第5話足元注意な波一日目

日が暮れ、夜も暮れ、深まって。

町の明かりも落ち始めた頃、とある一室に光は射した。

デスクを挟み左右で四人。

中央に立つ集団の頭は、ホワイトボードを背にして佇む。

「よ~し、それじゃ軽く打ち合わせするぞ~。つってもまぁ、やるこたいつもと変わらないけどな。とりあえず顔合わせだ。嵐山はまだだったろ」

「自己紹介が遅れてすまない。嵐山尚樹(あらしやまなおき)だ。よろしく頼む、矢来」

「矢来瞳です。こちらこそ、よろしくお願いします、嵐山先輩」

灰のYシャツに緑のネクタイ。

大人と呼ぶには少し幼く、青年のような若さが目立つ。

浮き上がるような筋肉はないが、スラっと締まった体は屈強。

刈り上げた黒髪にポッケの手袋といい、見方を変えれば売り出し中の、殺し屋なんかにも見えそうな人だ。

「そんじゃ軽く紹介も済んだところで、今回の波について説明するぞ」

そう切り出したのは我らがボスこと、水谷智也(みずたにともや)その人である。

たった四人を束ねる長は、年も今年で23になる。

社会人としては若い部類だが、術師としてなら中堅くらいか。

ガッシリとした体躯に似合わず、印象的には軽く見える。

こちらも基本的には本部支給の、黒のスーツを着こなしている。

もっとも、カッチリキッカリというよりは、のんべんだらりと着崩していると言った方が正しいが。

「つっても然程大きくもねぇ。長いっちゃ長いが、精々三日かそこらのそれだ。班分けは赤上がオペレーターで、久世と矢来で洋館ってことになる」

「スポットは山の方ですよね?市街地でもありませんし、一般人は入れない封鎖区域だとか。純粋な戦闘力なら赤上さんが上の筈ですし、今回は私に経験を積ませて頂けるということでしょうか?」

「そういうこった。ウチも人手不足だからな。矢来が来てくれて助かるよ、ホント」

「……あまり歓迎されているようには見えませんでしたが」

「照れ隠しだよ、素直じゃないんだ」

「嵐山さん、ついに所長がボケたみたいなんで一発ガツンと叩いてあげてくれますか。この人ギリ昭和の人だし、直ると思うんですよね」

「おい、久世。それは昭和のテレビをバカにし過ぎだぞ?叩いたくらいじゃ治らないからこうなってるんだろうが」

「お前らねぇ、新入りの前なんだから、オレにも威厳ってものをだなぁ」

「「ないでしょう、そんなもの」」

「ハモってまで言うか!このバカ共が!」

上司と部下がじゃれ合う様を、気持ち引いた目で見つめる矢来。

これが作戦会議なのかと、思えば呆れも出てくるものだ。

「ねぇ、ボ~ス~。そろそろ時間じゃないの?早くしないと妖魔出ちゃうよ?」

「はぁ。矢来も初めてのことで分からないことも多いだろうが、詳しいことは道中久世に聞いてくれ。今日はあくまで様子見程度だから、あんまり無茶はしてくれるなよ?」

「分かりました。ご指導よろしくお願いします、師匠」

「まぁ、仕事だしな。やるこたやるさ。安全第一だけどな」

「C級とD級でスポットに当たるのは、安全第一と言えるのでしょうか?」

「まぁ、普通に考えたら足りてないわな、戦力的に。けどまぁ、ウチは人数少ないから、多少無理してでもシフト回さなきゃいけないわけよ」

「はぁ。他の霊地を知らないので何とも言えませんが、そういうものでしょうか?」

至極当たり前の疑問を受けては、苦笑いするように周り皆誤魔化す。

返ってきたのは先輩からの、何とも言えない有難いお言葉だった。

「細かいことを気にしていては此処ではやっていけないからな。まずはカルチャーショックを存分に受けてくるといい。オレも自分の持ち場があるから、あまり面倒は見てやれないが」

「……分かりました。気にしないことにします」

「いや、そこはむしろ気にしてもいい所だぞ?加護も色も無い能無し師匠が弱音吐いてる訳だし、呆れて弟子止めるのも一つの手だと思うが」

「それじゃあ行きましょうか、師匠。色々とご教授頂けると幸いです」

「はぁ。図太い後輩持ったモンだわ……」

作戦会議も程々に、本日の業務は始まった。

大体において仕事とは、上手くいかないものである。

山丸ごとが霊地である都合上、移動は基本上り下りだ。

整備された道も勾配は険しく、現場へと向かうだけで体力を奪われる。

「……中々険しい道を歩くんですね」

「まぁ、慣れてくれば準備運動くらいに落ち着くけど、しばらくは筋肉痛に悩むかもしれないな」

「今から降りるのが憂鬱になってきました……」

「まだ本番前だぞ?あんまり酷いようならベースで休んでるか?」

「いえ、そこまでは大丈夫です。というか、ベースってアレのことでしょうか?」

軽く木に手を付く彼女の瞳は、遠くぼやける輪郭を捉える。

木製のそれは大き過ぎず、かといって狭くもない安定した作りをしていた。

「遠いのによく見えるな。それで合ってるよ。ウチは範囲広いけど、休む場所は一か所しかないから。飲み物とか食べ物とか、最低限のもの以外はあそこに置いてくんだ。結界で囲われてるから、法力切れする時は此処に逃げ込むように」

「それでその荷物ですか。背負ったまま戦うのかと思ってました」

彼女の視線はバックパックへ。

登山用とも言えるようなそれは、どうやら補給の物資らしい。

担ぎ直したそれが出す音は、中々の量を内包していた。

「さすがに邪魔でしかないだろ、こんなん。お前の分も含めて水とか色々持ってきてるから、休憩の時にでも飲め。降りるための体力も必要だからな」

「有難く頂きます。ちなみに目的地までは後どれくらい掛かるのでしょうか?」

「此処が丁度中腹だから、あと半分くらいだ」

「……すいません、正直山を見縊ってました。妖魔だけが敵じゃないんですね……」

「ハハハ、カルチャーショックは存分に受けたか?所長も言ってたけど、まずは様子見だから。三日あるし、変に意地張ったり、無理はするなよ」

辿り着くだけで一苦労な道のりを、その後も彼女は登り続けた。

やがて見えて来る頂の景色。

そこに聳え立つ巨大な建物が、一際強く異彩を放っていた。

「此処が私たちの担当するスポットですか……」

辿り着いたのは如何にもな、何かが出そうな洋館だ。

パワースポットと言えば聞こえはいいが、ご利益のあるそれとは違い、本当の肝が試される場所。

霊地に点在する悪い気を溜めるそこは、文字通り掃き溜めと言って差し支えない。

溜めるくらいなら壊してしまえばいいのでは?と思うかもしれないが、それはそれで各地に散らばる量が量。

少人数では対応し切れず、あちこち被害が出てしまう。

それならいっそ最初からと、手間を省くため誘導するのが、スポットを置く理由である。

もちろん、それにより強い妖魔が生まれてしまう事もあるので、霊地ごとにバランスの良い配置が求められているのだが。

「そろそろだな。準備いいか?」

到着早々、待つこと少し。

軽く体を暖める頃には、場の雰囲気が変わろうとしていた。

冷たい夜風が少しだけ凪いで、塗り潰すような漆黒が渦巻く。

「大丈夫です。いつでもいけます」

「そんじゃまず一体いってみるか。バテないようにペース考えてな」

現れるのは白き骸。

纏う黒衣が風に揺れて、カタカタと鳴る疑関節。

人をベースに擬態化したそれは、亡者と呼ばれる死霊の一種だ。

完全に人型なら擬人型だが、大抵のそれは人にはならず、何処か歪に形がズレる。

実際問題目の前のそれも、人というよりは獣のそれだ。

兎にも角にも彼女の初陣、初見の敵にはうってつけだった。

「雷線!」

迫る化け物を制する一撃。

距離の有利を活かしたそれは、狙い違わず胸元を貫く。

闇の心臓が、砕けて散った。

黒い襤褸切れの奥にあるそれは、妖力に満ちた亡者たちの核だ。

一発で当てる精度もさながら、死者への萎縮も感じられない。

「良い感じだな。もう一発だ」

「はい」

そのまま二発目の雷線を発動。

再び迫る敵影を見据え、今度は無詠唱で核石を貫いた。

「次、左三な」

「っ!」

二体倒すのに夢中な内に、三体のそれが左に浮かぶ。

それと同時に正面と、右側にも二体ずつ出て来ていたが、これらは師匠がアッサリ対処。

水連、という詠唱もなく、水の鞭がしなって叩く。

さすがと感嘆する間もなくて、自分の分に意識を向ければ、先ほどと同じく核を貫くも、三体相手では少しだけ遅れた。

「強化」

敢えて一体に攻撃を振るわせ、近距離戦でカウンターを見舞う。

雷の拳が横腹を叩けば、みるみるうちに核は尽き褪せた。

これなら、いける。そんな慢心。

ちょっとした油断が、意識を遅らせる。

「後ろ」

「っ!?光月!」

言われてすぐに回し蹴りを見舞う。

背後へと出現しつつあったそれは、砕かれた核と共に沈んでいく。

ここは位置的に塀の中。

洋館を取り巻く冊を背にしているため、早々背後は取られないが、まったくないとは言い切れない訳で。

油断禁物と構えを正し、周りを見た所で再びの敵影。

「正面、いけるか?」

「大丈夫です!」

今度は遅れを取らないように、すぐさま二発で貫き倒す。

余裕をもったその迎撃で、次の標的への準備が整った。

左、右、背後、正面。

何処から来ても、何体来ても、倒せるように意識を巡らし、倒した数が二十を越えた所で……認識の甘さを思い知った

「下!」

「下?きゃっ」

足に巻き付くは流砂の感触。

捲れあがった地面が片足を掴む。

それは地の腕、土の腕。

急速に膨れ上がった、土塊の巨人が見下ろしていた。

「(ゴーレム!?こんな一瞬で!?)」

足を掴まれたのはどうやら左手で、残る右手は追撃とばかりに、体の方へと伸びてきていた。

ハンマーのようなその掌が、振り下ろすようにこちらへ迫る。

「(避けられないっ)」

片足を取られて立つこともままならず、せめてもの防御に両腕を覆って……しかし衝撃は襲わない。

横から出たのは水の鞭だった。

「水蓮」

振り上げた拳が振り落ちる前に、砕け散るように頭が飛んだ。核を失って妖力は失せ、拳は自然と流砂に変わる。

流れていく砂粒は命のようで、死期が遠のくのを見ている気がした。

「足元注意な。初見はしょうがないけど、意識してれば分かるようになるから」

「っ、すいません……」

「次だ次。反省は後」

言いつつ既に次の標的が、彼の手で無に還されていく。凹んでいても失敗は失敗だ。

なら、せめて次がないよう意識するしかない。

「強化!」

雷の強化から、水の強化へ。

目の前に再び現れた巨人の、その一つ目を蹴るために飛翔。

足場を結界で固めてしまえば、掴まれはしないと空中を闊歩。

二メートル級のそれを打ち倒し、着地してなお次を疑う。地面は常に敵の領域だ。

踏み続ければまた足を取られる。

固まる間は注意が必要。

「左二、いけるか?」

「っ、はい!」

一体は小型、二体目は中型。どちらも二メートルには届かない小柄だ。

存在自体は脅威であるが、超えられない程の壁でもない。

警戒は解かず、常に下を意識。

「飛沫!」

近付いて来る前に先制。

それだけで二体はその身を散らした。

時に激しく、時にゆるやかに、流れる夜は更けていく。

「ふぅ、はぁ」

吹き出す汗に上がる息。

上下する肩を揺らしながら、大の字に倒れ前後するもの。

「……意外と胸あるんだな」

「っ!?」

そこに突き刺さるのは、デリカシーの欠片もない発言と表情。

もう動けないと思った体に、鳥肌が立つように彼女は飛びずさった。

虫でも見たように大木を背にし、鋭い目つきが更に尖った。

「セクハラです!所長に訴えますよ!」

「や、別に下心で言った訳じゃないんだよ。咄嗟に動けるかを試したかっただけで」

「信用できません。それにもう波は治まった筈です」

「揺り返しがあるかもしれないだろ?完全に出ないとは言い切れない状況で、安全が確保されてない場所で横になる。これがどれだけ致命傷になるかは、さっきお前も体感した筈なんだけどな」

「体感……?」

警戒心こそ解かないものの、まるで動じた様子の無さに、何かしたかと記憶を探る。

「足、取られたろ?寝転んでる時に顔ごと埋められたら、息も出来ない。意識も定まらない状態で反撃できんのか?」

「それは……」

「それに、オレだからセクハラで済ませてる訳で、師匠だったらこれじゃ済まないぞ」

「?東堂さんならどうするんですか?」

「容赦なく顔面キックだ。頭取れるんじゃないかってくらいぶっとばされる」

「そんなに厳しいんですか……?」

「言ったろ?あの人のは訓練ってより虐待だって。同じこと梨央にする訳にもいかねぇし、オレだってこれでも気ぃ遣ってんだよ。女子相手じゃ師匠みたく、容赦なしに顔面パンチって訳にもいかんしな」

「っ……訓練として、必要なら……」

「必要なら?」

問いかけるようなその視線に、目を合わせ掛けて思わず俯く

してくれという言葉が出て来ず、強気は挫け弱気が見える。

「それでいい」

「え?」

挫けた弱気を肯定されて、思わずキョトンと顔に出る。

「覚悟なんて最初から決まってる奴の方が少ないんだから、経験を積んで徐々に決めていけばいいんだよ。痛みを想像して迷える方が、人として正常な判断だし、考え無しに大丈夫だって言う奴よりはよっぽどマシだ」

見栄を張った所で折れるプライドなら、最初から持ち合わせないに越したことはない。

彼女の覚悟を試す意味でも、この問いはキツく投げられていた。

「……師匠は殴られたんですか?」

「実戦に禁じ手なんて無いとばかりに、男の急所も容赦無しにな」

「な、なんか想像以上にハードですね……そこまで怖い方には見えませんでしたが……」

「昔はな。今はまぁ、マシになってるよ。それでも厳しいことには変わりないけど。ほれ」

「あ、どうも」

差し出されたのはスポーツドリンク。

ベースに置いて来たのとは別に、どうやら背後に持っていたらしい。

息つく暇もない後に、この水分は宝のようだ。

吸い付くように喉へと消えて、あっという間にボトルが空いた。

「オレはさ、別に師匠みたくスパルタで鍛える気はねぇんだよ。厳しくするトコはちゃんとするけど、ああなれこうなれじゃなくて、ああなりたいかこうなりたいか、選択肢を与えて進ませたいんだ。実際、梨央も降魔師志望だけど、本人の意思的に昇華は強く目指してない。だからお前の指導も顔面パンチをセクハラで誤魔化すし、ぶっちゃけそれがふざけてるように見える時もあると思う。だからお前にも聞いておきたいんだけど」

隣の木を背に佇むように、答えを求めて問いを投げる。

それは久世啓太が矢来瞳に、一番に聞いておきたかったこと。

「今の段階で、どれくらい昇華を目指してる?」

「……なりたいとは思ってます。出来るかどうかは別として、諦めたくはないです。だから弟子入りした訳ですし」

「まぁ、そうだよな。態々研修で他所まで来るんだから、当たり前っちゃ当たり前か」

「師匠は目指さないんですか?少なくとも私よりは目がありそうですが……」

「オレは導く者であって、辿り着く者じゃないからな。梨央がなりたいって言ったら、なれるように支えはするけど、多分何処かで背を押して、見送る日が来ると思ってるよ」

「東堂さんは師匠を昇華させたいようでしたが……?」

「だろうな。お前を送りつけてきたのも、オレが雷の適性上げをサボらないためらしいし。少なくとも、属性も色も無い身で発症して、今、この歳でこの程度になれたのはあの人のお陰だと思ってるよ。だからその恩返しになるなら、一応目指すぐらいはしてみるかってのがオレのスタンスだ。なれるかどうかは別としてな」

自分の分のドリンクを干しながら、語る横顔は感傷的だ。

虐待という程の訓練を受けて、それでも尚慕うからには、それ相応の理由があるのだろう。

だからだろうか?

人の思い出話を聞いて、感化されるように懐かしさを覚えたのは。

「私は……友達のためにも、昇華できればと思っています」

口を吐いて出たのは、いつの日かの後悔。

楽しかった日々の、思い出の残滓。

「友達ってのは、術師の学校のか?」

「はい。私よりも才能があって、属性にも恵まれた優秀な子でした。同い年だったので、いつも一緒に話して、遊んで、訓練してたんです。けど、ある日その子が来なくなりました。学校を休んだ理由は家庭でのトラブル。術師にはよくあることですが、環境によって平常心を失い、力の制御が甘くなった結果……零落を起こしたんです。感情的な言い合いの中で、ついて出た火が肌を焦がして、親御さんに火傷を負わせてしまったことが、彼女にとってのトラウマになって……それで」

長い沈黙。重い空気。

振り絞るように紡がれた言葉は、息詰まるように空を切る。

何処にでもある、当然の悲劇。

身に迫って初めて、実感する恐怖。

「もしかしてだけど、お前が態々ウチまで出て来たのも、自分の親との距離を開けるためか?」

「それもあるかもしれません……ウチはむしろ、術師であることを哀れむくらいには、子供のことを思ってくれる親でしたが……彼女の親御さんだって、そうだった筈なんです。一緒に食べた食事を、ふと眺めた風景を、楽し気に語る彼女には、親との溝なんて感じられなかった……」

「……その子はどうなったんだ?」

「白魔教会に出向になりました。刻錠を付けて、零落しないように」

「その事について親御さんは?」

「子供が居るんです。生まれたばかりの、まだ立って歩けない男の子。火傷は幸い大したことはなかったようですが、霊的な影響がその子をも発症させるんじゃないかと恐れた結果……もう会いたくないと。少なくとも、その子が発症せずに十五を迎えるまでは」

「そうか……」

思わずといった風に、聞き入るような言葉は出たが、気になっているのはそこではない。

悲劇はあった。区切りもついた。そして彼女は何を得たのか。

そこを聞くのは、不躾だろうか?

そう思い始めた所で、彼女の方から口を開いた。

「約束だったんですよ。二人で昇華して、余生を楽しもうって。立場が出来れば忙しいだろうけど、程々に休んで旅行にでも行こうって。アレもいいな、コレもいいなって。十年も先になりそうなことを、二人で夢見て話してたんです……だから」

俯いて溢す言葉は弱く、見上げる言葉は強く輝いた。

「彼女が立ち止まって、前を見て歩けなくなったのなら、その分まで私が先に行って、いざという時手を引いてあげたいんです。今はまだ、無理だと諦めてしまっていても、いつかきっと、私がなれると証明することで、希望に変わる日が来るかもしれない。また二人で一緒に歩ける日がくるかもしれない。だから、今はただ自分に出来ることを全力でやってみたいんです。私たちの思いが届くかどうか、その可能性に、全力で、手を」

開いたその手は天を向くように。

眩いばかりの月に咲くように。

そこに在る何かを、握りしめてみせた。

「例えぶつかって、砕けるとしてもか?」

「ぶつかる前から諦める方が、私にはよっぽど怖いですから」

「そっか。中々良い覚悟決まってんじゃねぇか。なら、後は実力を伴わせるだけだな」

そうして彼は木陰を離れ、月明かりの下その手を翳す。

空へと向いた弟子の拳を、受け止めるように優しく諭す。

「まずは一発。オレに当てるのが目標って所でいいか?」

「防がせるのではなく‶有効打″ですよね?」

「当ててから言ってみろ。夜はまだ長いぞ?」

開かれる手に込めた力は、彼女を先へと導く誘い。

同じく開いて握ったその手が、彼女の彼への信頼だった……のだが。

「あぁ、それと。やり方に問題は有り過ぎるが、オレも師匠と考え方は似てる。訓練で手を抜いた分は実戦のツケになるし、死なないギリギリの所で常にリスクを前払いすれば、死に辛くなるのは確かだからな。霊体化攻撃だけじゃなくて、実体化攻撃も訓練に混ぜるから、法衣はなるべく用意しとけよ?スーツじゃなくて、普段使いのヤツな」

「法衣が破れるの前提なんですね……」

「ケガして治すまでが訓練の内だ。出費が嵩むようならオレが出してもいい。D級の給料じゃ厳しいだろうし」

「さすがにそこまでお世話になるのは……」

「申し訳ないなんて理由ではサボらせないぞ?弟子に必要なものを師匠が用意するのは当然の義務だろ。梨央にも買ってやってたし、別に特別扱いって訳じゃねぇからな?」

「……そういう事なら、まぁ」

無用な遠慮も無くした所で、必要な連絡が耳元へと有った。

通信は良好。受信する声量。

『A1地点に一体、亡者だよ~』

「了解。オレが行く」

手短に返し、ふと思いつき、外回りの彼女へと無線を繋ぐ。

「あぁ、そうだ、雪穂さん。今度弟子を紹介に伺いますんで、時間貰ってもいいですかね?」

返答は間を置いて、しかしすぐ返ってきた。

『貢ぐのは得意ね。誑し込むのも指導の内?』

「使う宛ての無い金をやりたい事に使ってるだけですよ。弟子の面倒見るのも趣味みたいなもんですし」

『殊勝なことね。明日の夕方なら空いてるわ』

「だってさ、矢来。明日行けるか?」

「あ、はいっ。大丈夫です。よろしくお願いします」

「そんじゃさっさと、仕事を片すかね」

休ませてもいいつもりだったが、付いて来るなら止める訳無し。

軽く段差を越えては跳ねて、滑り落ちる傍らに付いて来る弟子は、思いのほか根性は有るように見えた。

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