七十三話 大きな邑と小さな僧

「一つ、気付いたことがある」


 丘を越え野を進み、戌族(じゅつぞく)は黄指部(こうしぶ)の中心と呼ばれる大邑(だいゆう)を目指す私たち。

 その途上で、翔霏(しょうひ)が唐突に言った。


「なに?」

「いかさま商人たちを叩きのめして思ったが、あの邑は荒事に慣れていない。全体的に平和で、争いも少ないのだろう」


 言われてみると確かに、と私も思った。

 私たちがちょっと物騒なことをしただけで、糖藤璃(ととり)さんたちは大きな拒否反応を示した。

 昂国(こうこく)の国境を越えた先には、荒ぶる騎馬部族の土地が広がっているものとばかり思っていた私は、大きな認識違いをしていたことになる。

 そこから導き出される結論の一つは。


「覇聖鳳(はせお)たち青牙部(せいがぶ)みたいな物騒な連中は、戌族の中でも一握り、ってことなのかな」


 私の安易な見解に、軽螢(けいけい)が疑問を呈す。


「あの邑は国境に近いから、たまたまそうだっただけじゃねーの?」

「そうとも言えるが、市場も無防備だったし、商人たちも喧嘩慣れしている風ではなかった。翼州(よくしゅう)の国境沿いの方が、まだ緊張感があったと思う」


 翔霏はそういうところも気を付けて見てくれていたんだな。

 場の空気が殺伐としているか、それとも平和で穏やかなのかと言うことは、正直言って、私は詳しくわからない。

 周囲の空気を鋭敏に察知して、危険が多いか少ないかを判断できるのは、翔霏が持つ天性のセンスだろう。


「でも奥に進んで行けば、もっと荒くれ者たちが増えてくる可能性はあるよね」

「そうだな。そのときにどう立ち回るか、今まで通りと言うわけにもいくまい」

 

 私たちがそんな話をしていた折。

 想定通りの光景が、行った先で広がっていた。

 とは言っても、悪い話、物騒な話というほどのことはなく。


「馬追いだ! すっげー数!」

「メエ! メエ!」

 

 軽螢と白ヤギが丘の上に走り出て、色めきだって叫ぶ。

 草も少なくなった広大な平原を、何百と言う数の馬に乗った戌族が、ものすごいスピードで駆けて行く。

 ドドドドドドドッ!! と連続して地面を揺らしかき鳴らされるギャロップが、私の体までを振動させているように感じた。


「遊びか、それとも訓練なのか?」


 目を凝らして先頭集団を見つめる翔霏。

 私は翔霏や軽螢ほどには目が良くないので、遠くを走る馬と騎手の様子はハッキリとわからないけれど。

 縦横無尽に平原を駆けて行く精悍な乗り手たちの顔は、笑みも混じっており、楽しそうではある。


「先頭のやつが、手に白い布を持ってる! 他のやつはそれを追いかけて奪い合ってるんだ! すげー! 頑張れー! よくわかんねーけど負けるなー!」


 今までに見たことがないくらいに、軽螢は興奮していた。

 こういうところはちゃんと、男の子なんだねえ。

 雲一つない晴れた日の大地に、美しく逞しい馬と、勇ましい戦士たち。

 天の下にこれほど素晴らしいものはあろうか、と言うシチュエーションである。

 必死に疾走(はし)る人馬の様子を、軽螢が早口で実況する。


「大外から一頭! 巨体の芦毛が馬群を抜けて飛び出した! 鞭が入る! ゴボウ抜きだ! 凄い追い込み脚だ届くか届くか!? 大きな馬体が背後に迫る! 先頭の鹿毛は必死に逃げる! 巨大な芦毛と小柄な鹿毛、疾風怒濤の追い比べ!! あ〜残念一馬身届かない〜!! 全開だッ!! 小柄な鹿毛が逃げ切ったッ!!」


 なんだこいつ、馬キチか。

 お姉さんはあんたの将来が心配だよ。

 まあしかし、男子ならずとも、タダでいいものが見られたなあ、と胸が沸き立つのは確かだ。


「大邑はもうすぐそこだ。おそらく彼らは黄指部の大人(たいじん)、子飼いの兵たちだろうな」


 地図を広げて現在地を確認した翔霏が言う。

 ずいぶんと昂国を離れたなあと、目の前に広がる馬追いの光景を見て実感する。

 そして翔霏は今、些細だけれど重要なことを言った。

 移動性集落を構えず、定住生活を採用している黄指部にとって、生産する市民と、戦士階級は別なのである。


「昂国と同じで、偉い人が兵士と平民を分けてるんだね。なにもないときは兵士も畑や羊の世話くらい、手伝ってるんだろうけど」


 中書堂の資料によれば、確か黄指部の戦士階級は、兵農一体の屯田兵みたいな立場にあるはずだ。

 農業や定住型の牧羊の合間に軍事訓練もこなす階層がいて、彼らは社会的な特権を持っていたりする。

 戦士団は大人と呼ばれる首長との個人的な契約関係によって形成されている。

 国の兵ではなく、あくまで大人の私兵なのだ。

 しかし、覇聖鳳たち青牙部は、構成人員のほとんどが、そのまま戦士職も担っていると言う点が異なる。

 季節ごとに移動して暮らす青牙部にとって、移動の最中に敵に会えば、それ即ち総力戦に突入する。

 必然的に老若男女の区別なく、戦えるものはすべて戦うしかない。

 覇聖鳳は彼らの統率者であるけれど、血筋や家柄の良さから推戴された王ではない。

 部族全体の会議と直接選挙によって選ばれた「大頭領」でしかなく、青牙部には身分の差もない、との話。


「とりあえず大邑に着いたら、椿珠(ちんじゅ)さんに手紙を書きたいな。運び屋さんか毛州(もうしゅう)に行く商人さんを探さないと」


 お馬さん競争を横目に眺めながら、私たちは歩みを再開する。


「そうだな。ゼニは足りているのか? 私にはさっぱりだからな、麗央那(れおな)がしっかりしてくれないと困るぞ」

「どうせだし金持ちボンにいくらか催促しておこうぜ。タカれるところからはタカっておかなきゃ損だ」


 三者三様、経済観念が全く異なる会話をしながら、私たちは黄指部の首都とも言える大邑に足を踏み入れた。


「おかげさまで、おかげさまで。どうもどうも、おかげさまで」


 邑の入り口に、なにやらニコニコと謎の感謝を呟きながら、鉢を持って突っ立ってる男がいる。

 乱れた天パの髪を持った、ヒゲのない男性だ。

 やたら背が低く、私と同じくらいしかない上に、大人か子どもかわからない顔つきである。

 眼を細くして、鷹揚に笑っていた。

 翔霏が冷めた視線で。


「なんだ、乞食坊主か」


 と、特段の興味も関心もなさそうないつもの口調で言った。

 え、乞食と言うと。

 要するに、托鉢の僧侶さんで。


「沸教(ふっきょう)のお坊さん?」


 関わり合いになるつもりも、投げ銭するつもりも今のところはないので、小声で聞く。


「おそらくそうだろう。まあ、どこにでもいる連中だ。珍しくもない」


 ミリほどの特別な感情を見せず、翔霏は先をすたすたと歩く。


「寒い中大変だね。これで甘酒でも飲んでよ」


 軽螢は、一番小さな銅銭を数枚、鉢の中に放り込んでいた。

 現在の日本円にして、その価値、約50円。

 縁もなにもないお坊さんに、十六歳の男子が寄進すると考えれば、妥当な金額であるな。


「おかげさまで、いやあどうもどうも」


 シャラン、と錫杖の先に付いた環を鳴らし、天パの坊さんは片手礼を軽螢に返した。


「無駄遣いをしたな」

「そう言うなよ。いずれ偉い上人(しょうにん)さんになるかもしれンぜ?」


 翔霏と軽螢は、深いこだわりもなくそう言い交わした。

 私が変に構えて、考え過ぎてるだけなのかな。

 どうも沸教の僧侶と言うと、ある特定の妖しい人物を思い出してしまい、フラットな気持ちを保てない。


「ごめん、二人とも、ちょっと待ってて」


 私は先を歩く二人にそう言って、入口に立つ糸目の天パ僧侶が構える鉢へ、同じく銅銭を入れた。


「これはこれは、どうも、おかげさまでございます」

「いえ。お勤め、ご苦労さまです」


 私は軽く会釈してその場を去ろうとしたけれど。


「なんじゃ、ワシには問答を吹っ掛けて来んのか。楽しみにしておったんじゃが、期待外れの小娘じゃな」


 柔和な笑みを崩さずに、ぶしつけな言葉を返してきた。


「はい?」

「おぬしが『中書堂の毒蚕(どくさん)』じゃろう。百憩(ひゃっけい)から文は届いておるぞよ。こんな寒空の下、突っ立っておぬしを待ち続けた、ワシの身にもならんかい」


 嫌あああああ。

 なんだかまた、気持ちの悪い坊主と縁が繋がってしまったぞ。

 しかも毒の蚕ってなんだよ。

 誰だよそんなあだ名を広めたやつはよ、出てこいよ、はっ倒してやるよ私が。

 そーゆーことを乙女に言って良いわけねーからマジで。


「いえ、人違いではないでしょうか。先を急ぎますので、これで」


 逃げは六十四の重要な計略の中で、最も貴しと泰学に言う。

 私はこれ以上の厄介ごとを抱えないためにも、誤魔化してやり過ごそうとしたけれど。


「待て待てィ。除葛(じょかつ)からも言付かっておる。おぬしが北東に行こうとすれば止めろ、北西に行こうとするなら助けろ、とな。あの若造め、偉そうに人をこき使いおってからに」


 しかもよりによって、どこぞの名軍師の差し金かよ。


「あの若白髪~~ッ!! ここで私の邪魔をしに出て来るのか~~!!」


 百憩和尚と除葛軍師。

 その二人から情報を預かっているという、またまた年齢不詳のニヤケ顔乞食僧。

 さすがに無視を決め込むわけにはいかなかった。


「ワシの名は星荷(せいか)、沸の僧じゃ。見ての通り金はないからのう。おぬしらの財布で、とりあえず居酒屋にでも行くとするか。詳しい話はそこでしてやろうぞ」


 小さい坊さんは強引に私たちの列に混ざり、勝手に私たちの財布を充てにしている。

 翔霏と軽螢はそれぞれ不満と疑問を隠さず、私に聞いてきた。


「麗央那、なんだこいつは」

「知り合いだったン?」


 私にも、わけがわからねーよ! 

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