六十二話 月夜の下の問わず語り

 月光だけがわずかに差し込む寝室。

 そのベッドの上で、私と向かい合う椿珠(ちんじゅ)さんがクックと笑う声が鳴った。


「俺をここで殺しても、お前に面倒がかかるだけだろう。素直に抱かれておいた方がなにかと楽じゃないか?」

「商人のご子息である椿珠さんはそう考えるかもしれませんけど、あいにく、損得でカタがつくような世界に、私は生きていないんです」


 真っ直ぐと目を見据えて、強い口調で言った私の意見に、椿珠さんは長い沈黙を返し。


「分かった。俺の負けだ。勘弁してくれ。まだ死にたくもないんでな」


 そう言って身を起こし、ベッドの端に腰かけた。


「ご理解いただき、感謝します」


 私も胸の前に木製の毒串を構えたまま、枕元に座り直した。

 お母さんから貰った大事な体を、会ったばかりの美男子にオモチャにされるのは、なんとか避けられたぞ。


「こんなにすげなく袖にされたのは、生まれて初めてだ。後学のために教えてくれないか。俺になにか不満があるのか?」


 確かに椿珠さんはとびっきりの美男子で、超がつく大金持ちなわけで。

 しかも責任のない気ままな立場と、肩の力が抜けた軽妙なしゃべり口の持ち主だ。

 色恋で遊びの一夜を過ごす相手として、これ以上の人材はいないと言っても良い。

 彼の誘いを、今の状況のようななし崩しであっったとしても、断る女性は少ないだろう。

 しかし、私は毅然としてこう答えざるを得ない。


「私、もっと泥んこになって遊ぶわんぱく少年とか、武骨で逞しい男の人が好きなものでして。そういう人でないと、ちょっと」

「そりゃあ、俺とは違うなあ。こんなことなら全ての持ち物を没収しておくんだった。まさか毒を隠し持ってたなんてな」


 ハハッと軽く笑い、椿珠さんは膝を叩いた。

 私の道具袋は二重底になっていて、その中に毒串を隠している。

 パッと見で調べただけではわかりにくいのだ。

 

「私の手荷物まで勝手に持って行かれたら、最初からあなたを信用していません。翔霏も機嫌を損ねて厄介なことになったでしょうね」 

「おやおや、こんな情けない醜態を晒した俺を、まだ信用してくれているのか?」

「椿珠さんのことは、正直よくわかりませんけど」


 私は毒串を枕の脇にある道具袋に仕舞って、切ない思い出を胸に再び浮かべながら答える。


「環(かん)貴人と、巌力(がんりき)さんは、とても誠実な人たちでした。そのお二人と仲良くしていたと言うのなら、椿珠さんのことも、信じたいと思っています」


 その言葉に椿珠さんは、にやけていた顔を消し、寂しそうな顔でまた沈黙して。

 俯いて、言った。


「そうか、問答無用で毒を打ちこまれずにいられるのは、あいつらのおかげか」

「はい。私はお二人の誠意に、できる限り、応えたいと思っています。あんなに素敵な人たちは、なかなかいません」


 私の言葉にしみじみ嬉しそうに、うんうんと頷き、椿珠さんは思い出話を語ってくれた。

 

「玉楊(ぎょくよう)が後宮に入る前の年だ。この街にいるやくざものの若い衆が、玉楊にいたずらをしようとたことがあってな」

「目も眩むくらい美しい方ですから、そういう良くない連中からも、目をつけられたでしょうね」

「ああ、あるとき、ひどく酔っ払っていた連中からしつこく絡まれてな。そいつらが、無理矢理に玉楊を連れて行こうとしやがった」


 人を狂わせるほどの美しさと言うのは、確かにある。

 その美貌が街の中で知られていた環貴人にとって、そういう災難は日常茶飯事だったかもしれない。


「でも、お伴の人や、用心棒さんがいたんじゃないんですか?」

「その通りだ。連れ添っていたのは、環家で護衛をしていた巌力だった。巌力は不良どもから玉楊を守ったはいいが、そのうちの一人を誤って死なせちまってな。張り手をしたら、首の骨が折れたらしい」

「うう、巌力さんなら、そういうこともあり得るかも」


 もみ合いへし合いの中、勢い余って、と言うことだ。

 それは事故ではないかと、傍で聞いている私の視点では思うけれど。


「死人が出た以上、やくざものたちは黙っちゃいない。どう落とし前をつけるんだと屋敷の周りで騒ぎ立てて、商売にも支障が出た。もちろん、後宮に行くことが決まっていた玉楊の立場も悪くなるよな」

「どう聞いても相手が悪いのに、そういうこともあるんですね」


 哀しいことだけれど、世の中は理屈の正しさよりも、暴力や圧力で動くことが多い。

 豪商の息子として、椿珠さんも痛いくらいに見知っているだろうな。

 そんな彼が話す続きは、私の想像を超えた展開を見せた。


「そこで巌力は、俺を立会人にして連中のねぐらに乗り込んで行ってな、そこで自分の逸物(いちもつ)を小刀で切り落として、やくざものの親分の目の前に投げつけたんだ。部屋の中は噴き出た血で池ができたよ」

「ヒィィ」


 光景を想像してしまい、私は身震いする。

 あの優しく物静かな巌力さんに、そんな激情が宿っていたなんて。

 巌力さん、あんたも大概、無茶をしてるじゃないか、と心の中で突っ込んだ。


「これで落とし前になるだろう、これ以上騒ぐと死人が増えるだけだがよろしいか。そんな風に巌力が脅して、事態は一件の落着を見たのさ。巌力が宦官になって後宮に入ったのも、まあそんな経緯があったからだ」

「環貴人と巌力さんの結びつきが尋常でないことは薄々わかってましたけど、そんな壮絶なことがあったんですね」


 そこまでして守りたいご主人だったのだ。

 環貴人と別れてむせび泣く巌力さんの姿を思い出し、私も両目にこみ上げるものを感じた。


「親父どのや兄貴たちは、玉楊(ぎょくよう)を取り戻すつもりは、もうないんだ。俺や巌力がなにを言っても、それは変わらない。俺にも、余計なことはするなと言ったきりだ。もっとも、俺になにができるわけでもないがな」

「でも椿珠さんは、環貴人に戻って来て欲しいんですね。また会いたいんですよね」


 私が言うと、椿珠さんは年齢を感じさせない、幼い表情で、眉をしかめ、鼻をぐずつかせた。

 きっと、環貴人や巌力さんと、このお屋敷で遊んで育った若い頃を、思い出したのだろう。


「玉楊は……」


 ううっ、とこらえきれずに、椿珠さんは嗚咽する。

 今まで抑えていた悲しみが、堰を切って溢れ出しているかのように、涙を落としながらぽつぽつと呟く。


「あいつは、生まれたときから、この家の道具だったんだ。後宮に入るため、陛下を喜ばすために技芸を仕込まれ、男に逆らわないように躾けられて……それが野良犬どもに北の果てに連れ去られて、親父どのたちは見向きもしないで別の妹を後宮に放り込もうとしてる。俺は、それを目の当たりにして、なにもできやしないで……」


 慟哭に濡れる椿珠さん。

 私はかけられる言葉もなく、してあげられることもなく、ただ、座って話を聞くばかり。


「俺は、期待もかけられない代わりに、好き勝手しても許された。でもあいつは、玉楊は、なに一つとして自分の好きにできやしなかったんだ。挙句の果てには、後宮を守るための生贄みたいに連れて行かれちまった。後宮が、朝廷におわします陛下が、それだけのことを玉楊にしてくれたって言うのか!?」

「へ、陛下の名前を出して、不敬ですよ、椿珠さん」


 私のご主人だった翠(すい)さまは、皇帝陛下の寵愛が篤かった。

 だから私の認識として、陛下という個人に対して悪印象はないのだけれど、椿珠さんの視点では違うのだろう。

 理由は謎として、環貴人が陛下の寵愛を深く受けていなかったことも、きっと知っていただろうし。


「構うもんか。誰も聞いてやしない。もし話が漏れたとしても、腰抜けの役人連中なんかより、うちの親父どのの方がよっぽど怖いさ」


 環貴人を想う椿珠さんの叫びが、私の胸に真っ直ぐ入って来たのを感じる。

 ああ、この人はいつかの私と同じだ。

 なにかしたいと思っていても、それができない悔しさを、叫ばずにはいられないんだ。

 神台邑の二百人と、腹違いの妹の一人と。

 失った悲しみと苦しみは、数字で計って比較できるものじゃない。

 きっと椿珠さんは、悲しみの火種を胸の中に燻らせたまま、無為に日々を過ごしていた自分を、許せないのだろう。

 人を真に苦しめるのは、外の世界で起きた不幸ではなく、心の内にある自己嫌悪なのだから。


「別に椿珠さんのためじゃないですけど、環貴人は連れて帰りますよ。安心してください。詳しい話はまた明日」


 大いに共感し、同情はするけれど。

 それでも私は感慨を表に出さず、湿っぽくならない口調で言った。

 なにせ、さっき私を襲いかけたからね、この人。

 美男子が涙を見せたからと言って、ホイホイと心を許してやるほど、私は可愛い女ではないのです。


「ちぃっ、泣き落としでも揺らがないか」


 現に、椿珠さんはケロッと立ち直って、つまらなさそうな顔をした。

 ほら見たことか!

 イケメンの涙には騙されるなという、お母さんから授かったありがたい教えが、役に立った瞬間であった。

 そもそも私は中性的な美男子という人種に生理的な警戒感があるんだ、残念だったな。

 ただの偏見であることは、大いに自覚している。


「涙は嘘でも、話していた内容に嘘はないんだろうなと言うことは、なんとなくわかります」

「信用してくれて、どうもありがとうよ」

「ええ、椿珠さんのことを信頼はしていないけれど、信用はしています。それじゃ、おやすみなさい」


 私は会話の打ち切りを表明し、椿珠さんを寝室から追い出す。


「ったく、面白い女だな。巌力の話以上だ」


 扉の向こうから、そんなボヤキが聞こえてきた。 

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