第6話 正式雇用

「──ねえ、静嘉くん」


 何度か呼びかけてみたものの反応は無い。代わりに荒々しくドアを開けた彼の後ろを追いかけると、外気にあてられた彼は髪をはためかせながらこちらを向いた。


「……帰るぞ」

「説明して」


 神妙な面持ちで話をし始めるのに慣れていないのか、静嘉くんは困惑した様子でこちらを見ていた。


「──今日、は、あんたに危害は加わってないから、手当は無し」

「そういう事じゃない」


 あまりはっきりと物事を問わないタイプだと思われていたのか、思い切った程目が見開かれる。ポケットに手を突っ込んでるせいで妙に威圧感があるけど。

 私が物申せないと思われていたとか、どうでもいい。何がなんでも、今説明してもらわなくちゃいけない。どうせこいつ逃げるし。


「……家で落ち着いて話す。取り敢えず帰るぞ」


 ──おかしい程早口。どうやら一目散にその話題から逃げたい様子。しかし相変わらず手はポケットに仕舞われている。


「何で帰るの? バス?」

「歩き。血塗れの男が乗ってきたら困るだろ」

「なら丁度いい。帰りながら説明して」


 ね? 丁度いいでしょ? とにこやかな笑顔を浮かべてみせると、珍しく静嘉くんが折れて私の希望通りになった。



「──てな感じで、大体はあいつの言った通り」

「静嘉くんのお姉さんが元ヤン、と」

「正解。姉を誘い出すのが目的な奴もいれば、ただ単に血縁関係のある弟殴ってスッキリしたい奴もいる」

「不良の癖にビビりな……」

「まぁ、出てこなけりゃ弟がもっと酷いことに──なんて脅してくる奴もいたな」

「……まどろっこしいなぁ」


 呆れてしまう。少し、というか大分。だって、そんなの──どれにしても静嘉くんがお姉さんを尻拭いしているのに変わりはない。


「今日みたいに全部俺が強いと知らずに捕まえた奴ばっかりだったから、今んとこ姉が現れる兆しは無いし絶対出てこない」

「確実に?」

「確実に。てな訳で、大方出てこないのが奴等に知られ始めてる。遠回しで誘い出そうとしてる奴等が直接危害を加える側に移動する可能性が高い」

「……だからその芽を摘んでしまいたい、と?」


 そうだ、と少し嬉しそうに話す彼は、スマホを片手に持って忙しなく指を動かしていた。どうやら誰かと連絡を取っているみたいだ。

 連絡を取っていると言っても、話す時はこちらに目線をやってくれていた。……気付いたときには歩幅も合わせられていたけれど。


「て言うか、お姉さん……? だっけ。いたの?」


 今までずっと、静嘉くんは一人っ子だと思っていた。独りっ子の私と違って随分小さな頃から大人びていたし、自立していたから。だから姉がいたことには少々、いや結構驚きを覚えた。


「いる。いるからこんなこと起こってんだろ……」


 そう彼は震えた声で吐き捨てて、独りで大きく、深く、けれど自然にため息をついた。


「……でも、直接狙ってくる奴が──ってことは、私がお姉さんになりきって、釣られたその人達を静嘉くんが叩いた方がいいんじゃないの? わざわざ探す手間もないし──」

「──は?」


 吃驚した。急に彼の声色が変わったから。何か、逆鱗に触れる事言ったっけ……? 慌てて振り返ってみても特に地雷をどんぴしゃで踏み抜くワード何てなかった気がする。

 うんうん唸っていると、静嘉くんが口を開くのが見えた。


「あん……った……、何、考えて……!」

「え? ごめんなんて言った……?」


 口が動いたのは見えたものの、ぼそぼそと、何を発したのか聞き取る事ができなかった。


「っあ」


 ──しまった。こう言う態度が静嘉くんを怒らせてしまうのではないか。


「ごめ、ごめん静嘉く──」

「──危ないだろ普通に! あんたが……!!」

「へ……?」


 あぶない。

 あぶないらしい。どうやらそうらしい。静嘉くんが言うには。


 今日起こった出来事を見て、それは危ないとは思わないのだろうか。……駒として扱われているのか、はたまたキーパーソンとして扱われているのだか分からない。


「あぶない、って言った……? わたし、が……??」

「……やっぱ天然馬鹿」

「……??」

「何も言ってねぇよ天然馬鹿」

「馬鹿……!?」


 馬鹿とはなんだ馬鹿とは。そんな風に言われる筋合いはない。少なくとも、秘密ばかりの静嘉くんよりは。


 ……馬鹿は置いておいて、大分納得はした。嘘かとも疑ったが、嘘にしては筋が通っている様に思える。でも静嘉くんがお姉さんの尻拭いをする理由がわからない。ただ単に自分に害が降りかからない様にするため? それにしては多少労力を割きすぎな気もする。


「まぁ……お姉さんを守るための何となくの筋書きは見えてきたし、今日の手当はそれでいいよ」

「今日は手当無ぇけどな。なら家に帰るついでにもう一つ」


 急に足を止めた静嘉くんは、指折り数えてこう言った。


「……あの態度、あいつらを煽るには丁度いい。俺達が純粋に求めていたもの。それに給金もこっちが負担に感じる額ではない。はっきり言ってこれで動けるあんたは適任だ。だから──」


 姉と会ってもらって、正式に雇用したい。


「正式……?」

「今まで非正規だったろ。説明資料は準備させてるから案ずるな」

「それはいいとしても、なんでお姉さんが……?」


 ──いや、彼女代行の人材がこれでいいかの確認かな、と不安に思えば、


「未成年の起業、保護者やらの欄が面倒だから姉が大学でやってる企業の勉強ついででやってもらった」


 としれっと言ってしまうんだから本当に静嘉くんは恐ろしい。この場合、静嘉くんのお姉さんが、かな。


「表向きにはお姉さんが社長さん──かぁ」


 中々に関係性が入り組んできた。

 はっきりしてしまった点は──私が一時期好きだった人は、どうしようもなく喧嘩が強いみたいで、匙を投げる程どうしようもないシスコン。そして私は──それにどうしようもなく惹かれているらしい。


 携帯のメモにでも記しておこうかとも思ったけれど、こんなのは書いたって意味が無い。その上誰かに見られでもしたらとてつもなく恥ずかしいし。

 取り出した携帯を制服のスカートのポケットに突っ込んで静嘉くんのマンションまで足を進めた。



「ただいま」


 低い声が廊下に響く。


「……お邪魔します」


 高くも低くもない、可愛さの欠片もない微妙な声が後を追う。


「おかえり〜……あら、」


 いらっしゃい、と笑って玄関に顔を出したのは、グレーのパーカーに身を包んだ女性だった。


 え、彼女?


 口を突いて出た言葉は即座に静嘉くんによって否定された。


「上がって上がって、寒かったでしょ。掃除はしておいたから」

「ありがとうございます……」


 本当に、この人が元不良……?

 彼女かと疑う前に抱いた感想はそれだった。



 客間らしき場所へと通される。ガラスのローテーブル、それを挟んで向かい合う様にソファが二つ。そのソファの片方に静嘉くんのお姉さんが。もう片方には私と静嘉くんが。私が焦らないように隣ににいてくれているのだろうか、なんて。


 目の前に差し出されたのは温かい紅茶。この紅茶……前に見かけたことがある。料理をするとき、引き出しを開けると常備されていたのは記憶に新しい。


「──なら、早速自己紹介しましょうか。貴女からしたら、私誰だよって話だものね」


 ……一つ咳払いをするのは姉弟の癖か。


「私は八田麻里奈。静嘉の姉です。21歳大学生。誕生日は6月24日。あとは……何か聞きたいことある?」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます。……森山天音と申します。17歳高校2年生。誕生日は10月6日です」


 宜しくお願いします、と自己紹介を終え、ぺこりと頭を下げると隣で鼻を鳴らして笑う人が目に留まった。口を噤んで見つめると、悪い、と笑いながら目線が逸れる。冗談めいた笑い方だった。


「──で、静嘉」


 ふと、声のトーンが変わる。


「正社員の天音ちゃんに、危険なことさせたんでしょう?」

「……申し訳ありません。あれが天音──さんに触れた件は、自分の落ち度です。が、手っ取り早い説明にはなったかと」


 あの静嘉くんが、血縁関係のある人に敬語を使うだなんて。不思議なものを見た感覚だった。


 麻里奈さんが、はぁ、と頭を片手で支えながら地に向かってため息をつく。口を開いたと思えば、それは地を這って耳に登りつめてくる様に低く鋭い声で。


「……雇うからには、過度位の護衛が丁度いい。そうでしょう、静嘉。そんな楽観的に捉えていいものじゃない。何がなんでも天音ちゃんは守りなさい。何かあれば、雇用者に責任が問われることを忘れない様に」


 静嘉くんはただ、口を真一文に硬く結んで言葉を浴びるだけだった。

 麻里奈さんの言葉は、全く持って反論の余地がない程正しいものだった。静嘉くんが言い訳をしないほどに。


「──まぁ、これくらいでいいでしょう。静嘉も一度言えば分かるものね」


 完璧主義者だと吐き捨ててしまえばそれまでだが、言葉の節々には静嘉くんや私への配慮や心配している様子が汲み取れた。だから、だからこそ、


「分かったならあとは頑張んなさい。命は必ず守ること。静嘉のも、天音ちゃんのも」


 ──この人は元不良でも現不良でも何でもない。


 事実無根だが、そんな確信めいたものが私の中で生まれた。


「──天音ちゃん」


 確信めいたものが、徐々に心の中で肥大していく。でもこれが本当なら、何故、何の為

に……?


「っはい……!?」


 そんなことを考えていると、返事の声が裏返ってしまった。慌てて口を抑えたが、麻里奈さんは知らぬ存ぜぬといった様子で話を進める。正直触れられない方が良かったので助かった。


「危険なバイトでごめんなさい。何かあったら、静嘉……最悪私を頼る事」


 そんなこと、あり得ないだろうけどね。


 ……それは静嘉くんを信頼して強さを買った上での言葉だろう。しかし、麻里奈さんは血縁関係でも知り合いでも何でもない人の命まで気遣うことができるだなんて。


 ──ちゃんと姉弟なんだな。


「お気遣いありがとうございます」


 送られた善意は素直に受け取っておくものだ。


「命に関わることがあれば、すぐに逃げて。退職しても構わない。何かあればそれ相応の慰謝料やら引っ越す為の費用やらを請求してくれていい。ただ──」


 言い淀んだのは気のせいだろうか。目を左右に動かして、言葉を選りすぐっている様に思えた。


「無理だけは、しないでね」

「……分かりました。お約束します」


 ──よく分からないけれど、取り敢えず生きろってことでいいんだよね。


「──さ、辛気くさい話は置いといて、一つ天音ちゃんと静嘉にお願いがあるんだけど」

「はぁ? お願い?」

「お願い……ですか。どんな内容なんです?」


 実はね──、と少し照れくさそうというか、言い出しづらい様子を見せながら麻里奈さんはまた口を開いた。


「……会社名が、まだ決まってません!!」

「会社名? 要るか? そんなの」

「まぁまぁ静嘉くん……。麻里奈さんだって今の今までずっと悩んでくれてたんだよ多分」


 足も腕も組んでどかっと座った静嘉くんを宥めながら、同時に麻里奈さんにも尋ねる。


「どんな会社名にしようとしてるんですか?」

「【マリア】って名前の会社」


 まりあ。

 ……【マリア】?


「【マリア】って、キリスト教の──?」

「キリストの母。処女懐胎したって話が有名だな」

「母……どうして【マリア】に?」


 何の関わりもない女性の名前が出てくる筈もないと思っていると、やはりこじつけな部分もあった。


 どうやら、麻里奈さんと静嘉くんと私の名前の頭文字を組み合わせたらしい。……静嘉くんの名前の頭文字?


「静嘉くんに『り』なんて──」

「あぁ、マセアだと覚えにくいでしょ? だから静嘉の偽名──小説サイトのユーザー名ね。それを使わせてもらったの」


 まぁ、何というこじつけな。

 そう思ったが──何も言わない方が得策だろう。触らぬ神になんとやら、だ。


「由来は置いたとしても良いと思います」

「でしょ!! 静嘉もこれでいい?」

「別になんでも」


 どんな会社名でも支障はないからか。はたまた反対すると面倒な事になるのが見えているからか。思ったより静嘉くんはドライな反応を示していた。


「じゃあ、会社名は【マリア】でけって〜い!」


 麻里奈さんは喜々とした様子で書類の束にボールペンで書き込んでいく。一方で静嘉くんは三人が飲み終えたカップを重ねてキッチンへ運んでいった。窓を覗くと地面は青々とした碧で埋め尽くされていた。碧を橙が染め直していく。


「いいでしょ、ここの景色。私も静嘉もお気に入りなんだよね」

「……ですね。ずっと綺麗です」


 ──しかし、【マリア】か。

 何かをしなくともキリストが産まれてきたように。また、私を雇うこの場所でも。

 何かをしなくとも、全ての事象を呑み込んで肥大して、何かが産まれてくる様な気がする。

 ふと、風に靡くあやめ色の境界線を見て思った。


 ──それは事件なのか事故なのか、はたまた感情なのか。知らないけどね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幼馴染に、私の一年を120万円で買われた話。 かゆ @kayu1006

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ