七十五話 冬はつとめて
環家(かんけ)の妾腹、三弟(さんてい)と通称される椿珠(ちんじゅ)さん。
彼から貰った手紙にある、華やかなのか物騒なのか分からない詩。
「どういう意味なン?」
私の横から手紙を覗き込んだ軽螢(けいけい)が訊く。
ちょ、女子にいきなり顔を寄せるの禁止。
ドッキリしちゃうでしょ、こちとらガリ勉の極まった喪女なんだから。
「南の白い花ってのは、尾州にいる姜(きょう)さんのことかな」
私は平気なツラをなんとか装って、翔霏(しょうひ)と軽螢の二人に、詩の背後に隠された情報を説いて聞かせる。
「多分、戌族(じゅつぞく)の赤目部(せきもくぶ)から姜さんに向けて暗殺者が来たけど、見事に撃退できたみたい。でも後続で次々に刺客は来るかもしれない、って心配してるのかなあ」
手紙の末尾には、椿珠さんの文字通り手形がべったりと押されている。
黄指部(こうしぶ)の大邑にある両替屋さんに行けば、旅の資金をいくらか受け取れるらしい。
ありがたや~。
持つべきものは金払いのいいスポンサーであるな。
「こっちの手紙にはなんて書いてあるんだ」
内臓の生姜煮込みをモリモリと食べながら、翔霏が二通目の手紙について触れた。
アツアツの肉と脂身を口いっぱいに詰め込み、ときおり目を細めて幸せそうな顔をしている。
たくさん食べるきみが好き。
こちらの手紙は、天パ糸目の生臭坊主、星荷(せいか)さんが去り際に置いて行ったものだ。
既に開封されているので、星荷さんも内容は知っているということだ。
特徴的な丸い文字で書かれた内容を、私は確認する。
「久しぶり、っちゅうほどでもあらへんね。元気にしとるかな? 僕は変わらず元気や。変な客がたまに来るけど、まあどないっちゅうほどのこともないわ」
そんな書き出しでユルく始まる手紙。
自分のもとに暗殺者が来ていることをほのめかしながらも、文章は至って平易である。
命を狙われるくらい、日常茶飯事なんだろうな。
続きを読むと、星荷さんに戒められていた、その内容も記されている。
「白髪部(はくはつぶ)の輝留戴(きるたい)が近付いとる今、青牙部(せいがぶ)と白髪部の間に不自然なほど間者(かんじゃ)が行き来しとるんや。万が一を考えたら、そっちに行くっちゅうんは危なすぎるさかい、わざわざこうして文(ふみ)を書いたわけや。またいつか、お互い元気で再会したいでな」
じんわり優しく説き伏せるような文言に、思わず胸が温かくなり、目と鼻にこみ上げるものを感じる。
ふ、ふんだ、こんな手紙一通で、ほだされたりしないんだからネッ。
あんたが一度は翠さまを死なせようとしたことを、私はいつまでもネチネチと怨んでやるんだから。
中に書かれている間者と言うのは諜報員、スパイである。
青牙部と白髪部の間で相手を貶めあう情報戦や、輝留戴を邪魔しよう、有利に運ぼうという駆け引きが活発に執り行われている、ということだな。
それを知っているということは、姜さんもその方面にスパイを放ちまくって、情報を集めているということだ。
手紙の後半には、こう書かれている。
「赤目部と覇聖鳳(はせお)の繋がりは、僕の方でも調べを進めとるんや。央那(おうな)ちゃんさえ良ければ、そっちに合流して赤目部の側から、覇聖鳳の情報や動向を調べて欲しいねん。遠回りにはなるけど安全で確実やと、僕は思っとるんや。どない?」
なるほどなるほど。
赤目部の村落にも自分の手がかかった情報員がいるので、その保護を受けながら調査協力なり策謀の手伝いなりをして欲しいと、姜さんは言っているのだな。
一通り読み終えて私は、軽螢と翔霏の顔色を窺う。
翔霏はごちそうをしっかり食べて満足した顔で。
「却下だな。モヤシ軍師の都合なんぞ知らん」
そう言い切った。
白髪交じりの青白い痩せっぽちだから、モヤシ軍師か。
言い得て妙だ、私も今後、使おう。
一方の軽螢は、腕を組んで難しい顔で考え、言った。
「多分だけど、あの星荷って坊さん、赤目部の出身なんじゃねえかな。伝わってる話の通りに、目が真っ赤だし」
安直なネーミングだけれど、戌族の赤目部は西国からの移民や混血のため、赤毛赤目の人が多いらしい。
星荷さんは普段、瞼の奥に光る赤い瞳が見えないくらいの糸目を貫いている。
それは赤目部と関係が良くない黄指部の邑で布教、托鉢を行う際の、自己防衛なのではないか。
「私もそれは思ってた。赤目部側から覇聖鳳の情報を集めるなら、自分が案内役としても助力できるぞ、ってことなんだと思う」
それらの見解を踏まえた上で、軽螢は大らかに言った。
「俺は麗央那(れおな)の判断に任せるよ。大丈夫、大丈夫。どっちに行っても、なんとかなるさ」
お、久しぶりに軽螢の「大丈夫」が出たな。
うん、どっちを選んでも、三人一緒なら、大丈夫。
なんにもない、ちんちくりんの私だけれど、この絆だけは、世界一の宝物だ。
「じゃあ私、椿珠さんへのお返事を書きながら考えるから、二人とも、それでいい?」
「ん」
「いいよ」
私たちは食事を切り上げて、たまの贅沢に宿を取って寝ることにした。
小さな文机と筆記用具を宿で借りて、椿珠さんへの返事を書く。
詩で情報を教えてくれたのに対し、遊び心を交えて、詞(うた)のような文章で返そう。
「青い牙持つ山犬が、寒さに震えて哭いたとさ。
通りがかりの金持ちが、綿(わた)の羽織をあげたとさ。
恩も知らずに山犬は、相手の喉を噛んだとさ。
金持ち息子は泣き濡れて、犬はさっさと逃げたとさ」
なんだか文通みたいだな、って言うかそのまんま文通だわ。
真意はもちろん、環家と青牙部の繋がりを探って欲しいと言う、私の希望を潜ませたものだ。
同時に、青牙部との商売を環家がこそこそ続けていたら、お家に害があるかもしれないという警告も兼ねている。
姜さんもある種のスパイを使って国内の不穏分子や、戌族のことを調べているわけだし、その手が環家に回ることは大いにあり得るのだ。
私の想像では、現在進行形で昂国(こうこく)の情報機関は、環家を調査する方向にもうすでに動いているはずだ。
環貴人が皇帝陛下の寵を受けていなかった理由が、ここにあるのかどうかは、まだわからないけれど。
「部屋の中、暑くないか?」
私が書き物に奮闘している背後で、翔霏が言った。
寝ようとして毛布をかぶっていたけれど、それを跳ね除けている。
確かに真冬だというのに、宿の部屋はとても暖かい。
翔霏は冷え性にまったく縁がない、常時ほかほかガールなので、逆に暑いのは苦手でなのである。
「一階で焚いてる暖房の煙突が、二階の各部屋を通過してるんだね。寒い所の知恵かあ」
オンドルとか炕(カン)とか一部地域では呼ばれる形式の暖房装置だな。
どうせ上に逃げて行く煙突の暖気なんだから、逃げる前に部屋を暖めれば一石二鳥だ、という発想だろう。
筋肉も脂肪も少なく冷え性気味の私にはありがたい様式である。
けれど、涼しいなら涼しいなりに我慢したり、布団をかぶったり厚着すればいいと考える翔霏にとって、この部屋は暑すぎるようだ。
北海道の人も、冬場は部屋の中をガンガンに暖かくすると言う。
寒さの厳しい地域にはありがちなことなので、順応するしかない。
「一階が店じまいして暖房を消せば、いくらかマシになると思うよ」
「そう言うものか……」
結局、翔霏は下着も脱いですっぽんぽんの有様になり、毛布をひっかぶって寝なおした。
どうして翔霏は、あんなに黒々艶々した髪の毛が豊かにあるのに、首から下の体毛が。
いや、他人さまの体についてどうのこうの言うのは良くないのだ。
普段は見えないところに毛があろうとなかろうと、どうでもいいではないか。
「ヤギのいびきがうるさ過ぎた」
「メェ~?」
明けて早朝。
そんなくだらない報告を軽螢から私は受ける。
結局はスッキリと眠れたらしい翔霏も交え、私たちは大邑の中心にある広場へ。
ここで星荷さんと待ち合わせる手はずになっている。
北東方面、白髪部や青牙部が暮らす地へ行くのか。
それとも逆の北西方面、赤目部の領域へ、言われたとおりに進路を変更するのか。
私の心は決まっていたのだけれど、あの生臭坊主、なかなか現れやしないな。
「おいおい、人死にだってよ」
「喧嘩か? 強盗(たたき)か?」
広場に集まっている人の声から、穏やかでないことが聞こえた。
人の流れに乗って、なにごとが起こったのか、会話を拾いながら私たちも現場に向かう。
「なんだ、乞食坊主か」
「酔っ払って寝てたんかねえ」
辿り着いた路地裏。
ゆったりとした法衣を着た、小柄な男性が、錫杖を片手に握ったまま、地面に突っ伏し、死んでいた。
昨晩に見慣れた、天パ頭。
驚いたように見開いたその目は、輝きを失ってなお、血のように赤かった。
「どうなってるんだ、これは」
怒りも混じったような、翔霏の困惑の声。
私たちは、星荷さんの遺体を前に、訳も分からず立ち尽くすしかないのであった。
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