第7話 刑事の真意


 そんな昔の探偵小説のように、

「探偵が、警察の信任を受けて、一緒に捜査をする」

 などということが、今の時代でありえるのだろうか?

 逆に昔の警察というと、特に戦前などでは、時代的に、

「治安維持法」

 や、

「国家総動員令」

 などというものが存在し、それによって、警察の力は絶大であり、今なんかよりも、もっともっと威張っているものであろう。

 さらには、戦争中には、

「特高警察」

 などというものがあり、

「非国民」

 と呼ばれた、いわゆる、戦争反対論者や、天皇制への批判、さらには、社会主義を信じる者による、革命思想の弾圧と、

「国家転覆」

 ともなりかねない事態に備えた、まるで、

「すべての国家権力を備えた」

 かのようなそんな警察組織であった。

 そんなやつらがいるのだから、当然、探偵というのは、力がなかったに違いない。

 そもそも、時代は戦時体制、言論統制などもあり、探偵小説などは、一発で、廃刊に追い込まれることになった。

 前述の探偵小説作家も、廃刊に追い込まれ、食べていくには、別のジャンルの作品を書かなければいけない。

 ということで、書いた作品が、

「時代小説」

 であった。

 江戸時代を背景に、一種の探偵小説を書いたというわけだ。

 それもありなのではないだろうか?

 だから、この小説家には、異色ともいえる、

「時代小説のシリーズ」

 が存在するのだった。

 さすが、有名作家、当時の苦し紛れのような作品であっても、一定の評価があり、昨今の探偵ブームに則ったその時代に、映像化もされたことがあったくらいだった。

 それだけ、この作家が、名前も全国区であり、作品のほとんどを文庫化したということで、まるで、レジェンドのような作家となったのだ。

 何といっても、マンガで数十年前に、その探偵の孫を名乗る少年が活躍するお話ができたくらいだった。

 しかし、実際には、

「ありえない話」

 だったのだ。

 というのも、その探偵は、

「朴念仁」

 であり、ガールシャイなところもあることから、

「生涯、結婚しなかった」

 というのが、そのシリーズのオチだったのだ。

 それなのに、

「孫がいるって、どういうことなんだ?」

 ということであるが、一応、作者の著作権を継承している人に許しは得ているということだが、正直、その探偵を好きな人たちから言えば、

「これは反則ではないか?」

 と思えてならないのだ。

 探偵小説において、どこまでやっていいものかどうか、確かに著作権という問題だけであれば問題ないのだろうが、ファン心理からすれば、

「許せない」

 という思いがあってもしかるべきであろう。

 正直。このお話の作者である私も、孫の存在には反対論者である。

「じっちゃんの名に懸けて」

 と言われると、

「じゃあ、お前は、結婚もしていないじっちゃんから生まれた子供なのか?」

 と突っ込んでしまいたくなる。

 自分の好きな探偵が、結婚もしていないのに、どこかに子供がいたなどとは思いたくはない。

 少年が思い込んでいるだけなのか、家族が、そういって信じ込ませたのか分からないが、正直、納得がいかない。

 もちろん、そのマンガが、アニメ化された時に見たりしたこともあり、普通に楽しめたが、

「それとこれとは別のことだ」

 と言えるのではないだろうか?

 それを思うと、探偵小説というものが、今の世代の人には響いていないのだろうと思えてならなかった。

 そんなことを考えていると、やはり、今の時代の探偵は、

「それほど権力を持っているわけではない。いわゆる民主警察」

 というものに対しても、その力を鼓舞することができないということは、一番大きな原因としては、

「時代背景と社会の構造」

 というものが大きいのだろう。

 昔は、

「大東亜戦争」

 と呼ばれる、日本がひっくり返るだけのことがあったのだ。

 何と言っても、天皇中心の、

「立憲君主国」

 だった、大日本帝国が崩壊し、占領軍による民主化で、

「民主国家」

 という日本国ができあがったのだから、それも当然のことである。

 父親が探偵であることは、もし、警察が、梶原のことを捜査線上で何か怪しいと思ったのであれば、調べればすぐに分かることである。

 さすがに警察も今の時点で、いくら、

「第一発見者を疑え」

 という言葉があるとはいえ、そう簡単には考えないだろう。

 まずは、初動捜査。証言を集めることと、現状の証拠を集めることが大切であろう。

 もちろん、父親が探偵だからと言って、梶原が警察捜査について精通しているわけではないが、普通に考えれば分かることである。

 それに、ミステリーが好きで、本を読んだり、テレビドラマで見ていたりすると、少々のことは分かるというものだ。

 だから、第一発見者に対して変な思いを抱かせるようなことはないだろう。

 しかし、今回、一人の捜査員が、やたらと気になっていた。質問がしつこいというのか、一つのことにやたらとこだわるのだ。

 その刑事は、他の刑事から、

「片倉刑事」

 と呼ばれていた。

 見るからに刑事っぽい感じだが、どちらかというと、昭和の刑事のようで、

「タバコをふかしていれば、似合いそうな雰囲気だ」

 と言えるのではないだろうか?

 昭和といえば、刑事ドラマなどでは、

「タバコをふかしている刑事は格好いい」

 というような伝説があった。

 今では、とんでもないことだが、取調室には、タバコの吸い殻が、溢れんばかりになっているなど、当たり前のことだった。

 さすがに、取り調べを受けている人間が勝手に吸うことは許されないだろう。刑事が、

「吸うか?」

 といって差し出したものを吸う分には問題ないが、勝手なことはできなかっただろう。

 しかし、今は、刑事が差し出すことも許されない。

 昔であれば、留置されるようなことがあれば、

「取調室での、かつ丼」

 というのが定番であったが、今ではそんなことは、

「自白の強要」

 に当たるのか、それとも、何かのコンプライアンス違反になるのかは分からないが、確か禁止ではないだろうか?

 昭和の時代の取調室というと、密室であった。途中から、扉を開けておかなければならなくなったが、それは、昔のような、拷問に近い形での自白強要があったからだろう。

 特に、首根っこを掴んで、照明を目に当てたり、本当にあったかどうか分からないが、手のひらや甲に、タバコを押し付けての、まるで、

「根性焼き」

 のようなこともあったかも知れない。

 さすがに、戦争中などにあった、

「特高警察による取り調べ」

 というのは、言動を逸するようなものだったという。

「爪を剥いだり、水の浸かった洗面器に顔を突っ込ませて、窒息寸前に追い込んだり」

 などと、今では信じられないことが平気で行われていたのだという。

 戦争中ということなので、今から80年前くらいのことではないか? それを思えば、

「時代の流れというのは、あっという間だが、その激しさはもっとすごい」

 と言えるのではないだろうか?

 急流の中で、グルグル回転しているのが、時代の流れと、その流行というものであり、その捻じれの発想が、

「タイムパラドックス」

 なのかも知れないと感じるのだ。

 警察というところは、こんなにも、いろいろ変わっているのに、その体制というのか、組織そのものは、旧態依然のものであり、まるで、

「封建制度を、科学や医学が発展した今の世の中でやろうとしているようなものだ」

 と言えるだろう。

 そんな世の中の治安を守っているのが、警察であるということを考えると、一抹以上の不安が漲ってきても、仕方のないことであろう。

 警察の中にも、いい人もいれば、悪い人もいる。

 その悪いという定義もどこなのかというのが難しかったりするだろう。

 相手が犯人と分かっているのであれば、勧善懲悪の精神がある刑事がいいのであろうが、まだハッキリしない相手を犯人と決めつけて、冤罪に持っていったりすれば、それは、犯人を逮捕するということよりも、もっと最悪である。

「市民の平和を守る」

 という警察が、冤罪を生むということは、

「一人の人間を殺してしまう」

 というのと同じことで、

「殺人罪」

 に匹敵するのではないだろうか?

 どこまで警察が、冤罪というものを恐れているか、人によって、そしてその警察署によって温度差はひどく違うものであろう。

 最近では、コンプライアンスというのも、一般企業では厳しい。本来なら公務員である警察も、厳しくてしかるべきなのだろうが、果たしてどうなのか?

 刑事課などの凶悪犯罪を担っているところであれば、そう簡単にはいかないだろう。

「犯人を追い詰める」

 ということでは、きれいごとばかりではいかないのも事実。

「悪を憎む心」

 というのが刑事には大切なのだろうが、冷静な目を失ってしまうと、冤罪を生むというジレンマに陥ってしまう。

 そして、一度間違いを犯すと、それを取り戻すことは容易ではなく、何と言っても、自分が、苦しむことになる。

 トラウマになってしまうと、それまで簡単にできていたことができなくなり、目の前が真っ暗になってしまうような錯覚に陥ることだろう。

 そうなってしまうと、自分がどこにいるのかもわからなくなり、その問題が大きく立ち塞がってくる。

「警察が、果たして正義なのだろうか?」

 と、今まで考えてはいけないとおもっていたことを考えてしまうと、どこまで行っても収拾がつかないと思うことだろう。

 警察という大きな組織を一括りにして考えることと、

「一人の刑事」

 という考えを持って、それぞれから見ると、見ている限り、

「相対するものではないか?」

 と思えるのだった。

 警察組織は、完全な縦割り社会。個人一人一人を考えるわけにはいかない。

 もっとも、これは、警察に限ったことではなく、他の民間会社でも同じことなのだが、特に警察の捜査ともなると、その人の個性も必要になってくる。

 そうはいいながら、捜査本部ができて、何人たりとも、捜査本部で決まった方針を曲げることは許されない。管理官であっても、別の人に変えられてしまうということが実際にあったりするのだった。

 そんな中にあって、この片倉刑事というのは、どこか、他の刑事と違っているように思えてならなかった。

 きっと、これは、誰もが感じることなのだろうが、どこがどのように変わっているのかということを指摘できる人は果たしているだろうか?

 そんな風に考えるのだった。

 だが、やはり、直感だった、

「昭和の刑事」

 というのは、あながち間違っていないような気がする。

「的を得ている」

 といってもいいだろう。

 顔もよく見ると、強面の雰囲気が、

「刑事かやくざか」

 と言われても仕方のない人相だ。

 実際に、暴力団関係の刑事は、

「強面の人が多い」

 と言われている。

 実際にそうなのだろうが、皆が皆そうではないような気がする。警察の人事は一体どうなっているというのだろうか?

 そう、片倉刑事は、〇ボーのようではないだろうか?

 片倉刑事は、やたら、梶原を意識している。

「何かを言いたそうにしている」

 という雰囲気は感じるのだが、何が言いたいのかは、正直分からなかった。

 もっとも、その相手である梶原に分かるというのも難しいもので、

「自分の顔は、鏡や水面の媒体を使わないと、映すことができない」

 というのと、同じことであろう。

 ただ、刑事は、こういう時、

「相手に悟られないようにする」

 というのが大切なことではないだろうか?

 それを分かっているから、刑事は、何を考えているかを相手に悟られないように、いつも難しい顔をしているのだと、梶原は思っていた。

 実際に、父親からも、子供の頃、似たような話を聞いたことがあった。

 父親の世代は、見事に昭和の刑事ドラマを見て育った世代である。

 熱血根性ものも、再放送で見たりしただろうが、テレビドラマとして、

「二時間サスペンス」

 と呼ばれるようなものが、毎日のように放送されていた時代が懐かしい。

 ちょうど昭和の終わり頃から、平成の中盤くらいまでがその放送時期であろうが?

 最盛期というと、昭和の終わりから、平成の序盤くらいであろうか?

「二時間ドラマの帝王」

 であったり、

「二時間ドラマの女王」

 などという俳優も生まれたりした。

 また、数年前くらいには、パチンコ台になったりもした。ストーリーリーチなどでは、おなじみの断崖絶壁のところで、主人公が、事件を解決するシーンがあるが、そこが、ちょうどリーチの場面になっていた。

「言い当てた犯人が、自白すれば、大当たり」

 というようなことではないだろうか?

 それを思うと、2時間サスペンスというのは、

「ギャグとしても面白いのかも知れない」

 と感じるのだった。

 そんな二時間ドラマの時代というと、いわゆる、

「安楽椅子探偵」

 と呼ばれるものが流行り始めた頃だった。

 これは、それぞれのシリーズで出てくる探偵が、異色な職業を持っているというようなもので、何が走りだったのかまでは思い出せないのだが、有名なところとして、

「ルポライター」

 が探偵だったりするあのシリーズですね。

 異色としては、

「家政婦」

 というパターンもある。

 殺人事件などではないが、それなりに事件性があるもので、気取らずに見ることができるということで、好きな人は嵌って見ることだろう。

 それを考えると、

「安楽椅子探偵」

 というのは、単発でもできるし、

「シリーズ化」

 ということもできるのだ。

「法医学探偵」

 などというのもあったりして、医学からの探偵もいたりするので、それは別の切り口から見ることもできて、多面性に満ちていると言えるであろう。

 つまりは、医学的な観点からの斬新な謎解き、さらにオーソドックスに、犯人の動機や立場を突き詰めていく。その時に、誰かパートナーでもいれば、事件解決にはスピード感が増すだろう。

 そんな時、

「主人公の旦那が、刑事」

 というパターンもある。

 だからと言って、

「パートナー」

 というわけではない。

 何と言っても、刑事というのは、

「勝手に動くことができないからだ」

 というところに戻ってくるのだ。

 ただ、ストーリー展開としては、旦那が刑事だというのは、ストーリー的には面白い。旦那は建前では、

「危険なことをするな」

 と戒めているが、心の中では本当に心配もしているのだ。

 さらに、表立って協力はできないまでも、ヒントのようなものを与えることもできたりして、結果的に、

「夫婦で事件を解決した」

 ということだって、結構あっただろう。

 そういう意味で、似たようなシチュエーションであっても、職が違うだけで、いろいろなバリエーションができるというものだ。

 刑事が探偵であったり、泥棒が探偵であったり、何でも探偵になるから面白い。

 中には、

「探偵であるということがバレないように、捜査をする難しさ」

 というような、安楽椅子探偵もあるのではないか?

 それを思うと、結構楽しくなってくるのだった。

 しかし、今回のような事件では、そんなことは言っていられない、

「何か、この刑事は、明らかにこの俺を意識している」

 と感じたからだ。

 今までに、刑事という人間にかかわりがあったことはない。いくら父親が探偵だといっても、刑事に知り合いがいるわけでもない。

 もし、父親の知り合いに刑事がいたとしても、息子を合わせたりなどはしないだろう。なぜなら、

「探偵というような仕事をしていれば、刑事と同じで、いつ誰から恨みを買うか分からない」

 ということを、父親は以前から言っていた。

 だから、仕事関係の話を家ですることもなかったし、よほど何か気を付けなければいけないことでもなければ、話題に出ることもなかった。

 それを思えば、探偵と刑事は、ある意味、

「水と油」

 なのかも知れないのだ。

 刑事というと、子供の頃から、どうしても敵対して見ていたのだが、そのせいだったのかも知れない。

 そういう目で見ていたので、睨まれているという感覚になったのかも知れない。

 それはあくまでも妄想であり、決して刑事が睨んでいるわけではないのかも知れない。しかし、すぐに女が耳元で、

「あの刑事さん怖い」

 といって、心底怯えているのが分かると、梶原も、最初の思いにウソはなかったのではないかと思うのだった。

 ここでは父親が出てきているわけではないのに、なぜか、今のこの状況で、父親の圧が強く感じられるのはなぜであろうか?

 そんなことを考えると、どこからか、言い知れぬ強い視線を感じ、思わずあたりを見回してみた。

 それを見た片倉刑事が、

「おい、どうしたんだ? 何かいるのか?」

 といって、一緒になって、当たりを見渡している。

 その表情は先ほどまでと違い、どこか、怯えがあるように見えるのだった。

「あ、いえ、別に何も」

 と言ったが、片倉刑事も何か気になっていると思うと、余計に不気味な感じがした。

 何もないのに、何かがあるかのように思うというのは、気持ち悪いもので、しかも、それが相対している相手も同じ思いがあるというのは、それこそ、不気味であった。

 そんな中において、もう一人の刑事が奇声を上げた。

「あそこで誰かがこちらを見ていたような気がしたんですよ」

 というではないか。

 そんな男がいるとすれば、分かるのは、奇声を上げた刑事だけで、梶原も片倉刑事も、後ろになっているので、姿を確認することはできない。それだけに、視線が少しでも熱ければ、その意識の集中力はハンパではないだろう。

 そう思うと、梶原と片倉刑事が意識した視線をほぼ同時に感じたというのも、果たして偶然と言えるかどうか、怪しいものだった。

「この男、本当に誰かに殺されたんだろうか?」

 と、鑑識が言った。

 潜んでいた男を追いかけようとした片倉刑事は、何とか踏みとどまって、鑑識のところに行った。代わりに男を追いかけるのは、もう一人に刑事が行ったのだが、逃げ足が速いのか、刑事は早々に、

「さすがに追いかけるのは無理ですね」

 といって、引き下がってきた。

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