六十三話 お伽噺の続き
翌朝。
極楽の寝床でゆっくり寝かせていただき、遅めの朝食をごちそうになった私たち三人。
昨日と同じ大広間で食事を終えてのんびりしていると、椿珠(ちんじゅ)さんが来て、雑談もなく本題を切り出した。
「お前たちにやって欲しいことは、ざっくり言えば調べものと、用心棒だ。とある建物のことを俺と一緒に、詳しく調査して欲しい」
昨夜、あんなことがあったというのに、至って平気の平左という顔をしている。
私の冷ややかな視線を受けてもニコニコと笑っているのが、とてもムカついた。
「あまり手間取るようなら引き受けることはできないぞ」
翔霏が妥当な意見を差し挟む。
私たちの旅に明確な期日はないけれど、だからと言って無駄な道草を増やすつもりはない。
「そこは問題ないさ。お前たちにとっては行きがけの駄賃だ。なにせ場所は毛州(もうしゅう)の北、国境沿いだからな」
「仕事が終わったら、いちいちここに戻って来なくていいの?」
軽螢の質問に答える代わりに、椿珠さんは一枚の地図を広げた。
どうやら、ここ岳浪(がくろう)の街の近隣を示したもののようだ。
図上の点と線を指差しながら、椿珠さんが説明する。
「ここから北東にしばらく行くと、今はもう使われていない古い砦、城門跡がある。新しい街道が整備されてから、用済みになって打ち捨てられたところだ。今じゃ誰も通らん」
「門を抜けて少し行けば、もう国境ですね」
地図の北に広がる空間には「黄指部(こうしぶ)」と書かれている。
それは覇聖鳳(はせお)たち青牙部(せいがぶ)とは別系統の、戌族(じゅつぞく)グループを指す言葉だ。
青牙部よりも人口が格段に多く、国境を越えて交わされる昂国との商売、取引額も大きい。
昂国とは友好的、温和な関係を保っているグループで、その仲介役として環家が大きな存在感を、この地で発揮しているのだろう。
「ここまでお前らを、馬で連れてってやる。現場に着いたら俺と一緒に調べものってわけだ。もちろん、怪魔だの物盗りだのが出たら、そのときはよろしく頼むぜ」
正直、イイ条件の話だと私は思った。
「ふむ……」
翔霏も問題ないという意思表示で軽く首肯した。
軽螢が確認のために訊ねる。
「それならこっちとしてもありがたいや。でも、そンな辺鄙な砦で、わざわざなにを調べたいんだよ」
「戌族の連中が北へ帰る途中、この砦を宿代わりに使ったって話だ。玉楊(ぎょくよう)がなにか残して置いてないかを確認したい」
覇聖鳳率いる戌族の残党が、環貴人を連れて立ち寄った場所。
私たちにとっても大事な情報が得られるかもしれない、マストポイントだ。
その場所を調べることは私たちの希望とも強く合致しており、この話を受けない理由はなかった。
「わかりました。どれだけお役に立てるかわかりませんけど、精一杯務めさせていただきます」
納得して深くお礼をした私の横で、翔霏が指摘する。
「行くのは良いが、古い砦を調べたいなら、どうして昨日の仲間を引き連れて行かない? あえて私たちに頼みたい、なにか特別な事情でもあるのか」
言われてみると、調べものや探検ごっこだけなら、椿珠さんとお仲間さんたちだけでもできることだ。
面倒な取引を持ちかけて私たちをあえて使いたい理由は、一体なんなのだろう。
苦笑いして椿珠さんは答える。
「昨日も言った通り、環家(かんけ)としては北に連れられた玉楊を連れ戻す意志はない。だから俺が戌族の足取りを調べていた、なんて話は広まって欲しくないのさ」
「元々の知り合いじゃない俺たちと一緒の方が、気楽で面倒がないってことか」
軽螢の言葉に椿珠さんは首肯する。
「そういうこった。あくまでも、たまたま知り合った面白い旅人を国境の手前まで送るついでに、世間話を楽しんだ。そういうことにしておかないと、あとあと親父どのたちから詮索されるからな」
「立場があるというのも、面倒なものだな」
椿珠さんに対して良い印象を持ってなさそうだった翔霏が同情の意を示したことで、私と軽螢は面白くなり、顔を合わせて笑うのだった。
なにはともあれ、話は決まった。
椿珠さんのボディーガード兼、遺跡の砦を調査する助手として私たちが力を貸す。
その報酬に、翔霏のくたびれていた棍を、立派な鋼鉄製に新調してもらう。
おまけとして薬や食料、いくばくかのお小遣いもくれるそうだ。
「途中で路銀が足りなくなったら連絡しろ。ある程度は融通してやる。もっとも、無駄遣いはするなよ」
「なにからなにまで、ありがとうございます」
さすがに大金持ちなだけあって、羽振りがいい。
もちろんそれは、環貴人を連れ戻すという、椿珠さんにはできない仕事を任されているからでもある。
私は、色々な人への恩、借り、ツケがどんどん膨らんでしまうのを感じ、嬉しい半面、気が重い。
旅支度や準備を終えた、数日後。
私たちは最高のおもてなしをしてくれた環家を出発し、岩だらけの山道を、椿珠さんが手ずから御す馬車で進んでいる。
新調してもらった鉄棍を天秤棒のように肩に担いだ翔霏が、巨ヤギの背に乗って随行する。
「この峠を越えれば、砦が見えてくるはずだ。特になにごともなく着いて良かったな」
椿珠さんが何気なく発したコメントに、軽螢が茶々を入れた。
「なんて思っているときにこそ、厄介ごとは来るモンだぜ」
「そのときはお前らに任せるさ。報酬分は働いてくれ」
冗談交じりの軽いやりとり。
「む」
その最中、翔霏がヤギの背をパッと降りて、馬車の前に走り、棍を構えて馬の進みを停めた。
「何者だ。出て来い」
問いかけた翔霏の顔は、マジだった。
少人数の強盗や、山の中では珍しくない怪魔の一匹や二匹ではない。
なにか深刻な、悪い予感を抱いたのだ。
少し、間があって。
岩間から、体の奥に響くような、重い声が響いた。
『危ないぞ、危ないぞ。私はお前たちを食いたくない。しかし、私の中に渦巻く獣の心が、お前たちを食ってしまえと囁くのだ』
人から発せられたとは思えないような、ゴロゴロと鳴り響く声。
正体のわからないその声の主は、立ち竦む私たちに、こう問いかけた。
『朝には四人を食った。昼には二人を。そして夕陽が落ちる今、お前たちのうち、三人だけを食い、一人は見逃してやろう。さあ、誰が残る?』
謎かけに答えられなければ、人を食い殺す伝説の豹。
ただのお伽話ではないのだということを、私たちは目の当たりにしたのだった。
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