第6話二日目とテスト前と夕方の工房
「久世っち~。ご飯だよ~?」
「ん?あぁ、もうそんな時間かぁ」
お呼びの声に欠伸が一つ。
伸ばした手と背がパキリと鳴って、解れた体の重みが取れる。
見慣れた景色は晴れ模様だが、浮かぶ表情は陰りが目立つ。
「どした?さすがにお疲れか?」
「……まだ夜勤明けに慣れてないので」
そういう彼女は目の下が暗く、隈が出来る程度にはお疲れらしい。
学生としての矢来瞳は知る由もないが、仕事との両立は中々に骨のようだ。
慣れてくるまでは朝はキツかろう。
「学校なんか寝に来る所だぞ?赤点さえ取らなきゃ仕事のが大事だ」
「へぇ~?久世っち赤点取らない自信あるんだぁ~。へぇ~」
「ははぁ~。神様仏様帆花様。テスト前に家庭教師をお願い申し上げます」
「まぁ、別にいいけどね。私の復習とバイト代にもなるし」
「なるほど。それで師匠は余裕あるんですね。羨ましいです」
「瞳っちもよかったら教えようか?一人も二人も大して変わらないから」
「えっ、あの、いいんですか?お邪魔ではないでしょうか……?」
「ないない。何なら直人に教えさせるし」
「お?いいなぁ、それ。可愛い後輩に勉強教えるとか、青春っぽくてやりがいあるわぁ」
「お前人に教えられる程余裕あるのかよ?」
「誰かさんと違って授業くらいは聞いてるからな。文系範囲ならちょちょいのちょいだぜ!」
「理数系ダメじゃねぇか……まぁ、梨央も含めていつもやってるから、お前も今回は混ざってみろよ。授業料はオレ持ちの経費でいいからさ」
「それではその……お言葉に甘えて」
そうして一先ず開催が決まり、いつにしようかと会話は弾む。
ゴールデンウィークと落ち着いた所で、思い出したように矢来が告げた。
「そういえば師匠。昨日の妖魔ですが、途中から出てきた石の塊は、分類上ゴーレムで合っているのでしょうか?」
「あぁ、そういや言ってなかったっけ?割合的に一つ目が多いからゴーレムって言ってるけど、中には石が動くって書いて石動(いするぎ)って読む妖魔も出るんだ。普通のより固いし、水も効き辛いから、なるべくはオレが叩くようにしてるけど、確か昨日一体は片してたな?」
「四発叩いてやっとでしたが……アレが複数となると、今の私では無理かもしれません」
「だろうな。基本はオレがやるから、出て来たら後に回していいぞ。まずは亡者とゴーレムに慣れることが先決だ」
実際、矢来瞳にしてみれば、昨日が初陣、初の実戦。
亡者の波に臆せず切り伏せ、土の塊を砕いただけでも、十分な戦果と言えるだろう。
「石動って聞いたことないけど、何かマイナーな妖怪なの?」
「一般認識ではそんな所だろうな。けど、実際は妖怪と妖魔ってのは格が違うんだ。妖怪ってのは怪異……心象風景とでも言えばいいか?そいつ自身を表す世界を持ってるヤツのことだから。妖魔と違ってかなり強いんだ。自分の土俵を持ってるからな」
「じゃあその妖魔ってのが強くなって、石で動く世界が作れりゃ妖怪って訳か?」
「そういう事だ。名前は変わらなくても、強さに関しちゃ大分違ってくる。少なくとも今のオレじゃ、そこまでいったら対処できない」
そこまですぐには至らないから、妖魔の内に対処出来ているが、放置し過ぎれば手に負えない。
霊地の霊力を溜めて堕天し、世界を広げた個体は強い。
それこそ勝機が薄いくらいに。
「師匠でもということは、B3以上という事でしょうか?」
「最低でもな。相性もあるが、B2以上が基本認識だ。B1ですら手古摺る個体も居る」
「Bなんとかってのが久世っちの役職?」
「いや、A~Dまであって、オレは今C1で、矢来はD3だ。1~3までで段階ごとに分けられてるんだよ」
「じゃあ平均よりは下な訳か」
「そうなるな。B2までいって初めて一人前。一流って呼ばれるA3になれるのは平凡な術師なら死ぬ間際だそうだ」
その平凡な術師すら、生き残れたらの話である。
その歳まで修羅場を潜り続けるだけでも、常に振るいには掛けられるのだ。
「それじゃあ昇華っていうのは本当に一握りしかなれないんだ……」
「まぁ、1~3は階級ってより戦力評価だけどな。必ずしも強いヤツが至るとは限らない。同じ階級でも、戦闘力の実績で評価は違ってくるんだよ。実際、オレと梨央も1か2かってだけで、階級的には同じCだし」
「師匠はB級に上がろうと思えば上がれるのではないでしょうか?」
「それなぁ。多分上がれるっちゃ上がれるんだけど、上がると出張とか行かなきゃいけなくなるから、お前らに訓練つける時間が減るんだよなぁ。梨央を弟子にしてる手前、せめてBぐらいには上がっとくべきなんだろうけど、給料上がって時間が減ってちゃ世話ねぇっていうか……」
「なるほど。というか、赤上さんってC2なんですか?てっきり1かと思ってましたが……」
「そろそろ1になるだろうよ。大分経験も積んでるしな。オレがB級試験後回しにするのも、その辺りが限界ラインだ。師匠からもせっつかれてるし、じきにB級に上がることになる」
むしろ半人前のC級術師が、師匠を名乗っている事こそが、話としては可笑しな方だ。
師匠が弟子と同じ階級など、この業界の中でも稀有な例だろう。
「へぇ~。久世っち出世するんだ。スゴイじゃん。一人前まであと一歩なんでしょ?」
「まぁ、社会人に例えるなら新卒は卒業みたいなモンだからな。スゴイかは兎も角、立場は変わってくる」
「先鋒から中堅って所か。ってか、瞳ちゃんは受けないのか?その昇級試験みたいなの」
「私はまだそこまでのレベルには達していないので……師匠から一本も取れていませんし」
「そこまでいったらC1確定だな。梨央だってまだ空中戦でしか、オレに一撃は当てられない」
「二人とも頑張ってるんだねぇ。しょうがない!勉強は任せて。私がみっちり教えてあげるから!テストくらいちょちょいのちょいよ!」
「そりゃまた何とも頼もしいこって」
そうして和やかに昼食は過ぎ、夕暮れに唱えられる授業を聞きながら、今日の波へと気力を満たす。
今回の波は浅く長いが、跳ねる可能性も視野に入れろと、所長の言葉を思い出していた。
~
「悪い、待ったか?」
「いえ、それ程でも」
帰宅早々荷物を置いて、エレベーターで隣り合うのは、待ち合わせていた矢来瞳だ。
術師は基本寮住まいで、階層は違えど、住所は同じ。
押されるボタンは地下へと一つ。
彼女の部屋へと繋がる一つ。
「工房は地下一階にあるんでしたか。ワンフロア全部って結構大きいですね」
「ウチは霊地自体は広いからな。実質雪穂さんしか使ってないけど、スペースだけは無駄にあるぞ」
地下の住人であるところの彼女が、空き部屋を堂々と私物化してるくらいだ。
他の誰も使わぬのだから、構わないでしょと彼女は言った。
「私の部屋も結構イイ感じでしたけど、上の階ってことは、師匠はもっと広い所に住んでるんですか?」
「元は師匠と姉弟子と三人で住んでたからなぁ。今でもたまに帰って来るから、わざわざ引っ越すのも面倒だし。地味に家賃は高いけど」
「?寮って家賃ありましたっけ?」
「上の階層は掛かるんだよ。B級以下が住む場合はな。タダになるのはA級だけだ。ウチは師匠が払ってるけど、本当ならそれなりに出費がある」
全ての術師は基本的に寮に入るのを推奨されるが、その中でも階級ごとに、住まう階層は変わっていく。
B級までなら基本タダだが、A級以上はそれなりに金が要る。
空いていれば上の部屋も借りることは出来るが、梨央と矢来は普通に四階だ。
六階立てでは無難な所だろう。
「あぁ、そうそう、一応お前に聞いとかないといけない事があったんだった」
「何ですか?」
「身体強化の種類は知ってるか?」
些細な確認。
座学のテスト。
そして優秀な彼女は答える。
「四種類ですよね?手や足などの一部を強化する部分強化と、全身を強化する全体強化、その外側に防具のように展開するのが纏いで、纏いから外側に干渉して動きを生み出すのが流れです」
「オッケーオッケー。ちゃんと分かってるな。それじゃあそれを踏まえた上で、お前に今必要な道具って何だと思う?」
「道具……経験が無くても、武器が必要でしょうか?」
返ってきた問いは外れとは言えず、しかし、求めてた答えとは違う。。
「や、それは追々でいい。体術だけでいけるなら、それに越したことはないしな。オレが言ってるのは、昨日の戦闘での問題点についてだ」
「問題点……」
回答は明確。
地味にして単純。
「簡単に言うと、生足もいいけど、タイツもいいよなって話」
簡単過ぎて困るくらいだ。
「……師匠。今のは訓練に関係ないセクハラですよね?訴えますよ?」
「酷い濡れ衣だ。オレはこんなにも弟子の美脚を案じているというのに」
蹴りのセンスも悪くないしな。
足は大事にして欲しいもんだ。
「結局何が言いたいんですか」
「纏いが出来れば物理的な干渉も防げるようになるけど、出来ないと細かいトコ地味にケガするからな。昨日、ゴーレム砕いた時、飛び散った砂利で足裂いただろ?」
治す間もなく疲弊して、最後は立つのもやっとな有様。
小さな傷には構う間もなく、後回しにしたツケが出ていた。
「なるほど。それでタイツですか。確かに細かく治すのは法力の無駄遣いですね」
「それはそれで治癒術の訓練になるんだけどな。波の時はフル装備で行った方がいい。タイツだけじゃなくて手袋もあるといいな。昨日、素手で叩いてて痛かったろ?」
「ですね……特に石に近い個体は辛かったです。ガードした時は折れたかと思いました」
手を摩るように険しい彼女は、昨日の一撃を思い出しているのだろう。
件の一撃は反応が遅れ、背後から不意を突かれたものだ。
塀の中は十分に広い分、囲まれる可能性も決して低くない。
目の前の一体に対応するだけと、複数に囲まれながら立ち回り続けるのは、天と地ほどの差があるものだ。
「全体強化してても素肌は素肌だからな。特に、オレたちみたく強化経験の浅い術師は、身体構造も弱めだから。訓練の時は素手でいいけど、波の間はちゃんと備えとけ。有ると無いとでは大分違うしな」
「了解です。でも、それなら初日に言ってくれてもよかったのでは?」
「習うより慣れろだ。違いを実感させるためには、実際に経験を積む方が早い」
「それもそうですね。正直、ゴーレムがあれ程速く動くとは思いませんでした」
「人型はフットワーク軽いからな。流砂で繋がってる分、動きも滑らかだし、その癖固い。倒せなくはないけど、数が多いと一気にペース持ってかれるから気をつけろよ?最後まで保たないと物量で押し潰されるぞ」
話している間に地下への道は開き、通り抜けた先のカウンターに向かう。
訪問のチャイムは特にないので、居るかいないかは呼びかけ次第だ。
「それについてなんですが……師匠の判断で、私が邪魔だと思った時は、正直に言ってください。法力切れで動けなくなる前に、ベースまで移動しますので」
「了解。つっても、梨央の時も法力切れして抱えながら戦うなんてしょっちゅうだったから、最悪の場合は担がれる覚悟しとけよ?」
「嫌な覚悟ですね……あ、師匠」
「ん?あぁ、どうも、雪穂さん。声は聴いてましたけど、会うのは久しぶりですね」
矢来瞳の気付きと共に、カウンターの向こうに現れたのは、黒のブラウスにタイトスカートの、泣き黒子が目立つ女性だった。
「帰りを待つ義理はないもの。それより早く用件を言いなさい。具体的にはどうしたいの?」
「あ、えと、初めまして、矢来瞳です。実は普段使い用の法衣をいくつか用意したくて……」
「採寸するわ。こっちへ来なさい」
「それは大変だ。オレも行こうか、矢来」
「セクハラです。自重してください」
緊張を解そうとちょっかいを出したら、思いの外鋭く切り返しがきた。
年頃の乙女の心情ときたら、これまたどうして難しいものである。
「どうでもいいけれど、そこのにも渡すものがあるわ」
「あ、黒羽もう出来たんですか」
「試着して不備があれば言いなさい。姿見はそこよ」
「それじゃ失礼しまーす」
結局オレも奥に入ることになり、矢来の視線が微妙に刺さるが、背を向けるように黒布を羽織る。
敢えて複雑な術式は組まず、飛行と防御を優先したそれは、シンプルな作りで半身を彩る。
「黒羽」
名称も直球。飾り気なく単純。
言霊を紡げばローブが光り、闇属性の黒色に染まる。
二つのボタンで結んだそれは、斜めに折れて足へと流れる。
丈は腰程度に調節済みで、手足の挙動の邪魔にはならない。
充分に法力が行き渡ったのを感じてから、性能はどうかと軽く跳ねてみる。
「なるほど。こんな感じか」
浮遊の独特な感覚を覚え、動きを試すように天井へ着地。ふわりと上がってふわりと落ちる。
無重力のそれは思いの外早く、機動力の確保には十分に有効だ。
「天井を汚さないでくれるかしら」
「あ、すいません。つい」
土足で触れるのは失礼に過ぎたか。
どうやら向こうも済んだらしく、矢来の視線はPCへと向いている。
細かくオーダーするなら兎も角、既製品なら本部のが安い。
仲介して取り寄せる形になるのは、当然と言えば当然な訳で。
だからこそ今オレが着ている羽織りには、彼女の技術が際立って見えた。
「丁度イイ感じでした。やっぱりオーダーしてよかったです」
「この程度、誰が作っても似たようなものよ。態々取り寄せるより安いくらいね」
「誰が作っても性能が同じなら、尚のこと雪穂さんが作ってくれて嬉しいですよ」
そもそも、留め具の役割をするボタンは彼女の、柊雪穂のお墨付きだ。
六花を象る透き通る青は、黒衣の中でひっそりと輝く。
いざとなれば核石変わりにもなるそれは、緊急用の治癒術が施されている。
彼女の恵んだ水の加護が、使用者の傷を癒すのだ。
どう見積もっても高額のそれを、破格の値段で提供してくれる。
もののついで、とは彼女の談だ。
「口だけは達者ね。感謝なら労働で受け取るわ。私の代わりにキビキビ働きなさい」
「まぁ、弟子二人の訓練考えたら、シフトなんて何処出てもいいんですけどね。休みの日でもどうせ来ますし」
「ワーカホリックね。死ぬなら他所で死んで頂戴」
「死ねませんよ。まだまだこの子たちの、手を引いてあげないといけないんですから。背中を押して送り出す日まで、何が何でも生き延びないと……そういう訳なんで、調整お願いしてもいいですかね?」
「はぁ。待つ間だけよ。疲れるのはゴメンだわ」
そう言う彼女が入口前の、カウンター席に腰掛けたところで、差し出された手を重ねて座る。
『属性は?』
『雷で』
そうして矢来が服を選ぶ中、オレは彼女と手を繋ぎ続けた。
~
工房で用を済ませた帰り、後から行くわと二人の歩行。
ここからが本番の勤務を前にして、何やら弟子の気になる模様。
「師匠。さっきのアレ、何をやってたんですか?」
「祈祷術の一種だよ。雪穂って名前で分かるんじゃないか?」
「……恵む才能?でも、白じゃなくて金色でしたよね?」
察しも良ければよく見ているな。
弟子の慧眼には舌を巻くばかりだ。
「柊の冬と合わせて、雪も含めれば二重適性だけど、他の属性が出来ないって訳じゃないんだよ。特に雪穂さんは念力の能力持ちでもあるから、波長の合う相手なら、自分の波長を送り込んだり、引き出すように調整したりして、適性上げが出来るんだ」
登録された波長を元に、支所へと繋がる扉を通過。
法力証の反応を感じつつ、ミーティングのため事務室へ。
「そんな方法があるなら引く手数多なのでは?この霊地に特別拘りでもあるのでしょうか?」
「言っただろ?波長の合う相手ならって。誰でもいい訳じゃないんだよ。むしろあの人は基本人嫌いだ。習いに来るヤツが居ても相手にするとは思えない。オレの場合だって、オレが強くなれば結果的に霊地の面倒事が減って、自分が楽出来るってのが大きいだろうしな。人手不足で波の時は出てるけど、普段は退魔師の方で仕事してて、前線には出て来ないんだよ」
席へと着いて、一息吐いて。
向かいに座る弟子と二人で、開始時間を待つ私語を交わす。
「そういえば、私たちの座学も柊さんが担当なんでしたっけ」
基本なんでも出来る彼女は、講師としての資格も持っている。
ただでさえ人手の少ないこの支所では、一人二役三役もこなせる、貴重な人材なのである。……だから人が来ないのでは?とは、少しだけ思わなくもないが。
「学校ほどの頻度はないけどな。必要なら念力を通して教えられるから、ぶっちゃけ本部よりもそこら辺の環境は良いくらいだ。マンツーマンで元A級の講師に教われるなんて恵まれ過ぎてる」
「元A級?柊さんがですか?」
「そうらしいぞ。何か理由があって降級したらしいけど、祈祷術やら錬金術やらも使えるから、退魔師でも十分稼げるんだよ。実戦に出るのは緊急の時くらいだし」
「つまり、今は緊急時なんでしょうか?前線に出てらっしゃいますよね?」
「控えには入ってくれるけど、荒波でも来ない限り前には出ないよ」
あくまで保険で、最後の手段だ。
常にあるとは思うべからず、宛てにするなと本人に言われた。
実際そうする理由もある。
「ずっと気になっていたんですが、私と師匠が担当してるスポットってC級ですよね?」
「そうだな」
至極真っ当。そして当然。
湧き上がるのは優等生の疑問。
「スポットって基本的には同じ階級二人以上が担当するものだったと思うんですが……」
「C級の場合はそうなるな。C1が居ても、基本三人体勢だ。ましてやDを連れるなら、他の二人は1が望ましい」
「私D3ですし、師匠もC1ですよね?」
「東京の本部と二番目に大きい京都の支部。丁度その間に挟まれる形のウチは、冗談抜きで人が足りてないんだよ。支部ですらない支所だからな」
実際、嵐山尚樹が他所の援軍に呼ばれることはあっても、オレと梨央が入って少ししてからは、他所からの援軍は見込めなくなった。最低限足りていると思われているのだろうが、その水準がギリギリ過ぎて、現場としては冷や汗が絶えない。
「もしかして、師匠が昇級したくない理由って……」
「上がったんなら大丈夫ですよね?自分たちで対応できますよね?とかで、人員補充をケチらせないためだな。まぁ、お前がモノになってくれれば、人数的に余裕もできるさ。それに、雪穂さんは霊障持ちらしいから、安定した戦力としての供給は期待できないんだよ」
だからこそ彼女は前に出ない。出れる前提で宛てにしない。
そういう風に配置しないと、いよいよもって回らなくなる。
「……霊障、ですか。その、症状などは?」
「波長がたまにコントロール出来なくなるらしい。零落を起こさないように法具で抑えてるのが現状だ」
「そうですか……なら」
―――戦わせないに越した事はありませんね。
霊障、零落という言葉は、矢来瞳にとって特別な意味がある。
これできっと彼女は、柊雪穂の助けを過度に期待したりしないだろう。
その方がいいのだ。霊地的には。
~
『あぁ~、あぁ~、テストテスト。聴こえてる~?』
「問題ねぇよ。サボって寝るなよ?」
『学校でバッチリ寝たから大丈夫だよ』
「それは大丈夫って言えるのか?」
耳に掛けた無線越しに、師弟の会話が小気味よく響く。
今日のシフトは梨央がオペレーター。
外回りが柊雪穂で、祠に嵐山尚樹が詰めている。
ウチが抱えるスポットは三つ。
洋館に祠にホテルの跡地だ。
最後の一つに所長が詰めれば、全ての掃き溜めを効率良く除霊できる。
通信は良好。体調も万全。
張り切る矢来はアップを終えて、解した体でその時を待つ。
「今日は昨日より高波かもしれないからな。何度も言うようだが、ペース配分考えとけよ?まぁ、最悪の場合はオレが抱えながら何とかするけど、一応な」
「さすがにそこまで足手纏いになるようなら、大人しくベースに戻りますよ」
「それが出来れば最善だが……まぁ、時には頑張り過ぎちまうこともある。可愛い弟子が努力した結果なら、足にでも手にでも纏ってやるさ」
「?そんなに危なっかしく見えるでしょうか?これでも実力不足は痛感してるつもりですが……」
「気にすんな。オレが心配性なだけだ。それより来るぞ。足元注意な」
「はい。今日は掴まれません」
そうして会話は沈黙へ移り、その場の空気は静寂に変わる。
波が来る時の独特の感覚。霊力が場を吹き抜けるように流れ……そして変化はすぐに現れた。
「いきなりゴーレム四体……」
「亡者も結構居るな……7:3で分けるぞ。三割でいい。欲張り過ぎるなよ?」
「分かりました。師匠に任せます」
そうして始まる混戦乱戦。
背を預け合うギリギリのラインで、前へ出つつも後ろに下がる。
遠くで撃ちに徹すれば、外した分だけ零れてくるし、あまり近くに寄り過ぎれば、空いた背を取られ囲まれてしまう。
常に立ち位置を意識しながら、フォローされつつ目の前を倒す。
その繰り返しの戦闘の中で、矢来瞳の経験は増す。
しかしそれでも、想定外。
知識としては聞かされていても、体感するのはやはり違った。
「っ!?眼が無い大型!?師匠!これは――」
「飛沫」
どうすれば、と言い終わる前に、彼女の師匠は手を打っていた。
それは楔。水の戒め。
貫くように、切り離すように、その水飛沫は浸っていた。
片足がもつれて、体勢が崩れる。
がら空きの胴体が落ちるまで数瞬。
「叩け!」
「っ、はい!」
間髪入れずに飛ばされた指示に、反射で従い塊を叩く。一撃二撃、三撃と打てば、次に打つ場所が何処かが見えた。
「(此処!)」
水の浸透に侵された土が、再生するために活性化する妖力が、その核の場所を教えてくれる。
「通せ、水衝!」
補助詠唱も込めた渾身の一撃が、目の前の塊を打ち崩し、消し去る。
後に残るのは、一部の瓦礫のみだった。
『何であんなに簡単に膝を着いたんですか?そこまでの威力で撃ってませんよね?』
無線越しに問いを投げるも、お互い既に交戦の最中。
しかし今では矢来瞳も、理由を尋ねる余裕があった。
『言ったろ?こいつら人型の動きが滑らかなのは、関節が流砂で出来てるからだって。なら、掌とか足じゃなくて、もっとピンポイントに当ててやればいい。流すのは水の領分だ。支えるものがなければ、取り回しも悪くなる』
「なるほど……それで膝を着かせてから本体を」
理屈が分かれば単純明快。
元より狙う素質はあるのだ。理由さえ分かれば、実践あるのみ。
次に現れた眼の無い個体は、膝を着かせて倒してみせた。
一先ず落ち着き、木を背に休む。
「上出来だ。射撃のセンスあるな」
「まだ撃ち抜いてるというより、かけている感じですけどね……イメージは少し掴めたかもです。手は大分痛いですけど」
「それはさすがに慣れるしかない。もしくは水連でも覚えてみるか?」
「そうですね。余力がある時にでも、教えて頂ければ有難いです」
「何なら今からやってもいいぞ?」
「……分かっていて言うのは、意地が悪くないですか?」
「ハハ、冗談冗談。揺り返しもあるかもしれないし、訓練はまた後でな。糖分でも補給しとけ」
投げ渡されたチョコバーは、彼なりのご褒美のつもりだろうか。
小腹が空いてるのは確かなので、有難く貰うのに変わりはないのだが、子供扱いされてる気がして、少しだけ複雑な思いがあった。
「そういやお前、ちゃんとメシ食えてるか?引っ越しとか色々、忙しかったろ?」
「さすがに荷物は片付けましたけど……ご飯はまだ自炊出来てません。コンビニでパンを買い溜めしています」
「食は大事だぞ?野菜ジュースくらい摂っとけ。後でウチにある段ボール持ってくか?」
「箱で買ってるんですか……師匠こそ、自炊してないんですか?」
「たまにはやるが……基本ケータリングで済ませてるな。料理出来れば教えてやりたい所だが、胸張って出せるのはチャーハンとハンバーグくらいだ。年長者として悪いとは思ってる……」
「別に悪いことは無いですが……少し意外です。師匠なら梨央ちゃんのご飯くらい作ってあげそうでしたから」
さすがに過保護と言えなくもないが、愛弟子を溺愛する彼ならやりかねない。
そう思った故の発言だったが、冗談にしては出来過ぎていた。
彼の愛情は、重かったからだ。
「作ってやったぞ?ただ、食う量が量でな……オレの腕では、間に合わなかった……待たせるくらいなら、冷凍のが早いし」
そういう問題なのか?とは思ったが、空腹を待たせてまで、自分が作る意味はないと悟ったのだろう。
随分遠い目で残念そうに語るものだから、本当は自分で作ってやりたかったのだろうが。
「そういえば、火の系譜は食が太いのでしたね」
「消化する熱は火に近しいからな。あんな見た目で、梨央もよく食うぞ。体の何処に入ってんのか分からんくらいな」
「それでお腹に溜まるお肉ですか。手作りハンバーグな辺り、師匠らしいですね」
「お前も食うか?作りに行くぞ?」
「さすがに遠慮しますよ。お見せ出来る程は、片付いてませんし」
「ウチ来るか?どうせ野菜ジュース取りに来るんだし、ついでにメシも食ってけよ」
「お誘いは有難いですけど、面倒じゃないですか?態々作るの……」
「自分一人ならな。弟子のために作るなら苦労はねぇよ。むしろ、ちゃんと一人暮らし出来てるか心配だし、世話焼かせろって感じだ」
「……師匠ってなんだかお母さんみたいですね」
「そこはせめて父親って言ってくれ……父性はともかく、母性は無いぞ……」
そんなこんなで時は過ぎて、一時帰宅して再び集合と、彼の部屋へと招かれて。
「いらっしゃいませ。久先輩キッチンで、手が離せないので」
予め聞いていた彼女の来訪は、まるで違和感なく溶け込んで見えた。
一応、年頃の男の人の部屋だよね……?
私の方が、お堅いだけだろうか?それともやはり、良い仲なのか?
「広いですね……さすが一流寮」
そんな疑問も吹き飛ぶ程に、通された部屋は広かった。
ダイニングキッチンの先に広がるリビングは、大型テレビとソファで囲われている。
三口コンロの稼働するキッチンでは、久世啓太が強火の前で睨めっこしていた。
「おぅ、来たか。もうちょいで出来るから、ゆっくりしててくれ」
「矢来さん、飲み物何にします?緑茶とコーヒーと紅茶がありますけど」
「お茶でお願いします……師匠、何か手伝うことはないですか?」
「大丈夫だ。オレを信じろ」
一体何を信じればいいのだろうか。
まさかと思うが、ハンバーグの焼き加減のことを言っているのだとしたら、別に最初から疑っていない。
師匠が愛弟子の梨央ちゃんに振る舞うのに、半端なものを出すとは思えない。
胸張って出せるハンバーグとやらが、どれ程の出来栄えかは知らないが、師匠ならそれなりのものを出してくるだろう。
問題があるとしたらフライパンが三本、同時に火に掛かっていることくらいか。
梨央ちゃんが食べることを見越して、それなりの量を用意するために、調理具から調理法まで拘っているのが見てとれる。
「(やっぱり自分で作ってあげたかったんだ……良いお兄ちゃんだなぁ)」
微笑ましく思いながら、ソファに腰掛け、テレビのニュースに、聴き耳を立てる。
どうやら今夜の予報は雨ということで、夜は気温が下がるだろうとの見込み。
ただ降るだけなら、然程のこともないが、恵みの雨という言葉があるように、雨が何かを恵むのは、何も人だけではないという話だ。術師にとっては、吉凶に関わる空模様。経験したことははないが、荒雲という現象もある。
今夜の仕事に関わるだけに、相談しない手はないのだが。
「どうぞ。矢来先輩」
「ありがとう。赤上さんは師匠の部屋によく来るの?」
「前は久先輩の部屋でご飯食べてたんです。それで時々ゲームしたり、漫画の貸し借りしてる内に通うようになっちゃって」
「そうなんだ。師匠とは付き合い長いのかな?」
「いえ、ボクが拾われたのは12月頃だから、弟子になってまだ四か月です」
「四か月でC2なの……?」
「格上を相手にしてる分、戦力評価は上がってるみたいで。久先輩が言うには、ボクも時期にB級試験受ける事になるそうです」
「凄いね、赤上さん。私より年下で、発症歴も浅いのに、そんなに強いなんて」
「強いかはどうでしょう?矢来先輩と戦った事がないので、何とも言えないですが」
「っしゃあ!焼けたぁ!梨央、矢来、米どうする?並盛か?大盛でもいいぞ。いっぱい炊いといたからな」
「ボク大盛で。矢来先輩は?」
「並盛でお願いします」
「よ~し、よし。米とハンバーグ、付け合わせにサラダ、味噌汁のフリーズドライ。こんなモンだろ」
「運ぶの手伝うよ」
「サンキュ。矢来もこれ頼むわ」
「はい」
主食が運ばれ、副菜が整い、味噌汁を注いだ後、食卓に腰を下ろす。
「久先輩野菜ジュースでよかったよね?」
「おぅ、サンキュ。それじゃ食べるか。矢来、梨央、お代わりのハンバーグあと六枚あるから。ゆっくり食べろ」
「了解。せっかく作ってくれたんだし、味合わなきゃね」
「随分作りましたね……私はこれで足りそうなので、残りは梨央ちゃんに譲ります」
「んじゃ、早速食べるか……いただきます」
「「いただきます」」
食事の時間は緩やかに流れる。
眠気との戦いに辛くも勝利し、腹が先だと肉を啄む。
特大のハンバーグは肉汁が溢れ出し、解けるような柔らかな肉質が、デミグラスソースで彩られていた。
「美味しいですね」
「美味しいね~」
「ふぅ。口に合ったなら良かった。久しぶりに作ったから緊張したわ」
「久先輩がボクのご飯作ってくれるなんていつぶりかな?」
「二カ月くらいじゃないか?ファミレスが多くなってたしな」
「訓練の後じゃあ、作るの手間だしねぇ」
「別に手間はないが、毎日ハンバーグ食わす訳にいかんだろ」
「チャーハンも作れるじゃん。あとオムライス」
「オムライスは今練習中だよ。ふわとろにするのが中々に難しい。それに三品じゃ結局偏っちまうだろ。冷凍の方がバランス取れる以上、オレが作るメリットが無い」
「ふ~ん?じゃあ、ハンバーグが食べたい時は久先輩にお願いすればいい訳だ?」
「任せろ。弟子のためなら十枚でも二十枚でも焼いてやる」
「そこまで大食いじゃないから!」
「仲良いですねぇ、二人共」
「愛してるからな、当然だ」
「はいはい。愛してる愛してる。テレビ変えていい?ドラマ見たいな」
リモコンを手に告げる彼女は、ボタンを押してチャンネルを弄る。
液晶の色どりが瞬く間に切り替わり、変化が止まったのは朝の連続テレビ小説だ。
「朝ドラってやつか。面白いのか?」
「普通。一回見たら何となくね」
「また旦那が刺されたりしないか?」
「しないよ!もうあれは忘れてってば!」
「朝ドラってそんなにシリアスなんですか?」
「や、一度梨央が見てるドラマ俺も試しに見てみたんだが、開始十五分で修羅場に突入してな」
「あれは久先輩の見るタイミングが悪かったんだよ!ボクだってあんな事になるなんて思わなかったし!」
「刺した理由が靴下が臭かったら、だぞ?オレあれ以来汗とかちょっと気をつけるようになったわ。梨央に足臭いで嫌われたくないし」
「だから刺さないってば!臭かったら臭いって言うし!」
「師匠って妹に嫌われたくないお兄ちゃんみたいですね」
「可愛い盛りだからな。嫌われちゃ困る」
「だったらもうこの話やめてよね。ボクだって勧めた手前気まずかったんだから」
「矢来はドラマとか見ないのか?仕事以外の趣味も大事だぞ」
「ドラマはあまり……バラエティとかは見ますが。最近は疲れてすぐ寝てしまうので」
「初めての巡回が波ですもんね。山登りだけでもハードなのに、疲れも溜まりますよ」
「だな。今日はゆっくり休め。どうせ夜には波が来るんだ。昼寝できる時に、目一杯しとけ」
「そうします……といっても、報告書がまだなので、早めに出勤しますが」
それでも十分に休息は取れるだろう。
疲労もピークに達しつつある今日この頃、学校が休めるというのは有難い。
夜に備えて英気を養いつつ、溜まった洗濯物でも片付けようか。
そんな事を思いながら、残った食事を一息に平らげる。
「……師匠。やっぱり私もお代わりいいですか?」
「ドンドン食べろ。どうせ寝るなら腹一杯食べてからのがいいだろ」
味わって食べている梨央ちゃんと違い、空腹から勢いよく食べてしまった自分が恥ずかしい。
だが、胃に染みる暖かさからは逃げられない。
そこには確かに、温度があった。
親しい人との団欒という時間。
矢来瞳には、それが何よりも尊かった。
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