第3話 言い値で買ってやる
「──お待たせ」
一分後、アップルティーと湯気が立つブラックコーヒーを木製の盆に乗せて席に戻ると、彼はノートパソコンを立ち上げていた。
「……ありがとう」
こちらには目もくれずに、キーボードを叩いている。
タタンッ、と何度も軽快な音を鳴らして押されたエンターキー。中指で押すのは癖なのだろうか。
ふぅ、と息をついて、こちらを見据えてくる。多少の上目遣いにまだあどけなさが残っている。一方私はすぐに目を逸らして、盆からテーブルへ、アップルティーと十分過ぎる程熱いコーヒーを移した。
「──まず、あんたが気になってる、出どころ不明の金について」
席につくや否やドクン、と耳の周りの血管がうねる。一番最初の話がそれとは。
「……なんだと思う?」
バクバクと速いテンポで心臓を動かしている私に対し、少々揶揄する様な声。
「っそういうのいいから……」
そう言っても、私の目の前の男は一向に答える気配がない。それどころか、さっき上目遣いした目はもう下を向いていた。適当でもいいから一つ答えろ、ってか。
「──強いて、言えば……」
親からの借金、と私はとてつもなく真顔で答えたのだろう。フッ、と鼻で笑う声が聞こえる。
「……ちょっと、何」
「いや、不正解……。何、でそうなる、んだよ……」
呆れた声だが、句読点の間に笑いを堪える声が聞こえるのは、聞き間違いではないだろう。
「正解は──コンテストの優勝金」
「は?」
こんてすと。その5文字の平仮名が、私の周りをぐるぐると回っている。
「こん、てすと……?」
「何で片言なんだよ」
意味が分からない。コンテスト? 何の?
「何の……?」
「何の、って?」
「コンテストのジャンル……?」
「小説の」
「しょう……せつ……??」
いくら頭や声で反復しても、処理するまでには膨大な時間を要した。
「え、っとぉ……。小説コンテストに応募したら、大賞取っちゃいました〜……ってこと……?」
何故か、って?
「そういう事。その額の一部をあんたに注ぎ込もうって話をしてる」
過去に彼が、国語が苦手だ、と言っていたからという理由だけじゃない。
「馬鹿じゃないの……」
──私が昔、諦めた夢だったから。
「今季の大きいコンテストだったから」
「そういう話じゃないでしょ……。何てやつ?」
「調べれば出てくんだろ。
【書読】といえば、超有名な電子小説のサイトではないか。そんな所で一番を取れる作品を、私は一度でもいいから拝んでみたかった。
──諦めた自分と、何が違ったのか。
検索にかけると、結果発表の記事がでかでかと載せられていた。
その記事をタップすると、金額が最初に表示された。なんと三百万円。それに加えて、書籍化とコミカライズ決定! と謳っている。大賞の名前欄は一つだけ。【小豆 理玖】と。──確か、小豆は彼が実家で飼っている犬の名前だったか。理玖、とはどこから取ったのだろう。静嘉という名前とは何の関係もなさそうだが。
不思議に思いながらも短めの一章一節だけ目を通す。作品は所謂転生系というやつ。
一言で批評すれば、ありそうでなかった、読むのを辞めさせないような作品だった。でも──
私が昔書いていた様な文章と大差はなかった。
諦める前の私はこの設定を考えつかなかった。だからまるまる一緒という訳ではない。ただ──言葉の使い方や言い回し。殆ど全てが同じだった。
胸に突っかかる違和感。拭いきれない何か。
幼馴染だから言葉遣いや言い回しも似たんだ、と言われてみればそう受け取れるのかもしれないが、流石に二年も離れていて言葉が似るなんてこと、あるだろうか?
「何でこんな賭けを……」
呆れながらも問いかけてみるも、
「何で、って言われても──」
今は説明出来ない、と彼は口を真一文に結ぶだけだった。
「──そ」
ならいいや、次、と言って瞬きを一度すると、彼は目をぱちくりとさせていた。
「……無頓着だよなぁ」
「人聞きの悪い。だって、そうしてたら──いつ切り捨てられてもいいって、思うでしょ?」
それを聞いた瞬間、彼は思い切り目を見開いて、そうか、と納得の色に染まった声をもらした。その中には──寂しげな声色も混じっていた気がする。
「──はい、仕事内容」
説明して、と言うと彼は一つ咳払いをして、仕事内容はさっき言っただろ、と呆れ声で言った。
「何か胡散臭いし。ちゃんと説明して」
「……はぁ……。本当聡いよな、あんた……」
彼は困ったように頭を掻いて、説明すればいんだろ、と崩して言い放った。
「『……何でそれするの?』って質問は無しな」
「それは──今は説明できないから、ってこと?」
「よく分かってんじゃん」
彼はそう言うと右肘をついて、その上に顎を乗せた。
「仕事内容の前に、給料の話からするけど──」
彼は少しだけ冷めてしまったコーヒーを一口含むと、くるりと左手で百八十度、ノートパソコンを回して画面を私に見せてきた。そこには、給料についてと仕事内容についての内容がまとめられた資料があった。
「あ、それ……さっきまで打ってたやつ──?」
「正解」
ニヤリと笑みを浮かべると、彼は指で示しながら丁寧に説明をしてくれた。──今、説明できないことがあると言う割には。
「給料だけど、最低年120万は払う。一ヶ月10万。日給にすると3000円ちょい。ボーナスもあり」
「……それ──」
「無理」
「いや違うって。──それ、毎日仕事しなきゃいけない、ってこと?」
「不正解。あんたも俺も学校やらがあるから、丸一日買い取って側に置いておくわけじゃない。かといって、金を払わない日があるとかでもない」
どこかあやふやで。彼自身も、私を買うことにまだ決心がついていないのではないか、と思う程に。
「……一日3000円弱。でも休みもある。つまり──『俺が呼んだときに来て働け』、と?」
「飲み込みも察するのも早いな。正解」
正解と不正解が混在している時点で、私は察しが良い訳ではないと思うのだが……。
「……じゃあ、業務内容で」
「──はいはい」
そう言うと彼は、ソファから腰を浮かせ、真ん中から少し右下寄りについている矢印のキーを丁寧に叩いた。
「業務内容は──俺の付き人的な感じ」
「え、女侍らせる趣味あるとか知らなかったんだけど帰っていい?」
「待てって」
こんな茶番ができるのは、かつて私達が幼馴染だったからだろう。そうでなければ、すぐに敬語をやめることなんてできない。知らない人ならば完全に他人行儀のまま雇用まで話が行っていたのだろう。
「こっちも説明すんのがむずいんだよ……。今のは不意に口を突いて出た感じ」
「そうですか……。雇用者も、か……」
呆れた声色で話すと、私の雇用者になるであろう人は、ガシガシと頭を掻いた。
「──何て言えばいいんだ……?」
彼は困惑している様子だった。私はそれを横目に悠々と冷めきったアップルティーを喉の奥に流す。そう言えば──。
「同い年の男女一人ずつで会ってて、彼女さんとか怒らないの?」
「は?」
呆気に取られている。頭の中で考えていた物が全てすっぽ抜けていっただろう、と私は密かにほくそ笑んだ。
──この質問が、二つの意図を含んでいることに、彼は気付かない。
一つは、そのまま。静嘉くんを揶揄する意図。彼も、そう捉えただろう。
……もう一つは、彼に彼女がいるかどうかの確認。頭の中では決別した筈なのだから、聞く必要はないと、頭では分かっているのに。
「……彼女いないからいい。そんな心配しなくても」
「……そ」
あくまでも、平常心。聡い彼が、二つ目の意図に気付かぬ様に。
「彼女……そうか、彼女……」
「え?」
彼の中で、何かが引っかかったらしい。まさかバレた──?
「──簡単に言うと、【彼女のフリ】。もう少し細かく言うと、【何でも屋】」
バレては……ないようだった。
「【何でも屋】……? それは……彼女みたいに、側にいるだけじゃなくて、さっき言ってた【家事代行】みたいな事もする──してほしい……ってこと? で、いいの?」
コクリと黙って顔を上下させる彼。成程、そうすると二つ目の意図は、私が彼に探りを入れるのではなく、例えのヒントを出すためだった、と捉えるだろう。
──気が付かれないのは、寂しいけど。
「……うん、しっくりくるな。主に、【彼女のフリ】の仕事。呼んだら買い物やら何やらに同行。後は……何も無かった日にそのまま3000円払うと需要と供給が合ってねぇから、身の回りの家事やらの世話」
これでどうだ? 納得したか? と指を差される。うん、納得、と答えると口角を上げ嬉しそうな、満足そうな表情で笑った。
──不意に、胸が締め付けられてしまったのは内緒。
「……っあ、あと──給料の支払い方法……っ! 教えてもらってない……!」
話題を逸らさないと、この笑顔に溺れてしまう。下心丸出しでやってきた私が。
「一日3333円だと面倒くさいから、月10万ずつ、現金手渡しの予定。31日ある月は基本的に休み」
メモを取る必要はない。目の前にある資料を、後で送ってくれると言ったから。
「29日の月は仕事の日が一日増えたりだとかしないから安心しろ」
なんて優しくて、気が遣える人なのだろう。そんな所が、ずっと──。
「ボーナスは……俺の頼みごとをうまくやり遂げたときか──あんたに危害が加わったとき」
「は?」
──前言撤回。気も何もこの人は遣っていなかった。
「な……にそれ……っ! 危害って何!? っていうか守ってくれない訳!? 同行してて、私に危害が加わったら静嘉くんだって……!」
「……大丈夫。あんたが死ぬ事はない」
天然女たらしめ……! という視線を向けていると、ギロリと睨み返された。
「……自分の心配だけしてろ」
そう吐き捨てて、彼はノートパソコンと携帯に目をやる。右手でキーボードやらタッチパッドやらを操作し、左手に持った携帯を親指でスクロールしている。
その親指の動きが止まり、彼が画面をトンッ、と押すと、私の携帯に二枚の写真が届いた。その写真は、業務内容と給料について。先程見た資料が、高画質で送られている。
「……ありがとう」
「……どういたしまして」
妙に長い数秒の沈黙を、彼の声が断ち切った。
「──あ、順番が逆だったな」
そう、彼は笑いか呆れかを含んだ言葉を発して、一つ咳払いをした。
「働きたいなら──さっきの条件でいいなら、サインを」
敬語と共に、シュッ、と摩擦の音をたてて差し出されたのは一枚の書類。
──これにサインをしてしまえば、雇用者と被雇用者の、恋愛感情を抱いてはいけない関係になってしまう。
もう二度と、【幼馴染】になることは叶わない。
書き渋る。しかし、目の前の男は、私がサインをする確証があるのか、曇りない、透き通る程茶色の目で、私を見据えていた。
「……」
ゴクリ、と息を呑んで、目の前に差し出されたボールペンを手に取る。奥の席だけ真空になってしまったかの様な程、沈黙の空間にカタン、という無機質な音だけが響く。
手が、震える。ドラッグストアのバイト採用時のサインだって、こんなにカタカタと手が震えたことはなかった。
退屈だったのか、彼はふぅっ、と息をついて席を立った様だが、私は構わず書類とにらめっこをしていた。
「──はい、これでいいよね?」
バクバクと、首辺りの血管がうねっているが、構わず冷静さを演じる。
【森山 天音】。幼馴染だから、幾ら氏名を捏造しても指摘されるのだろう。だから、私は諦めて正直に記した。
「──字、綺麗になったよな」
「昔は汚かったみたいな言い方しないでよ。まぁ、汚かったけど……」
彼は一つだけ咳払いをした。場面転換をしたい時、決まって彼は咳をする癖がありそうだと、ふと思った。
「……じゃあ、宜しく。天音、さん」
「……天音でいいよ。宜しくお願いします。静嘉くん」
もうそろそろ出るか、という合図で同時に席を立ち、レジまで行く。と、いつの間にか会計が済んでいた様だった。
「え。……いつの間に……?」
「あんたがサインするか迷ってたとき。氏名以外も記入欄あったし、時間かかるだろうなって」
あと、帰るぞって言ったら私が払うよ、とか言うだろ? と【他人の意のままに流される性格】を見透かされていた。──変な所だけ、譲らないことも知っているのだろう。私ですら分からない性格を。
自分を持っているとは、私は到底言えない。でも、全ては任せない──中途半端な性格。だから、……分からなくなる。自分が何者か。主観で見てしまえば、良し悪しも全て分からなくなって、判断が下せない、変に情を持って人に接する女──それが自身の評価である。
それを人々は、【都合の良い駒】と評価する。
だから──自身の評価だけでも、冷静沈着、冷徹で人に情を移さず、
自ら暴れ馬を手懐ける過程、そこでは決して情を持って接している訳ではない事を──。
考えに浸っていると、ファミレスから出てすぐ、彼が急に後ろを振り向いて、少しだけ前のめりになった。──私の身長に合わせるように。
そりゃあそうだ。私は160cm。彼は──170cm以上。彼なりの気遣い。
にこり、と目を瞑って笑ってみせる。と、彼は少しだけ赤面した。それに負けじと、多少声を張って、
「──あんたの一年、言い値で買ってやる」
覚悟しとけよ、と。
「……そんな、『これから私、どうなっちゃうの〜っ!?』っていうラブコメのお決まり展開みたいなの無いでしょ、流石に。ただの【家事代行】と【彼女のフリ】なのに」
あと、言い値は売り手側が決めるもんでしょ? と揶揄ってみると、彼は不思議そうな反面、至極面倒くさそうな表情に、少しだけ寂しさを混ぜた──そんな顔をした。
「……そうか」
「あー……はいはい、ごめん」
──きっとこれは……この関係性は、後々事実を全て丸呑みにして膨れ上がり、割るに割れない風船の様になるのだろう。
だからこそ、わざわざこの関係を提示してきた彼は可笑しい。それが私なりの彼の【評価】。
……でも、私も可笑しい。
形のない今日を、形容し難いこれからの日々を歩み始めようと、自ら首を突っ込んだから。それと……。
──ペロリと顔を出した舌に、その優美な表情に……私は無意識に、喉を鳴らして、息を呑んでいたのだから。
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