可愛いを求めて

「初めまして、僕。いきなり話しかけてごめんね」

 見知らぬお姉さんに話しかけられた僕はただ固まっていた。

「君今……中学生だ」

 ――あ、はい。

「そっか、若いね」

 話しかけられた緊張とお姉さんの美しさに目が泳いでしまう。以降何の言葉を発すこともなく、マスクの下の口角を引きつらせるだけだ。

「あ、急に話しかけてごめんね。君はもっと可愛くなれるって思っちゃって」

 ――あ、あざす。

「気をつけてね」

 嵐のように過ぎる時間はあまりに僕を高揚させて、不安にさせた。


 僕はきっとああなれない。女性の言う”可愛い”なんて、何にでも当てはまる。僕のなりたいものとはきっと違うんだ。あれは、お姉さんみたいな”女”の特権なんだから。

 僕はゲームが好きだ。アイドルを育成するゲームが好きだ。まあ、正直他のRPGのようなものをしたことはないのだけれど。それに僕がしているゲームのいいところは全く恋愛要素がないところなのだ。単純に好きなアイドルを応援できるのだ。そして推しがとてつもなく可愛いのだ。加えて、かっこいい。これが僕の心に刺さる、だから好きだ。

 言ってしまえば男性アイドル育成ゲーム、その中のいわゆる女装キャラだ。そして僕がしたいこと、それをこのアイドルはやってのけるのだ。僕は女性になりたい。柔らかさのない胸も、引き締まるお尻も張った肩だって好きじゃない。髪を伸ばしても似合わないこの顔も、女性には高い身長も。

 僕はこの子を同一化して納得しようとしているだけなのかもしれないが、それでも構わない。どうせ僕にはできないのだから。

 声変わりをした時、僕はとても苦しかった。精通をした時、絶望だった。

 別に制服がどうだとかランドセルの色がどうだとか興味はなかった。”亮介”という名前にも何の辛さもなかった。けれど、もう何にもなれないのだ。僕は、男なのだと。男でしかないのだと。

 通販購入なんてする度胸もなければ、家に届けば全て開けられる。実店舗に行けば知人に会う可能性もある。

 だからもう、なれないことに諦めはついていた。僕が好きなのだって女性なんだろうし。現に今日会ったお姉さんは恥ずかしくて見られなかったわけだし。

 それにしても、綺麗だったな。身長も高いし、それほど華奢なわけじゃない。声だって今思えば高いわけでもない。でも、理想だ。ああなりたい。

 悔しいことに身体は正直なわけで。自分を慰めるには容易すぎた。紺色の布団カバー、視線の端に映る学ラン。やっぱり自分はあの人とは違うんだ。

 動かない頭で処理をする。またやってしまった。きっと僕は、普通じゃない。自分らしく、なんておかしなことはしちゃいけない。


 アラームで目を覚ます。もう起きなければならないのかとスマートフォンの画面を確認すると、そこには祝日の文字があった。なんだ、と思えど休みと知った瞬間に眠気はなくなってしまうようだ。

 風呂は昨日入ったし、お腹もさほど空いていない。リビングにいる両親としたい会話も無い。家にいても両親の笑い声が聞こえるだけで面倒だ。

 この時間なら近所――といえども本当なら車で行きたいところではあるが――に喫茶店があったはずだ。まあ、学校区では無いのだが。ただ適当に歩いていけばなんとかなるだろう。何と言っても”今時の男子中学生”なのだから。

 行こうとする店が電子決済可能であることを確認した上でスマートフォンとモバイルバッテリーに念のための小銭入れを持って家を出る。やはり薄い上着を羽織って出て正解だ。田舎の朝といえど人はいるもので。

 学校で仲の良い人間がいないのはおろか、ろくに登校もしていない。それも他人を少々なりとも怖がる人間が広い世界に飛び出るのは心臓が痛い。


 手が震える。足がすくむ。そういえば誰かがいるかもしれない。知り合いがいるかもしれない。けれど家にいるのも苦しい。

 イヤホンを耳につけ、度のない眼鏡で視線を遮る。パーカーのフードを目深に被れば、きっと僕とはわからない。ああ、もう大丈夫だ。ただの人間として、溶けていく。

 準備が整ってしまえばここからはもう無敵のようなものだった。昔通った小学校も、通っているはずの中学校も通り過ぎて気づけば一時間。音楽を何曲繰り返しただろうか。基本家から出ない私は歩くのももちろん久しぶりで。けれど歩けてしまうのだ。だって、何も怖くないのだから。


 喫茶店といえども全国的なチェーン店で、調べればある程度のことは何でも出てくるのがありがたい。さすがに店に入るのにフードはよろしくないと思う感性は持ち合わせている。やはり少し眩しい。けれどこの店はさほど明るくもないし、知り合いもいないだろう。

 深呼吸をして気持ちを整える。ドアを開けると店員がこちらに微笑みかける。

「おひとりさまですか」

 はい、という前に奥の四人席から声が聞こえる。


「アキラ!こっち!」

 聞き覚えのある名前に振り向いてしまう。目が合う。昨日の、お姉さんだ。どうして、どうして名前を。私の、名前を。

 ここで無視をしても良かった。けれど私の足は着実にお姉さんに向いてしまう。

 店員に会釈をして足早にお姉さんに駆け寄る。

 ――なんで、私の名前を?

 ”佐伯亮介”から”アキラ”へ。

 ”僕”から”私”へ。

 ”あるべき姿”から”なりたい姿”へ。


「やあ、また会ったね」

 私は私じゃない姿を知っている人間が苦手だ。だって、比較してくるから。私だけを見てくれない。私が変な人だと思われるのは構わない。私は作り物だから。けれどそうじゃない。”佐伯亮介”が変だと思われてはいけないのだ。

「で、アキラ。というか、りょうちゃん」

 やっぱり知って話しかけてきたのか。これ以上……詮索しないで。

 ――どこまで知ってるんですか。

「んっとね、全部」

 全部……か。

 

「えっとね、私ね。君だから」

 君だから。お姉さんが、私?なわけないよね。そんなはずはない。だって、私はここにいて、お姉さんは目の前にいる。

「わかんないよねー」

 ――わかんないですね。

「じゃ、とりあえずだけどひとつ。アキラ、君は可愛くなれる。心配しなくても」

 ――ありがとうございます。女の人って優しいですよね。

「あとね。私は、女じゃないよ。まだ」


 どういうことだろうか。

「じゃあ、アキラ。亮介と話してもいいかな」


 私は目を閉じ大きく呼吸をした。僕が目を開くとお姉さんは笑っていた。

「昔から面白いよね、それ。別人格でもないのにこうやって切り替えてさ」

 ――ああ、本当に僕のこと知ってるんですね。

「知ってるよ。本当になんでも」

 ――例えば?

「そうだなあ。単刀直入に言って好きな服を買えないのも、買いたいぬいぐるみを我慢してることも、女になりたがってることも、あと……君がここでホットのミルクコーヒーを飲んだあとにバスで駅に行って電車に乗った先の崖から飛び降りて死のうとしてることも」


 僕は目を見開いた。きっとすごい顔をしていただろう。スクリーンショットにはバスと電車の時刻表が入っている。本当にお見通しだ。

「で、これでも可愛いって言葉が優しさで出てきたことだと思う?」

 ――本心、ってことでいいんですかね。

「うん。だって、私可愛いでしょ?」

 ここまで言われちゃもう何も言い返せず、僕はただ頷く。


「じゃ、買い物いきましょか」

 ――え?買い物?あ……お金、小銭入れしかなくて。

「うん、知ってる。私だもん。ここ電子決済できるから、でしょ?それでも小銭入れだけは持ってくるところは変わってないね」

 小さな鞄から取り出したお洒落な小銭入れを見て僕は笑う。

「あと、ここのお金も払うしさ。服のお金も、ぬいぐるみも」

 ――そこまでは。

「いいの、君が大人になった時、誰かにしてあげなさいね。私も昔、やってもらったことがあったから」

 そう言われて僕は思った。きっと僕は大人になったら僕みたいな人、いや、僕に会うんだろうなと。


「あと今からやっておいてほしいスキンケアとかあるしね、先行投資よ」

 ――そんなもんなんですかね。

「あと、行きたいお店とかあるしね」

 ――え、でもここには知り合いが。

「お姉さん車出してあげるから、いこ、県外」


 お姉さんに腕を引っ張られ、黄色の軽自動車に乗り込む。きっと、いや確実に僕は可愛くなる。

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死ぬ前に好きに生きてみないか 櫻木緑陽 @ryou-reality

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