第15話炎のクロール

夜が明けたら次は昼。

いつも通りに午前を寝過ごし、昼を迎えたその頃だった。

「平和ですね、最近」

「どしたん?瞳っち、いきなり」

「一番だろ、平和。何か不満か?愛弟子」

「いえ、こうも平和だと、訓練はしていても、何だか体が鈍ってしまいそうで……」

「それは俺らにはちっと分からん感覚だなぁ~」

「あぁ~まぁ、危機感が鈍るっつーのは分からんでもないが……お前あれだぞ?そういう発言は控えた方がいいぞ、マジで」

「?何でですか?私は別に――」

危険を望んでいる訳では、との言葉は続かない。

代わりに小さく聴こえたのは、教室の入口付近から誰かを探す少女の声で?

「――あの、久世啓太先輩いらっしゃいますでしょうか?」

「ん?久世っち何か呼んでない?」

「ほらきたはいきたフラグきたー。矢来がフラグ立てるからだー」

「えぇ……いや、そんなまさか……」

「居るよ~!こっちこっち~!」

「あ、はい……」

大きく手を振る青に呼ばれて、おっかなびっくり彼女はやってくる。

俯き加減は小動物のそれで、挙動が一々庇護欲をくすぐる。

「久しぶりですね、真中さん」

「あれ?久世っち知り合い?後輩っぽいけど……」

「ちょっと仕事の関係でな。それで?用件は何かな?言い辛いようなら場所を変えようか?」

「あ、いえ、その、大丈夫です」

「そう?なら聞いてもいいかな?何か相談があるようだけど」

「えっと、実はその、信じられない話なんですけど、ウチのお兄ちゃんが言うには……」

「あぁ、大丈夫。多少変なことでもウチは慣れっこだから。取り敢えずありのままを言って欲しいかな?」

「分かりました。えっと……バイクでトンネルを走ってたら、炎の塊が泳ぎながら追って来るんだそうです」

「……ほう」

これはまたキナ臭くなってきたと、事の次第を聞き届けるのだった。

「各自、資料に目は通してるだろうが、一通り確認するぞ?」

ホワイトボードを脇にして、ペンを手に持つ所長が告げる。

「今回の怪異はトンネルの異界化だ。理由は恐らく半年前の事故。父親と娘の二人が亡くなってる。原因はトンネル内での接触事故。車は完全に転倒しちまってるが、掠めた程度のバイクはそのまま現場から逃亡を図り、時間を置いて罪悪感により警察へと通報。しかし、現場は既に漏れたガソリンに引火して火の海。車体がひしゃげて外へと出れず、助けを求めていただろう状態で焼死だ。その未練から、バイクで立ち去る背中を追って、トンネル内にのみ異界が出現する、というのが凡その推測になる。ここまでで何か質問はあるか?」

一通り見回すように視線を投げれば、軽く振るように掌返す。

一等真面目な愛弟子その二が、真剣な眼差しで疑問を問いた。

「半年前に死んだのに、今になって怪異になったのは何か関係があるのでしょうか?バイクの一台くらい、今までにも通っていそうなものですが……」

「恐らくは夜限定だろうな。事故の会った日も遠出した買い物の帰りって話だ。日中より妖力が高まる夜にだけ出るんだろう」

「それで現場再現のために囮ですか。ていうか、嵐山さんは兎も角、バイクは大丈夫なんですか?耐久度的に」

「オイ、お前のそれは後輩として大丈夫なのか?敬称度的に」

「使うのは法師局制のものだ。そう簡単には壊れんさ」

「なるほど。納得しました」

「非常に不本意な説明に敵意を表したいのですが」

「しょうがないだろう。オレとお前以外乗れるヤツ居ねぇんだから。事が事だけに、早めに片をつけておきたいしな」

「そっか。道路いつまでも封鎖してる訳にいかないもんね」

「そういう訳だ。配置的には………こうなる」

そうして示された先に映るのは、手書き感溢れる見慣れた構図で、今日のそれぞれの役割の指図だ。

ボードは鳴り響き、キュッキュと彩る。

「……所長は分かるんですけど、オレと梨央の居る意味は?」

入口から嵐山、赤上、矢来。

出口から水谷、久世と書かれた白板は、嫌な思いを募らせる。

「オレも乗れるというだけで、乗りながら戦えるかと言えば不十分だからな。機動力的に赤上をフォローとして傍に付けたい。そうでなくても、赤の気配は誰よりコイツが一番読めるだろう?建物の中丸ごと怪異なら、初動は大事だ。奇襲で先手を取られては、ただでさえアウェーなのに遅れを取ることになる」

「なら、入口を嵐山さんが抑えて、出口から所長が入って挟み撃ちってのが定石ですよね?」

「分かってて聞いてるなら、態々答えは返さんぞ?」

「あぁ、くそ、やっぱりオレが追撃に出るんですね……それで本当にダメそうなら所長が後から来ると」

「そういうこった。見た感じそこまでの瘴気は無かった。最悪の場合は嵐山も居るんだ。お前でも逃げるくらいの時間は稼げる」

最悪の場合が最悪過ぎる。

嵐山さんだけなら兎も角、その場には梨央も残るのだ。

置いて行く訳にいかないだろうに。

「あの……私は今回なにをすれば……?」

「矢来は入口で結界機の起動だ。万が一呪波汚染が起きた場合、なるべく外へ広がらないように空間を固定する必要がある。出口側はオレがやるから、無線かカフで異界化が始まったと分かったら、なるべく長く法力を注げ。量はオレの方で満たしておくから、あくまで起動を維持するだけでいい」

「複雑な術式とかは……?」

「無い。法力を注ぐだけでいい」

ホッ、と一息する後輩を眺めながら、改めて示された作戦を見据える。

役割は軽過ぎず、しかし重過ぎもせず。

心配の種は尽きないが、無理とも言えない絶妙なライン。

「……やるだけやってみますか」

追撃の退任は、出来そうもないし。

一先ずは様子を見て、ダメそうなら切り出そう。

作戦の推移はそうして決まった。

「はぁ、鬱だ……本当にやるのかな……もう帰りたいまである……死にそう」

準備体操を一、二の三と、こなしながらに、ちとぼやく。

姿は一応、着替えて法衣。

火炎耐性に目を付けて、紺に染まった薄いローブだ。

「今回ばかりは私も師匠に同感です。一応練習はしましたけど、殆どぶっつけ本番で強化結界の構築となると……はぁ。お腹痛くなってきました。帰りたいです」

そう言う矢来は心底不安げに、溜め息を溢して俯いていた。

手には硬質な鋼の塊で、タワーシールドを思わせるそれは、警察の装備と似通った形状だ。

違う事と言えばそれは法具で、核石を宿す仕組みがあること。

翳したその手から法力を補充し、展開を維持する機構が備わっている。

軽く手を置いて、彼女へ言った。

「支所に?それとも都会に?」

「バカにしてますか。愛弟子にしてもらったんですから帰りませんよ。やるだけやってみますから、師匠もがんばってください」

「あいよ。ま、こっちもやるだけやってみるって感じだな。お前も無理するなよ?最悪はヤバかったら逃げろ。オレの方はどうとでもなる、多分」

「若干信用ならないですけど、そこはお言葉に甘えておきます。私が残っても出来ることがあるとは思えないので」

そうこう言っているうちに、響き渡るのは車体の音色。

後方からやってくるのは嵐山さんと法師局二輪だ。

免許自体は興味本位で取ったらしいが、基本走れば風並みに早いこの人が、機械の塊に身を預けるのは不思議と言えば不思議な構図。

もちろん、仕事以外で力が使えない以上、日常に役立つ場面は多かろうが。

「二人とも、準備は出来てるみたいだな」

「カッコイイっすね、嵐山さん。意外とレーサーとか向いてるんじゃないですか?」

「なに、オレのそれなど趣味程度だ。本職には及ばないさ。所長、こちらの準備は整いました」

『おぉ、こっちも準備オーケーだ。赤上はどうした?まだ飛んでるのか?』

「梨央~。戻ってこ~い」

「う~い、っと!」

キキキィ!と、直前までカーブの練習をしてた梨央がターンし、戻ってくる。

炎を纏ったその足で、地面を蹴るようにブレーキを掛けて、嵐山さんの隣りに並んだ。

「大分温まってきたよ!最悪ボクがそいつぶっ飛ばしちゃうから、まっかせて~!」

「や、その場合、嵐山さんはともかくオレが埋まるからやめろ。危ないだろ」

「おい、何でオレを除いた?死にはしないが、埋まるは埋まるぞ」

「崩落したトンネルで死なない時点でおかしいんだよなぁ」

「まぁいい。それじゃあ赤上、準備はいいな?」

「大丈夫!いっきま~す!」

「レディ……」

ブォン!とアクセルが吹かされて。

「ゴー!」

陸上選手よろしく、ロケットスタートで羽ばたきが待った。

そして長い夜が幕を開けた。

トンネルに入って少し経つも、例の怪異は出てこなかった。

何なら残り火に引き寄せられてか、浄化待ちの半霊が道を塞ぐくらいか。

「ねぇ、これ外れたんじゃない?曜日とか日にちも関係するかもしれないんだよね?」

「かもしれんな。どっちにしろオレは運転に集中するから、半霊共の相手はお前に任せるしかないが」

「それは大丈夫だけど。こんなの久先輩の鬼畜訓練に比べたら準備運動だし」

『おい、何か言ったかバカ弟子。今度お前も翼でクロールするか?水は大量に用意してやんよ』

何ならそのまま氷漬けになるかならないかの、瀬戸際を味合わせてやるまである。

「うえぇ……気持ち悪くなってくるからやめてよね、そゆこと言うの。ただでさえ飛びながら撃つのって!難しいんだから!」

「その割には無詠唱でよく当てる。久世の指導は行き届いているようだな」

「まぁさすがにねー。あれだけやってればねー。洋館の中に放り込まれて身体強化使うなって言われた時はどうしたもんかと思ったけど」

『師匠、そんなことやらせてたんですか……ドン引きです』

『や、ちゃんといつでもフォローできるようにしてたから。お前らウチの師匠の訓練見たらそんな事言えなくなるからな。あれだぞ?同じ条件で一発火球外したら師匠が三発火球飛ばして来るんだからな?味方が敵になるってなんだよ、っていう』

『師匠……強く生きてくださいね』

「久先輩……信じてるよ?」

弟子たちからの懇願を感じる。

お前らそんなに訓練が嫌か。それともオレが哀れだったか。

『いや、やらねぇけどさ。ただ、昇華目指してるヤツは他人事じゃねぇからな、こういうの』

『うっ……それを言われると弱いですが』

「お前たち、無駄話とは中々余裕あるな。この分ならスピードを上げてみるか?久世」

『嵐山、今どの辺りだ』

「丁度中間地点と言ったところでしょうか?スパートを掛けるなら絶好のロケーションかと」

そう、嵐山さんが呟いた時だった。

正にそれがトリガーにでもなったかのように、赤の申し子が声を潜めた。

「……ねぇ、何か聴こえない?」

『なんだよ、急に。怖い話か?』

「じゃなくて。本当に何か……赤の気配がする。それも……上から!嵐山先輩加速して!」

「了解した!」

『shaa!』

「ホントに来た!しかも上から泳ぐみたいに落ちてくる!?」

背後に見えるは、火の塊。

上半身だけの人型が、宙を泳ぐように掴み掛かる姿。

右に左に揺れるそれは、確かにこちらを追ってきている。

マグマのような見た目のそれは、灰の黒がより赤を際立たせて、血管が脈動するようにすら見えてくる。

『矢来。無線は?』

『通じてません!各自カフでの連絡に切り替えてください。結界器、起動します!』

『嵐山、いけるか?』

「了解。久世!挟み撃つぞ!思いっきり長せ!」

『了解。押し流せ、漣!』

「穿て、結穿!」

バイクに乗ったままターンを決めた嵐山さんが、前輪をぶつけるように車体を飛ばす。

結界を纏った車両全体が、吹き飛ばすように頭を殴った。

よろけた所にはひたすらの水流。

『shaa!?』

悶える巨人を目の前にして、退いたバイクを留めて降りる。

「赤上!バイクと半霊を任せる!オレと久世でこのままヤツを畳む!」

「了解!」

伸びる剛腕を風が迎え撃つ。

火炎と暴風のぶつかり合いは、風が制して炎を揺らす。

伸ばした拳はケガ一つなかった。

「久世を脅威と判断して逃げて来たか。あるいはあくまでオレがターゲットか」

「バイクから降りても大丈夫そうですね。なら、地道に削りましょう」

前へ後ろへと視線をやっては、両方の攻撃を受けて傾く。

飛んでくる火球も、流れるような波でさえ、この狭い道では厄介極まりないが、決して対応できない程じゃない。

予定調和に作業は進み、そのまま怪異は消えていく。

「これで、終わりだ!」

嵐山尚樹が見据えた先には、恐らくは核だろう車の鍵があった。

拳の一撃でそれは砕け、火の粉が舞って魂は散って……鎮魂の時が訪れる。

「ふぅ。久世、そっちは……久世?」

「嵐山先輩!久先輩がさっきから居ないんだ!多分、あの蜃気楼の向こう!」

「怪異が分かれたのか!?クソ、入れるか!?」

一難去ってまた一難。

眠れない夜は、まだ続く。

「(ヤバイな。カフも通じない。完全に孤立した)」

嵐山さんと挟撃した直後、目の前が揺らいだと思えばコレだ。

どうやら怪異が二つに割れたか、もう一人の世界に入ってしまったらしい。

そう、もう一人。

被害者は父親と……その娘だ。

「漣!漣!」

必死で水流を連打して消化。

スピードを落とさせる事には成功するが、それでもギリギリ、炎がチリチリ。

熱量をある程度遮断している筈の、ローブを着ていてこれなのだ。

近付かれたら、恐らく保たない。

『shao!』

「あっつ!?クッソ!所長が来るまで逃げるしかないか!?」

底が見え始めた法力に焦り、水の奔流を再度放つが、ここにきて敵は力を増やす。

時折現れる半霊を捕獲し、吸収と再生を繰り返しているのだ。

このままではマズイ。

何かしらの手は打たねばならない。

「(異界の中は外と時間の流れが違う。所長か嵐山さんが上手く歪みを見つけて戻って来れたとして、このトンネルの端まで先に行きついちまったら、逃げ場所がないオレの方が不利だ。なら、今オレに出来る最善の一手は……)」

「奔れ、水連!」

背後を取るように現れた亡者の群れを一閃しつつ、結界の足場を蹴る。

地面は最早火の海だ。

空中機動に切り替えて、その分空いたリソースを費やす。

狙うは怪異の恐らくは核。

少女の心臓部をひたすらに叩く。

しかし、怪異もタダでは死なない。

とうとう亡者を捕まえては、投げつけるようにぶつけてきた。

「うぉっ!?」

爆発するようなそれをあしらい、爆煙を抜けるように後方へと飛び出す。

咳き込むほどに広がった煙は、視界を揺らして距離間を狂わせる。

「っ、陣!」

『aaaa!』

「ぐっ」

不意に詰められたその掌に、弾かれるように吹き飛ばされる。

障壁は罅割れ、次の瞬間には呑まれ、溶け込むようにその身に落ちた。

まるで一瞬後の自分を見ているようで、こうも熱い中、寒気が過ぎる。

「(くっそ、やっぱ異界の中じゃ強いな。そもそもコイツの世界だもんな……けど)」

弱らせる度に黒ずんでいき、とうとう灰になろうかという所で、勝機を見い出し、切り札を切る。

「咲け!雪花!」

取り出したるは白の核式。

今回の仕事の概要を伝えたら、雪穂さんがくれたとっておきだ。

青の適性が足りないオレでも、核式ならばある程度使える。

予め術式が刻まれたその石を、四方へ配置するように前へ。

炎は凍てつき、赤は白へと。

静寂が包み……そして破られた。

出て来たのは少女。

滴るは涙。

黒く焦げた髪に、赤い涙は、苦しみながら死を待つしかなかった彼女の最後を思い起こさせて――。



「っ、水連!」



躊躇いは一瞬。胸元に燐光。

首に下がったブローチは、大切な人との思い出の品だろうか?

あるいは真新しく見えたそれは、遠出の先で買ったものかもしれない。

父親からのプレゼントか。

仲の良い親子なら有り得なくもないな。

「(流れ込んでくる……誰かの記憶が、感情が)」

悲痛に沈むその泣き顔に、オレがしてやれることは介錯くらいだ。

元より怪異となった以上、本人の意識はそこにはない。

「(……ゴメンな。せめてゆっくり眠ってくれ)」

核を撃ち抜かれた少女の残像が、幻影となって手を伸ばす。

助けてくれと、願うその手を、受け止めるように、抱きとめた。

願いは叶わず、姿は散りゆく。

異界化は解けて、元の世界へ。

「生きてるか?」

「何とか。途中から見てましたよね?」

殆ど最後の方になってからだが、所長が来ていたのは確認済みだ。

それを踏まえた上で、オレがやるべきだと思った。

命の重さを知る機会が、この感慨が必要だからだ。

「安全を確保できるうちは、経験を積んだ方がいいからな。一瞬の躊躇いくらいなら、取り返してやれる」

最後に躊躇ったのまでお見通しか。

さすがはA級。

勝てる気がしない。

「怪異ってな、妖魔よりも未練が明確だからな。人の意識が残り易い。同情するなとは言わないが、手を止めても誰も助からない。死人が増えるだけだってことを忘れるなよ」

「……肝に銘じますよ」

砕けたブローチの欠片が手から、塵となって風に靡いていった。

掴み掛けたものが掌から零れ落ちていく感覚は、他人事とはいえ虚しく映った。

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