第8話 大団円

 鑑識のところに来た刑事は、何かうーんと唸るかのように声を挙げた。

「どういうことなんですか?」

 と興味深げに聞いてみた。

「いえね、確かに外傷はあるんですがね。その外傷は、死んだ後についたもののような気がするんですよ。もっとも、わしがここで見て分かるくらいだから、司法解剖などに回せば、一目瞭然ということなんだろうけど、それを思うと、どうしてそんあ面倒なことをしたのか、別に後から何かをして、死亡推定時刻が分かるわけでもないのに」

 と、鑑識の白衣を身にまとった、初老の先生はそう言った。

 それを聞いて、片倉刑事は、さらにこちらを覗き込んだ。

「お前たちは、ここで死体を発見しただけなんだな?」

 と言われるので、

「ええ、まさか死体だとも思いませんでしたけどね」

 というと、

「まあ、そうだろうな」

 とアッサリと、片倉刑事は引き下がった。

「死亡推定時刻は?」

「昨夜も12時前後ではないかと思う」

 というと、さらに、片倉刑事は、顔を歪ませて、何かを考えていた。

 そして、何を思ったのか、

「先生、死体を動かした跡とかないんですかね?」

 と、おかしなことを聞いた。

「ああ、それに関しては、その形跡はあるな、それに、ここは雑木林のようになっているので、ここで殺人が行われたのであれば、もっと、分かりやすくなっていることだろうね」

 というのだった。

 それを聞いた片倉刑事はさらに頭を抱えていた。

 確かに言われる通り、ここが殺害現場ではないことはよく分かった。

 だとすれば、どこから運ばれてきたというのか、そしてさらには、そのことをなぜK企刑事は知っているというのだろう?

 これは片倉刑事に纏わる何かの事件であることは明々白々のようである。

 だが、今の時点では、何がどうなっているのかハッキリと分からない。この場所に対してなのか、この殺されている男に対してなのか、とにかく、何かに怯えているのは確かなようだ。

 そういう意味で、さっきまでの横柄で、自分勝手な捜査を行っているかのように見えた片倉刑事ではない雰囲気だった。

 少なくとも、事件の何かを知っているか、あるいは、関係しているかということは明白であった。

 その片倉刑事に、

「まるで、親の仇のように、最初から睨まれていたというのはどういうことであろうか?」

 と考えてしまう。

「これは何だろう?」

 といって、もう一人の刑事が拾い上げたものを見ると、そこにあるのは、見覚えのあるハンカチだった。使用した後があるようで、若干濡れていた。前の日からあったとして、夜露に濡れたとしても、すでに乾いているべきものなのに、いまだに湿気ているということはどういうことだろう?

 この場所が、想像以上に湿度が高いということを教えてくれているようだ。

 確かに、このあたりは、同じ土手であっても、乾きが早いところと遅いところ、まちまちのようだった。

 一つ気になったのが、

「昨夜、そういえば、親父は、ドロドロになって帰ってきたな」

 ということであった。

 ドロドロであったが、雨に降られたというような感じではなく、まるで沼に嵌りかけたかのような姿だったのである。

 父親が怪しい状態で帰ってこようと、母親は気にしない。

 しかし、父親はそんな母親にやけに気を遣っている。すれ違っているのは分かっているが、何がそんなに二人をぎこちない関係にさせるのだろう。

 そういえば、子供の頃に一度、母親が父親を罵倒していたことがあった。

 いや、一度だけではなかったかも知れないが、実際にひどかったのは一度だけだった。

 その様子は、今から思えば、モノが飛び交っていたかも知れないほどだった。それだけ罵声もひどいものだったし、そこまで言われればヒステリックにもなるというもので、

「よく我慢したものだ」

 と、その時は誰もケガをしなかったのが、本当に幸運だったと思うくらいであった。

 その時のことをさすがに今から蒸し返すことはしないが、内容とすれば、どうやら、親父が、

「浮気をした」

 ということから始まっているようだった。

 今では、まったくそんな素振りもない父親だったが、自分が子供の頃、

「そんなに父親が恰好よかったのか?」

 と言われると、

「決してそんなことはなかった」

 というだろう。

 むしろ、どこにでもいるという普通のおじさんで、女にもてるというほどの愛想がいいわけでもなければ、一本筋が通っているわけでもない。

 そんな父親に、

「惚れる女がいるなんて」

 と正直思ったものだったが、後でどこから聞けたのかすら覚えていないが、

「あれは、母親の勘違いだった」

 ということであった。

 覚えていないというのは、教えてくれた人が、

「なんで、この人がそんなうちの内情まで知っているんだ?」

 と思っていたからこそ、

「まったく信憑性のない話だ」

 ということで、梶原自身が意識していなかったからだ。

 というのも、梶原は、

「人のいうことを基本的に信用しない」

 というタイプで、よほどの信憑性がないと信じない。

 それが、

「父親からの遺伝ではないか?」

 と感じていることであり、

 父親のことを思い出していると、鑑識から、

「これは、殺人ではないかも知れないな」

 ということであった。

「どういうことですか?」

「見てみれば分かるが、この男、かなり衰弱している。息切れしながら歩いてきて、無意識にこのあたりに転がってきたんだろうな」

 ということであった。

「じゃあ、この首を絞められたような跡は?」

 と刑事に言われて、

「誰かほかの人がやったんだろうな? 死後だろうと思うけど、だが、死後硬直が始まる前だから、そんなに時間が経っているわけではない。後から、誰かが絞殺したんだろう」

 ということであった。

「誰が何のために? 鑑識に回せば、死後に行なったことかどうか分かるはずなのに、何かこの男が殺されなければいけない理由であるというのか? 考えられるとすれば、遺産相続か何かの問題か、それとも、保険金の問題か?」

 ということであった。

「保険金ということは、まさかこの人、元々自殺でもしようと思っていたということだろうか?」

 と片倉刑事が言った。

 日本では、基本的に、死因が自殺である場合には、生命保険の死亡保険金を受け取ることはできない。

 そのことは、普通の人は知っているだろう。

 翌日になって、父親が逮捕された。何と、容疑は、息子が第一発見者になった事件の犯人としてであった。

 何が何か分からなかったが、少ししてから、大逆転で、真犯人が逮捕された。

 その真犯人というのは、これも何とであるが、

「片倉刑事だ」

 というではないか。

 片倉刑事は、普段から、ギャンブルにのめりこんでいた。それを知った街のやくざは彼に近づき、もちろん、片倉刑事はやつらが、やくざだということを知らずに、友達のように接していた。

 ギャンブルでも、金を借りるための手筈や段取りもしてくれた。本当であれば、刑事の普通の判断力であれば、危ないことくらい分かりそうなものなのだが、少しずつ判断が鈍るような薬を盛られていたのだ。

「そういえば、片倉刑事は、最近、突拍子もないようなことを口走ったり、支離滅裂に感じられることが時々ありましたね」

 と部下が言っていた。

 それを、

「怪しい」

 と思いながらも、なかなか上司だから、いさめることもできず、犯罪捜査と一緒に、片倉刑事の動向も監視しなければいけなかった部下としては、結構大変だったことだろう。

 だが、まさか、上司が犯罪に、しかも、殺人事件に加担していたとは、思いもしなかった。

 いや、この事件は、正確に言えば、殺人事件ではない。そして、殺人未遂でもない。

 被害者は、殺害されたわけではなく、自然死で死んだ人間を、凌辱した形になる。死後隠蔽というか、殺害されたことにより、その男が保険金を受け取ることができるからだ。

 ということは、その男は、最初は、自殺をしようと思っていたということなのだろうか?

 いや、彼は不治の病に侵されていて、実際に治る可能性はかなり低いということだった。

 さらに彼は、保険金を、多額にかけていたのだ。

 彼も、ギャンブル好きで、そのために、やくざに利用された。

 つまり、その保険金をだまし取るために、利用されたのが、片倉刑事だというわけだったのだ。

 そのことを、探偵である父が探っていた。その捜査を依頼したのが、男の唯一の身元である親戚の男だった。

 被害者の男は、やくざに親戚の男がいることを言わなかった。ある意味、保険のつもりだったのだろう。それとも、やくざが何かしないかということを恐れたのだろうか?

 自分にやくさが、保険金を掛けられていることを、男は理解していた。不治の病なので、ほとんど自暴自棄になっていて、最初は、

「別にいいか?」

 と思っていたが、冷静に考えると、やくざに甘い汁を吸わせて、下手をすれば、親せきにまで迷惑をかけるというのは、本意ではなかった。

 それを考えると、

「死ぬのは仕方がないが、このままでは、死んでも死にきれない」

 ということで、梶原の父親に頼み、やくざによる企みを何とかしてほしいというものだったのだ。

 だが、なかなかうまくいくものかと思っていたが、とりあえずは、男のまわりを取り巻いている環境を調べることにしたのだ。

 ただ、問題は。

「男には時間がない」

 ということであった。

「いつ、病気が悪化するとも限らない。今のままでは、保険金はやくざたちのものだ」

 ということであったが、男は結末は何となく分かっていた。

「私が殺されるということはないだろうが、保険金を得るためには、私が自殺では困ると思っているだろう。ただ、私には、保険金の他に、財産がある、それを受け取るのは、親せきだということを、遺言には書いているんだ。もし、このままであれば、殺人ということになれば、親せきが疑われないとも限らない。私はそれを器具している。その器具を払拭させてくれたのが、あなたが、私に会いにきてくれたことなんですよ。私からもお願いします。やくざの思い通りにならないようにしてほしいんです」

 ということであった。

 父親は、捜査をしている間に、片倉刑事に辿り着いた。片倉刑事のホモ、やくざに関しては目を働かせていたが、この男については、やくざ連中から、見張るように言われていただけだった。

 そして、

「この男がもし、自殺を試みるようなことがあれば、自殺では保険金が取れないので、殺されたかのように、偽装するんだ」

 という命令を受けていた。

「さすがに刑事の私がそんなことは……」

 といってはみたが、そんなことが通用するわけがない。

 やるしかないということであった。

 男は、この場所で本当に自殺をするつもりだったようだ。正直、ほとんど末期の状態で、いつ死んでもおかしくない状態で、このままであれば、保険金がやくざに行くと思ったのだろう。自殺であれば、保険金は下りないということで、ある意味、

「時間との闘いだった」

 わけである。

 梶原の父親が、ずっと見張っていた。そして、片倉刑事がやったことをすべて見ていて、さらに、死体に細工をしたのだ。

 実は父親は、さらに監視している自分をやくざが見張っていたことを知らなかった。今回の逮捕劇は、そこからの通報というしかけだったようだ。もう少しで。

「ミイラとりがミイラになる」

 というところであったが、何と、その危機を救うことになるのが、梶原だった。

 その時は梶原は何が起こっているのか分からなかったが、片倉刑事の怪しいところが分かっていて、そのあたりを指摘することで、彼への捜査が、警察内部で、極秘裏に行われた。

 つまり、当事者が、それぞれの思惑を持っていながら、自分が気にしなければいけない相手だけしか見ていなかったので、天界はすべてが、狂ってしまったかのようだったが、一回転してうまく回っているかに、見た目は見えたのだった。

 そのおかげで、事件の全容が見えてきた。息子は父親を助け、父親は被害者を助けた。

結局、片倉刑事は逮捕され、やくざの方も、捜査が進んでいくことになった。

 最終的には、死因は自然死ということになり、保険金は、やくざへ行くことになりそうだったものが、捜査が進む間は保留ということになった。

 きっと最終的には、やくざに行くことはないだろう。

 見た目は実にうまいこと行った。

 では、この事件で最終的に得をしたのは誰だというのか?

 勧善懲悪という意味ではうまくいったのだろうが、そのあたりは、誰も知る由はなかったのだ。

「合わせ鏡のような事件」

 まさにそう言ってもいいのではないだろうか?


                 (  完  )

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合わせ鏡のような事件 森本 晃次 @kakku

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