空色杯10(↑)

mirailive05

事件と乙女と夢見る神話

「私はいま、事件の現場に来ています」


 ビルが立ち並ぶ通りの向こう側。背の高い桜の木を背景に、コートを着込んだアナウンサーだかレポーターだかが、せわしなく口を動かしている。


 パトカーも立ち入り規制のテープもなく、警察官も数人いるだけのことから、あって軽犯罪の現場だということがわかった。


「あれって確か……」


 あそこは桜姫伝説で以前有名になった街路樹が植えられているところだ。


 桜姫伝説というのは、都会のこの辺では珍しく語り継がれる、恋の物語。


 桜の精霊と見まごうばかりの美しい姫と、対立する国に仕える武将との許されざる恋。


 家臣の息子の計らいで、桜の木の下でひそかに何度も会う二人。


 やがて思いが深まったところで、その武将は桜姫の国との戦いで命を落としてしまう。


 悲嘆にくれて命を絶とうとする桜姫。だけれどそれを幼馴染だった家臣の息子にいさめられ、思いとどまる。


 そして、陰ながらずうっと自分の身を案じていた家臣の息子の気持ちに気付いて、二人は結ばれる。


 その伝説の元となった桜の枝が、何者かによって切られてしまったらしい。よく見ると、根元に枝が一本横たわっていた。


「その桜の枝を身に着けていると、願いが成就するんだっけ?」


 それを横目にしつつ、私は先を急いだ。


 切られてしまったのは少し気の毒だけど、それどころじゃない。今日は念願のデートの日なのだ。


 せっかく幼馴染の春孝はるたかがセッティングしてくれた、憧れの先輩との初デート。失敗してなるものか!


「フンスッ」 


 おっと鼻息が。


 私は待ち合わせの場所に急いだ。




 夢の時間は、あっという間に過ぎてしまった。


 港の近くにある遊園地からの帰り道、先輩とのおしゃべりを楽しみつつ、何となく後ろを振り返る。


 まさか春孝のやつ、こっそりつけてきてはいまいな?


 上手くいくようにとお守りを渡された時「大丈夫か、不安なら付いていってやろうか?」と本気とも冗談ともつかない表情で言われたことを思い出す。


 いけないいけない、今は全力で楽しまなくては。


 とは言え憧れの先輩と二人っきりだと、緊張してしまうのも仕方のないところ。春孝とならこんなことはない。


 私たちは風景写真がたくさん飾られている、おしゃれなカフェに入った。


 先輩は紅茶を、私はイチゴ多めのパフェを注文した。


 今日のデートを振り返りつつ、他愛のない会話を楽しんでいたら、すっかり時間は経ってしまった。


 先輩が時間を確認する。楽しいデートも終盤に近付いたようだ。


「咲ちゃんは、ぼくのどこが気に入ったの?」


 そのとき先輩はいきなり、ど直球の問いかけをしてきた。神々しくも全人類の女子をとろかしそうな、その笑みを浮かべて。


「もしかしたら、ぼくよりも気になる人がいるんじゃないのかな。ずっと誰かを気にしているように見えたから」


「え、そんなことは……」


「誰かを探して、振り返ってたんじゃないのかな」


「……わかりません」


「その答えが見つかってから、誘ってくれると嬉しいな」


「……」


「今日は楽しかったよ」そう言って、二人分の支払いを済ませて先輩は行ってしまった。


 私は何も言えずに残りのパフェの、溶ける姿をただ見つめていた。




「失恋、したのかなあ……」


 一応形的には保留なのだが、望みは薄いだろう。先輩特有のお断りの気遣いかもしれない。


 行きとは対照的な、泥の中を進むような重い足取りの帰り道。


 あの桜の近くに差し掛かったところで、なぜか春孝が立っていた。


 おかしいな、さっきまでは何ともなかったのに、何故か視界がゆがんできた。


「結果は、まあ聞かなくてもわかるか」


「そこは察して、口に出すなよう……」


「……悪い」


 春孝は私が泣き止むまで、じっとそこに突っ立っていた。少しは慰めろよこの朴念仁!


「お守り、無駄にしちゃったね」


 春孝は、私が返したお守りの中身を取り出すと、ポイっと植え込みに放ってしまった。


「中身、なんだったの?」


「大したもんじゃない」


 私はガードレールに寄りかかりながら、春孝のくれた缶コーヒーのリングを引いた。


「うわ、にっが……」


 人生初デートの味がした。 


 目の前を通り過ぎる通行人たち。


 その連れ立った男女の笑顔がやけに眩しく見える。それにしても、カップルしかいないのかこの通りは!


 ちらっと隣を見る。先輩に代わって春孝がいる。


 こいつは何でここにいるんだろう?


 季節外れの大風が、ビルの間を吹き抜ける。


 コーヒーが、缶ごと吹き飛ばされてしまった。


 とっさに追った視線の先に、大きな桜の姿が見える。


 あれ、なんか変……


「なんだ、こんな時期に桜が咲いてる」


 春孝が興味なさそうに驚いている。


 その桜の下に、今朝見掛けたばかりの姿があった。


「私はいま、再び事件の現場に来ています!」


 同一人物と思われるレポーターだかアナウンサーが、その桜の木の下で、驚きを隠せない様子でしゃべっていた。


 確かにこれも事件かも知れない。


 乱れ咲き誇る満開の桜が、いつもならまだまだ冬のこの時期に、カップルたちを全力で祝福していた。


 再び大風が吹く。


 舞い散る桜の花びらが、初めて味わった苦い思い出を、洗い流してくれているようだった。

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