七十四話 胡坐の夕餉

 店の軒先に、大量の切った大根を干してある居酒屋。

 秋冬の風物詩やのう、と思いながら、私たちは素性の怪しい坊主を引き連れて、中に入る。


「おぬしら宛てに二つ、文(ふみ)を預かっておる。一つは尾州(びしゅう)の除葛(じょかつ)から、もう一つは毛州(もうしゅう)で放蕩を決め込んでおる、ろくでなしの色男からじゃ」


 腰を落ち着けるなり、蒸留酒の発酵茶割りを注文する生臭坊主。

 星荷(せいか)と名乗る彼がそう切り出した。

 まず最初に、毛州は環家の椿珠さんから私に書かれた手紙を受け取る。

 封が開いてないので、こちらは私個人への親書だ。


「なんでお前が大事な文を預かっているんだ」


 私に付き合って禁酒中の翔霏が、羊のミルクで煮出したお茶を飲みながら、星荷さんに問う。


「沸の僧はどこにでもおるし、どこにでも赴くからのう。こうやって行き交う文を預かることも多い。百憩(ひゃっけい)の知り合いと言うなら尚更じゃ」


 翔霏がさっき言っていたことを引き合いに出して、星荷さんはしれっと答えた。

 沸のお坊さんは、各地を布教する合間にメッセンジャーの役割も担っているのか。

 黄指部(こうしぶ)の大邑(だいゆう)を私たちが旅の間に経由するということは、椿珠(ちんじゅ)さんはもちろん知っているし、姜(きょう)さんにとっても想定の範囲内だろう。

 とりあえずはこの人の話を聞かないといけないのだな。

 私はげんなりしながら、諦めの境地で、手紙の内容について尋ねる。


「どんなおせっかいを、除葛軍師はわざわざお手紙に書いてくれたんですかねえ」


 もう一通の、姜さんが出した手紙。

 それに関しては、星荷さんと私たちで、内容を共有するものなのだろう。

 酒のアテにギンナンの実をかじりながら、星荷さんは答えた。


「先に言った通りじゃわい。東へは行くな。北西に行くなら手を貸してやれ。それ以外は好きにしろ。要点としてはそれだけじゃな。地図は持っておるか?」


 言われて翔霏が、渋々と座の中央に周辺地図を広げる。

 このお店は椅子とテーブルを使わず、客は直接、敷物の上に座るスタイルだ。

 ヤギの一匹くらいなら店内の土間に同席しても良いという、大らかな空間である。

 地図を指し示しながら、星荷さんは改めて、戌族(じゅつぞく)の勢力分布を教えてくれる。


「このまま北東に進めば、白髪部(はくはつぶ)の領域を越えて、青牙部(せいがぶ)の連中の集落がある。逆に北西に進を取れば、赤目部(せきもくぶ)の暮らす土地じゃな」

「そンなこと、今更言われなくても地図を見りゃわかるよ」


 軽螢が菜っ葉の漬物と切り干し大根をかじりながら、つまらなさそうに言う。

 保存性を高めるためか、非常に濃い塩味と乳酸菌発酵の酸味を持つ、言うなれば野菜の塩辛である。

 あぶった骨付き羊肉に合わせると、マジ最高。

 黄指部は美味しいものが多いなあ、と料理に舌鼓を打ちながら、私は星荷さんの話を適当に聞いている。

 早く椿珠さんから貰った手紙を読んで返事を書きたいんですよ、こっちは。

 まだるっこしい話は抜きにして欲しいので、私はさっさと説明の先を求めた。


「なんで北東方面に行っちゃダメなんですか? いや、ダメって言われても行くんですけどね、当初の予定から」

「戦(いくさ)が起こるからじゃ。巻き込まれておぬしらに死んで欲しくないと、除葛の若造は思っておるんじゃろう。その心配を汲んでやれィ」

「え、ちょっと待って意味わかんない」


 戦争?

 戌族の白髪部、及び青牙部の勢力圏である、昂国(こうこく)から見れば翼州と角州(かくしゅう)の北に広がる高地。

 そこで一体、誰と誰が戦争を起こすと言うのだろう?

 分からないだろう、だから教えてやる。

 そんな意図が透けて見えるドヤ顔で、星荷さんは続けた。


「もうじき、白髪部の頭領を決め直す『輝留戴(きるたい)』という大会議が行われる。白髪部の有力者が一堂に会して、今までの頭領を据え置くか、新しい頭領を戴くか、それを話し合う大きな集まりじゃ」

「は、はあ。それがどうかしましたか」


 キルタイというのははじめて聞く言葉だけれど、要するに大統領選挙なわけだな。

 翔霏が首をひねりながら口を挟む。


「白髪部の頭領と言えば、翼州の軍と睨み合っていた、あの勢力か。しかしあの連中は、翼州角州の軍と講和を結んで、ことなきを得たはずだ。今になってなにか騒ぎを起こすとは思えん」

「俺、遠目に見たことあるぜ、白髪部の首領さん」


 翔霏と軽螢が少年義兵を引き連れて、翼州で流浪していた時期。

 それは玄霧(げんむ)さんたち昂国の軍が国境沿いに多数集まって、戌族の軍団と睨み合っていた時期でもある。

 戌族の軍勢、その主力を担っていたのが白髪部だ。

 要するに白髪部と昂国は、小康状態にあるわけで、いきなり戦争がおっぱじまると言う話は、考えられない。

 しかし私たちの想定と別の側面から、ことが起こるということを星荷さんは言った。


「その大会議、輝留戴を覇聖鳳(はせお)は襲撃するつもりじゃと、除葛の若造は読んでおる。現場は混沌の極みになるじゃろうて、近寄るなと言う警告じゃな」

「覇聖鳳が来るのか!?」


 食器をぶちまけて、翔霏が立ち上がった。

 店中の注目を集めてしまい、私は慌てて翔霏の体を抑える。


「どうどう、翔霏、ステイ。大声は良くないよ。他のお客さんの迷惑にもなるし」


 私が座らせようとしても翔霏の体はびくとも動かない。

 体幹が、体幹が凄い、鍛えられてるネ!

 座る代わりに翔霏は私の目をキッと見据えて、低い声で言う。


「麗央那(れおな)、これ以上の機会はないぞ。白髪部を覇聖鳳が襲おうというのなら、そこに必ず隙が生まれる。どんな獣も、エサを喰おうとしている瞬間こそが狙い目なんだ」

「そ、それはわかるけど」


 翔霏の言うことは、狩りにおける真実である。

 理由はわからないけれど、覇聖鳳は白髪部を攻撃しようとしている。

 人間だれしも、いや生きとし生けるものみな、攻撃と防御を同時に行うことは難しい。

 覇聖鳳がなにかを仕掛けようとするそのタイミングは、覇聖鳳を仕留める最大のチャンスでもあるのだ。


「状況がわかんねーのに、ホイホイ飛び込むワケにも行かねーだろがよォ。せめて、覇聖鳳がどうして白髪部の会議を襲うンか、それくらいは知っておいて損はねーと思うぜ」


 羊肉をかじりながら、冷静な意見を軽螢が提示した。

 覇聖鳳を倒しに行く、それはもちろんのことだけれど、情報は大事だ。

 ふんすー、と翔霏は苦い顔で納得の溜息を吐き、敷物に座り直した。


「やれやれ、とんでもない殺気を放ちおる。そこらの怪魔程度なら泣いて逃げ出すじゃろうて」


 呆れたように言って、星荷さんが言葉を続ける。


「おぬしらも言うように、白髪部と昂国の軍はすでに講和を結んでおる。しかし、勝手にそんな講和を結んだことに、覇聖鳳たち青牙部はいちゃもんをつけておる、というのが今の状況じゃ」

「元はと言えば、覇聖鳳が撒いた種で揉め事が起こったのに。どんだけ理不尽なんですかあいつ」


 私は唖然とするしかない。

 戌族と昂国がこれ以上の争いを深めないために、白髪部のお偉方さんたちや、除葛軍師を中心とした昂国軍は、双方の妥協点を模索して講和したはずだ。

 いわば青牙部の尻拭いを白髪部がしてくれたわけで、感謝こそすれ因縁をつけるというのは、まったく意味が分からない。


「自分の知らぬところで勝手に話を付けられたのが、覇聖鳳にとっては気に入らんのじゃろうな。次の輝留戴の選挙に、自分も出させろと白髪部に詰め寄ったそうじゃ。相手にはされんかったがの」

「当然だな。白髪部としてはそんなことを言われてもいい迷惑だろう」


 翔霏が憮然として言い捨てた。

 しかしその話を聞いて、軽螢が難しい顔で零す。


「……覇聖鳳たち青牙部は、先祖を辿れば白髪部の分家のはずだ。輝留戴に参加する資格はある、ってゴネ出せば、面倒なことになるゼ」


 星荷さんが笑って答える。


「まこと、その通りじゃ。よく知っておるのう。おぬし、名はなんと云う?」

「神台邑(じんだいむら)の、応(おう)だよ。長老だったじっちゃんたちから聞いたからね。北方のことも少しは知ってるンだ」


 私たちが神台邑の関係者だということまでは知らなかったのか。

 このとき、はじめて星荷さんは目玉が見える程度に瞼を開いて、その奥にある赤い瞳をさらけ出した。


「これは驚いた。おぬしら、いつか翼州を襲った病疫と、先だっての覇聖鳳の襲撃、その両方を生き延びたのか」


 煌々と輝く赤い目で私たちの顔をまじまじと見つめる星荷さん。

 その妖しい光に思わず、我を忘れて見入ってしまったけれど。


「あ、私は神台邑の生まれ育ちじゃありません。短い間、お世話になっていただけで」


 ハッと気を取り戻し、そう答えた。

 神台邑が流行り病に見舞われたとき、私はそこにいない。

 そんな私に対して、星荷さんはこのように言ったのだ。


「なら、おぬしの背中にうっすらと見えるどす黒い炎は、いったいなんとしたことじゃ。死神か守り神かは、ワシにはわからんがの」

「いや、知らんし」


 素で返してしまった。

 え、なにか背中に悪いモノでも憑りついてるの、私?

 混乱している私を前に、星荷さんはなにかに納得するようにうんうんと頷く。


「尾州の麒麟と言えど、見えぬものは測りようもないということかのう。これが見えておったら、果たしておぬしらの東北行きを止めておったかどうか」

「分かるように教えてくれませんかね。結局、私たちが白髪部や青牙部の土地に行くのは、いいんですか? ダメなんですか?」


 どっちなんだい!?

 と二者択一を力強く迫る勢い。

 こいつもこいつで、訳のわからんことを言って人をケムに巻くクサレ坊主の一員か?

 私たち三人が疑いの目を向ける中、星荷さんは立ち上がり、言い残した。


「とりあえずは毛州の金持ちから来た手紙を読むことじゃ。その上で考えることじゃな。ワシにできることがあれば、場合によっては力を貸さぬでもない」


 そして、一銭も代金を払わず、夕陽が染める大邑に消えた。

 星荷さんの去ったあと、私は夕食の続きを食べながら、貰った手紙の封を開けた。

 椿珠さんの雅号、ペンネームと思われる「怯豹(きょうひょう)」という署名が記されている。

 簡単な挨拶に続いて、以下のような叙情詩が添えられていた。


「南の庭に、白く美しい琵琶の花が咲き誇っている。

 赤い瞳の旅人が花を盗むため、垣根を越えて庭に入ろうとした。

 しかしまあ、なんと哀れで愚かなことだろうか。

 垣根で足を踏み外し、頭から落ちて死んだとさ。

 他のものに対しても、戒めになればいいのだが」


 ふむふむ、なるほど?

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