七十話 黄土の市に宝物は眠る
若干の二日酔いを抱えつつの、早朝。
私たちが向かうは、素乾望楼(スカンボーロー)の市場(フェア)である。
土を固めて作られた擁壁、土塁と、木造三階の立派な高楼がそびえ立つ前に、広場が設けられている。
簡易テントや売り台を構えた店、地べたに敷物を広げただけの店、大小さまざま並んで、あれやこれやの物品を売り買いしている。
「一昔前、昂国(こうこく)毛州(もうしゅう)を根拠とした素乾氏と、ここ黄指部(こうしぶ)が争っていたときに、物見櫓や兵隊の詰所として作られたのが、素乾望楼なんです」
ガイド役として同行してくれた糖藤璃(ととり)さんが教えてくれた。
弟の多汰螺(たたら)くんは、ご両親と一緒らしく、ここにはいない。
素乾氏と言えば名門中の名門で、後宮にも確かその姓を持つお妃さまがいたな。
と言うか。
「せ、正妃さまのご実家の、素乾家ですか!?」
今上皇帝陛下の第一妃たる、素乾家出身の零樹(れいじゅ)さま。
彼女のご実家である素乾家にまつわる歴史的建造物が、ここの邑に今もそびえ立つ望楼なのだった。
素乾氏の軍勢を警戒するための高楼だから、この名前なんだね。
「そうです。先の大乱で毛州を抑えていた素乾家と結びつきを強めたことで、環家(かんけ)は商いを広げたと伝わっています。乱世が終わり太平の世が成ってからは、その恩恵を黄指部も大いに受けました」
なるほど、黄指部の土地が昂国の環家と結びつきが強く、商売も盛んなことには、そういう経緯があったんだな。
昨日の敵は今日の友と言ったりするけれど、戦争というのも一つの経済的な交流である。
戦っている間にも人や物資、情報は相互に行き交い、お互いに影響を受け続け、やがて似た色に染まっていくものだ。
黄指部と毛州は戦争からの和平という物心両面の交流を経て、次第に関係を深め、似た色の文化や生活様式を持つようになったんだな。
「難しい話は後にして、なにか美味いモンでも漁ろうぜ。って翔霏(しょうひ)が言ってるよ」
「どうして私におっかぶせるんだ……」
軽螢(けいけい)と翔霏が、食べ物の匂いにつられて、フラフラと市の真ん中へ進む。
私と糖藤璃さんもそれに続き、珍しいものをウインドウショッピングしながら、たまに買い食いをして歩く。
途中、威勢の良い呼び込みの声が聞こえた。
「さあさあご通行中のみなさま方! これは見ておかないと損するよ! なんとびっくり、河旭城(かきょくじょう)の朱蜂宮(しゅほうきゅう)から、訳あって流れてきた極上のお宝だからねえ!!」
「後宮の!?」
くわ、っとつい反応してしまった私。
見ると、髭もじゃ顔で大きな毛皮の帽子をかぶった厳ついおじさんが、敷物の上にある商品を大声で売り込んでいた。
背中に大きな湾刀(わんとう)を携えた、熊のような巨漢である。
並んでいる品々を私はざっと見る。
「絹の織物と、香炉かな? こっちは銀の人形かあ」
「この玉飾りのついた櫛、綺麗ですね……」
糖藤璃さんも興味を示したように、パッと見たところ、素敵なものが並んでいる。
この玉櫛を飾る翡翠(ひすい)も、見た感じ本物っぽいな。
店主の風貌はともかく、品物はどれも素晴しく上品でお洒落だ。
もっとも私は審美眼に乏しいので、工芸品、宝飾品の良し悪しに関しては、軽螢の方が格段に見る目がある。
私は店主のおじさんに確認のため、聞いてみた。
「訳あってと言うと、どういう経緯で流れて来たんでしょうか」
「お嬢ちゃんに言ってもわからないだろうけどなあ? こう見えて、河旭のお偉方には顔が利くもんでね! 由緒のしっかりした、確かな品ばかりさ!」
ふーむ。
後宮は北苑(ほくえん)の工事のために、一時的に大勢のお妃さまが出て行って、別の場所で暮らしている。
その際に、不用品を整理して売りに出した人がいたのかな?
私は小声で、店主に問いただす。
「こっそりとでいいので、どちらのお妃さまか、名前だけ、教えてくれますか。聞いたらすぐに忘れますので、面倒はかけません」
後宮のお妃さまなんて一人も分からないような、田舎者のちんちく娘と思わないで欲しい。
むしろ合計二百八十七人の宮妃さま、全員の名前を私は暗唱できる。
「え、あ? お、お妃さまは、そ、そう、縦家(じゅうけ)から嫁いだ、麗人(れいじん)さまだよ」
さっきまでの堂々とした態度を一転して崩し、おじさんは口をモゴモゴさせながら答えた。
「縦なんてお妃さま、後宮にはいませんよ。あと、朱蜂宮に麗人の位はありません。今上陛下の御代になって廃されましたから」
先帝に比べて、の話だけれど、今の主上は割と禁欲的なお方である。
後宮の規模を小さくして宮妃の数も大幅に減らし、今でもそれを固く維持している。
世間で清廉聖君と尊崇されておられる所以だ。
「あれ、ま、間違えちまったかな? そそ、そうだそうだ、角州(かくしゅう)は司午家(しごけ)のご令嬢の、秘蔵品だったわ!」
思いついた名前を適当に言っているのが見え見えである。
私は冷酷無慈悲に、怒りの感情も交えながら、そのデタラメを暴く。
軽々しく、その名を使って商売をするな!
「翠蝶(すいちょう)貴妃殿下は、自身のお名前である翡翠の品を売りに出したりしませんし、この反物のような綺麗な緑色の衣類も普段はお召しになりません」
トーテム、あるいはタブーというやつである。
翠と言う自分の名前を象徴する物品を大切にしているからこそ、消耗品として日用しないし、雑に売り払ったりもしない。
極めて大事な場面、それこそ皇帝陛下とお会いになられるときに身に付けるくらいである。
ちなみに翠さまは蛾や蝶も絶対に殺さないし、自分の先祖神とされている八畜(はっちく)の亥(いのしし)、あるいは豚も絶対に食べない。
「な、な、なんなんださっきから! 変な言いがかりつけやがって! 冷やかしなら余所へ行ってくんな!」
「言いがかりだなんて。私はその品物が確かに後宮のものだったなら、思い出として一つや二つ、買ってもいいかなと本気で思っているんです。でもどうやらはっきりしないので」
私と店主のやり取りを見て、糖藤璃さんがあからさまにアワアワしている。
そこに、右手におまんじゅう、左手に骨付き肉を装備して最強に見える翔霏が来て。
「要するに詐欺、偽物なんだろう」
と、明快な事実を突きつけた。
「なんだよ、バッタもんか」
「吐くならもっとまともな嘘を吐きゃいいのにな」
「昂(こう)天子(てんし)さまの後宮を騙りのネタにするなんざ、ふてえ野郎だぜ」
周囲の見物人もつまらなさそうな顔で呟き、その場から離れていく。
黄指部の人たちにとっても、すぐ隣の地に君臨する昂国皇帝はそれなりに尊崇の対象であるらしいな。
「こ、このガキどもォ……!」
悔しそうな顔で、店主のオジサンが呻いた。
さらに後から合流した軽螢は、なにがあったのかよくわからない顔で。
「糖藤璃さん糖藤璃さん、あっちに綺麗な押し花が売ってたぜ。一つどうだい?」
緊張感の皆無な、平和なことを言っていた。
こいつ、この邑に置いて行こうかな。
ともあれ私たちは、出所の妖しい自称後宮の宝物をうっちゃって、食料の買い足しに赴くのであった。
「良い邑だ。また来たいな」
思う存分に買い食いができて、翔霏、ご満悦。
食料袋も再び満杯になり、しばらく彼女の憂いはないだろう。
翔霏がピリピリしていると私の精神衛生にも良くないので、この市場に来たのは大正解の百点満点だったと思いたい。
「また是非いらしてください。それでは、私はこれで。道中お気をつけて」
私たちの案内という用事が済み、帰ろうとする糖藤璃さん。
それを引き留めて私は言う。
「申し訳ありませんけど、あと少しだけ、お付き合いいただけますか?」
「え? ええ、それはもちろん、構いませんけれど……」
私たちは糖藤璃さんを連れて、市場から離れ、素乾望楼の裏手、人通りの少ない所へ。
糖藤璃さんは、明らかに不安がっている。
「ここで、なにかあるのでしょうか……?」
「面倒に付き合わせてごめんなさい。すぐに済むと思いますので」
事情を掴み切れていない糖藤璃さんに私は謝る。
「俺から離れないでね」
「メェッ」
軽螢と、食料袋を背に負ったヤギが、糖藤璃さんを守るように傍に立つ。
望楼の擁壁が作る日陰の部分に、のっそりと一人の巨漢が現れた。
「せっかくの商売を、邪魔ァしやがって。痛ェ思いをするだけじゃ済まねえぞ!?」
もちろん、先ほどのインチキ店主である。
大きな刀を鞘から抜いて、ずんずんと、こちらに歩み寄って来た。
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