第8話寄り道、筋道、帰り道。
「へぇ~。じゃあ無事に愛弟子認定されたのね、瞳っち」
「まぁ、一応ですが、認めてくださったようで」
「こんな可愛い子に慕われるとか、相変わらず羨ましいことしてんな、啓太のやつ」
久世啓太がトイレに立ったその間、三人だけの話題の中で、取り沙汰されたのが矢来瞳の近況だった。
実際彼は最初の内から、あまり乗り気ではなかったようだから、押し掛けて来た弟子の身としては、心の何処かで不安があったのだろう。
あの日あの時あの場所で、ハッキリと自分を愛弟子だと認めてくれた時、自分でも言い知れぬほどの嬉しさを感じたのを覚えている。
努力をちゃんと認めてくれて、結果をちゃんと褒めてくれる。
そんな存在が傍に居るだけで、人は成長するものなのだろう。
決して当たり前ではない今の環境を、これからは益々大事にしていかなければならない。
そんなこんなで話し込む内に、件の彼が帰って来ていた。
「ふぁ~、腹減ったぁ。ほい、青お土産」
「ありがと。はい、お代」
「別にいいのに。まぁ、金の切れ目が縁の切れ目とは言うし、そういう意味ではちゃんとしないとだが」
「久世っちはお金に無頓着過ぎるからね。気をつけないと縁切れちゃうよ?」
「肝に銘じます、先生」
「もう、すぐそうやって茶化す」
「それで?お前から見て瞳ちゃんはどんなもんなんだ?愛弟子認定したってことは結構優秀だったりするのか?」
「優秀っちゃ優秀だな。天才ってよりは秀才タイプだけど、その分新しい環境への活力に溢れてるっていうか、やる気と根性だけは中々あると思うぞ」
「えっと、褒められてるんでしょうか?」
「むしろ、褒め言葉以外に何に聴こえるんだか」
登校前に買ってきた惣菜パンを開けながら、一口含んで疑問に答える。
そもそも配属初日から波を経験する時点で、ツイているとは言い難いのだが、乗り越えたならそれも試練。
跳ねた三日目も恐れず慌てず、対処してみせた手腕は見事だ。
D2昇級間違いナシである。
「そう、ですか。ありがとうございます、師匠」
「まぁ、お互い様だ。こっちこそ、愛弟子になってくれて嬉しいよ、矢来」
「うわぁ、そういう事サラッと言える辺りチャライわぁ」
「だよねぇ。久世っちって恥ずかしげもなくそういう事言うから罪だよねぇ」
「失礼な。まるで人が師匠という立場を利用して弟子を口説いてるみたいに言いやがって」
「師匠が口説くなら、私より梨央ちゃんじゃないでしょうか?」
「妹分口説いてどうするよ。それこそ師匠としての立場の乱用だろ」
実際問題男女の仲だ。
友情が成立するかを問われるように、師弟の中も複雑怪奇。
最初の頃に比べれば和らいだが、昔は笑顔を見るのも一苦労。
男手で女の子を育てるのは、色々デリケートで気を遣うものなのだ。
「ふ~ん?意外と真面目なんだぁ。勉強の方はそうでもないみたいだけど」
「いや、あれだぞ?出された課題はちゃんとこなしてるぞ?それに、オレたちは出席に関してはある程度免除されてるから、日数が足りないってことはないだろうし」
「単位が足りなかったらダメなんじゃないの?」
「いや、必修はちゃんと取ってるから……術師の講義の単位と合わせれば、卒業くらいは出来る筈だから……」
「講義って単位認定されるんですね。知りませんでした」
「そういえばお前は中等部から法高専通いだっけ。高校はどうよ?多少は居心地よくなったか?」
「えっと、その、あんまり話せる人が居なくて……」
「勉強よりコミュ力が問題だな。お前大分内弁慶だし」
実際問題、話せば楽なのだが、話し掛けるには目付きが鋭い。
本人にその意志は無いのだろうが、どうにも見た目で損しているタイプだ。
慣れてさえくれば愛嬌もあるのだが、お師匠さんとしては如何ともし難い所である。
「あ、じゃあさ、ライン交換しようよ、瞳っち。まずは私と話す練習しよう」
「お、いいじゃんそれ。オレも混ぜてくれ。男子に慣れるなら居た方がいいだろ」
「んじゃオレたちのグループに入れた方が早いんじゃね?」
「それもそっか。にしてもそうかぁ。とうとう昼飯同好会も五人になるんだね。改名でもする?」
「んや、部よりは同好会の方が何かゆるっとした感じで好きだな、オレは」
「だな。ていうかオレもうバスケ部だし」
「あの、本当に私も入っていいんでしょうか……?先輩たちのお邪魔では……?」
「何をバカなこと言ってるんだか。お邪魔だったら誘わないっての。今度遊びに行く時とかに、連絡取れないと不便だろ?」
「遊びに、ですか。そう、ですか」
「……矢来って喜ぶと口元緩むよな。ちょっとニヤついてるのが分かってきて楽しい」
「っ、別にニヤけてません!師匠の目が悪いんです!」
「術師に目が悪い奴なんて居ないと思うけどな。まぁいいや、そんじゃ青、招待頼むわ」
「りょうか~い。あ、でも女の子同士でも話したいから、そっちはそっちでよろしくね?瞳っち」
「?はい。よろしくお願いします」
紆余曲折あったが、取り敢えず何とかなったか。
コミュ力の指導はしてやれないからな。せめて普通に人と話す機会が作れればいいが、はて。
そういえば霊能者の面接がそろそろだったような?
確か矢来と同い年の子も居たし、連れていくだけ連れてってみるか。
霊感持つ同士、思う所もあるかもしれんしな。
~
昼食を食べて三時間。余すことなく睡眠に注ぎ、欠伸を掻いて廊下を渡る。
気分は憂鬱、テストに暗雲。神様帆花様に願いを掛けているが、それでもこのまま過ぎれば拙い。
さすがにそろそろ寝ないようにしよう。波が落ち着いたからって気を抜き過ぎてた。
学生の本文が学業とまではいかないが、程々に学生もやっておかないといけない。
兼業は辛いが、友情は尊い。
数少ない友人くらい、大事にしなければ罰が当たるだろう。
目に咎めたのは、そんな時だった。
「ん?矢来じゃん。今帰りか?」
「師匠。お疲れ様です。師匠も今終わったんですか?」
「あぁ。帰り時間被るの珍しいな。せっかくだしちょっと制服デートでもするか?」
「チャライですね。梨央ちゃんにチクりますよ?」
「構わねぇさ。せっかく愛弟子になったんだ。お祝いしようぜ?美味いものくらい奢らせろ」
「お祝い、ですか。何をご馳走してくれるんです?」
「商店街の肉屋のコロッケと、和菓子屋の宇治金時、ラーメン屋の担々麺。どれがいい?」
「ラーメンはこの前梨央ちゃんと行きましたよ?もしかしてピリ辛四川風担々麺ですか?」
「それな。弟子に取ったばかりの頃の梨央は、とにかく暗い顔して元気なくてな。せめて美味いものだけでも食わせてやろうと、あちこち連れ歩いたもんだ。あの店はその中でもお気に入りらしい。オレもよく小腹が空いたらお世話になってる」
「思い出の場所なんですね。もしかして他のお店も?」
「梨央と制覇したオススメスポットだ。値段はもちろん、味も保証するぜ?」
「そうですね。では、コロッケが食べてみたいです。部活後の買い食いみたいでいいですよね」
「だな。オレらの運動は夜だから、一足先にアスリートたちのメシを頂くとするか」
二人で並んで歩くその背は、見る人が見ればカップルのそれか。
はたまた仲の良い兄妹だろうか?
ともあれ、目的地への道のりが決まり、歩きだす歩調が緩やかに揃い出す。
背の差は然程ある訳じゃないが、男と女の平均は違う。
少しだけ彼は歩調を緩めながら、隣り合う彼女に話を振った。
「体の調子はどうだ?ちゃんと疲れ取れたか?」
「はい。銀蝋相手に霊障は少し負いましたが、寝れば治る程度です。幻肢痛は少し痛かったですが」
「慣れるまではそうだろうな。物理的な怪我を治しても、細かい霊障は時間を掛けないと治らない……まぁ、逆に言えば物理的には治る訳だから、訓練をするには支障ないんだけどな」
「手厳しいですね……波も終わりましたし、今後の巡回は大丈夫でしょうか?」
「お前が対応できるかって意味か?」
「はい。まさか普段からあの数が出る訳じゃないでしょう?」
「まぁな。けど、その分の時間は訓練に宛てるぞ。多少の霊障じゃ休ませないから、今から少なからず覚悟しとけ」
「……強くなれるなら、望む所です。昨日の一戦で、実力不足は痛感しましたから」
呟く彼女は少し下向きか。
妖魔と相打ったのを気にしているのかもしれない。
訓練で手を抜く訳にはいかないが、気持ち前を向く手伝いぐらいはいいだろう。
少し気を遣って言葉を掛ける。せめてこれから先を見つめられるように。
「そうでもないだろ。初見の相手に、上手く対応出来てたと思うぞ?最後にお前が相手した銀蝋は、C3クラスの強さだった。その前の犬狼と鳥羽といい、立ち回りは存外悪くない感じだ」
「もしかして、励ましてくれているのでしょうか?」
即効でバレた。声色に出てたか。
何が気を遣ってだ。我ながら雑過ぎる。
「考え過ぎだ。素直に褒めてんだよ。天才的なものは感じないが、順当なくらい優秀だよ、お前は」
「イマイチ喜んでいいのか困りますね……」
「これ以上ない褒め言葉だろ。天才なんて目指してなるもんじゃねぇしな。最初から持ってるか、そうじゃなきゃマグレだ。ビギナーズラックで終わるつもりはないんだろう?なら、積み上げていく秀才のが強い。ちょっとやそっとの天才じゃ至れない道筋を、努力で踏破していく根性は貴重だ。壁にぶつかってこなかった奴は、壁の越え方が分からないが、壁を越えて強くなってきた奴は、当たって砕ける心構えが出来てる。大事なのは砕けて尚立ち上がる精神だ。壁を越えるのはいつだって、才能なんかより執念だからな」
「執念、ですか。私にもいずれ、出来るでしょうか?」
「そのための訓練だ。今はただ、前を向いて走れ。遅かれ早かれ、壁にはぶつかるんだから。ぶつかるまでは考えなくていい。その時になって初めて、分かることもある筈だ。越えるための準備は、それからでも遅くない」
「……そうですね。私程度のレベルで、壁も何もないですよね」
「そうだな。才能があるかなんて才能ある奴にしか分からない。才能が無い人間は只管精進あるのみだ。越えられない壁なら、ぶつかり続けて叩き割れ。どんな手を使おうとも、先へ進んだもん勝ちだ」
実際は非道な手を使い、外法師落ちする輩も居るのだが。
オレが鍛える以上、彼女を落とすつもりはない。
誠心誠意、大事に育てる。
根が真面目な彼女なら、真っ直ぐ伸び伸びと育ってくれる筈だ。
「いらっしゃい。あら、久世くんじゃない。美人さん連れて、デートの途中?」
「可愛いでしょう?ウチに来た後輩なんです。ここのコロッケの味を教えとこうと思って」
「浮気はダメよ?梨央ちゃんが悲しむわ」
「どっちも愛弟子ですよ。愛してはいますが、恋してはいませんて」
「相変わらず口の減らない子ね。新人さんは名前なんて言うの?」
「あ、はい。矢来瞳と言います。久世先輩の弟子をさせてもらっています」
「瞳ちゃん。良い名前ね。きっとご両親は綺麗な瞳をしているんじゃないかしら」
「プロポーズの言葉とかに使ってそうですね。女性としては憧れちゃいますか?」
「なぁに?私が独身なの知ってからかってるの?」
「いえいえ、日南さんならいつでも結婚できると思ってますよ。ここのコロッケなら毎日食べても飽きませんし」
「やーよ、嫁に行ってまで揚げるの。ちゃんとお味噌汁作ってあげるんだから」
「それはまた、旦那さんも幸せなもんで」
「でしょう?これでも家事全般得意なんだから!いつだって嫁に行く覚悟は出来てるわ!」
「長くなりそうなんでコロッケ二つお願いします」
「まぁ、失礼な子。そんなんじゃ女の子にモテないわよ?」
そんな事を言いつつもテキパキと手を動かして、焼きたてのコロッケが湯気をあげながら包装されていく。
一個五十円という破格のそれは、昔ながらの変わらぬ味だ。
ここいらの学生は皆お世話になり、オレもまた直から教わった場所である。
受け継がれる安さと安定した美味さ。
その芳醇な香りが、鼻腔をくすぐり刺激してやまない。
「こうして可愛い後輩とデート出来るだけで幸せですよ。これ以上の幸福は手に余ります」
「相変わらず年寄りみたいに達観してるわね。私より老けてるんじゃないの?」
「さぁ?どうでしょうか。そもそも日南さんの年齢を知りませんし」
「女性に年齢を尋ねるなんてデリカシーのない子ね。オマケしてあげないわよ?」
「それは失礼しました。勝手に27くらいと思っておきます」
「やだもう♪オマケ二個あげちゃう♪メンチカツも食べなさい♪」
「よかったな、矢来。メンチカツも美味いぞ?」
「師匠は何処に行っても師匠ですね……口から生まれてきたんじゃないでしょうか」
「失礼な。オレは口より態度で示す方だぞ?弟子が望むなら手も繋いで歩ける」
「望まないので安心してください。そういうデートは梨央ちゃんとどうぞ」
「はい、お二人さん。熱いから気をつけてね?」
「ありがとうございます。わっ、ホントに熱いっ」
「それじゃ、また何かあったら連絡してください。支所の方でも、オレの方でもいいので」
「ありがとね。その時はよろしくお願いするわ」
両手に持った袋から覗く、熱々のコロッケを食べながら歩く。
近くの公園へ向けた足取りは、迷うことなくその木を目指す。
丁度開けた空間にある、木製のベンチが席を空けていた。
二人並んで腰を落とす。
まだ冷える風に、手元がかじかんだ。
「さっきの方、お知り合いなんですか?」
「ん?あぁ、霊能者だからな。支所の仕事で顔合わせてるよ」
「気付きませんでした……霊感ある人ってやっぱり法力は無いんですね」
「そりゃそうだろ。あったらあの歳まで生きてるかどうかも怪しい」
「ですか。支所の仕事という事は、私も関わる機会があるのでしょうか?」
「丁度今度別口の面談が入ってるから、お前も一緒に連れてこうかと思ってる」
「具体的には何をするんですか?」
「外部からの霊的な干渉を防ぐために、結びっていう法具を支給するんだ。日南さんも髪留め付けてただろ?ああいうのをそれぞれの家庭に持って行って、何か異常はないか、身の回りで変なことはないかって、聞き取り調査みたいな事をするんだ。気付いてないだろうが、青も霊能者だぞ?元々は支所の相談で顔合わせたしな」
「青木先輩が……相談という事は、何かあったんですか?」
「前に行ったろ?噂話から怪異の根を潰したって。青がその時の被害者だよ。解決したのがオレって事になるな」
「それであんなに仲が良いんですね」
「そう見えるか?まぁ、それ程でもあるが」
「台無しです。私の敬意を返してください」
「ま、そういう訳で、オレたちの仕事は巡回以外にもあるんだ。霊能者の訪問とかカウンセリングは支所の業務だから、これからはお前にも慣れてもらうぞ」
「私で務まるでしょうか……憂鬱です」
「心配しなくても、二人一組だ。一人にはさせねぇから安心しろ」
食べ終えたコロッケの袋を纏め、持参したポリ袋に放り込んで縛る。
さて、喉が渇いたと立ち上がり前へ。
財布片手に自販機の傍へ。
「何飲む?お茶と紅茶とコーヒーがあるぞ」
「お茶でお願いします。袋お借りしてもいいですか?」
「おう。ちょっと待ってな。手拭くものもあるから」
「準備いいんですね。よく来るんですか?」
「梨央と来てた時の名残りだよ。食べ歩きが定番だったからな」
ドリンク両手にベンチへ戻り、アルコールティッシュを摘まみ上げて彼女へ。
手を拭き、口を拭き、丸められたそれが、袋へ放られて一息吐いた。
冷たい緑茶が喉を満たしていく。
気分はすっかり縁側のそれだ。
夕暮れが迫り、暗がりが広がる。
そんな時だった。
彼女が目にしたのは。
「師匠、何でしょう?あれ?」
視線の先には、六階建てのビル。
その軒先で集まる、人混みに交わる。
大きな木版に白い布を被せたようなそれは、様々な色合いを持つキャンバスへと変わっている。
一人の男性がBGMを背後に、ペンキで何かを描いているようだ。
ホテルの用意したイベントだろうか?
観光客らしい人も並んでいる気がする。
「何かのイベントじゃないか?ここら辺たまにそういうのやってるしな」
「いえ、何か……変じゃないですか?」
「ん?変って?」
「あの筆……光ってません?」
「夕焼けの反射か?」
「どうでしょう?ここからじゃそこまでは分かりませんが……何か、嫌な感じがします」
「……ちょっと見てくか。この距離じゃ確かにそうだとしても分からない」
そうして結局二人で距離を詰め、光る筆とやらを観察に動く。
幸い、人混みはそれほど多くなく、労することなく視界に収まった。
そして見えたのは……淡く光る筆先。
夕焼けを描くその筆は艶やかで、常人には見えない光を発していた。
それが何なのか、矢来瞳には分からない。
だが、それを見た途端彼は目を細めた。
同時に、ホルスターから無線機を取り出す
「師匠?どうしたんですか?急に」
「法力証に反応が無い。保護してる霊能者なら、結びを持ってる筈だ」
「まさか……外法師ですか?」
「さすがにそれはないだろう。けど、無意識かはともかく、これ以上力を使わせる訳にはいかない。事情を聞く必要があるな。もしもし、所長ですか?」
『なんだ、昼間っから。出勤にはまだ早いぞ?』
「商店街通りの路地、運動公園向かいのビジネスホテル前。登録のない男が魔具を持って絵を描いてます。本人にその気があるか分かりませんが、実体化すると厄介なことになるかもしれません」
『マジか……取り敢えずご同行願え。ただし、無理はするなよ。悪魔憑きかもしれん』
「了解。穏便に済ませます。矢来、顔写真撮っといてくれ。支給された仕事用の携帯持ってるだろ?」
「すいません、支所に置いたまんまです……」
「じゃあオレの使え。逃げられた場合に備えて、顔だけでもハッキリと証拠取らねーと」
そんなこんなで一通りの準備が過ぎて、彼が絵を描き終えるその直後に突撃した。
背格好は160前後。高校生だろうか?軽く肩を叩いて、注意を向ける。
一度目が合って、二度瞬きして、三度目でなんだろう?と思考が流れてゆくのを感じる。
「すいません、法師局の者ですが、ちょっとお話いいでしょうか?」
法力証を提示し、反応を窺う。
その表情に険しいものはなく、ただただ不思議そうにこちらを見ていた。
「えっ、あぁ、いいですけど……オレ何かしました?」
「使っている黒い筆、見せてもらってもよろしいでしょうか?」
「筆?何かあるんですか?」
「それを確かめるためにも、是非」
手渡されたそれが纏うの魔力。
ただの筆ではない、純然たる魔力が宿った筆だ。
使用者の霊力を微弱に吸って、ペンキに絡めて力を宿している。
「他のものも見せて頂いてよろしいでしょうか?」
「構いませんけど……なんかマズイんですか?死んだ爺ちゃんの怨念とか?」
「いえ、特にその方が憑いてるようには感じられません。憑いてるとしたら……貴方です」
「えっ、何、怖。オレが死んでるとか、そういう話?」
「いえ、貴方は生きています。しかし、絵を描く時に集中し過ぎて、霊力を消費してしまっているようです。この筆にも、描いた絵のキャンバスにも、貴方が生霊として憑いた後がある」
「ちょ、ちょっと待って!それってつまりオレが、発症してるって事か!?オレ18だぞ!?そういうのは15になるまでに決まるんじゃないのかよ!」
「発症はしてません。けど、霊能者も霊能力者程ではなくとも、少しだけ力を操ることは出来ます。貴方の場合は、何かを絵にして描くことで、一種の祈祷術が成立しているのでしょう。力が無い分弱いですが、あの夕焼けもそれなりの熱量を持ってます。早く撤去しないと、燃えて崩れてくる可能性が――」
そこまで言った所で、響いた。
危ない!という、叫び声が。
「白連!」
即決即断、冷気の鞭を叩きつける。
燃えるキャンバスが倒れそうになるのを、着火した火ごと固めて受け止める。
恐らくはイベントの参加者らしい、近くに居た子供が転んでケガをしていた。
眺めていたキャンバスを前に呆然とするその様は、その子だけでなく観客に広がり、衆目の視線がこちらに集まる。
「法師局です。危ないので全員その絵から離れてください」
呼びかけに応じた観客が散っていく。
呼びかけに応じない観客が集まってくる。
現場は出来るだけ荒らさずに検分したいが、この分だと野次馬は後を絶たないか。
期せずして氷のアートとなった絵を傍目に、元凶の男は茫然と佇んでいた。
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