百五話 遺された者たち
分厚く積もり重なった雪を掻き分け、埋まる足を一生懸命に運びながら。
馬も戸惑う白銀の景色、雪と氷を踏みしめて、どこが川やら道やら知れない中。
戌族(じゅつぞく)白髪部(はくはつぶ)、大統の御曹司と呼ばれる斗羅畏(とらい)さんが、自ら斥候兵を引き連れて、私たちのいる場所まで歩いて来た。
「は、覇聖鳳(はせお)……」
私たち四人とヤギの横に、うつぶせに倒れている覇聖鳳。
その骸を見て斗羅畏さんは歯を食いしばり、音が出るほどに固く拳を握りしめて。
「お前らが、殺したのか」
腹から響く唸り声で、そう尋ねた。
私は黙って首肯し、引き続き椿珠(ちんじゅ)さんの体にぐるぐると包帯を巻く。
今ちょっと、手が離せないので、無言の返答で失礼します。
斗羅畏さんは私たちが目も合わせず、椿珠さんの治療にかかりっきりになっているのを見て。
「……怪我人、女、いや、男か?」
目の前の状況に、理解半分、疑問半分の一言を呟いた。
そして、極めて心外、不本意、とでも言いたそうな渋面を作り。
「火を焚け! 湯を沸かせ! 酒でも食い物でもとにかく持って来い!」
怒鳴るように仲間たちへ叫んだ。
どうやら、私たちはまだ、生きていられるらしい。
斗羅畏さんは部下たちに大声、かつ適切に指示を飛ばす。
ひとまず生きているもの全員と、覇聖鳳の骸を、雪崩の被害が少なく雪の薄い場所へと移した。
私たちは焚火に当たり温かいスープをいただきながら、覇聖鳳の遺骸が丁重に布でくるまれて行くのを見つめた。
お腹が膨れて、表情から険しさが消えた翔霏が聞く。
「ここは青牙部(せいがぶ)の領域だろう。いくら近いと言って、なぜ貴公が兵を引き連れてここにいる。境界侵犯ではないのか」
そう、ここは白髪部(はくはつぶ)に属する斗羅畏さんから見れば、外国である。
勝手に兵を率いてたむろして良い道理はない。
問いに、感情を意図的に抑えた声で斗羅畏さんが答えた。
「……俺がいた境界の邑、その近隣の青牙部の邑から、吹雪で物資が届かないと救援要請があった。雪が続いたせいで林道がいくつか埋まり、荷車が立ち往生したのだ」
相変わらずの太い眉をいからせ、その間に一本の深い皺を刻み。
斗羅畏さんはその後の、やや込み入った事情を訥々と話してくれた。
「業腹だが、飢えて凍える隣人を見捨てるわけにもいかん。覇聖鳳には事後承諾を得るかという形で、最低限の兵を連れて物資を届け、雪に埋まった車を引きずり出して回っていた。その途上で、お前たちの知り合いだと言う大男と貴婦人に会ったのだ」
「巌力(がんりき)さんと、玉楊(ぎょくよう)さん! 無事だったんだ。良かったあ」
私は安心すると同時に、一つの疑問符を頭に浮かべる。
除葛(じょかつ)軍師の差し金で各地を諜報活動していた、間者の人。
「もう一人いるはずですけど。口の悪いお姉さんが」
「いたような気もするが、いつの間にか消えていた」
「あら、そうですか」
さすが、機を見るに敏。
斗羅畏さんたちに根掘り葉掘り聞かれたくないことをたくさん抱えている立場だから、隙を見て逃げたのね。
命を助けて貰った恩もあるし、私たちも彼女についての情報は、黙っておくことにしよう。
そもそも、名前すら知らないし。
ともあれ斗羅畏さんは、巌力さんと玉楊さんに接触し、私たちが覇聖鳳との決戦に挑んでいるのだと知ったわけだ。
本当に、すぐ目と鼻の先に斗羅畏さんたちが来てたことになる。
斗羅畏さんは、覇聖鳳の体を包んだ布に優しく手を置き、言った。
「お前たちごとき子どもに、覇聖鳳をどうにかできるものかと最初は思った。しかし、境界の邑でお前が覇聖鳳の腕に串を刺したあの光景がふと、脳裏によぎった」
布の上から、覇聖鳳のなくなってしまった左手の辺りを撫でさする斗羅畏さん。
「よもや、負けはなくとも、殺されはしなくとも、覇聖鳳がなにかの策に嵌って往生するくらいはあるだろうか。そう思うと居ても立ってもいられなくなり、俺は馬を急き立ててここに来た。まさか、まさか死んでおるとは……」
決してわずかな嗚咽も涙も漏らすまいと、斗羅畏さんが全身に力を込め、震えて立っていた。
覇聖鳳を殺したいと思っていたのは、私たちだけではない。
斗羅畏さんはいつか必ず、武人として、男として正々堂々と覇聖鳳に勝ちたいと、日々強く願っていた。
その願いも、私たちが奪ってしまったのだ。
私たちが覇聖鳳の骸を囲んで佇んでいると、一人の兵隊さんが来て、斗羅畏さんに短く伝えた。
「客が来たようだ。好き勝手やっている俺たちに、青牙部の連中が文句を言いに来たのかもしれん」
斗羅畏さんは来訪者の対応に向かう。
もしも、覇聖鳳を殺されたことに復讐心を燃やした青牙部の残党が、その仇を取りに来たのなら。
責任を取るべきは、私たちだ。
薬が効いて眠った椿珠さん以外の私たち三人、斗羅畏さんに続いて来客を確認する。
そこには、武器を地面に置いて片膝を着き、片手の拳礼を捧げた青牙部の逞しい将兵が並んでいた。
「立ってくれ。無断で領内に踏み込んだ俺たちに対して、貴公らが拳礼を捧げる義理はない」
斗羅畏さんがそう言っても、男たちは聞かず、腰と目線を下げたまま。
「我らは頭領の覇聖鳳より、各地の小さな軍と領地を任されていたものにございます。覇聖鳳はつい先日、自分がもし斃れることがあればこれを白髪部の斗羅畏どのに届けろと、遺命を出しておりました」
そう言って、一通の文書を斗羅畏さんに差し出した。
覇聖鳳の、遺言。
あいつは、左手を刺された毒が悪化し、癒えずに死んだときのことを考え、部下の重鎮たちに遺言書を作っていたのだ。
斗羅畏さんは拳礼を返し、厳粛にその文を受け取り、中身を広げる。
この場にいる全員に確認するように、一文ずつ、ハッキリとした大きな声で読み上げた。
『部下たちへ。
俺サマになにかあったら、てめえらはバカの集まりなんだから、斗羅畏に頭を下げて指示を仰げ。
こんな貧しい実りの少ない土地で、自分たちだけ富を貯えようとするなよ。
女に優しくして、ガキには腹いっぱい食わせてやれ。
あと少しは勉強しろ。
恒教(こうきょう)と泰学(たいがく)くらい、楽に読めるようになれ。
斗羅畏へ。
あの世で先に待ってる。
いつか、勝負の続きをしようぜ』
読み終えた斗羅畏さんは、一言も発することができず。
「どうか、どうかお受けいただきますよう。我らの邑が凍えている今、温情の手を差し伸べた斗羅畏どのであればこそ、我らも信じたいと思いまする」
青牙部の将たちに言葉を重ねて懇願され。
一筋だけ、怪我をしている方の目尻に流れた涙をぬぐった斗羅畏さんだった。
「……少し、考えさせてくれないか」
直情で果断が持ち味の斗羅畏さんが、迷いの言葉を漏らした。
死せる覇聖鳳が、生ける斗羅畏さんを悩ませたのだ。
まさか、覇聖鳳がそこまで自分を買ってくれていたとは、想像もしていなかったんだろう。
斗羅畏さんが一騎打ちに応じてくれたこと、覇聖鳳はよほど嬉しかったのかな。
「良き返事を、お待ち申しております」
来客は心からの熱意が籠る声でそう言い残し、去って行った。
「いいじゃん、受けちゃえば」
軽螢(けいけい)が気安く馴れ馴れしく、無責任に言った。
斗羅畏さんは首を振り、重く歯切れの悪い口調で答える。
「簡単な話ではない。明日から白髪(はくはつ)の中都(ちゅうと)で、輝留戴(きるたい)の大選挙が行われる。そこで決まる新たな大統の意見を仰がん限り、俺の独断では……」
「そっか、もう新月ですね」
なるほどと私は手をポンと鳴らす。
白髪部の次の族長、大統を決める調整は、おそらく難航するだろう。
その見通しを斗羅畏さんは軽く説明してくれた。
「一族の予定では、次にある四年後の選挙まで、繋ぎの大統のような扱いで末伯父(すえおじ)の突骨無(とごん)を擁立しようかと言う話になっている。ちょうど、委任票も末伯父の手元に集まっていることだしな」
やっぱりそうなるのか、と私は納得の感想を持つ。
微妙な政治バランスの中に斗羅畏さんも立っており、勝手に大きな行動を取るのは一族全体に混乱を招く恐れがある。
「ふっ」
嘲るように漏らした翔霏の笑い声に、斗羅畏さんは怒りの表情を見せた。
「なにがおかしい」
「誰に止められて理を説かれても、あのとき覇聖鳳との一騎打ちに挑んだ武者っぷりと、同じ男とは思えなくてな。かなりの勇者だと思ったが、買い被りだったか」
かあっ、と斗羅畏さんの顔が、羞恥と憤怒の混じったような朱色に染まった。
そして頭の兜を脱ぎ、地面に叩きつけて叫んだ。
「お前らに、なにがわかる! 好き勝手自由に生きる野の獣と変わらぬようなお前らに、この俺の苦悩が!!」
「知らんな。お偉い爺さまや周りの親戚がそれほど怖いか。そんなだから突骨無とか言うあの小賢しい男に周囲も期待するのだろう」
「黙れェッ!!」
先に手を出したのは斗羅畏さんだった。
斗羅畏さんの右ストレートが空を切る。
ひょいと体を屈ませて避けた翔霏の、カウンターの右アッパー。
「ごっ!」
殴られた斗羅畏さんは目を回し、足をふらつかせる。
翔霏も殴った手が痛かったのか、すりすりと撫でさすっている。
「ちょ、しょ、翔霏ィ!?」
私はいきなり始まってしまった斗羅畏さんと翔霏の殴り合いを止めようと、あわてて駆け寄る。
明らかに、翔霏が挑発してゴングが鳴らされた喧嘩だ!
「待ってくれんか」
しかし後ろから優しく、肩に手を置かれて留められた。
いつだかお世話になり、私たちを護送した、あの優しい老将さんだ。
私たちの視線の先、斗羅畏さんはなおも闘志を失わず、叫んで翔霏に挑みかかる。
「覇聖鳳を仕留めるのは俺のはずだった! 横から入ってきたお前らがかっさらっていったんだ! この盗っ人ども!」
「生憎と、こっちは二百人から邑の仲間を殺されてる。あとから割り込んで列を譲れと喚いているのは貴公の方だ。順番くらい守れ」
左右のパンチを掌でパンパンといなしながら、翔霏が斗羅畏さんのこめかみへ、左フックをお見舞いする。
いつもなら、拳が痛むことを嫌って、絶対に素手の殴打をしない翔霏が。
狩りでも殺し合いでもない、ただの子どもの喧嘩だからとでも言うように、気にせずゲンコツを振るっていた。
もちろん、翔霏は思いっきり手加減をしているだろうけどね。
翔霏が本気で殴ったら、自分の拳の骨と引き換えに、相手の顎や頭蓋骨はべっこべこに粉砕されるはずだから。
顔を凸凹に腫らしながら、それでも斗羅畏さんは屈しない。
「突骨無(とごん)伯父(おじ)の方が、俺より知恵も男振りも上なことくらいわかっている! それでも俺は、親爺に期待されて、可愛がられて来たんだ! それに答えるのが子であり、孫じゃないのか!」
「ははは、そこまでいい子ちゃんなら、爺さまも安心だろうな。青い尻におしめを巻いて、いつまでも可愛がってもらうといい」
「ちくしょう! ちっくしょうめが! その汚い口を閉じやがれ!!」
いつの間にか、斗羅畏さんは泣いていた。
まるで町の子どもの喧嘩のように、腕を振り回して翔霏に立ち向かい、あしらわれて殴り返され、雪の上を転がされ続けた。
翔霏がわざと斗羅畏さんを挑発させて怒らせているのはわかる。
しかし、その理由がわからない。
そこまでして斗羅畏さんを、なぶって痛めつける、翔霏の動機が。
「ありゃぁ、八つ当たりだな」
二人のバトルを観戦しながら、軽螢が私の横で言った。
意味が分からず、質問を返す。
「翔霏が八つ当たりって、なんで? 覇聖鳳は殺せたし、なんとか生きて帰れそうだし、なにも悪いことなんてないじゃん」
むしろ完璧な展開だったのを、無駄に翔霏が喧嘩を売った形である。
軽螢は、そんなこともわからないのか、とでも言うような、少し小馬鹿にした顔で説明した。
「だって覇聖鳳を、自分の手でぶちのめせなかったじゃンか。あれだけ息巻いて気合い入れてたのに、最後の決め手は雪崩と麗央那(れおな)に持って行かれちまった。油断して椿珠兄ちゃんまで怪我させちまったしな」
言われて納得、うん、そうか。
翔霏も、表情に見せないだけで、自分の無為無力を悔いていたんだ。
いや、それにしたって。
関係ない斗羅畏さんを、そこまで凹するのは、さすがに良くないと思いますよ!?
けれど私がそう思っているのは、少し考えが浅かったようで。
「ありがとうよ、嬢ちゃん」
「まったく頑丈なやつだ。たとえ話ではなく骨が折れた」
戦いを見守っていた老将さんが、翔霏にお礼を言った。
斗羅畏さんをバキボコに叩きのめした翔霏に対して。
白髪部の将兵たちは、誰もその無法を咎めようとはしなかった。
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