第2話 きっかり120万?
「天音、でも何でも。……他人行儀じゃなくても……別に、大丈夫」
片言の日本語を伝えながら、目を合わせずに正面の席に座る。少しだけ……いや、結構恥ずかしかったから。
「そちらこそ……昔の感じでもいいんですよ?」
ニコリと、目の前の男は笑っている。その笑みに混じる意図を、私は知らないけれど。
「……そっちからやってくれないと、私は無理」
だって私根っからコミュ障だから、と笑ってみせる。すると彼も一緒になって笑って、
「なら、お言葉に甘えて。──その格好、寒くねぇの?」
と、私の方を指差した。静嘉くんに視線をやってみると、暖かそうな黒のハイネックのセーターと、センター分けの前髪。はっきり言って洒落ていた。すぐに敬語をやめたのは、昔から私が融通が効かないタイプであったのを覚えていたからか。
──不確定の事案に縋りつくのはやめよう。それに、ここで彼以上に馴れ馴れしくしても後々飼い慣らされるだけだ。
「余計なお世話。──で、話。詳しく聞かせてよ」
せいちゃん、と昔の名で呼んでみると、彼は思い出し笑いをしていた。
何故笑うのだろう。もしかして、と思いはしたものの、私に友情すら返していなさそうな人が約ニ年間私の呼び方を恋しがっていただとか、一切ない事を妄想してしまって、まだまだ私は脳天気なお子様だということを痛感する。
「──本当に、よく今まで詐欺とか遭わなかったよな……独り暮らしなのに」
はぁ、とため息をついた後に放たれた彼の呆れ声は、これまで聞いたことがない程に低かった。はて、独り暮らしだなんて彼に打ち明けたことはあっただろうか。
「……文面の通り、一ヶ月10万。一年で最低120万」
「あれ、きっかり120万とか言ってなかったっけ?」
「……ボーナスとかあるだろ」
他のテーブルに品を届けた帰りであろう店員がこちらをチラリと見やって厨房へ向かっていった。それはそうだ。傍から見れば注文もせずに痴話喧嘩をしている人達だろう。
「──っそもそも、業務内容聞いてないし、給与の受取方法すら分かってないじゃん」
私も何か注文していい? と聞きながら、メニューと注文用のタブレット端末を手に取る。返事を待たずして動いたものの、意外にも彼はそれを快く引き受けた。……というより、彼は先にコーヒーを手元に持ってきていたのだが。
「……パフェにしようかな」
メニューを吟味していると、彼は
「……奢るから、好きなの頼めば」
とぶっきらぼうに言い放った。──あぁ、その為のこの時間指定か。
奢ってくれる予定だったのか。何故間食の時間帯なのか、と思ったが、かと言ってランチを共にする程度の中ではない──筈だ。
恋は盲目。距離感すら見誤って、いつしか毒に変わりうる。
「……ありがと。じゃあお言葉に甘えて」
そう言って注文用端末で選択したのは、安価なバナナパフェ。
──最も安価なものを選ぶ性分がバレたのか、苺食べれるだろ、と手から端末を奪われ、呆気なく変更されてしまった。
端末を充電台に戻すと、彼は気怠そうに、はー……、とため息をついて、センター分けの前髪を少しだけ弄った。
「……で、業務内容だっけ」
「うん」
その返事を聞くと、彼は説明すべきことの数を数えているのだろうか、指を一本、二本、三本……と折っていった。
「……仕事は簡単。ただ俺に時間を売ってくれればいい」
「……時間、を売る……? って言ったって、私はその売った時間で何すんのって聞いてんの。家事代行的な? にしても月10万? 正社員でもないのに?」
ありとあらゆることを問いただすと彼は、待て待て、と宥め降参とでも言うように両手をあげた。
「質問が多い。何でそう、一個に纏められねぇんだよ……」
「最初から質問だらけの話を持ちかけてくる方が悪い」
「……それもそうだ」
自分で言うのも何だが、今のは中々に正論パンチだった。
はー……、と彼はまたもやため息をついて、どうやって説明するかな……、と頭を抱えている様子だった。
「──なら、当分は家事代行的なのをやってもらう。何かあれば外に連れ回したりするかも……って感じ」
「随分大雑把な……」
いいだろ別に、と彼は目を細めて、外に目をやった。
何だろう。この違和感。
何故私の時間が欲しいのか。家事代行とあらば、それを専門としている業者なりに頼めばいい。加え外に連れ回す、という仕事も主な目的ではなさそうな雰囲気が、余計私の猜疑心を擽る。
──私は、まだこの男を信用していない。それはあちらも同じ筈だ。なら──。
「──そう、か」
「? まだ何か──」
「面倒くさい事案抱えてんでしょ」
「は?」
あからさまな態度。金はやはり餌で、何か相談に乗ってもらう為にここまで強引に嗅ぎつけたのではないか。じゃなければ、奢られる意味が分からない。
「やっぱり餌だったんじゃん、そのバイト」
危うく一個、バイトやめるところだったわ、と笑う。
「何笑って──」
「ご丁寧にお金までちらつかせて。そんなに相談に乗って欲しい事案があった訳? 別に──」
静嘉くんの相談なら、無償で幾らでも乗っていたのに、と。
彼の表情は、まだよく分からない。呆れているだろうか、図星をつかれた顔をしているのだろうか。
「月10万、軽い家事代行と外出同伴。それだけで稼げる都合のいい現実がある訳ない。じゃなきゃ世の中、みんな汗水垂らして働いてない。──私も」
「……っ何言って──」
「用意出来ないでしょ? 出来る訳ないよ、学生風情が。出来たとしても将来、私なんかに120万も大金払ったことに後悔する」
言い訳をしよう。別に、過去の想いを悟られまいと饒舌になってしまっている訳ではないことを。
「話を──」
「絶対後悔するよ? 子供やらの育児費用で、あと何十万あったら……なんて悩む羽目になる」
机の下で、私は足を組んでいる。やはり、多少文面上の口調が変わっただけで、内面なんて何も変わっていやしない。子供のまま、愚鈍な。
「本当に変わんないね、子供のままって感じ──」
「っさっきから……っ!」
握り拳が机に乗る。
「何の話をしてんだよ……っ!!」
と軽く怒鳴られ、口が開かないまま驚いた声を上げてしまった。
「……っ、聞けよ。勝手に話進めんな……。何勘違いしてんだよ……相談だとか何だとか……」
子供の様にしょげている。
すると、飲食店でよくあるロボットが、呑気で愉快なマーチと共に、苺パフェを運んできた。──バナナパフェも一緒に。
「……っあれ……二つ?」
「……俺の。もし苺食べられなかったとき用に」
……苺、ラズベリーソースとチョコレートがかかっている、と正直な感想を申し上げると、
「……じゃあ、バナナだけ食べたら」
とだけ言った。
「……そうする」
妙な配慮は、どこで覚えたものだろうか。グラスのくびれを掴んで、一つ彼の前に置く。と、彼は二つ、手持ち部分が可笑しな程長いスプーンをカチャカチャと音を立てながら取って、ん、と渡してくれた。有り難いことに、口をつける部分に手を触れてはいなかった。
「……ありがと。いただきます」
「いただきます」
彼は、頂点の苺アイスにスプーンを突き刺して、三分の一を口に放り込んだ。かく言う私は、トッピングのバナナを一切れ、口に運んだだけだった。
「溶けるから、早く食えよ」
「……はい」
バニラアイスを口にすると、少しだけ前歯が、キンと滲みた。
「……」
気まずい空間に気圧され、つい手が止まる。
ふと見つめてみると、二重の目に長い睫毛がかかって、鼻立ちが良くて。センター分けした前髪が、大人になってしまったという事実を突きつけてくる。所謂、イケメンの部類だと思う。が、別に外見が好みで好きになったという訳ではない。
じぃっ、と手を止めて見ていると、視線に気が付いたのか、
「──何」
と不思議そうな、怪訝そうな表情を返された。
「……っあいや、何でもない」
──本当に、彼は私のことを何とも思っていないのだ。それが事実であり、現実。
自分でも気が付かない程にしょげていると、彼は、はー……、とため息をついていた。そのため息に、びくりと肩が跳ねる。すると、彼はグラスのくびれ部分を掴んでこちらに差し出し、
「……食べたい訳?」
と盛りに盛られたパフェをスプーンで指し示した。
「え?」
「……欲しいんじゃねぇの?」
そういう視線だった訳ではない。ラズベリーソースとチョコレートがかかっているから無理、食べて、と突っぱねたものを誰が食べると気を変えるのだろうか。
「……や、そういう訳じゃ──」
彼はそんな言葉を待つ前に、ボックスソファから腰を浮かせて、トッピングの苺を二切れ私のグラスに移した。
「あ……」
「いいから。何も付いてないとこだから」
口つけたスプーンで運んだやつが嫌なら食べなきゃいいし、と彼は腰を下ろして、またパフェに手を付けていた。
「……ぁりがと……う?」
「……どーいたしまして」
顔から少し目線を下げると、彼はいつの間にかコーンフレークの層まで到達していた。
「ねぇ」
「?」
掬った生クリームと一切れの苺を口に運びつつ、目を向けられる。
「──いや、予想外に多いなって……」
「は?」
突拍子もなく出たその声は、私を咎めるものではなく──ただ唖然とした感情を表すための声だった。
「はぁ……。そ。じゃあ、貰う」
彼は、ため息ではなく、納得がいっていない様な、腑に落ち無い様な声をもらした。
そもそも、幾ら甘い物が好みであろうと普段独り暮らしで節制をしている胃には少し辛い。
「……あ、待ってごめんこれ──」
口つけたやつ、と言い切る前に、半ば強引にグラスを奪い取られた。
「?」
「あ……や、それ……」
彼が上げた顔は、口周りにクリームがベトッと付いていた。
「食べかけ……」
「? いやいい、食べる」
あんたが食べられるの嫌なら俺にわざわざあげないし、俺が嫌ならさっき苺渡してないだろ? と見透かした様に笑みを浮かべた。
「……えぇ、全く。その通りで」
「……だからいんだよ」
食べきっていいよな? とこちらには目もくれずに、ガツガツと擬音がつきそうな程、バナナパフェに食いついている。
「──ごちそーさま」
そう言うと、彼は口周りについていたクリームを、舌と親指で嬲る様に舐め取っていた。ペロリと顔を出したその舌に、その優美な表情に、女はゴクリと喉を鳴らして息を呑むだろう。
「……そういえば、ドリンクバーあるから、何か取ってきたら。俺の奢りだし、飲み物だったら飲めるだろ?」
取ってきた後でゆっくり説明するから、と彼は重ね重ね説明し、食べ終わったグラスを端に寄せていた。
「いつの間に……なら、お言葉に甘えて」
席を立ち、一歩歩いたタイミングで後ろを振り向くと、彼は冷めきっているコーヒーに口をつけて一服していた。コーヒーに詳しい訳ではないが、見た所砂糖もミルクも入ってないブラックコーヒーだった。口の中の甘さを全て塗り替えるように流し込んでいる。
そういえば、彼は甘いのが苦手だっけ。
そう考えると、不意に
「コーヒー、おかわり要る?」
と、言葉が口を突いて出た。すると彼は少しだけ目を見開いてから、ホット──ブラックで、と困惑した様に答えて、冷静さを取り戻す為か窓に目をやった。
答えが返ってきた。それが堪らなく嬉しくなってしまって。
「──分かった」
口を閉じてもなお、私は冷静を取り戻せずにいた。
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