七十二話 楽園の東、雲と風の果て
怪しい商人のおじさんと、手下二人を解放した私たち。
中々に価値の高い情報を得ることができたな。
あんな場所で長々と尋問していたら変に思われて騒ぎになるから、早めの撤収。
「嬢ちゃんたち、悪いことは言わねえ。覇聖鳳(はせお)なんかに深入りするな。火傷程度じゃ済まんぜ」
去り際にそう忠告されたけど。
「ありがとさん。おっちゃんたちの売ってる品も、モノは良いんだから変に胡散臭いマネしない方がイイよ」
「へっ、うるせえやい」
軽螢(けいけい)がそう言い、笑って手を振りながらおじさんたちを見送った。
まったく、お互いさまに余計なお世話過ぎて笑える。
「あの人たち、目立った怪我もないみたいだね。お見事な手加減でした」
「ふふん、そうだろう。私はデキる女なのだ」
翔霏(しょうひ)の手際を褒め讃えて、ドヤ顔を引き出してあげる私。
褒めて伸ばすのは大事です!
もっとも、翔霏や軽螢(けいけい)に限らず、神台邑(じんだいむら)出身の子たちは基本的に自己肯定感がとても高く、精神的に安定しているという共通点がある。
小さい頃から簡単な仕事を与えられ任されていることが、自立心や責任感の育成に好影響をもたらすのだろうと私は推測している。
自分が邑のみんなの役に立っていると実感して育つので、自信や達成感が醸成され易いのだ。
「そっかァ、請負ってのがあったんだなー……」
軽螢(けいけい)が珍しく、考え込んでいた。
おそらくは、神台邑の事件が起こる前のことに思いを馳せているのだろう。
覇聖鳳(はせお)がバカをやらかす前に、食料を多少でも分けてやれれば。
州の規約でそれは難しかったのだけれど、間に黄指部(こうしぶ)の商人を挟めば、上手く行ったかもしれない。
中間業者はピンハネをするものなので、神台邑の小さな規模では、どのみち上手く行かなかったとは思うけれどね。
「過ぎたことを気にしてても仕方あるまい。日が暮れないうちに次の邑に向かおう」
「メェ」
翔霏とヤギが歩き出し、私と軽螢も続く。
邑の北出口を通って、黄指部(こうしぶ)の領域を東北方面に進む予定だ。
環家(かんけ)と青牙部(せいがぶ)の関係については、椿珠(ちんじゅ)さんに手紙を出す機会に、それとなく探りを入れてみるか。
直接的なことを書いては検閲などがあった場合に怪しまれるので、詩歌の中に暗号を潜むような形で、遠回しに聞こう。
文芸への理解が深い人なので、きっと気付いてくれるはずだ。
なんだか奈良、平安貴族の短歌みたいだな、と思いながら歩いていると。
「あ……」
途中、ご家族と合流したらしき糖藤璃(ととり)さん、多汰螺(たたら)くんに鉢合わせた。
親御さん二人とも、姉弟によく似た優しそうな人たちだ。
市場でたくさんお買い物をしたらしく、大荷物を担いでいる。
「どうもお世話になりました。また機会があればそのときはよろし」
「は、早く出て行って!!」
私が挨拶すると、糖藤璃さんが恐ろしいモノを見るような目で、そう叫んだ。
「え、あの」
唐突な完全拒否姿勢に、私は固まってしまう。
「ま、まだ子どもだって言うのに、あんな涼しい顔をして、平気で恐ろしいことをやってのけて! 国境の向こうには笑って人の首を狩る、人の姿をした怪魔がいるって本当だったのね! 早く、早くこの邑から、出て行ってよ! もう二度と来ないで!!」
「糖藤璃さん……」
軽螢が泣きそうな顔で呟いた。
ああ、そうか。
私たちは、化物だと思われてしまったのか。
同じく人の姿を取っているけれど、中身はまるで自分たちと違う存在なのだと。
私たちがおじさんを脅迫して締め上げているところも、ひょっとして見られていたのかな。
「まじん、出てけー」
多汰螺くんも幼い顔に怒りの色をはっきりと表し、石をこっちに投げた。
指の先ほどの大きさしかない、ほんの小石。
それも私たちには届かずに、地面にぽつりと落ちたけど。
「うん、もう行くから。お邪魔しました。もう二度と、この邑には来ません」
痛すぎた。
心が痛すぎて、泣きそうになり、私はその場を離れた。
肩を落として、とぼとぼと歩く私と軽螢。
翔霏が真ん中に割り込んで来て、ガッと私たちの首に両腕を回した。
「こういうこともある。泣きたいときは、泣いていいんだ。思う存分泣いて、また進めばいいんだ。涙なんて、すぐ乾くからな」
一つ年上だからと言うだけで、必死に姉代わりを努めようとする彼女。
その優しい許しを得てしまい、私の両目は決壊した。
覚悟を決めて、望んで旅に出たけれど。
後悔なんて、微塵もありはしないのだけれど。
哀しいものは、哀しいのだ。
私たちは怪魔じゃなく、人間なのだから。
「う、うっぐ、ふぐ、うううう。うええええん。魔人は私のことじゃないのにいいぃ」
「いいところだったのになあ……糖藤璃さんにも、嫌われちまったかなあ……」
「メェ……メェ……」
顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくる私と軽螢を、翔霏とヤギが温かく慰めてくれるのだった。
神台邑に似た空気のある、賑やかで幸せな邑。
殺意と言う果実を食べてしまった私たちは、土色の楽園を追い出されて、東に広がる荒野を行く。
この雲と風の向こうに、約束の地はあるのだろうか。
「クソッ、砂が目に入った」
瞳を濡らしながらも、私たちの前では必死に強がる翔霏。
いつも無表情で無愛想な彼女だけれど、この邑をとても居心地のいい場所と感じていた気持ちが、体温とともに伝わってくる。
そんな素敵な邑で、可愛らしい顔をして遊ぶ豆腐屋の息子が投げた、小さな小さな石の軌道。
おそらく私は、それを死ぬまで忘れられないのだろうなと思った。
「この酒、今日のうちに全部、飲んじまおうぜ」
雨風をしのげそうな岩のくぼみに寝床を定めたとき。
軽螢がそう言って、お酒の詰まった革水筒の栓を開けた。
そう、糖藤璃さんの家で作っているという、乳糖酒だ。
好みのお姉さんに振られたから、その夜にヤケ酒とは、わかりやすい男である。
「そうだな。ここですっぱり、飲んで忘れるか」
お酒に酔うことを嫌う翔霏も、このときばかりはゴキュゴキュと喉を鳴らして。
「美味いッ。きっと覇聖鳳を殺した夜の酒は、もっと美味いだろうな!」
物騒だけど、景気のいいことを言って笑うのだった。
私も軽螢もお酒を水筒から直に回し飲みをして、ぐびぐびと、まさに煽るように飲んだ。
あ、ちなみに昂国(こうこく)の法律では、お酒を飲むのに年齢制限はありませんので。
慣習的に、十六歳未満は飲まないようにしましょう、という世間の目があるくらいです。
なぜ十六歳なのかと言えば、もちろん二進数でキリのいい数字であり、そこが大人の入り口とみなされるからだ。
そもそもここは国境の外であり、弱い酒なら若者でも飲んで構わないという認識があるからこそ、糖藤璃さんも私たちに酒を勧めたのだ。
「北原(きたはら)麗央那(れおな)、ここに宣言します!」
甘酸っぱく美味しいお酒を一気飲みして、気分が大きくなった私。
肩を寄せ合う仲間二人に、高らかに告げる。
「お、なんだよなんだよ」
「次の目的地での指針が決まったのか」
酔いと眠気でとろんとした目の軽螢と翔霏をギャラリーに、私は立ち上がり。
「次の夏までに、必ず、覇聖鳳を殺します! なにがなんでもやり遂げます! みなさま、篤いご支援の程を、よろしくお願い申し上げます!!」
そう叫んで、深くお辞儀をした。
パンパン、と翔霏が膝を打つ。
「その意気だ。私にできることは、なんでもしてやる。一緒に、覇聖鳳を殺そう」
軽螢もピューと指笛を鳴らし、手を叩いて囃し立てた。
「一世一代の、大舞台だな。終わったら翔霏の父ちゃん母ちゃんにも、自慢しに行こうぜ。新しい芝居の演目になるかもしれねえよ」
目標をはっきりと口に出したことで、しょげて沈んでいた私の心が、むくりと鎌首を上げるのを感じた。
なぜ、リミットが夏なのか。
それはもう、言わなくても二人には伝わっている。
覇聖鳳よ。
聞こえやしないだろうけど、心の中で聞き取り、恐れおののけ。
あの夏の日から数えて、お前の命が季節を一巡りすることは、決して、ない。
例え天が、神が許しても。
お前が同じ夏を迎えることを、この私たちが許さない!
「今日の悲しみだって、八つ当たりで全部、覇聖鳳にぶつけてやる。もとはと言えば、こんな思いをするのも全部、あいつのせいなんだ。砂埃がひどいのも、私の背が伸びないのも、全部全部、あいつのせいってことにしてやる。積もり積もった恨みを思い知れ」
「麗央那、酔ってンな?」
「酔ってねえ! そこのデカ尻好き! 酒持ってこい!」
「尻はどうでもいいだろ……」
「きみたちにも勧めよう、さらに飲み尽くそうではないか、さあ酒をもう一杯」
「目が据わってるな。麗央那は絡み酒だったか」
「翔霏~。今日は寒いからくっついて寝ようね~」
「メエェ、メエ」
「ヤギは軽螢と寝なよ。女の子は女の子同士、男の子は男の子同士で寝るのがいいと思うの」
など、途中から私はわけがわからなくなり、話していた内容の半分は覚えていない。
起きたあと、二人とヤギの視線が、なんだかよそよそしい気がするけど。
再びの二日酔いで、頭ガインガインなので、気にしている余裕はなかった。
「麗央那……」
気分もマシになって来た、昼ごろの道中。
翔霏が偉く真面目な声色で、私に語りかけた。
「なに?」
「覇聖鳳を殺すまで、もう、酒は禁止だ」
はい、重々、心得ました。
このたびはまことに、わたくしめの不徳の致すところ大にして、申し訳ございません。
酒癖悪いの、完全にお母さん譲りだなあ。
微妙な空気の流れる中、とぼり、とぼりと、私たちは荒野を往くのであったとさ。
トホホ~、もう深酒はこりごりでヤンス~~。
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