六十一話 鋼と木
「俺と玉楊(ぎょくよう)は母親が違ってね。俺は妾の息子さ。俺の母親が流行り病で死んじまったもんだから、こうして本邸の離れに住まわせてもらってる」
椿珠(ちんじゅ)さんはそう語り始めた。
彼はどうやら環(かん)貴人から見て、腹違いの兄弟らしい。
「母ちゃんいないんか。俺と同じだ」
鶏肉の骨に付いた身を一生懸命かじりながら、軽螢(けいけい)が言った。
キツそうなお酒を立て続けに嚥下して、椿珠さんが言葉を繋ぐ。
「ガキの頃にな、八州の北側でたちの悪い熱病が流行った。毛州(もうしゅう)と翼州(よくしゅう)だけで十万人は死んだって話だ」
軽螢も確か十数年前に、病気で母親を亡くしている。
彼らが母を喪った原因の流行病は、同じものであったのかもしれない。
「前の皇帝陛下も、その病が元になって体を害されたと聞いたな」
満足行くまでごちそうを平らげた翔霏が、食後のお茶を楽しみながら言う。
「そうなんだ。神台邑だけじゃなく、あちこち大変だったんだね」
「私も子どもだったから詳しく当時を知らないが、尾州(びしゅう)で反乱が起きたのも、疫病で世が乱れたことが一つの契機になったと、邑(むら)の大人が話していたのを覚えているよ」
除葛(じょかつ)軍師がその名を轟かせることになった、尾州の内乱。
そこにも、病魔の影響があったのか。
昂国を過去に襲った流行病は、その爪痕を今にも残しているのだ。
翔霏は数字に弱いだけで、記憶力、特に他人から聞いた話や自分が体験したことは、とても良く覚えて知っている。
頷きを返して、椿珠さんが続きを話す。
「そんなわけで、俺は母違いの玉楊とも実の兄妹と変わらず、この家で育てられてな。あいつが後宮に行くと決まったときは、みっともなく泣いちまったもんさ」
「お気持ち、よくわかります」
後宮に入るのは確かに名誉なことだけれど、やはり家族と離れ離れになるのは辛いものだ。
見たところ椿珠さんと環貴人は年頃も近そうだし、きっと仲が良かったに違いない。
年齢が離れている玄霧(げんむ)さんと翠(すい)さまの関係とは、やっぱり色々、違うだろうなと思う。
司午(しご)家のあの人たち、二人とも覚悟決まりすぎてて、庶民の私から見るとなんかおかしいし。
「分かってくれて嬉しいぜ。さっき、家の中が少しバタついてるって言ったよな」
カラになってしまったお酒のおかわりを使用人に要求し、椿珠さんは呑み続ける。
どんだけ酒好きなんだよこの人。
雰囲気も表情もキリッとしてるから、大丈夫なんだろうけど。
あ、そうか。
目が開いている、閉じているという違いがあったせいで気付くのが遅れたけど、環貴人に、顔がそっくりなんだ。
「はい。やはり環貴人が戌族(じゅつぞく)に連れ去られてしまったことが、原因でしょうか?」
「まあそう言うことだ。親父どのや兄貴たちは、空いた宮妃の枠にこの家からまた一人、後宮に送ろうとしてる。そのせいでなにかと屋敷のもんは忙しくてな」
「そ、それは」
私には正直、是非や善し悪しのわからない話だったけれど。
連れ去られた環貴人、玉楊さまを連れ戻す算段、努力をすることが先じゃないの?
ダメになったら次の代わりはいる、みたいな話で、胸の奥にわだかまるものを感じた。
「ミソっかすの俺がなにを言ったところで、親父どのがそう決めたなら、そうなっちまうんだろう。むしろ戌族と後宮と、両方に娘を嫁がせられるならその方が良い、くらいに考えてるかもな」
商人すべてがそうであるとは限らないけれど。
やはり大きな家と言うだけあって、環家の経営陣は商業上の利益のことを重く考えているのだろうか。
後宮にさえいてくれれば、毛州の、ご実家の家族も折を見て会えただろうに。
覇聖鳳の元に連れ去られてしまっては、それも簡単にはかなうまい。
シニカルな顔で強い酒を浴び続ける椿珠さんの姿からは、その悲しみが大いに溢れているように見えた。
涙を流す代わりに、酒を呷っているのだ。
私たちのことがおおむねバレているなら、この人には詳しく話しても問題はないかな。
そう思い、私は椿珠さんに告げる。
「私、戌族の土地まで出向いて行って、環貴人を連れ帰ろうと思っているんです。すぐにとは言えませんけど、いつか、必ず」
「へえ……」
私のバカな宣言をあざ笑うでも否定するでも、逆に喜ぶでもなく。
最初に谷の道で会ったときのように、じっとこちらを窺うように様子を見て、椿珠さんはしばらく、黙る。
長い沈黙のあとで、彼が言ったのは。
「俺の三弟(さんてい)って呼び名は、妾腹(めかけばら)の男兄弟の中で三番目、って意味なんだ。本妻から生まれた男兄弟たちは、一兄(いちけい)、二兄(にけい)、って呼ばれてる」
「家のことを決める権限が、ないってこったな」
軽螢があっさりとした口調で言う。
いくら年齢を重ねても「妾腹の弟」扱いな彼は、環家の本妻さんが生んだ後継者たちと、立場が違うということだろう。
神台邑(じんだいむら)でも、おそらくそれに似た序列はあった。
長老たちの近親者、直系子孫でなければ、大事な話し合いには参加できなかったのだ。
だから流れ者の私や、貰われっ子の翔霏は、邑の会議に参加しない慣習が出来上がっている。
しかし、椿珠さんは自嘲ではなく、爽やかな笑顔を私たちに向けて、こう言った。
「家のことに口出しできない代わりに、俺はいつも好き勝手なことをやらしてもらったよ。気が向いたら学問もするし、思いつきで仲間を連れて怪魔退治にも行った。兄弟の商売を手伝ったりもな」
「谷間の道でくだらない謎かけをしているのもそれか。あまり調子に乗っているといつか痛い目を見るぞ」
翔霏が冷たく言い放つのもやんわり躱し。
「ご忠告どうも。次にやりたいことが思い浮かんだから、もうやめるさ。面白いやつらにもこうして会えたしな。収穫としては十二分だ」
そう言って手をパンパンと叩き、使用人を再び呼んだ。
使用人の手には、長い金属の棒が持たれている。
合わせて、翔霏の柿製の棍も持って来て、返してくれた。
「お前さんの棍、手入れしてやろうと思ったが、もうじき折れるぞ。替えた方が良い」
「適当なものが見つかればそうしてるさ」
棍を翔霏に渡し、ニヤリと笑って椿珠さんは言う。
「だったら俺も商家の倅だ。こんなものがあるんだが、と勧めさせてもらおう」
ゴトリ、と卓の上に先ほどの金属棒を置いて、その品がどんなものであるのか、プレゼンテーションを始めた。
「これは、西に住んでる沸教(ふっきょう)の連中から買った鋼だ。どういう仕組みか知らんが、折れず、曲がらず、錆びも浮かない不思議な代物でね。馬車の軸なんかに重宝してる」
「錆びない鋼ですか」
黒く鈍く光るその鉄棒は、確かに一見するとなんの変哲もない車軸、シャフトである。
けれどよく目を凝らして観察すると、表面にぬらぬらと絵画的に波打つマーブリング模様が浮かんでいる。
日本刀やダマスカスナイフの表面に浮き出る、地金(じがね)の「景色」というやつだろう。
「お前さんの体に合わせて、この鋼で棍をしつらえ直してやる。木製よりは重くなるだろうが、その分強く丈夫で、長持ちするだろう。どうだ?」
「ふむ……」
提案された翔霏は鉄棒を自分でも持ってみて、重さや手触りを確認する。
「本当に折れも曲がりもしないと言うのであれば、それなりには使えそうだな」
翔霏は気に入ったようだ。
けれど、軽螢が渋い顔で言った。
「いくら良いモンでも、べらぼうに高いなら買えないよ」
「そこは、取引と行こうじゃないか」
ずい、と私たちの方に顔を寄せて、椿珠さんが話を持ちかける。
近くで見れば見るほど、環貴人によく似た絶世の美形だなあ。
私が男性に求めるタイプとは、ちょっと方向性が違うけれどね。
「お金以外のなにかと、交換条件と言うことですか?」
「話が早いのは好きだぜ。巌力(がんりき)が寄越した文を読んで、お前たちのことは少しはわかってるつもりだ。けど、俺は自分の目で見たことしか信用しない。玉楊を連れ帰ると言った、そのお前たちに投資をする代わり、お前たちを試させてもらいたい」
椿珠さんは私たちになにか、抱えている厄介ごとの解決を頼みたいのだな。
その用事を果たせるかどうかで、私たちの能力も見極めたいのだろう。
どうしたものかと私は翔霏と軽螢、二人の顔を見るけど。
「話を聞いてからじゃないと、答えらンねーな。俺たちも暇なわけじゃねえし」
軽螢がそう答えて、翔霏が軽く頷いた。
私は、椿珠さんが環貴人の血縁者であるという時点で、最初からかなり彼への信頼度が高いんだけれど、二人は違うもんね。
「わかった。詳しい話は明日にしようか。大事な話をするには、俺もちいと飲み過ぎた」
そう言って椿珠さんは、使用人さんたちに私たちを寝室に案内させた。
全然、酔ってもいなさそうなしっかりとした足取りだったけどな。
夜も更けたし、長話を切り上げるのにはちょうど良いタイミングではある。
私は翔霏と一緒の部屋が良かったんだけれど、別々の個室をあてがわれた。
実に久しぶりにフッカフカのベッド、お布団を堪能できて、すぐにでも睡魔の虜になりたいところではあるけれど。
「それ以上近付いたら、死にますよ」
寝室に忍び込んだ狼藉者に向かい、私はハッキリと言い放つ。
そう、こんなちんちくりんの、地味顔の私ごときに。
あろうことか、夜這いをかけに来たやつがいる。
「お前が死ぬのか?」
「いいえ、椿珠さんが、です。ちなみに楽に死ねる毒ではありません。激痛にのた打ち回って、体中の穴と言う穴から血とか変な汁が飛び出ます」
ベッドの上で私に覆いかぶさろうとしている椿珠さん。
私は彼の喉元に、秘宝のお手製毒串を向けて、暗闇の中で睨み合うのだった。
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