第4話 賄い兼家事代行
「じゃあ、帰るか」
「あ、うん。私こっちだから。じゃあね」
そう言うと、彼はぎょっと目を見開いて
「っちょ──」
と、何かを言った。が、それを遮るように私が、え? あぁ、ご馳走様でした、と言ってしまったせいで、随分と言い淀んでいる様だった。
まぁ、いいか。
「またバイトで」
くるりと背を向け、帰路につこうとすると、くんっとニットの袖を掴まれた。
「……え?」
「──送る」
振り返ってみると、妙に機嫌が悪い。何か私が気に触ることでも言ったのだろうか。
首を傾げ、眉をひそめて店を出てからの言動を思い出してみる。──うん、やっぱり何も無い。
答えを所望するように目線をやると、目の前の男は呆れた様にため息をついた。
「──っとに、天然馬鹿……」
「えなに今馬鹿って言った!?」
「言ってねぇよ馬鹿」
「あほらまた言った!」
二人して、クスクスと道端で笑い合う。傍から見れば、仮初ではないカップルだろうに。どこで間違えたらこうなるのだろうか。
「それはさておき──帰るぞ」
「だから私こっちだって……せいちゃ──静嘉くんはそっちでしょ?」
私達の住居は、正直真反対。
これ以上ない程の正論をぶつけた末、またもや彼は機嫌を悪くし、呆れていた。はー……、と深いため息をついて。
「……何で遠回しで伝わんねぇんだよ……」
「え?」
「送る」
「……は? え、や……何で……?」
バス代も時間も勿体無いじゃん、と止めると、送ってく、と一掃されてしまい、挙句私が根負けしたのだった。
バス停までの間、私は彼の背中を追って歩いていた。1歩半後ろで。……昔から、ずっとそのまま。追いつこうと私が一歩進むが、彼もまた進んでいる。──まぁ、今はわざと追いつかないようにしてるんだけど。
すると道中、一度だけ彼が後ろを振り返って、
「──そんなに、俺金ないと思われてんの?」
と変な所を気にしていた。
「や、そういう事じゃないですけど……」
「そうか」
そう言うと、彼は手をポケットに突っ込みながら踵を返して、また私の前を歩き始めた。
暫くと、バス停に着いてバスを待っていた。その間、会話は全くと言っていい程無かった。付かず離れず、雇用車と被雇用者。そういう関係。それでいい。このままでいい。……だって、彼が困ってしまうから。
その後の自宅までの見送りは丁重にお断りした。バス停まででいい、さっきは静嘉くんの希望を通したから、今度はこっちの希望を通すのが筋、と無理矢理脅して一人きりの帰路を獲得した。
「──じゃあ、気を付けて帰れよ」
またもや、彼はむすっとした表情をした。バスに乗る私を見つめながら。
「そっちこそね」
手を振り、バスの入り口で学生証やらが入ったパスケースを通す。良かった。一人席が都合よく空いている。
席に座るや否や、スマホを取り出し、Limeを開く。
《ご馳走様》
続けてもう一通。
《バイト、宜しくね》
既読は案外すぐに付いた。彼が通知が鳴ったのに気付いて、すぐさまスマホを取り出していたから。
通知が来た時の慌て具合を眺め、笑っていると、彼はスマホを見るのをやめて顔を上げた。その顔は──ふにゃっ、と頬が緩んでいて、口をはくはくさせていた。よく目を凝らして見る。
『ばいばい』
ぎゅうっと、手にあったスマホを咄嗟に握り締める。
──そんなことをするのは、辞めてほしい。
……思い出してしまうから。
ふらふらと、疲労に耐えながらなんとか家に着いた。人と会って話すのは何かとエネルギーを使う。自身の貯蓄の少なさに驚きさえ覚えた。……そりゃそうだよな。普段茜としか話してないんだもん。
トートバッグを白い木製のローテーブルの脚に立て掛けて、ボフン、とベッドに飛び乗った。
「あぁーーーー…………」
息を吐き終えて、吸い直そうとすると、図ったようにスマホが震えた。
《本日はお疲れ様でした。明日から宜しくお願いいたします。》
すかさず返信をする。既読がついてしまったから。既読をつけて返信しない、なんて駆け引きはしない。
《え、Limeの中では敬語なの?》
そう返信すると、彼は少し時間をおいて返した。困らせてしまっただろうか。
《じゃあ、敬語やめる》
その『じゃあ』の中には、【お言葉に甘えて】という意図が含まれている。お互いに。付かず離れず、配慮はありがたく受け取る。私達の関係のモットー。
《ありがとう。私もそっちの方が楽だから》
《それに関しては同感》
《何その他のことには同感したくない、みたいな言い草》
フフッ、と一人で笑ってしまう。居心地が大分いい。だからこそ、好きになってしまった。──彼は、笑っているのだろうか。
彼からの返信は途絶えかけていた。が、一通だけ今日のやり取りを終えるように、ただ
《おやすみ》
とだけ。あぁ、やはり、この人は他人を気にかけることに才がある。ただ心配するだけでも、誇張して感じられるような気の使い方。
まだ、バイトの全貌は見えない。だからこそ、私はこうして思考に浸っていられる。社会の裏を知るには、まだ早すぎるから。
もう、今日は寝てしまおう。まだ7時半だけど、お風呂に入ってご飯を食べて直ぐに。一刻も早く。早ければ、明日からバイトが入るから。
《お疲れ様。おやすみ》
スマホは、スリープモードではなく電源から切った。
雇用書類を書いて、早2週間が経った、3月の中旬。私は何とか家事代行の仕事をこなしていたこなしていた。
仕事内容は、1日に夕飯、弁当作り。2日に1回の掃除を繰り返していた。他のバイトは、やりくりしていくのが大変だから、と給料日翌日に全退職した。何とか、貯金やらでやっていける計算にはしたから。……仕送りに手を付けるのは気が引けるけど。
食材費は与えられるし、それで自分の弁当や夕飯も作っていいと言われた。
掃除も、部屋は広いが大まかな部分のみ任された。別の人が他の部分の掃除をしてくれているのだという。一度、私要る? と聞いてみたが、うんともすんとも言わず、ただ首を上下に振られるだけだった。彼の自室は、入るなと再三言われた。
自宅アパートに設置されていた冷蔵庫に弁当を入れ、ベッドに腰掛ける。と、Limeの通知。【八田 静嘉】との表示があった。
タップして開くと、
《明日バイト》
という簡素なメッセージだけが届いていた。どっちの? と考えていると、補足が追ってやってきた。
《彼女代行の、な》
《え》
《何》
《明日平日だけど……?》
《何か?》
《いえ……》
生憎、明日は予定が無いため断ることはできない。何をさせられるのか……。
服選び……? それとも誰かに、彼女いる、と言ってしまって、会わせろだとかを言われたとか……?
──駄目だ。明日の私に任せよう。少なくとも、今の私は何も知らないのだから、予想を立てたって当たる訳がない。……ましてや、私よりも思考力と計画性、実行力がある彼の意図を、私が汲むなんておこがましい話だ。
「……おやすみ……」
そういえば、明日何処集合が聞かなきゃな。
そんな事を考えている時、膨大な量の通知が溜まっていっていることに、私は気が付かなかった。
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