死ぬ前に好きに生きてみないか

櫻木緑陽

死ぬ前に好きに生きてみないか

 この時間になれば誰もいない。各駅停車はもう全て来てしまった。残すはあと一本、そのたった一本に私は十九歳最後の望みをかけていた。

 ――やっと、これで。全部が終わる。

 この駅を最後に通過するのは特急列車。運転士や乗客には悪いと思ってはいる。だが私の中でこの人生は捨てるべきものであるのだと認識しているし、この方法が最善であるというのも私なりに十分思考した結果であった。

 現在時刻は午後十一時五十分。この命もあとわずか。無人駅で誰も来ない。先ほど買った梅のジュースはもう飲み干してしまった。

 もう死ぬのだ。ゴミ箱のある駅舎まで戻るのは逃げているようで嫌だ、と持ってきていた小さなリュックの中に放り込んだ。そして靴を脱ぎ、リュックもその横に添え、通過のメロディを待っていた。

 聴き馴染みのある音、に重なって聞こえてきたのは男性の声だった。

 

「死ぬ前に好きに生きてみないか」


 *

 

 ――え?

 振り向くとそこは全面真っ白の部屋だった。死ねなかった。そしてここはどこだ。目の前にいるこの男は、誰だ。

「おっと、邪魔をしてごめんね。やっぱり君なら振り向いてくれると思ったよ、奈央ちゃん」

 ――どうして私の名前を。

「呼び止めるくらいだ、名前くらい知っているよ」

 ――それもそう、なんでしょうか。そういうことにしておけばいいんですかね。よくわかりませんけど。それでここはどこなんですか。そしてあなたは誰なんですか。

「ここは君の過去を呼び覚ます部屋。名前はカケルだよ。別の読み方だとって読むタイプの」

 ――翔さん。あと、過去はできるだけ見たくないです。せっかく忘れてることも多いし、そんな再度見るような輝かしいものなんて一つもない。

「そう言わずにさ」

 こちらを見て翔さんが笑いかけてくる。

 

「ここに扉が三つあるだろ?」

 翔さんが指を指したところに扉が現れていた。

 ――さっきまで何もなかったのに。

「不思議なこともあるもんだねえ、ってこと。ここは現実世界じゃないの。だから過去もしっかり見ちゃうから安心して」

 ――安心できないんですが。

「まあいいんだよ。さあ、この扉を見てごらん」

 扉に近づくと、プレートが貼ってあるのがわかる。左から「友情」「家族」そして「趣味」。それが過去を紐解く鍵になるのだと翔さんは言った。

「さあ、奈央ちゃん。どの扉から入る?」


 *


 私がまず選んだのは、「友情」の扉だ。


 部屋に入ると見覚えのある教室だった。机の形状や窓からの景色から見てここは通っていた中学校のクラスであることは間違いないだろう。推測するにここは二年次の教室だ。天板には落書きをされ、引き出しは折れ曲がったクリアファイルと、くしゃくしゃのプリントでいっぱいだった。

 ――はぁ。こんな感じ、でしたね。忘れてました。何が楽しくてもう一度こんな惨状を見ないといけないんですか。

「惨状?まあそうだね。君にとってそんなに楽しい思い出ではなかったかもしれない。だけどさ、君はこれを忘れていたわけだ。」

 ――みたい、ですね。


「じゃあこれは?」

 翔さんが指をさした教卓には大きな箱が置いてあった。

 ――なんですか、これ。

「開けてみたら?」

 ――また得体の知れないものを。


 箱の中から出てきたのは、制汗剤と黄緑色のラバーブレスレット。

 ――と、これはライブのブルーレイ。

「だね。何か心当たりは?」

 ――心当たりしかないですよこんなの。

「じゃあ当ててごらん?これは、なあに?」


 ――これは。


 これは、友達を作りたくて調べに調べた男性アイドルグループColor-Fullカラフルのグッズと、一人でいることを悟られたくなくて作った蓋と本体を色違いにした制汗剤だ。

 私はただみんながしていることをしたかっただけだった。色違いの制汗剤は友情の証のように見えたから欲しかった。推し活と言うやつも話の合う友達が欲しかったから。だけど信じたくなかった。

 好きじゃなくなったのは「お前なんかが好きというな」と言われてすぐだった。せっかく買ったファーストLIVEのブルーレイも、私は知ったかぶりに使ってしまった。あの頃は本気で好きだと思っていたけれど、結局は好きでもなんでもなかったのだと今は思う。

 友達なんていなかった。小学生の頃から忘れ物などの不注意が多く、コミュニケーションが苦手であったことによりクラスで浮いていた。高校に上がって、友達がほしくて誰かと仲良くなってほしくて常に誰かと話を合わせ、物を揃えていた。けれどそれが目障りだったみたいだった。

 もっと周りのことを見て、自分がずれていることを知ることはできた。けれど他人に弱みを見せ、頼ることはできなかった。自分の好きを他人の好きと同じように、大切にできればよかった。周りに合わせなければよかった。そうすればきっと、きっと友達が一人はできたかもしれなかったのに。


「何かに気づいたみたいだね」

 翔さんが指を鳴らすと、私たちはまた白い部屋に戻っていた。


 扉は一つ、消えていた。


 *


 「さっきの部屋でだいたいやることがわかっただろ。さあ、次はどっちに入る?」

 翔さんがこちらを振り向いて尋ねる。ひとつ整理がついた状態というのに、翔さんは私のことを器用な人間とでも思っているのだろうか。ずっと忘れたがっていた記憶を、事象をやっと数年越しに受け止められたというのに。

 ――じゃあ次は逆側の……「趣味」の部屋に。

「じゃあ、入ってごらん」


 部屋に入るとそこは高校の美術室だった。イーゼルに乗せられた大きなキャンバスには大きな人物画が、そしてその眼前には当時の先輩……のような石膏像。スケッチブックが置かれた大きな机を囲む四つの椅子には、さほど仲良くはなかったが害はなかった同級生の像がある。

 間を空けて左側の机が私の定位置だった。

 ――懐かしい。そういえば油絵なんてやってたっけ。でも正直上手くないし、美術室では資料集めだなんだって言ってスマホいじってたっけな。別に友達なんていなかったし、みんなオタクで陰キャだし。陰キャは陰キャでも共通の趣味を持ったグループは楽しそうだったな。アニメのことも暇さえあれば調べてなんとか話について行こうとしてたっけ。

 けれど、私には友達ができなかった。ということはその作戦が功を奏さなかったということだ。折角夜通しで作品をイッキ見しようが、マイナー作品や若手声優を網羅しようが、何の成果も得られなかった。そればかりか知ったかぶりでマウントを取ってしまい、語り合った人から順次嫌われていく経験をした。


 自分がかつて使っていた机には一つのキャンバスと多数の青色でほとんどを埋め尽くされたパレットがあった。どうせ現実ではないし、何より自分の作りかけだ。手を加えても誰も文句は言うまい。

 筆をとり、フタロブルー一色のキャンバスに色をつけていく。初めは上にかけて明るい色を。この絵に光を取り入れるように。そして海にいるはずのない黄色のウサギを一匹泳がせる。苦しくない、きっと彼が選んだ生きやすい世界のはずだと自分に言い聞かせて。


 完成した絵を窓際に飾って扉の外へと向かう。本当にやりたかったのは無理に覚えたアニメのキャラクターを描くことでも、意味のわからぬまま描く抽象画でもなく。一人で頭に浮かぶ風景を描くことだったことに私は気付いた。


 扉はまた一つ、消えていた。

 

 *


「さ、行こ。次が最後だ」

 ――もう行くんですか。じゃあ……このまま、「家族」の扉ですかね。

「家族関係のわだかまりに心当たりは?」

 ――ないと言ったら嘘になりますが。まあ、あまり関わっても利益がないと思っています。

「今は、ね。きっと」


 扉を開けて見えたのは今住んでいる実家の自室そのものだった。

 ――なんだ。普通の私の部屋じゃないですか。相変わらず汚いし。掃除ができなくて親に文句を言われてることが引っかかってるって言いたいんですか?

 「君がそう思うならそうなんじゃない?もうちょっとちゃんと見たらいいと思うけど」

 翔さんに言われ部屋を見渡してみる。

 床には変わらず服とゴミ、長机にもパソコンとオーディオインターフェイス、液晶タブレットやマイクと共にあるゴミの山。けれどここからが違った。壁にはアイドルとアニメのポスター。内開きのドアを押さえるのに使ったことのある小さめのタンスはドアで押されて斜めに鎮座している。

 ――タンスもポスターだって全部捨てたはずなのに。

 

「どう?見た感じ」

 ――今までのものが時系列を超えてこの部屋に入っている感じ、ですね。

 「で、家族との諸々はわかった?」

 この部屋そのものが、私が家族と関わりを持たなくて済むようになっている。部屋に誰も入れないように、入ろうと思わないように。そしてここで自分のことが全てできるように。床に散乱しているペットボトルの山がそのいい例だろう。

 ――まあ、今もそうですけど……。関わりたくなかったんですよ、家族とは。何をしようとしても否定ばっかり。期待だけして夢なんか見させてくれない。絵を描いていてもお前は中途半端で向いていないからやめろって。親が欲しかったのは自分達がいい顔するための駒。そうなれなかった瞬間妹の栄養になるための育児お手伝いロボットになるしかなかったんで。親はきっと妹にしか興味がなかったんです。

 

「本当にそう?」

 翔さんが何かを見直すように入ってくるが、私は経験上そうとしか言い切れない。

 ――そうですよ。

 最初はある程度勉強ができた。けれど学校に馴染めなくて学力も低迷。妹はフレンドリーで交友関係も広い。要領のいい妹は、勉強が苦手でもどんどん親の理想の子供像になっていった。その頃から親は私のことなど見ないようになった。難易度の違うテストで点数ばかり比較され、少しでもいい点数を取った妹が自信を持つ材料にされた。

「思い込みじゃなくて?」

 私は首を横に振る。

 ――思い込みじゃないです。高校受験に失敗するまでは参考書も受験勉強だってずっとつきっきりで見てくれた。なのに、私にはあった高校へのボーダーもない。私には許されなかった専門学校への道だって開かれてた。私には興味ないんだ。金だってかけたくない。だってそうでしょ?

「それは聞いたの?親御さんには」

 ――聞きましたよ。なんでそんなに私には厳しいのか。そうしたら言われましたよ。一人目だからわからなかった。親がいい顔するために厳しくしすぎた、って。結局私は実験台で、妹が本番だ。私がどうなろうと知ったこっちゃない。死んだ後にかかる金もあるだろうけど、このまま生きていくよりはきっと安上がりだ。だから……。

 私は泣いていた。振り返りたくなかった。なんだよ。過去を受け入れたら吹っ切れるんじゃなかったのかよ。納得できるんじゃなかったのかよ。ただ、悔しさでいっぱいだった。

 部屋を飛び出す。扉を勢い良く閉める。けれど翔さんは出てこないし、扉は消えなかった。


 *


 対人関係で大切なことも、自分を大事にする方法も、大好きだったものもわかったじゃないか。親なんてあと何年か、少なくとも何十年かしたら関わりなんてなくなるじゃないか。どうせ敵だ。関わりたくなんかない。これ以上あの人たちのために生きてたまるか。

 あの頃の自分にとっては今と同じくらい本気で苦しかったのに、それでも学校に行かせたのは私のためなんかじゃない。親のエゴだ。学校なんて休まない「偉い子」の親で居たかったからに違いない。過去の事だって嫌という程考えて見ている。

 多方面からの視点も持っているつもりだ。言われたことだって覚えている。そんな親だということも理解して最善の策を取ろうとしている。それなのにどうして、どうしてこの扉は消えてくれないのか。私が悪いとでも言えばいいのか。


「おかえり。少しは頭冷やせた?」

 部屋に入ると翔さんから声をかけられたが、その言い方にムッとしてしまった。私が悪いのか。子供にでも言うような口ぶりだったのも嫌なポイントだ。

 ――いいや、全然。せっかく諦めてるんだからさっさと解決して欲しいんですが。

「そっか。でもね、受け入れと諦めは違うんじゃないかな」

 ――親が私を受け入れないなら、私が親を受け入れる義理なんてありませんよ。


 何かを間変えていたかと思えば、閃いたように右手の人差し指を立て、私の方へと振り向く。

「そうだ、ヒント。君はちゃんと親御さんと話し合いをしたかい?」

 ――しようとしました。でもいつも父親は話を最後まで聞かずに、子供のことは何でも知っている、お前の考えは拙い、と言い放ちます。母親は父親命ですから反論なんてしません。怖いんじゃなくて、信用しきってるんです。

「拙いと言われるのはどうしてだと思う?」

 ――わかりませんよ。高校出てすぐに仕事してそのまま辞めて。どうせ子供だと思われてるんです。私の言うことなんか興味なくて、アドバイス風のことをして悦に浸ってるんですよ。

 

「あのさ」

 ――なんでしょう。

「それ、話聞いてないの君だよね」

 ――は?

 声がさほど高くない私でも今までに出したことのないような低音が口から零れ落ちる。

 ――私は親と分かりあいたかった。だから何度も話をした。言うことだって聞いた。でも気分じゃないと怒られた。だからどうせわかってくれないんですよ。

「一度目があったとして、どうして二度目がそうだとわかる?君は予言者かい?」

 ――違います。違いますけど、分かりますよそんなの。だってひとつ屋根の下で暮らしてきた親子なんですから。

 「お父さんは君のことがわからないけど、君はわかるのかい」

 私は何も言えなかった。わかっていた。けれど信じたくなかった。私が先回りで怒られないようにしていることも、親のことが本当は好きで振り向いてほしかったことも、親が私を理解しようとしていることも。

 ――ええ、わかりませんよ。わかりませんとも。

 ぶっきらぼうな言い方になってしまう自分の幼さに嫌気が差す。

 親は何も間違ったことなど言っていない。五十年程生きている親とその半分も生きていない私じゃ知識や知見が対等なはずはない。けれど、私はこの約二十年の中の自分なりの答えを持って生きてきた。親の四割の時間だろうが、私にとっては全てなのだ。

 それが、言いたかった。

 私は自分自身で親御さんの駒になっていた。一度言われたことを全て鵜呑みにして、変わろうとしなかったのは私だ。


「じゃあ、出よっか」

 私は涙をぬぐいながら部屋の外へ出る。悔しいけれど、私は子供でまだまだ幼い。けれど、過ごしてきたこの丸十九年は無駄じゃなかった。

 顔を上げる。

 扉は全て、無くなっていた。


 *

 

「三つの部屋を見てどう思った」

 ――見たくないことを見せられて不愉快でした。ただ、思い出せてよかったと思うことはありました。

「過去とは仲直りできたかい」

 ――わかりません。納得できたところもしばしば。

「それでもまだ、死にたいと思うかい」

 ――正直、生きている苦しさと怖さはあります。でも好きなことも思い出せたし、もう少しだけ楽しんでから死んでもいいのかなって思いました。だって、全てが辛くあったり、全てが楽しくあったりする必要ってないと思ったんです。辛さと楽しさのバランスで自分の機嫌をとって生きていく。また辛さに耐えきれなくなった時まで待ってもいいのかなって、思いました。


「そっか。じゃあひとまずここでお別れだね。じゃあ目をつぶって」

 翔さんの手が私の額に当てられると、すっと肩の力が抜ける。


 手が離れた感覚で目を開く。

 見慣れたホームの上。聞きなれたメロディ。けれど私は横に置いた靴を履き、リュックを担ぐ。

 次は動きやすい靴で、もっと大きなリュックを背負って、スケッチブックと絵の具を持って駅へ来よう。

 金もさほどない。けれど、好きだった絵のため、親や誰かとの関係のためじゃなく自分のために様々な場所を巡ろう。

 死にきれなかった恥ずかしさと、久しぶりに感じる高揚感を持って家に帰る。


「またね、奈央ちゃん。もう二度と会いませんように」

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