八十三話 針葉樹の林にて

 辺り一面、ちらりと雪化粧をかぶる山の、夜。

 地面に構えられた焚火の周りに、荷物が置かれている。

 一見すると、そこに人が座っているかのように。

 

「……なっ!?」

「どういうことだ」


 小さく驚きの声を上げる、名も知らない男が二人。

 一人は手に長い鉄針を何本も持っている。

 もう一人は、細い糸か、縄かな?

 彼らは火の付近に荷物だけが置かれ、人がいないことに驚いている。

 目論見が外れた、と。


「一人は黙らせて」

「わかった」


 私の要求を聞いた翔霏(しょうひ)が、木の陰から躍り出る。


「い、いつの間に後ろに!?」

「クソッ!」


 襲いかかって来た鉄針の男を、翔霏の棍の突きが襲う。


「ぐぎゅ……ッ」


 喉を潰された男はそのまま悶絶して倒れ。


「ちいぃッ!!」

「ていてい、ていっ」


 もう一人の男の両手首と左膝の皿を、翔霏はバシバシバシッ、と立て続けに鉄棍でひっぱたいた。


「あ、ぐ、がああ……ッ!」


 目に見えて曲がったような骨折はしていないけれど、少なくともヒビは入っただろう。

 翔霏も鉄棍での力加減を徐々にマスターしつつあるな。

 頼もしい、好き。


「狩り場での騙し合いは苦手か。平原ならいざ知らず、山林の中なら私の庭だ」


 根っからの山育ちである翔霏が、地べたで苦しんでる連中を見下ろし、淡々と言った。

 そうです、この謎の男たちは、覇聖鳳(はせお)と赤目部(せきもくぶ)が共同で放った、暗殺者と思われます。

 ただの物盗りが、わざわざこんな面倒をかけて林の中まで子どもを追いかけて来ないからね。


「メエ!」

「そうだな、お前の手柄だぜ」


 おそらくドヤ顔をしているのであろうヤギを、軽螢(けいけい)が優しくブラッシングする。

 林の中に身をひそめて休憩中、誰よりも早いタイミングで、ヤギが異変を感じた。

 いつも聞き分けのいいこの子が、なにか不自然に落ち着かないそぶりを見せたのだ。

 疲れてるのになあ、と思いながら、軽螢と翔霏の指示助言に従い、焚火の周りに偽装を施したのである。

 なんとびっくり、風に揺れて木の枝が動き、まるで人が焚火を掻き回しているかのように見えるほどの、ハイクオリティなカカシが出来上がった。

 山育ち、恐るべし。

 私も秩父のお爺ちゃんのところで、もっとサバイバルに習熟しておくんだったよ。


「ともあれ、情報収集ですな。質問に答えてもらいましょうか」


 私は懐からゆっくりと毒串を取り出して、男から見えるようにちらつかせる。

 うーん、悪者過ぎるな、今の私の顔。


「舌を噛もうなどと思うな。その前にお前の歯を叩き折る」

「モゴッ!?」


 翔霏が相手の口に鉄棍の先を突っ込む。

 この時点で二、三本の歯は折れただろうけれどね、知ったこっちゃないや。 

 前歯が数本なくなった程度で、喋ることに影響はないし。


「なあおっちゃん、こいつら本気でおっかないからさ、大人しく従った方が良いぜ。ちゃんと答えれば傷の手当もしてやるよ。薬もたんまり持ってるし」

「メエエ、メエ」


 軽螢が宥めすかし、ヤギが優しく鳴いて癒やす。

 硬軟織り交ぜた私たちの態度に、相手は観念してくれた。

 それからゆっくりと、自分たちの背後情報を私たちに提供してくれたのだった。

 赤目部の個人名を色々言われたけれど、よくわからなかったよ。


「殺し屋がまだ来るってことは、私たちが死んだって情報は広まってないってことだよね」


 尋問を終えて、私たちは場所を移す。

 情報戦に時間がかかるのは、仕方のないことだな。

 私たちを襲ってきたあの二人には、約束通りに傷の治療を施して、放置した。

 この寒空の下で死ぬかどうかなんて、知らないし、責任も取れない。

 なにせこっちが命を狙われてる状況なのだ。

 無駄な人殺しをしたいわけでは決してないし、できる限り避けたいとは思うけれど、それにだって限度はあるからね。

 反省や償いは、全部終わった後で色々、重々、考えるとして。


「死んだ振りをする以上、しばらくは椿珠(ちんじゅ)の兄ちゃんが回してくれる小遣いも、受け取れないぜ……」


 軽螢が嘆くように、今は、目の前の状況に集中だ。

 十分な補給ができない条件で、目的を達成しなければならない。

 頭を整理するために、みんなへの確認のために、声に出す。


「輝留戴(きるたい)の委任票を持つ斗羅畏(とらい)さんを、覇聖鳳が狙う。その覇聖鳳を、白髪部(はくはつぶ)のみなさんや、私たちが狙う」


 入り組んだ形の囮作戦になったとはいえ、構造や目的自体はシンプルだ。

 騙された覇聖鳳が斗羅畏さんというエサに食いつけば上々。

 手頃な場所に覇聖鳳をおびき寄せて、包囲してタコ殴りだ。

 もしそうならなかったとしても?

 覇聖鳳は自分が選挙に参加する根拠である東の邑に自分の足で立ち寄り、委任票を受け取らなければいけない。

 大統である阿突羅(あつら)さんは東の邑を解放する名分で兵を起こしているので、邑の近辺が決戦の地になる可能性はあるな。


「俺はバカだから戦(いくさ)や兵法のことはわかんねえけどよォ」


 どこかで聞いたテンプレートのような前置きをして、軽螢が見解を述べる。


「邑のヤギたちを守るために山の獣を追っ払ったり、狩りで怪魔を追い詰めたりはしてたから思うンだ。覇聖鳳が上手い具合に食いつくかどうかは、斗羅畏って孫ちゃん次第だろうなって」

「どういうこと?」


 私の質問に、代わりに翔霏が答えた。


「あの孫、かなりやるようだが武威(ぶい)の気が溢れ過ぎている。覇聖鳳がそれを警戒したら、策は手筈通りに進むまい」

「そっか、気合いが入りすぎてると、逆に覇聖鳳がビビっちゃうよね」


 言われて私は、斗羅畏さんの顔と雰囲気を思い出す。

 離れたところから一目見ただけでも、阿突羅さんと同じく、なにかしらの迫力が丸わかりの青年だった。

 翔霏も武人としての視点で、斗羅畏さんは覇聖鳳に引けを取らない、あるいはそれ以上の傑物と評価していた。

 覇聖鳳にどれだけ獣じみた嗅覚と警戒心、危機回避の本能があるのか、それが問題だ。


「俺は、それでも覇聖鳳は食いついてくると思うけどな」


 軽螢は確信を持った顔でそう言った。


「どうして?」

「だって、こんなにおっかない麗央那が後宮にいるのに、知らないで突っ込んできたやつだぜ。あいつ、勘は良くねえよきっと」

「おっかないとか言うなし。あの頃はまだ人畜無害な侍女だったし。掃除と読書しかしてないし」


 失礼しちゃうわね、ホント。

 ま、後宮にいるときから、玄霧(げんむ)さんや翠(すい)さまから、こいつはきっとなにか、やらかすんじゃないかと警戒されてたんですけれど。

 そして私も、おそらく覇聖鳳は罠にかかるだろうと、ぼんやりとは思っていた。

 覇聖鳳は赤目部(せきもくぶ)の一派とつるんで色々と悪だくみをしているようだけれど、そのためにはどうしたって報酬、経済的利益がなければならない。

 後宮襲撃で大きな損失を被った覇聖鳳にとっては、今回の輝留戴(きるたい)への干渉と選挙工作は、かなり重要な意義を持っている。

 利益を最大化できるなら、そのチャンスに飛びつくはずだ。

 むしろ罠であることを理解しつつも、委任票だけでも奪えればと、ちょっかいをかけに来るのではないか。

 鞍上で考えをめぐらせていると、翔霏がおもむろに言った。


「嫌な感じだ。大きな獣か、怪魔が近くにいるのかもしれん。思い切り駆ければやり過ごせるだろうが」


 人通りの少ないところを選んで進んでいるので、怪魔に遭遇することも、ままある。

 倒したところでなんの得にもならない相手に、構っている場合じゃないな。


「じゃあ放置の方向で。時間がもったいないからね」


 私がそう頼むと翔霏は頷き、手綱の動きを変えた。

 競馬でいうところの「おっつける」騎乗方法で、お馬ちゃんはぐんぐんと加速する。


「メ! メ! メェッ!」


 軽螢を乗せたヤギも一生懸命に食らいつく。

 謎に快速スプリンターであるヤギくんの脚力なら、並の怪魔は追いつけないだろう。

 と、思っていた矢先。


「不味い! 頭を下げろ!!」


 翔霏が叫び、私と二人、お馬さんの背に這いつくばるように、上体を下げる。

 林の中からぶわあっ、と大きな影が突然、私たちの頭上を飛び越して行った。

 怪魔が横切ったのだろうか?

 大きいし、なにより、速い!

 全速に近い馬の脚で逃げ切れないなんて!?

 

「ブヒ、ヒヒーン!?」

「チッ、馬が怯えたか……軽螢、手間だが仕留めるぞ!」

「仕方ねえなあ」


 恐慌をきたして停まってしまった馬から降りて、私たちは怪魔に向き合う。


「ガルルルルル……」


 呻き声とともに、のそり、と動くその大きな体。

 私がかつて出会い、殺されそうになり、間一髪で翔霏に助けてもらったときの、巨大な狼そっくりだった。

 

「一匹だけなら……って、オイオイ、なんか聞こえるンだけど」


 怪魔を術で緊縛しようと、指を前に出して構えた軽螢が、顔を引き攣らせて言った。

 ただでさえ忙しい今この場に、私たちのとは別の、馬の脚音が迫って来ているのだ。


「新手の刺客か? よりによってこんなときに……!」


 翔霏が苦い顔で睨む前方。

 驚くような速さでこの場に躍り出てきた馬上の女に、私たちは見覚えがある。

 そうだよ、忘れられるわけもない、神台邑(じんだいむら)の仇、その首謀の一人。


「て、邸瑠魅(てるみ)!? じゃない。両目がある」


 長身、この真冬に薄着で褐色の肌を晒した女武者。


「馬に乗るのは下手みたいだねえ。軽く追いつけたよ」


 まるで三国志の関羽が持つようなゴツい薙刀状の武器を構え、私たちを見て嗤った。

 覇聖鳳の相棒にして、青牙部の兵から奥方と尊称されていた邸瑠魅に、そっくりの顔をした女だった。


「何者だ。邪魔をするなら殺す。気の毒だが手加減できる状況じゃない」


 翔霏の睨みをジメついた笑顔でいなし、女は言った。


「あんたらが翔霏と麗央那かい。あたいは緋瑠魅(ひるみ)。うちの妹をずいぶんと可愛がってくれたそうじゃないか。姉としてしっかり、お礼はさせてもらうよ。百倍返しでね」

「いえいえお気になさらず。お気持ちだけ十分にいただきますのでどうぞお引き取り下さい」


 本心からお帰り願うけれど、聞いてもらえない。

 そして、相変わらずスルーされている軽螢であった。

 前門に邸瑠魅の姉、緋瑠魅。

 後門に狼の怪魔。


「翔霏~、早く片付けてこっちも頼むぜ~。直直如言(ちょくじょくじょげん)、封身縛土(ふうしんばくど)~!!」

「グル、グガアァッ!?」


 手指で印を結び、呪言を口にして怪魔を封ずる軽螢。


「両目が開いてる分、妹よりは使えそうだな。一人で来る時点で同じ程度に阿呆(あほう)なのだろうが」


 珍しく真剣みを帯びた瞳で、鉄棍を構える翔霏。


「フフ、聞いていた通りに口が悪いねえ。父ちゃん母ちゃんの愛情が足りなかったのかい?」


 それに負けじと悪態を返す緋瑠魅。

 翔霏のこめかみに血管が浮くのが見えた。


「時間もないからな。楽に殺してやる。ありがたく思え」


 知ってか知らずか、実の両親と離れて暮らしている翔霏の逆鱗に触れる発言だった。

 きっと私たちに刺客を放つと覇聖鳳から聞いて、それなら自分が、と名乗り出たのだろう。

 彼女から見れば、私たちこそが可愛い妹の未来を奪った仇なのだから。

 明け方の林の中。

 それぞれの復讐を胸に抱える二人の女が、烈しくぶつかり合うのだった。

 

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