八十四話 最強の刺客
邸瑠魅(てるみ)の姉と名乗った、緋瑠魅(ひるみ)という女。
よく似た姉妹だな、双子だろうか。
「ぐぬぬぬ、なんで怪魔はこの姉ちゃんを襲わねえンだよ~。同じ方向から来たはずだろ?」
呪縛の禁術を必死に施しながら、軽螢(けいけい)が泣き言を口にする。
「あたいら姉妹は生まれつき、怪魔を寄せ付けない体でね。手頃な怪魔がいたから、あんたらのいる方へ追い立ててやったのさ。こんなに上手く行くなんて思わなかったよ」
自慢げに緋瑠魅は答えた。
だから後宮襲撃で怪魔を解き放ったときも、覇聖鳳(はせお)や邸瑠魅のいるところには襲いに来なかったのか。
今回、様々な運が敵に味方をしてくれちゃったらしい。
馬から降りて近寄りながら、ぎらついた刃の薙刀を構える緋瑠魅。
妹の邸瑠魅は騎馬で翔霏(しょうひ)に挑んで負けた、そのことを知っているのだろう。
「フン、獣も避けたくなるような臭そうなツラをしている」
翔霏は相手を挑発し、棍の先をピクピクと震わせる。
と思いきや、急に足で地面の土を蹴り飛ばした。
緋瑠魅への目つぶしだ、けど。
「おっと。足クセが悪いのも知ってるよ。ガキの喧嘩みたいな、小狡(こずる)いやり口が得意だってね」
半身を捻るだけの最小限の動きで、緋瑠魅は難なくそれを躱す。
翔霏は完璧に、相手の意識と視線を鉄棍に誘導した、いわゆるミスディレクションを仕込んで目つぶしを放ったはずなのに!?
こいつ、強い!
あくまで単騎の、生身の人間ではの話だけれど、今までに会った、どの敵よりも!
「小癪なメス狗(いぬ)だ。鬱陶しく吼えるその口をまずは潰してやる」
ゆらあ、と翔霏が緩急をつけた動きで左右に揺れる。
錯覚だろうけれど、まだ明け方薄明の下では、翔霏の姿がぼやけた残像のように、二人三人といるかのようにも見えた。
ほぼ分身の術じゃんこれ!?
翔霏も翔霏で、私がまだ見たことのない技術を隠し持っていたのだ。
「ふっ!!」
左、右、と幾重にもフェイントとなるステップを踏んで放たれた鉄棍の横薙ぎ。
口を狙うと予告して、あえてその通りに緋瑠魅の顔面側部に襲い掛かる。
ガギィン!! と金属同士がかち合う音が鳴り、緋瑠魅は笑って後方に跳びすさる。
「危ない危ない。あたいの手を狙ってたかい」
「チッ、本当に片目妹とはモノが違うか……」
ああ、翔霏は相手がガードすることを見越して、薙刀を持っている手指を狙ったのか。
受け手がそれをわずかにずらしたので、結果として普通のぶつかり合いに見えたのだ。
た、達人同士のせめぎ合いすぎて、リアルタイムで追いかけることができない!
「こっちのことも、気にしてくれよな~~!?」
「グガアアァァァ……!!」
狼の怪魔と向き合う軽螢が力なく叫んだ。
太陽の光が薄い今の時間帯、軽螢の緊縛術は効果が弱く、まともに行使しようとすれば日中より多くの気力を消耗する。
え、翔霏が緋瑠魅に手こずってる間に、軽螢の気力が尽きちゃったら。
私たち、怪魔のエサじゃん!
はじめからそれが狙いかよ、この姉ちゃん!?
妹と違って頭も切れるなあ~~!!
「気合いで踏ん張れ。もうじき片付く」
根性論で軽螢を励ます翔霏。
まだまだ余裕があるという表情で、緋瑠魅は距離を取って声をかけてくる。
「フフ、ところで神台邑から連れてった子どもたちがどうなったか、聞きたくはないかい?」
「……なんだと?」
翔霏の動きが止まり、目が血走る。
邑を襲われたときに攫われた小さな子供たちがどうしているか、翔霏が気にしていないわけはない。
その情報を、あえて今、緋瑠魅が口にするということは。
「翔霏!! 耳を貸しちゃダメ!!」
こいつは、緋瑠魅は。
私たちを正しく知っている!
翔霏がなにに心を動かし、なにに対して怒るのかを、十分に調べ、理解した上で、ここに来ている!
今までの散発的な、しょうもない刺客とはわけが違い、緋瑠魅には微塵の油断も奢りもないのだ!
敵を倒すために敵を知らねばならないと考えているのは、私たちだけではなかった!!
覇聖鳳たちもまた、私たちを知るため、理解してその姿を暴くため、最大限の努力をしたのだ!!
むしろ今までのバカな刺客で私たちを消耗させて、本命のコイツが満を持して登場したのか。
戦力の逐次投入は愚の骨頂と言われることがあるけれど、こと暗殺という分野に関しては、必ずしもそうではない。
現に私たちは息つく暇もない殺し屋の来訪のせいで昼夜行軍が続いて、気力も体力も最悪のコンディションなのだ。
なにより不利な条件として、翔霏は私たちを守りながら戦わなければならないというハンデを、常に抱えてもいるのだから。
「目の前の敵に集中してくれよ~~」
気性が柔軟な軽螢は、その手の嫌がらせに乗ることはない。
けれど、神台邑が襲撃されたとき、あれだけの怒りを爆発させていた翔霏は、そうではない。
邑の仲間に関することが翔霏の弱点、弁慶の泣き所であることを、覇聖鳳たちは知ってしまったのだ。
強い敵は弱くしてやればいいと、突骨無(とごん)さんは言った。
同じように、翔霏が強いなら弱めてやればいいという理屈に、覇聖鳳も気付いてしまった。
覇聖鳳たちは、後宮での敗戦を糧に、成長している!
勝ち誇った爽やかな笑顔で、緋瑠魅は最悪の台詞を吐く。
「近くの山に棲む大蛇の怪魔に、生贄を捧げる風習があたいらにはあってね。今年は捧げものに不自由しなくて良かったよ」
「黙れーーーーーッ!!」
怒りに支配され冷静さを失った翔霏が、真っ直ぐすぎる攻撃を緋瑠魅に見舞う。
しかし、いくら速くても見え見えの攻めなら、緋瑠魅もかろうじて、防ぐことはできる。
神台邑を襲撃したときの邸瑠魅も、防御に専念している限りにおいては、激昂している翔霏と渡り合えたのだから。
こうして時間を稼ぎ、いずれ呪縛から解き放たれる怪魔に私たちを食べさせることが、緋瑠魅の思惑なのだ!
「も、もう無理……限界……」
軽螢が片膝を折る。
翔霏は我を失っている。
私は、私はなにができる!?
これじゃあ、まるで役立たずの傍観者じゃないか!!
仲間のために力を尽くせないまま、こんなところで死にたくない!!
翔霏と軽螢と、まだ一緒に、生きて、進んで。
三人一緒に、願いを叶えたいんだ!!
「あ、あるじゃん」
自分の薄っぺらい胸を抑えたとき、ちょうど服の中に固いモノが潜んでいることに私は気付く。
そして狼の怪魔の元へ走り向かい。
「軽螢! もうちょっとだけ頑張って!!」
そう言って、懐から秘蔵の毒串を取り出し。
「来世は可愛い柴犬とかに生まれてね!」
怪魔の太腿に、思いっきり、突き刺した。
「ギゥゥン!?」
呻き声を上げる狼の怪魔。
体が大きいので、一本では足りないかもしれない。
「えいっ! ていっ!」
私は立て続けに、二本目、三本目の毒串を、その肉に打ち込む。
「ギャウ、ギャワーン!!」
「あ痛ッ!!」
激しく体を震わせた狼の怪魔が、取りすがる私を振りほどく。
軽螢の術が効果を失ったのだろうか。
ふっ飛ばされて尻餅をついた私だけれど、幸運にも大きな怪我はない。
四本目の毒串を手に構え、狼の怪魔と向かい合う。
「脳や心臓があるから、衝撃を与えれば怪魔も死ぬ。なら血液が通っていて、毒も効くはずなんだ。悪いけど、死んでちょうだい」
「麗央那……」
はじめて会ったときに、翔霏に教えてもらったこと。
それを私の口から聞いた翔霏は、一旦退いて深い呼吸をし、険しさの和らいだ顔で緋瑠魅に向き合った。
戦いの初心に、還ってくれたんだ。
「ガ、ガァ、アウゥ……」
目論見通りに毒が効いたのか、狼の怪魔はやがて地面に巨体を沈ませ、斃れた。
嘘、私の作った毒串、強すぎ!?
ギッ、と顔を歪ませた緋瑠魅。
「聞いてた通りに、やるね、あんたら。今回の勝負は預けとこうか」
そう言って私たちから距離を取り、馬に乗って逃げ出そうとする。
妹より賢いだけあって見切りも早いな、と私は妙に感心しちゃったけれど。
「ホラ行けッ。見せ場だぞ」
「ブメエエッ!!」
軽螢にお尻を叩かれた白ヤギが猛烈な爆速タックルをぶちかまし。
「ヒヒィィィィィン!?」
ドゴォム! と鈍く激しい音を鳴らし、立派な両の角で緋瑠魅の馬のあばら骨を、粉砕した。
馬より強いヤギってなんだよ。
さすがに私も翔霏も緋瑠魅も、思いもよらない展開に、唖然。
「こりゃあ、やられちまったね……」
逃げる足を喪った緋瑠魅は、この段になってはじめて絶望の顔色を浮かべた。
馬と共に生きている戌族(じゅつぞく)だからこそ、馬がなければ戦略も戦術も成り立たないのだ。
「どうする、素の駆けっこで勝負するか? 物心ついてから、私は他人に負けたことがないが」
平常心を取り戻した翔霏が、いつもの憎たらしく綺麗なドヤ顔で、緋瑠魅にゆっくりと近付く。
こうなってはもう、緋瑠魅に勝ち目も、逃げる術もない。
諦めたのか、緋瑠魅は武器の構えを解き、肩を落として言った。
「ふー、上手く行くと思ったんだけどね。まさかその他大勢にしてやられるなんて」
誰がその他大勢だよ、軽螢も私もヤギくんも、やるときはやるやつだぞ。
と私が心の中でクレームを入れていると。
やおら、手に持っていた、鋒(きっさき)の鋭く尖った薙刀で。
「ああっ!!」
私が叫び、翔霏が走るのも間に合わず。
緋瑠魅は、ぶすりと自分の胴体、みぞおちの辺りを刺し貫いた。
「がっふ……」
血を吐いて地面に両膝を折る緋瑠魅。
駆け寄った私たちへ、いまわの際だと言うのに、不敵な笑みを向けて。
「あたいらが子どもを生贄になんて、するわけないよ。信じたのかい? 滑稽だねえ……」
そう言って、こと切れたのだった。
私は、なぜだかわからないけれど。
こんなやつ、死んだって少しも悲しくはないはずなのだけれど。
涙があとからあとから流れ出て、不思議と、止まらないのだった。
それはきっと、妹の仇を討ち果たせず、誰も通らないような林の中で血を吐いて死んでいる彼女の姿に。
いつか私たちもこうなる日が来るのだと、無言で教えられている気がしたから?
それとも、私たちを殺すために全身全霊の最善を尽くした緋瑠魅という一人の人間に対して、敵ながら尊敬の気持ちを持ってしまったからだろうか。
わからない、この感情の正体が、私にはわからなかった。
冬にこの地を渡るヒバリたちが、私と一緒に泣いていた。
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