第14話長期休みの使い方

「相変わらずイイトコ住んでんなぁ。こういうの見ると高給取りだって再認識するわぁ」

受付を済ませて入館証を受け取り、エレベーターを前にして直が呟く。

他所に比べれば一人暮らしでは、確かに恵まれたレベルだろう。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、とはよく言ったものである。

「言うほど高給は貰ってないけどな。まだB級にもなってないし」

「術師って儲かるんだねぇ。久世っちも真面目に社会人してるんだって思わされるよ」

「失礼だな。真面目に学生もしてるだろ?授業聞きながら寝るなんて、学生時代しか出来ない贅沢だ」

むしろ寝たことない学生なんて居ないレベルだろう。

本分が学業なら、本能は睡眠にこそあるというべきだ。

「まぁ、あれだな。高校も二年のゴールデンウィークに、丸一日掛けて勉強ってのは柄じゃねえけど、女子が居るのがせめてもの救いか」

「それな。青とか今日超可愛いじゃん。ロングスカートとか、色気の塊かよと」

ノースリーブのブラウスといい、清楚で美人が極まっている。

見ようによっては新妻のようだ。

「大袈裟でしょ。私だけ気合い入ってるみたいなのやめてよね。梨央ちゃんと瞳ちゃんの私服も期待してるくせに」

何気に照れつつ髪を梳く仕草が、男心を掴んで離さない。

青木帆花という女子は、極めて正しく清心可憐だ。

「それはもう期待してますとも。梨央はああ見えてスカート系好きだし、矢来は生足ショートパンツとか定番で来そうじゃん」

「……何か、これで当たってたら久世っちが真性の変態みたいなんだけど」

「や、言って無難な予想だろ。ドレスやらスーツやら着る訳じゃなし」

そうして会話を尽くす間には、エレベーターも到着して、目的の階で扉が開く。

答えはすぐさま、目の前に出た。

「……久世っちの変態」

「よっしゃぁ~!弟子の晴れ姿が見れるならこの際変態でもなんでもいい!」

「晴れ姿って……私服なんだけど」

「師匠なら何となくそうなるだろう気はしてましたが……」

弟子二人の呆れなんて今更なものだ。

良いモノはいつ見ても良いモノである。

「まぁ、いいんじゃね?啓太の弟子バカは今に始まったことじゃないんだし」

「そうですね。ほら、久先輩。早く鍵開けて。ボクと瞳さん待ってたんだから」

「了解了解♪いやぁ、愛弟子と休みも一緒に過ごせるなんて、オレってば今日は幸せだなぁ」

「勉強会でそこまでハシャげるなんて、一周回って清々しいですね」

呆れるような矢来の態度に、頷くように皆が笑う。

笑顔は笑顔であるものの、そこには確かな苦みが見えた。苦笑、とはよく言ったものである。

「終わったぁ~。休憩~」

「ちょっと久世っち、ホントに終わった?さっき言ったトコ最後までやったよね?」

「や、最後の方は無理じゃね?まだ教えてもらってない気がするんだけど……」

「応用で出来るよ。基礎は教えてあるんだから」

「一人でさせるのも悪いし、青の料理を手伝おうかと思ってさ」

さっきまで横で見てた彼女は、今やキッチンで昼食作りだ。以前に手料理が食べたいと駄々を捏ねてから、調理担当は彼女となった。

おかげで勉強会の日は、材料の買い出しが定番である。

「あ、じゃあ私がやりますね。言われた所は終わりましたので」

「師匠より優秀な弟子ってな居るんだな」

「クソ、優等生め……変なトコ真面目だよな、矢来って」

「久先輩が飽きっぽいだけじゃない?ボクも出された課題はもう終わったよ」

「ちょっと待て。マジでか?オレ本格的にバカ確定か?」

「や~いバーカバーカ。弟子より成績下なんじゃねぇの?」

「それはさすがにないだろう!?梨央と矢来平均より上か!?下だろ!?」

勉強に自信がある訳ではないが、師匠の威厳に関わる自体だ。

早急に解明する必要がある。

「ボクは真ん中くらいかな?」

「私は少し下ですね……」

「よし!オレ平均より若干上!よし!」

「上って行っても、十人くらいでしょ?真面目にやらないと、ホントに単位落とすよ?」

「まぁ、そこまで言われたらやらざるをえないが。美味いメシも作ってもらってるしな」

「ホントにそれね。何で家庭教師で家政婦みたいなことしなきゃならないんだか……」

キッチンから立ち上る良い香りに、自然、意識はそちらへ向かうも、何とか戻してノートにペンを。

頭の中は既に鍋一色だったが、意地と根性でペンはひん曲げた。

「ごちそうさまでした~」

のんびりまったり食べ続けていた、赤上梨央がその箸を置いた。

鍋とは別に用意された、担々麺は彼女のリクエストだ。

店とは違った家庭の味に、舌鼓をうちペロリと平らげた。

「お粗末様でした。梨央ちゃんは本当に美味しそうに食べてくれるから、作り甲斐あるわ」

「いやぁ、だって青先輩の料理美味しいですし。久先輩じゃないですけど、お嫁さんの味って感じです」

「ありがとう。まぁ、行き先も中々見つからないんだけどねぇ」

食後の空気はほんのりほっこり。

女子の二人がソファで寛ぎ、家庭的な話に身を置いてみれば。

「あっ!?てめ、直!それ卑怯だろ!?ハメ技やめろ、マジで!ていうか、矢来も来いよ!」

「いえ、師匠が存分にダメージを受けた所で、漁夫の利を狙おうかと思いまして」

「良い度胸してるわ、瞳ちゃん。もう少しで片付くからそれまで待ってていいぞ?」

「クッソ、やったらぁ!」

はたまた向かいのソファの横では、ひたすらに喧しく、コントローラーが叩かれていた。

TVゲームに夢中な男子に、女子の目線は冷え気味である。

「そういえば、久世っちは仕事の方も試験があるって言ってなかったっけ?遊んでていいの?」

「ん~?あぁ、そっちは別に問題無いぞ。今の時点でも、多分受かるから」

「余裕ぶってて落ちたりしない?」

「落ちたら落ちたで、仕事が増えなくて助かるんだけどな、っとキタキタこれ!オレのターン!ドロー!」

「や、何処の遊戯だよ。お前のターンねぇから、マジで」

「だからハメんのやめろって、こんちくしょうが!」

オレのターン終了のお知らせである。

尚、ハメ技は続く模様。

「師匠って、ゲームは下手なんですね。ちょっとだけ助太刀します」

「おっと、瞳ちゃんはセンスあるな。こういうの慣れてるくちか?」

「友達の家で少しだけ触ったことがある程度です。自分で買ったりする程ではなかったので」

「こっちに来てからはボクが時々相手してもらってるから、多分久先輩より強いですよ?」

「オレの方が梨央の相手してる時間長い筈なんだけど、それは……」

「ゲームの腕っぷしは弟子のが上みたいだな、お師匠様?」

「コイツ、絶対ぶっとばしてやる!」

画面の中で大乱闘が繰り広げられるのを横目にして、手際良く青木帆花は片付けを始めた。

傍で手伝うは赤上梨央だ。

食器は下げられ、卓は拭かれて、一息入れるように皆にお茶が振る舞われる。

自然、話題は日頃のものへ。

「梨央ちゃんは自炊とかしたりしないの?」

「あぁ~、ボクもやってみようとは思うんですけど、自分のために作るのって何か面倒臭くなっちゃうんですよねぇ。食べる方は全然飽きないんですけど」

「食い意地の張った可愛いヤツだろ?」

「……かといって久先輩に作ったら過剰に反応しそうでヤですし」

「過剰とは失礼な。愛弟子の手料理とか食いつかない方がおかしいだろうに」

「何出しても同じなら誰が作っても同じでしょ?それに、疲れて帰って来てご飯まで作る元気は無いんだよね。早く寝ちゃいたいからさ」

「くたびれたOLみたいなこと言ってんなぁ。まぁ、寝たい気持ちは分からんでもないが」

「ですね。帰って来たらなるべくすぐ寝たいです。学校が無い日とかは特に」

「お前らも大変なんだなぁ。ていうか、これめっちゃ美味いな。高かったんじゃね?」

そう言いながら手をつけるのは、お茶請けとなるチョコレートケーキだ。

オーソドックスな黒でありながら、ビターな甘さが際立つそれは、専門店ならではの味と言えるだろう。

「雪穂さん……術師の座学の先生への手土産にな。よく持ってくんだよ。授業以外でも世話になってるし」

「もしかして、あの、手を繋ぐ祈祷術ですか?」

「それな。授業の時間外で教えて貰ってるし、まぁ、残業代みたいなモンだ」

「ふ~ん。他の先生にも貢いでるんだぁ。手繋いでねぇ~。へぇ~」

「おいおい、嫉妬かよ。可愛いな。バイト代上げた方がいいか?ん?」

「別に、そういう意味で言ったんじゃないし。久世っちのバーカ。おたんこなす、マヌケ」

「おたんこなすって今日日聞かねぇなぁ。あとマヌケが一番バカっぽいからやめぃ」

おたんこなすより、シンプルに酷い。

たった三文字で、コスパ最強かよ。

「そういえば、連休なんですよねぇ。こういうの見ると、季節感感じるというか」

言いつつ眺める赤上梨央は、その目をテレビのニュースに染めた。

外は遅咲きの桜が散って、取り残されたような強風の中で、花見をする客が少々といった所か。

連休の遠出と言えば聞こえはいいが、その実覚えは良さそうに無いな。

家で寝ていて正解の日だ。

「花見なんてしたことないね、ボクたち」

「シフトギリギリだしなぁ。言って休みは皆趣味に当ててるだろ。嵐山先輩はツーリング、所長は朝から飲んで、雪穂さんは読書って所か?」

「私も録画してた番組とか消化するくらいですかね?」

「一般人枠の青と直は何してるんだ?」

事務所の面子の私生活なんてしれたものだが、これが普通の高校生なら、楽しいイベントでも待っているのだろうか?

「私もバイトあるし、勉強してたら大体過ぎてるっていうかねぇ~」

「オレも部活してない時は特に決めてねぇな。どうせゲームか漫画かラノベかアニメか。高校生なんてそんなモンだろ。一般人も何も、そこら辺は変わらないんじゃねぇの?」

「それもそうか。花より団子だよな。今度みたらし団子でも買っていくかねぇ」

「師匠のオフは柊さんとお茶ですか」

「ハハッ、休みっちゃ休みと言えるけどな。波長合わせるってなぁ、アレで結構デリケートなんだぞ?雑念が多いと、すぐに弾かれるしな」

「おいおい、思春期の男が美人と手ぇ繋いで雑念も何もねぇんじゃねぇか?」

「ホントそれな。あの人相手に少しでもそういう不誠実は通じないから。文字通り心が読める人間相手に、心開き続けるのは結構根性が要るんだよ」

やる気の無さを見破られたら、その場で一瞬ズバンである。

接続を切られて、帰れと冷めた眼差しで見つめられるのは、中々心にクルものがある。

「でも、何だかんだで続いてるからスゴイよね、久先輩はさ。ボクなんて10分も保たないもん、アレ。意識の空白状態っていうか、無意識をずっと感じ続けるなんて、冥想みたいで地味に辛いし」

「みたいってか、まんまそれだよ、アレは。深過ぎず浅過ぎず、染まり過ぎず染め過ぎずってのは、それだけで心の干渉が大きい。オレだって今でも保って30分。お茶請けを用意して食べ終えるまでだ」

「久世っちって日頃からそんな仙人みたいな修行してるの?」

「弟子を導くのに必要なら、例え火の中水の中だ。心の中で拒絶されても、何度だって根気よくノックしてみせるさ」

例えそれが魔女の犇めく伏魔殿だとしても、地雷を踏まずにロープの上を、歩き続ける努力を惜しまない。

それだけがオレに、出来ること全てだ。

「何だかんだ言っても、女にはトコトン縁のあるヤツだよな、啓太って」

「そう言えば東堂さんも、そのお弟子さんも女性ですよね?一緒に暮らしてたって言ってましたし」

「女難の相だけは、努力では何とも出来ん。矢来見てみろ?まだ半人前のC級に弟子入りするために押し掛けて来るんだぞ?予想して逃げ続けろって方が無理だ」

「これがホントの押し掛け女房か……」

戦慄するような直の視線に、甚だ不本意だと主張するように釣り目が上がる。

「私を弟子に取る前から、師匠は梨央ちゃんを弟子にしてるじゃないですか。その時は東堂さんと揉めたって所長から聞いてますよ?」

「……まぁ、半人前がいきなり、この子の師匠になる、オレが導いてみせるなんて言い出したら、そりゃあ止める方が正論だわな。オレを一人前に育てたかった師匠には、申し訳なく思ってるよ。けど、それでもあの日梨央と出会って、その手を取ったことを後悔したことは一度も無い。オレは梨央を助けたかもしれないが、救われたのはオレの方だって、今でもずっと思ってるから……オレの弟子になってくれてありがとうな、梨央、矢来」

「えっ、私もですか?」

すっとんきょうな声を上げる弟子に、お前もだよと笑い掛ける。そりゃあ話の流れ的には梨央の話だが、弟子の話なら矢来だってそうだ。

「愛弟子だって認めたからな。何より、師匠がお前を寄越したのは、オレが梨央を育てるためだけで終わらず、自分が昇華するのを諦めないためだ。ある意味師匠不幸者だったオレに、恩返しをするチャンスを与えてくれたんだから、感謝してもしきれねぇよ」

「私はただ、自分のためにお世話になっている身の上ですし、それを感謝されてしまうと決まりが悪いのですが……」

「オレが勝手に思ってるだけだから、お前が気にすることじゃないさ」

実際、愛情を注げると決めたからこそ、愛弟子などと呼んでいるのだ。

その呼称は文字にして軽くても、久世啓太にとっては決して軽くも、重くもない。

文字通りに込められた意味を、矢来瞳に対して抱いている証拠なのだから。

決して恥ずべき事ではないのだ。

「久世っちってそういうトコあるよね。お前がオレを友達と思ってるかじゃなくて、オレがお前を友達と思ってるかが全てだ、みたいなさ。自己完結型っていうか、ある意味究極の自己中心型だよね」

「自覚はしてるが、治すのは無理だな。オレが師匠から教わった唯一の生き方みたいなモンだし。自分っていう、一本筋を通したようなあの人の槍を、間近で見てきて悟ったことでもある。芯の通った想いってのは強い。それ以外の何を捨ててでも、それを守り通そうとする覚悟があれば、成し遂げていけると信じられる。……狂信的とも言えるソレだけど、使い方を間違えなければ大切な人たちを守れる力になるって、あの人が身を以って教えてくれたからな」

酷く懐かしい記憶を想う。

目の前の日常さえ見ようとしないオレを、目を背けさせない程照らし続けたその光を想う。

その鮮烈な生き様が、今も心に焼き付いているからこそ、オレは梨央を導くための光になれているのだ。

何処までも強いその輝きを、いつか自分でも宿せると信じて、その想いを誰かに信じさせるために、今という時間を生きている。

赤上梨央は、矢来瞳は、久世啓太にとって生きる理由そのものなのだ。

「……やっぱスゲェよな。お前のその命に対する考え方の深さっていうか、在り方みたいなのはさ。他のことは大抵同じに見えても、死生観っていう観点においては、お前らは一線を越えてるんだなって思わされるわ」

「いや、究極的には自分のためだけに生きてますよ?ってだけの話だぞ?そんな感慨抱くようなものじゃないんだがな……」

「久世っちたちにはそうでも、私たちにはそうじゃないってこと。今日も明日も明後日も、どうなるかなんて分からなくても、まさか死んでるかもなんて思って生きてないし」

「そりゃあそうだろ。むしろ、それが普通だし、多数派だ。そんな考え方が少数派の世界なんて、それこそ考えたくもないしな」

「それでも、やっぱり寂しいよ。少数派だから理解されないとか、そうするしかないんだって考え方は、やっぱり何処か冷たいっていうか、暖かくないんだって思うから。他人の肌の、心の冷たさを、少しでも温めて上げられる人になりたいって、少なくとも私はそう思ってる。多数派と少数派が居るなら、その現状を変えたいって思う中立派が居たっておかしくないじゃない。大きくないし、強くもないかもしれないけど、小さくても弱い優しさが、何かを救えるんだって信じたい。例えそれが夢みたいな理想論だとしても、叶えたいって思える生き方が、次に少しでも繋がるのなら、優しさっていう暖かさは、決して消えないものだと思うから」

「……そっか。そうだな。そう思ってくれる理解者に出会えたことが、オレにとっては眩しいくらいの希望だよ、青」

「っ、ちょっと、何でいきなりこんな話になっちゃったんだっけ?久世っちが急に真剣なこと語りだすから、私まで感化されちゃって恥ずかしいこと言っちゃったじゃないっ」

「別に恥じることなんて一つもないだろ。むしろ、そこで恥ずかしがっちゃう辺りが、青はまだまだだなって感じだよ」

「私は久世っちほど自己中じゃないっての!むしろ、十代半ばで愛してるとか本気で言っちゃえる久世っちの方がおかしいんだから!」

「そんな必死で否定しなくても、そもそもオレはオレがマトモだなんて一度たりとも言ってないんだがな?」

「あーもう!こういう話やめやめ!花見の話でしょ?ウチは一度行ったことあるわよ。けど、暖かくてキレイってよりは、肌寒くて煩いって感じで、子供的には面白くなかったわ。大人の飲みの場って感じでさ」

そうして必死に話し出す青に、続くように直が体験談を話せば、その場は流れて会話は弾んだ。

春の終わりのその日々を、温かい風が吹いていく。

和やかな時間は、ゆるりと終わりを迎えにいった。

ぞろぞろと人波が流れた直後。

そそくさと帰ろうとする最後の彼女に、予め備えた封筒を差し出す。

「っと、青。今日のバイト代。まだ渡してなかったろ」

「……今日はいい。なんか貰ったら負けな気がするし」

「負け?何に?」

「誰かによ。教えたトコ、ちゃんとやっときなさいよね。それじゃ」

「ん、おう?気をつけてな?って、ちょっと待った。結構遅くまで付き合わせちまったし、外暗いから送るわ」

「別にいいよ。態々出なくても、家近いし」

「や、どうせ夜勤だし。そろそろ出勤だからな」

「……?仕事の日に一日勉強してたの?梨央ちゃんや瞳ちゃんは休みなんだよね?」

「オレは自分のシフトだけじゃなくて、梨央と矢来のシフトの日も出て訓練つけないといけないからな。時間取れる時にしとかないとなんだよ」

「……頑張るね。お師匠さんも」

鍵やらスマホにローブを引っ掛けて、出ようとする頭に掌が触れる。

ゆらりゆらりと梳くように、靴を履くために屈んでいた頭は、子供にするようによしよしと撫でられていた。

しょうがないなぁ、とでもいうように、微笑む彼女がそこにはあった。

「可愛い弟子だからな。そりゃ頑張るさ、出来る限り。っと、んじゃ行くか、近くまで」

「……今度さ、何か食べたいものある?どうせ作るなら、聞いときたいし」

「悩むなぁ。サンドイッチもチャーハンも美味かったしなぁ。寄せ鍋ときたら、次は麻婆豆腐か?」

「次の意味分からないし。まぁ、食べたいなら別にいいけどさ」

「期待してるぜ、料理長。オレの胃袋を掴んでくれよ?」

「……捕まえた後で食べらんなくなっても知らないからね、まったく」

「その時は、梨央か矢来に泣きつくさ」

「サイッテー。この変態女誑し。女の敵よ。滅ぶべきだわ」

「そんな簡単に誑し込めんだろ。オレよかそういうのは直の方が向いてんじゃねぇの?梨央もそうだけど、矢来ともアッサリ打ち解けてるみたいだしな。瞳ちゃんて。サクッと名前呼びかよと」

「何?妬いてるの?ちゃん付けで?」

「悪いかよ。愛弟子からの愛に飢えてんだよ、お師匠さんは」

「ホンット師匠バカ。そんなんじゃ一生彼女出来ないわよ?」

「出来たら出来たで困るしなぁ。ポックリ逝った時申し訳が立たん」

「……そういう言い訳の仕方。ズルイよねぇ、久世っちは」

「そうか?」

「そうよ」

彼女のバイト先であるファミリーレストランまで、軽く山を下るように歩いていく。

梨央といつも使用する場所で、霊地から降りて辿り着く、一番近い商店である。

そして彼女の家の近くだ。

「ん、ここでいい。あっちでしょ?」

「おぅ。んじゃここで。また明日な?ゆっくり休めよ?」

「それ、これから働く人の言葉?」

「これから働くから、休めるヤツに休めって言うんだろ?勉強が教えられるのも、料理を振る舞えるのも、他の奴が休んでる間に、お前が努力した証拠じゃねぇか。人の努力に嫉妬しないなら、休めは別に嫌味じゃねぇよ」

「ふーん、あっそ」

「じゃあな、青」

「ん、じゃあね、久世っちこそ、仕事終わったらゆっくり休みなよ?」

「そのつもりだよ。優秀な先生のお陰で授業中はグッスリだしな」

「ふふっ、ホント、バーカ」

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