていない。騎士でも剣士でもない両親が普段握る刃物といえば包丁か研究のナイフ。なのに父はショートソード、母は大きな鉄の盾を構えてるものだから、可笑しくてしょうがない。革製の防具も着こなせてない。


「どこから出したの。武器なんて」


 マリアの家は道具屋。錬金術で錬成した道具を販売しているが剣や盾は扱ってない。家のどこにも武器や武具を見たことがない。母親が、窓の外を窺いながら、言った。


「錬成したのよ。たったいま」


「まぁ、それしかないでしょうね」


「だな」


 マリアの言葉にハイリップもうなづく。錬金術師仲間からも一目置かれてる両親は、材料さえあればなんだって作ってしまう。マリアは、ひとつ完成させるために何度も錬成陣を書き直すが、2人は一度で描き上げ成功させる。

 ではなぜ用のなかった武器を作ったのか。いつになく深刻な顔で父親は呻いた。


「民衆が武装蜂起したんだ」


「ぶそうほうき? それって美味いのか?」


 10年も前に廃れたボケをかますハイリップ。


「バカね。圧政に耐えかねた市民が貴族を討とうってことよ」


「分かってていってんだよ。平おしすんな」


「私もわざと言ったのよ」


「このしったかぶり姉!」


「何よバカ弟!」


「口を閉じるんだ2人とも」


 抑揚のない声が状況の深刻さを物語る。姉弟は口を閉じた。


 はじまりは地方でおこった小さな反抗。不作にもかかわらず同じ税を納めさせようとした役人へ反発だった。こうしたどこにでもある騒動は貴族が力で抑え込んでいたが、近年は貴族の力が弱くなっていた。偶然にもその反抗は成功し、貴族を追い払ってしまった。


 貴族も負けることがある。自信をつけた農民市民は各地で貴族に反発する。それがおおきなうねりとなって、ついに王都に押し寄せてきたのだ。


「お貴族様はたいへんだね」


 マリアは暢気に欠伸をかみしめる。反乱や蜂起の対象は貴族だけ。漠然とした不安は感じても他人事だ。それよりも学校は無事なのだろうか。明日の入学式のほうが気にかかる。


「貴族だけじゃない。我々もだ」


 父の言葉がマリアを青めさせた。


「オスタネス家が扇動してる。この機に乗じて錬金術師を粛清するつもりだ」


「オスタネス家。まさかハレルヤくんが?」


 浮かんだのは少年の顔。伯爵家次期当主のハレルヤ・オスタネスだ。ときおり小物を買ってれるお客であり、彼女の作った小鉢やお皿を好きだと言ってくれる。引っ込み思案なマリアが楽しくおしゃべりできる数少ない相手だ。


 はにかむ笑顔の男の子と残虐行為が結びつかない。それもよりによって錬金術師だ。


「ハレルヤ・オスタネスではない。兄のバルバリのほうだ。日頃からヤツは貴族が衰退したの錬金術師のせいと繰りかえしていた。仲間たちも警戒していたのだが」


 うなだれる父を責められない。貴族を倒す武装蜂起のさなか、当の貴族が錬金術師の襲撃を企てるとは誰が想定したろうか。バルバリ・オスタネスは策士のようだ。


「んじゃ、そのバリバリ野郎を倒せば終わるのか?」


「バルバリよ。バリバリじゃお菓子じゃない」


「カンタンではない。民衆の一部をそそのかして、貴族をかくまう錬金術師を排除しろと言いふらしている。バルバリ卿を倒したところで収まらんだろう」


「汚ったねー」


「まったくだ」


 この上なく重い空気がのしかかる。見張っていた母が低く怒鳴った。


「来たわ。男たちが家の前に松明をもって集まってる!」


 マリアは母と入れ替わり窓外を見た。燃え盛る街。炎の赤を背景に男たちのシルエットがずんずん大きくなっていく。父は、マリアを窓から曳き剥がすと、兄妹を庇うように扉にむかった。大きな背中だった。


「父さんと母さんが奴らを引き付ける。お前たち裏口から逃げろ」


「俺も戦う。おもしろそーじゃん」


 ハイリップは荒っぽいことが好きだ。ヒマになると、わざわざケンカを買うために街を歩いてまわるほどに。錬金術も、しゃれな小物ばかり作ってるマリアとは正反対。攻撃に向いた物を錬成したがる。


 彼は錬成陣を書き記した紙――スクロール――を取り出すと〔曲剣〕と声を発した。陣が光りを放つ。光が退いた跡には曲剣が作りだされた。ハイリップは使い勝手を試すように軽く舞ってみせた。


「俺もやる」


「ダメだ!」


「やれるって。足手まといにはならないから」


「ハイリップには任務を任せる。お前にしかできない重要な任務だ」


 任務と聞いて眼が輝る。


「マリアを守れ。できるな」


「姉さんを?」


 弟は高みから姉を見下ろす。憮然とした表情が、あきらめへと代わる。


「しゃーねーか。姉貴って弱弱だもんな」


「むー」


 失礼ねといいたいけど言い返せない。事実、マリアにできることはなにもない。戦うどころか自分の身さえ守れない。緊急時の錬金術をやっておくんだった。いまさらながら後悔する。


 母が子供たちを抱きしめる。マリアは素直に受け入れた。ハイリップは逃げる。


「よせよ、子供じゃねーんだから」


 母の胸は柔らかくて大きくて、とてもいい匂いがした。いつまでもそうしてたかったマリア。その肩を母が押した。


「ふり向かないで走るんだよ。すぐいくからね」


 優しい眼だった。その眼をマリアはいつまでも忘れなかった。



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