『酔人奇譚』

村上 耽美

『酔人奇譚』


 酔人は毎日酒を呑む。それは今日も例外なく、背丈の異なる缶ビールを一本一本、また一本空けていく。彼に酒を抜いたならば、てんで動かぬ自動車と変わらない、とつまらぬ冗談はさておいて、彼はいつものようにビールを飲んでいるのだが、今日はそこはかとなく楽しめていないような気がしてならない。時刻は十五時、夕餉にするには早いが腹は減る、酔人は酒も足らぬうちから千鳥足でふらふら町内を歩くことにする。


 最近みるからに活気が減った町だが、今日はなんだか訳が違う。酒も肴も溢れんばかり店にあり、わいわいがやがやと呑兵衛たちがごった返し。こっちは仕事帰りの呑兵衛、あっちは若者の酒盛り、むこうは見覚えある顔ぶれ。酔人は欣喜雀躍しながら「今日はたらふく飲むぞ」と意気込んだ。

やいやいじいさんこっちにどうだ、あちらこちらで声がする。顔の真っ赤な酒飲みたちは酔人を取り合った。こりゃまたいい心地がするから片っ端から呑んで語ろうということにする。

「やあやあ失礼するよ」

「ええんですよ、ええんですよ」

「じいさんどこから来たんです」

「ほんのちょいと向こうから」

 ははは、と皆が高笑い、まあ飲みなされとビールを注ぐ。どうやらこの酔っ払い、鬼のような奥様から逃げて来たらしい。

「いやあ厳しいねえ、それじゃあお兄さん、なかなか普段飲めないでしょう」

「そうなんです、だから今日みたいな日は浴びるように飲ませてもらうんですよ」

「今日はなにか特別な日だったかね」

まあ、とだけ言って酔っ払いは取り繕う。素面の人なら問い質すところだが、この酔人もう出来上がってしまって、そんなことはどうでもいいと笑い飛ばしたのだった。


 さて次の席は若い学生、男三人に紅一点。男、かなり酔いが回って、おなごはまだまだいけるといったところ。

「やあやあ失礼するよ」

「どうぞどうぞ、青二才の集いですが」

盛り上がるが酔人、どうやらおなごがやけに気になるよう。

「お嬢さん、飲み足らないか」

「いえ、そういうことでは」

こりゃどういったことか、どうにか訊くことはできないか、酔人酒を飲みながらも考える。

「お嬢さん、最近なにかあったのかい」

「それが恋の話でして」

横から男一人水を差す、おなごはきっ、と睨みつけて黙らせる。

「好きな人が酒ばかり、まともに働く先も探さないのですよ、なんとかしてほしいところなのですが」

酔人、木の机に肘をついてこう語る。

「不安になることだなあ、働くことは大事なことだ、酒やたばこは逃げかもしれない。でも人生、まっすぐ進むことがすべてじゃあないんだよな、酒に逃げながらたばこに逃げながら、働かなきゃいけないんだよな、それはお嬢さんもそうだ、家事や仕事で働いて、それだけの人生っていうのはつまらないだろう。そうだ、その彼と酒を飲むのがいい。休みの日は昼からでもいい、二人の時間に酒があってもいいんじゃないかい」

周りの客が拍手をする、すると三人のうちの二人が立ち上がる。

「僕たち、帰ろうかな、お二人さんいい夜を」

酔人、しばらくしてから納得し、二人のコップにビールを注いだ。


 なるほど今日は何かのお祭りか、そんな日もあるかもしれぬ。酔人、普段より幾分もおおらかな気持ちになり、ふらふら町を歩き飲み相手を探す。

「そこのじいさん、こっちへ来てくれ」

声がするほうへ顔を向ける、地元の旧友がいるではないか。

「おうお前さん、久しく会ってなかったね、こんなところで何か用事でもあったんかい」

「ははは、おまいさんに会いにわざわざ、来たというところだ」

酔人、何だか諸々に納得がいかぬ。しかし旧友、酒を注いで酔人を座らせてこう続ける。

「そういやおまいさん、かわいらしい奥さんがいるんだってなあ、いいなあ、羨ましいもんだよ」

「そうなんだよ、白くて可愛い、ほっぺが林檎の奥さんがいるんだよ」

「おれにも可愛い奥さん、できるかねえ」

「案ずることないさ、そのうちべっぴんさんが嫁いできてくれるさ」

二人は瓶をからんと鳴らし、昔の思い出話に耽った。

「いやあ、久しぶりにこんなに楽しい時間が過ごせたな」

酔人、旧友にこう問う。

「今日いちにち考えていたんだがね、今日がなんの日なのか皆目見当もつかぬ、教えてくれ、今日は何の日なんだね」

旧友しばらく考え込み、こう続く。

「お盆の時期じゃあないか」

「そうか、お盆か、だがそれにしても騒がしい気がしてな」

「みんな帰ってきてるんだよ、おれなんかはついでにおまいさんに会いにきたってところだ」

酔人、混乱で酔いから覚めそうである。

「おれらもお盆が終わったら帰らなきゃあいけないんでね、ほれほれ、可愛い奥さんが家で待っているんじゃあないかい」

酔人背中を押され家に向かう。戸を開けて奥に入る。

「おかえりなさい」

「ああ、ただいま」

白くて可愛い奥さんの声が確かに聞こえる、これはどういったことだろうと考えたが何にも結論など出ぬ。

その日の夜は奥さんと過ごしたそうだ。これには旧友も幸せなことであろう。


 酔人、朝を迎えた。酔いはもう残ってはいないが昨日のことははっきり覚えている。だが散歩に出かけても、昨日の面影は何一つ残っておらぬ。いつもの町並みであった。働き者は仕事場に行っているだろうし、学生も見当たらぬ。はて昨日のお祭り騒ぎは何だったのか、散歩から家に帰り酔人、家の人に問う。

「昨日は何の日だったかね」

「あらじいちゃん、お盆だよ」

酔人、合点がいったようで、嬉しそうに続ける。

「ばあちゃんももしかしたら帰ってきたかもなあ」

そうねえ、と家の人微笑む。

 

 酔人は今日も酒を飲んでいた。肴は昨日の出来事である。

「お盆が楽しみになるなあ」

机に写真が置いてある。彼の隣に白くて可愛らしいべっぴんさんがいる、微笑ましい写真である。彼女の頬によく似た林檎のおりんを鳴らし、手を合わせた。

 今日の酔人の飲む酒は、普段の何倍も美味しく感じた。

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『酔人奇譚』 村上 耽美 @Tambi_m

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