第十三章 清算

百六話 最果てからの帰還

 月のない夜の下、殴り合いは、終わった。

 翔霏(しょうひ)は左手の甲の骨、中指の中手骨(ちゅうしゅこつ)にひびが入ってしまったらしい。


「おお痛い痛い」


 とボヤきながら、雪の中に両手を突っ込んで、患部を冷やしていた。

 雪上に大の字の仰向けに倒れて、息を切らして泣いている斗羅畏(とらい)さんに、老将が寄り添う。


「突骨無(とごん)どのは、繋ぎの大統で満足するような殊勝な男ではありませぬ。阿突羅(あつら)さまが死ぬるか弱るかすれば、自身に権勢を集中させようと働きかけるのは自明のこと」


 老将さんは、このまま突骨無さんのいいようにやらせていたら、斗羅畏さんは冷や飯を食う未来しかないと、予測しているのだ。

 突骨無さんと斗羅畏さんのパワーバランスを厳しい目で監督するつもりの阿突羅さんだって、いつか老いるし、死ぬのである。

 大統になって、その権力をいつまでも維持拡大したいと突骨無さんが欲をかいたら。

 陰で見張ってる阿突羅さんを、幽閉したり暗殺するかもしれないからね。

 涙としゃくりあげの鎮まった斗羅畏さんが、弱弱しくそれに答えた。


「そんなことはわかっている……しかし、俺にどうしろと言うのだ。親爺は、俺と突骨無が争うなどと思っていないし、俺もそんなさまを親爺に見せたくないのだ……」


 目を逸らして逡巡を表す斗羅畏さんに、老将は静かに言った。


「家を出た子は、遠くにいる親の安否を想いつつも、心や生計はその地で自立するものでござる。この青牙部の地が、覇聖鳳(はせお)から受け継いだ山林が、斗羅畏どのが自立して差配する所帯であるとは、考えられませぬか。ここらの痩せた邑(むら)に住む子らを、我が子とは思えませぬか」


 実家を跳び出して地元を離れ、一人暮らしをする若者。

 行った先の地で結婚して家庭を持ってしまったら、どうしたって自分の家庭が一番で、遠くの親は二の次になる。

 そのときが来たのではないか、と老将は優しく説いているのだろう。

 傷だらけ痣だらけの顔の割には、瞳のうちに光を保っている斗羅畏さん。

 しばらく黙ったのちに、むくりと力強く起き上がって、言った。


「これから青牙部の邑々を、覇聖鳳の追悼も兼ねて巡察する。俺の話に納得する邑は、俺の領として受け入れる。刃向う連中は真正面から相手をしてやる。そう各地に文書を出せ」

「かしこまってござる、殿(との)」


 なにか吹っ切れた表情の主人を見て、年配の将兵たちが瞳を潤ませ、笑った。

 斗羅畏さんはこの東北の地を手中に収め、白髪部(はくはつぶ)の中央勢力から自立する覚悟と決意を固めたのだ。

 東白髪部、みたいな半独立領を作る感じか。

 戦国大名の形式に似ているな。

 長く斗羅畏さんの下で働き、戦ってきた彼らベテラン将兵にとって。

 まさに今、子の巣立つ様子を目の当たりにした喜びにあるのだろう。

 覇聖鳳という強大なカリスマを失った青牙部の領域。

 寒さの厳しく、氷雪に囲まれたその土地。

 新たな秩序をもたらすのは、誰よりも熱い情をたぎらせる、斗羅畏さんであるようだ。

 彼はきっと、良い首領になるのではという、強い予感を私は胸に抱く。

 いや、タイプだから贔屓目に見ているわけでは、ないんですよ?

 私も旅の中で、男を見る眼が磨かれて来た、はず。


「のう、嬢ちゃんたち。もし良ければこの先、うちの殿さまを助けてやってはくれんか」


 左右に動く兵隊さんたちをしみじみ眺めていたら、馴染みの老将さんにスカウトされてしまった。


「俺たち、帰る邑があるから。ゴメンな」


 軽螢が考える間もなく即答。

 続いて私も、愛想よく言った。


「仲間に調子のいい商人がいます。こちらに安くて質のいいものを、沢山届けますよ」

「そいつは頼もしい。これから忙しくなるぞい。この歳で大仕事とは思わなんだ……」


 幸せそうな顔で、老将も仕事に取り掛かるのだった。

 夜が明けたらそろそろお暇しますかね、と最後に周囲を見渡し確認していたら。

 一つ、私の意識を惹く存在がある。


「この樹に見覚えがあるなあ」


 立派な白樺の樹であった。

 近付いてみると、樹皮の表面に、落書きが刻み込まれている。


 麗央那在此処

 覇聖鳳潰此処


 私はその樹の傍らで、香を焚かれながら丁重に安置される覇聖鳳の遺体を、いつまでもいつまでも、見つめるのだった。

 こうして私たちは、戌族(じゅつぞく)の地で為すべきことを終え、昂国(こうこく)へと戻る。

 途中の邑で待っていてくれた巌力(がんりき)さん、玉楊(ぎょくよう)さんと合流。

 確か、石数(せきすう)くんの姉である砂図(さと)さんらしき女性が暮らしている邑だ。

 玉楊さんは青牙部の邑の子たちに、半分壊れた粗末な琴を見事な音色で弾いて聞かせて、大いに喜ばれていた。


「邑の親切な若奥さまから、差し入れでござる」


 そう言って巌力さんは、軽螢に熊笹の葉に包まれたお菓子を渡した。

 大豆とその他穀物の粉を練って揚げたもの、いわゆる豆腐ドーナツ。

 それを受け取り、美味しそうな顔で頬張りながら、軽螢が巌力さんに聞いた。


「これくれたの、どんな奥さんだった?」

「赤子を二人、抱いておりましたな。背の高い女性でござった。いや、もちろん奴才(ぬさい)ほど大きくはありませぬ」


 巌力さんほどデカい奥さんがいてたまるか。


「そっか」


 切なそうな目で、邑の中の女性と子どもたちを見つめる軽螢。

 幼馴染のお姉さんは、この邑で子を育て、生きることを決めたのだね。

 私たちには私たちの帰る場所が。

 他の人には、他にそれぞれの居場所がある。

 翔霏もお菓子を食べながら、いつもの明るい無表情で言った。


「邑に帰ったら、まず大豆の畑を作るか。美味いし腹にたまるし滋養になり、良く育つ」


 私はそれを聞き。

 これからは泣かずに話すことのできるであろう思い出を語る。

 私は討ち果たし、乗り越えたのだから。

 もう思い出に涙は要らないのだ。


「大豆いいね。石数くん、お豆腐が好きだったから。倉を直して、大豆を作って、お豆腐を神台邑(じんだいむら)の新しい名物にしよう。石数くんの夢だったお豆腐屋を、昂国じゅうに大規模展開しよっか」


 私の言葉を聞いた翔霏と軽螢が、少し驚いて言う。


「あの水臭い石数が、麗央那(れおな)にそんなことを言ってたのか。歳の割にはこまっしゃくれていて、あまり自分のことを話したがらない子だったが」

「俺たち、知らねえよな。あいつが豆腐屋をやりたかったなんて。豆腐が好きそうなのは見てりゃ分かったけど」


 生まれたときから一緒にいた軽螢や翔霏にすら、話していなかったこと。

 恥ずかしくもあるはじめての告白を、私は石数くんから貰っていたのか。

 泣かないって決めたけれど。

 やっぱり泣いちゃう、びえん。

 私たちの会話を横で聞きながら、お腹の傷口を押さえて椿珠(ちんじゅ)さんが言った。


「大豆は良いな。先物の相場を操作すれば結構な儲けになる。上手くやりゃあ都の貴族さまの間で、豆腐は美容や健康に良いと大流行させられるだろう」


 健康食品メーカーの常套手段かよ。


「三弟(さんてい)、ろくでもないことを考えず、大人しく豆腐菓子でも食って寝ていて下され」


 巌力さんが軽々と椿珠さんを担ぎ上げる。

 子どものように肩の上に乗せられて運ばれて行く様子を見て、邑の子どもたちが笑った。

 玉楊さんも、一緒に笑っていた。

 私たち一行は笑顔に包まれたまま、戌族の地を去る。

 昂国の地を再び踏みしめた。



「こいつらをひっ捕らえろ。牢にぶち込んでおけ」

「えっえっ」


 国境の関門を越えると、そこに玄霧(げんむ)がいた。

 私の顔は白くなった。

 そう、司午家(しごけ)に生まれた謹厳な武人にして、翠蝶(すいちょう)貴妃殿下の同母兄、あの玄霧さんである。

 知り合いの顔を見てすっかり気が緩んだ私たちは、問答無用、なすすべもなく縄をかけられる。

 戌族青牙部と昂国の国境沿いにある、角州(かくしゅう)の砦の牢屋にぶち込まれた。

 玄霧さん、角州の国境警備に配置換えになったんですね。

 実家から任地が近くなってなにより。

 って今は、そんなの関係ねえ。 


「朱蜂宮(しゅほうきゅう)での戦いの折、わたくしのせいで覇聖鳳を仕留められなかったこと、玄霧どのはまだ怨んでらっしゃるのかしら……?」


 私と翔霏と一緒に放り込まれた一室で、玉楊さんが素っ頓狂な心配をしている。

 女性同士だけ、外から見えない扉に閉ざされた部屋をあてがってくれる程度には、玄霧さんは気遣いの人だ。


「そんなことないと思いますよ。根に持つような人でもありませんし」


 私は混乱しているけれど、翔霏は落ち着いている。

 と言うか寝ていた。

 相手に殺気や害意がないと、わかっているのだろう。

 むしろ牢に入れられている間は、寝床も食事も、タダである。

 この機会を最大限に利用して、休息を取るというのは、理に適った行動だ。

 なにせ翔霏は今、左手の骨にひびが入っている。

 雨風しのげる場所での休息と栄養摂取は最優先事項だよね。

 私も寝るしかないか、と思い、荷物を枕にしたり、玉楊さんの寝床もメイキングしてあげたりしていると。


「……生きて、戻ったか」


 扉の向こうで、玄霧さんの声が聞こえた。

 着替えようとしていたので、いきなり入って来られなくて良かったー。

 玄霧さんに裸を見られたとしても、いやぁ~んばかぁ~んとか、正直ないんですけどね。

 乙女として、ポーズだけでも羞恥しておかないと。


「はい、無事に、いえ、みんなあちこち怪我はしてますけど、なんとか、恥ずかしながら、帰ってまいりました」


 私も切り刺された左手小指の先が痛くて痛くて、風が当たると泣きそう。


「そうか……」


 極めて読めない、形容しにくい口調で、玄霧さんが言う。

 顔が見えないからと言う以上に、今の玄霧さんの心境を推し量ることが、私には難しかった。

 シチュエーション的に、涙の抱擁で感動の再会を彼が望んでいないことだけは確かだ。

 私は全然、ウェルカムなのだけれど。

 改めて、冷静な仕事モードを取り戻したらしい玄霧さんが言った。


「環(かん)貴妃殿下、手荒な対応をお許しいただきたい。大まかに申せば、今、貴妃殿下以下全員は、昂国の中で罪人の扱いを受けております。国境の外をいたずらに騒乱させた罪、ということに」

「まあ」


 おっとりと、特に意外そうでもない感じで玉楊さんは溜息を吐いた。

 うん、想定内だ、わかってた。

 いくら敵対している勢力とは言え、外国人を何人も殺して、傷付けて、私たちは帰国した。

 ただの、一庶民である私たちが。

 おまけに玉楊さんのご実家である環家は、不正な商行為の疑いで国から厳しい取調べを受けている。

 全員がお縄にかかるのは、法と道理の上でもっともであるのだ。

 けれど、と私は知恵を働かせ、意見を述べる。


「そこはほら、名門である司午家のお力で、なんかこう、上手い具合に、ねえ?」


 うん、ちんけな小者の発想でヤンスね、これ。


「無理だ。お前たちの身柄を確保し、尋問したがっているのは、他ならぬ正妃殿下と、その実家の素乾家(そかんけ)であるからな。司午の力でどうなる問題ではない。お前らが青牙部の深くまで立ち入って得た情報を、独占したいのかもしれん」


 オウ、シィット。

 環家の商いが伸長しすぎたことを警戒して権勢を弱めようとしているのは、他ならぬ正妃さまだった。

 さすがに国の最トップ層には勝てねえ~!

 昂国の首都、河旭城(かきょくじょう)に戻れること自体は、正直嬉しい気持ちがあるけれど。

 その立場が、自由のない罪人かあ。

 きゅ、と手を握り、大丈夫と励まし合う私と玉楊さん。

 おててが柔らかくて小っちゃくて可愛らしいなあ、とろけそう。

 私が現実逃避していると、玄霧さんが一つだけ、明るい材料を教えてくれた。


「幸いにも、この砦で今、お前たちの素性を詳しく知るものは俺しかいない。しかし明日になって他の兵や官吏が身元を調べたら、すぐにでもお前たちは河旭に移送されるだろう」


 だから関所に着いたときは余計な話をせずに、私たちをいきなりブタ箱に送って隔離してくれたわけか。

 ありがたいけれど、ううむ。 


「どっちにしても時間の問題で私たちがなにものかは、皆さんにバレちゃうんですよね」

 

 結局、事態はあまり好転していないのでは。


「主上のご慈悲を信じましょう」


 私が肩を落とし、優しい玉楊さんに慰められていると。

 急に、ゴホンと大げさな咳き払いを玄霧さんは放ち。


「ここの扉の鍵、調子が悪いようだな。係のものに言っておかねば……」


 変に大きい独り言を口にして、去って行った。

 わざとらしすぎてウケる。

 本当に、本当にもう、玄霧さん。

 不器用だけれど優しいあなたは、最高です。

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