第5話 雇われ彼女の初仕事
知ったのは起きてから。なんと92件の通知。
「──っ何っ!? 何用!?」
慌てていたせいで、パスコードを2回も間違えてしまった。急いでいる時に限って、顔認証で開かないのだ。開くと、所謂『かまってちゃん』的な内容のメッセージ。頭がこんがらがりながらも電話をかける。と、彼は落ち着いた口調で電話に出た。
《何?》
「何、はこっちの台詞! 何あれ!?」
《あぁ、あれ?》
意外にも、送り主はあっけらかんとして、
《証拠隠滅》
と、語尾に星マークでも付きそうな勢いで答えた。
「はぁ……? 証拠隠滅……?」
《そ、万が一携帯見られて雇われだってバレると不味いから》
「あっそう……。ってか、どこ? 集合場所」
《あー……集合場所?》
彼の口から出たのは、意外な場所で。
《港川高校の体育館》
「……は?」
港川高等学校。名前は知っている。日本屈指の治安最悪の私立高校。そこに何の要件があると言うのか。ましてや体育館なんて。
予想していたのは、彼が通う高校の近く。または私の通う高校の近く。でも実際は、私と、静嘉くんと、指定された高校で三角形が描ける程、方向が全くの逆だった。
「……何で……そんな、とこ……」
《後で、な》
「待っ──!」
待って、そう言い切るより先に電話を切られてしまった。都合の悪い話をされると思ったからなのか。ストン、と肩の力が抜ける。
「……わたし、何されるの……?」
今日の登校は、心底心細く気を抜けば鳥肌が立っている位だった。授業の内容なんて頭に入らない。ただ淡々とノートを写すだけ。今日の日付が出席番号じゃなくてよかった。
一度だけ、正気に戻った時があった。弁当をもそもそと咀嚼していると、クロワッサンを頬張っていた茜に、
「どしたの〜天音? 調子悪い?」
なんて言われてしまって、現実に引き戻された。
「……や? 大丈夫」
「ほんと? ……何かあったら言いなよ。何があっても私は味方だからね。それに──」
私は天音の為なら何でも出来るから、と言って、またクロワッサンに齧り付いていた。確かに、茜は私と比べて何でもそつなくこなせる友人。大切な。
だからこそ……私が決めた、自身に責任が問われるような事案には巻き込みたくはない。私が仮に、最低最悪の屑で、簡単に他人を切り捨てられるような人だったら、世間体なんて気にせず容易に捨て去っていただろう。──でも巻き込んで、後ろめたさを感じながら悠々と私は生きたくはない。……茜に近付いた理由が、自分をカモフラージュさせる駒にする為だったとしても、世間体を繕うためだったとしても、今は違う。例え嘘を吐くことになっても、茜は使い捨てできない。
茜は生きる理由がある、一人の人間だから。
午後はお察しの通り。不安と恐怖、雇用者への猜疑心で満ち満ちていた。人一人くらいは殺せそうな。
午後四時頃、一件の通知が目に留まった。
《今から港川高校の体育館に来い》
私は校門前で立ち尽くして、首を傾げた。
はて。──口調が、少し違う様な。
「? どしたの天音〜?」
これがもし、誰かに唆された末のメッセージだったら。
「──っごめん、今日バイト早いから、すぐ行かなきゃ。また明日っ!!」
「……気を付けて!」
呑み込みが早くて助かる。
ふと後ろを見やると、茜の手にはスマホが握られていた。Limeらしきアプリを開いたスマホが。
「っありがと!」
──彼女は、混み合う人々には目もくれずバス停に向かって駆けていった。
「……やっぱり、雇用者は
再度確認のために開いていたLimeには一言。
《天音さん、明日の放課後借ります。》
昨日の午後に、すでに送られていた。
どうして証拠隠滅なんて言ったのかは定かではないにしろ、彼は最初からこの予定が分かっていたという訳で。バイトの業務連絡やらの履歴が
でも、彼女のフリをするのにどうして他校の、加えて体育館なのだろうか。自分の高校でいいだろうし、他校の生徒……ましてや治安の悪い高校の生徒と絡む様な人柄でもない。だとすれば、危険な場所に──なぜ?
──考えていても仕方がない。バスで5分程度乗り続けた先に、
「……ここが、半年に10人は負傷者が出るという噂の……入れないし」
入り口には開閉式の門があり、南京錠でガチリと固定されている。ガシャガシャと小娘が揺らした程度ではびくともしない。
「──こんにちは」
つい驚いて、ひっ!? あ、怪しい者じゃなななないですからっ!? と手で必死に訴える。背後に立っていたのは、ラフな格好の180以上はある長身の金髪の男。大学生辺りか。
「入りたいの?」
「え?」
「いいんじゃない、入っても。君の目的体育館でしょ?」
──この人はどこまで知っている。
これみよがしに距離を取ると、あはは、と大口で笑われてしまった。
「そりゃそうか。君一人だし、僕見るからにここの生徒じゃないし」
「……何が言いたいんですか」
「いーや? ただ、そうだな……こんな所で油売ってていいの?」
「は?」
「君の大事な人、待ってるんじゃない?」
「いや……大事な人では……ないんですけど」
「そこ否定しないであげてよ」
またもや笑われてしまった。が、今はこの男の言う通り、待ち人が危険に晒されているかもしれない状況下で道草を食っている場合ではない。
「──色々尋ねたいことはありますけど、貴方の言う通り急いでるので」
「はい」
カツ──、と塞がっていた門に付いていたそれは、いつの間にかこの男の手によって意味をなさないものになり地面に落ちた。
「さ、行きなよ」
「……どうも」
門の盛り上がったレールに躓かないように普段より足を高く上げて、私は港川高校の敷地に足を踏み入れた。
「──あ、そういえば名前……」
くるりと後ろを振り向くと、もうあの男の姿はなかった。
「──関係の無い、他校の女生徒を呼んだ覚えはありませんが……」
じろり、と私の体を包む制服を見定める割には弱そうな見張りがそう告げる。
おかっぱ眼鏡の男子生徒が、体育館の入り口で見張りをしていた。頬には赤い平手打ちの痕。無理矢理やらされたのだろう。
中からはギャハハ、と聞くだけで誰しも治安が悪いと察する声が聞こえる。
「私だって好き好んで来た訳じゃないのに……」
「え?」
「いや……何でもなくて、えっと……八田静嘉、に呼ばれてきたんだけど」
「っ!」
その名を出すと、案の定見張りは反応を示した。別に名前を出したら入れてもらえる、だとかの方法を享受された覚えはない。けれど定番ならこれで通るし──待ち人が場所を指定しているのだ。必然的にこの中にいるのだろう。中にいるならば、否応無しに入れるしかなくなる。
「……どうぞ」
「ありがとう。……君、大丈夫なの……?」
「……お気になさらず。中でお待ちです」
早く行け、そう言ったのだろう。声には出さず、はくはくと口を動かしていたから。よく見れば、ベルトはトランシーバーが入れ込んである。常に通信中を示す緑のランプ。成程。見張りと言えど、対象は教師だけではない。私の状況までも情報として手に入れる為に付けさせていたのか。
鉄製、横開きの重い扉。私は軽々と両手で全開にして登場出来る程の腕力はない。十数センチの隙間を開けて、安全確認。二枚の扉が噛み合う側面に手を引っ掛けて右に流すと、漸く半分が開いた。
「──やァやァ、初めまして」
「……っ!?」
まるで地を這うような低い声。聞こえた方向に目線を寄越すと、ステージの上にいるのはボスらしき人、ボスの椅子になっている下僕、側で立っている幹部らしき人。ステージを降りたその正面には同じく下僕らしき人と──背中から馬乗りにされている静嘉くん。
「お前がそこにいる──静嘉のお姫様か」
「……は? 姫?」
「……っめろおま……!」
下僕が後ろから首を抑えつけるように絞めると、静嘉くんは、ぎっ、と呻き声を上げた。
「……やめ……!」
手を伸ばして駆け寄ろうとすると、どこからともなく現れた下僕に後ろから羽交い締めにされる。女だからか力はそれほど込められておらず、ただ逃げ出さないために固定するだけの、最低限度の力で捕まえられた。
「……っ何が、目的ですか。降りて話して下さい。上から目線は癪に障ります」
本当は雇用主に言いたかった。何が目的なのか。彼女代行ではなく姫? 何が何だか分からない。分かるのは、頬を伝う妙に冷たい汗の感覚だけだった。
「──肝据わってんねェお姫様」
ステージから颯爽と降り、私の正面まで向かってくる。途中で、力緩めろ、と下僕に言い捨て、静嘉くんの呼吸が楽になった様子を見てひとまずホッとする。
「……姫じゃない」
そう言うと、息切れを起こしていたのか、ハァハァと苦しむ静嘉くんがめを見開いてこちらを見た。
「あれの──静嘉、の彼女なだけ。姫じゃない」
ボスの奴も、雇用主の奴も呆気にとられていた。
「ここでは彼女を姫って呼んでンだよ。特別が欲しい奴ばっかだからなァ」
「あっそ。姫になるつもり無いから彼女で結構。……で、何が目的だって言ってんの」
目を限界まで細めてボスの目を見つめる。ここで逆鱗に触れて殴られたとしても、手当は出るからまだマシだ。冷や汗は止まらないけれど。
一方目の前の男は、ハッ、と冷笑を浮かべ、パキリと手を鳴らしていた。
「お前らは……囮なンだよ」
「……囮?」
「っそれは……!!」
黙ッてろっ!! と男が怒鳴り散らすと、すぐさま静嘉くんは首を抑えられる。グッと力を加えられながら地面に突っ伏して、身動きが取れなくなっていた。
「静嘉の姉は元不良。人を救える力を持っていて、大事な大事な弟が攫われたらァ──」
アンタだったら、どうするよ? と互いの鼻がつきそうなほど顔を近付けられた。反射的に私は首をすくめる。
「ま、来ないなら来ないであいつ殴って帰るだけの話だ。簡単だろ?」
「簡単だけど……。てか、何でそんな教えてくれる訳……?」
純粋に不思議だった。まるでゲームの説明の為だけに用意されたキャラクターの様な。口調ややる事だって、どちらかと言うと作り物で筋が通ってない。こんな定番なことをする奴が本物かと問われれば違和感を覚える。
男は少し黙って、また地を這う声で言う。
「報酬の先払いだ。これからお前らじっくり痛めつけてやっから」
手がこちらに伸びてくる。逃げようとするも、私を抑える輩がいて到底逃げられない。制服のネクタイをシュルシュルと解かれると、肩がびくりと跳ねた。手は微か、とは言い難いほど震え、奥歯はガチガチと噛み合わせを確かめている。
ネクタイを掴んでいない手が顔に伸びてくる。ぎゅうっと目を瞑って、ただ静嘉くんと私の二人が助かる事を祈った。同時に最悪の展開も予想した。
……これは、後者だろう。
あぁ、私、襲われるのか──。
「──最下層のくせに」
閉じた瞼を指が掠めた。
恐る恐る目を開くと、私の目の前にいたはずの男は、ゴツン、と耳が痛い音を立てて倒れた。
「……え?」
「──あー、痛かった。ようやく解放された」
はくはくと、金魚が呼吸するように口を動かしている私の横を通り過ぎた静嘉くんの背には、五体程の死体──とまではいかないものの、無惨な倒れ方をしている男と幹部らの姿があった。静嘉くんの手には、掠れながらも殴った時の血が付着していた。
「え……?」
どうやら、状況を理解出来ていないのは私だけのようだった。
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