第12話 神の扉を開く鍵
ヒラクが正気に返ると、自分を見下ろすユピと目があった。
かたわらには剣と鏡がある。
共鳴音もまぶしい光も消え失せて、辺りには、ひんやりとした静寂と、割れた窓から吹き込む雪のきらめきがあるだけだった。
「ウナルベは?」
ヒラクは勢いよく起き上がり、辺りを見渡した。
ウナルベの姿はどこにもない。
「君が消してしまったよ」ユピはさらりと言った。
「おれが消した?」
動揺するヒラクを見て、ユピは楽しむように目を細める。
「勾玉と鏡と剣は同質の波動をもつ。すべてを始源へと還す力……その力こそが神の力であり、その力を使いこなせる者こそ唯一無二の神となる」
「おれが、ウナルベを消した……?」
ユピの言葉もほとんど耳に入らず、ヒラクは信じられない思いで自分の両手を見た。
そんなヒラクの様子をユピは冷ややかに眺める。
「大したことではない。元の状態に還しただけだ」
「元の状態って何? ウナルベはもうどこにもいないじゃないか」
ヒラクは混乱した目でユピを見た。
「ルミネスキのマイラのことを覚えているか?」
「マイラ?」
突然出てきた名前にヒラクは戸惑う。
「マイラは鏡を手に入れるよう君に頼んだ。鏡への執着が彼女を不死の状態にした。剣に執着した化け物と一緒だ。彼女もそもそも姿なきものだった。それが人々の望みから生まれた月の女神の姿を借りるようになり、さらにはマイラという名の老婆の姿を借りることになった。君はなぜマイラが自分で鏡を探しに行かないのかと不思議に思わなかったか?」
「そんなこと考えもしなかった」
ヒラクはぽかんとした顔でユピを見た。
「姿なきものであるマイラは、その名と姿を認識するものの前でしか実体を持つことができなかった。あの地に自らを縛りつけることで、自分という存在を保っていたのだ」
「それは、アノイの川の神や沼の神と一緒ってこと? その地にしか存在しない神みたいなもの?」
「それとはまたちがう。アノイの神々は、アノイの人々の思念から形を得た存在で、そこに神々の意志はない。偽神はそれを信じる者たちが望むように振る舞い、信じる者がいる限り存在する」
「でもマイラももともとは月の女神だった。それだって人に望まれた姿でしょう?」
「少なくともマイラには自分を存在させたいという意志があった。決して滅びることのない鏡と自分を関連づけることで、自分という存在を永らえさせた。だが、鏡自体に『王の鏡』という意味を与えてしまったことで、鏡はルミネスキの土地と結びつき、そこにあるべきことが定められたことで、マイラ自身もその地から離れられなくなったのだ」
「でも、ウナルベは、剣を追いかけてここまで来た」
ヒラクは反論するように言った。
「君が名づけた名前が、剣と化け物とのつながりを断ち切ったのだろう」
「でもウナルベは消えた……おれが消した……おれが殺した……?」
ヒラクは両手で髪をかきあげて、頭を抱えこみながら、自分自身に言葉を投げかける。
「望む永遠を与えただけだ。そう気に病むことはない」
ユピはあっさりと言った。
「ウナルベが望んだことだっていうの?」
納得のいかない思いでヒラクはユピをにらみつけた。
ユピは気にすることなく淡々と話を続ける。
「化け物もマイラも『永遠』に憧れ、『永遠』に囚われた存在だ。自分という存在の永続性を望みながらも、そこに近づくほどに、自分を失うことになる。彼らはその矛盾の中で、神により近き存在として、みせかけの『不死』の命を持ちながら生きながらえ、現存を失うぎりぎりのところで存在した」
ユピの言葉を聞いて、ヒラクは、マイラが「鏡に近づきたくても近づけない」と言っていたことを思い出した。
あの灰銀の瞳は、澱みの中の光のように、真理を垣間見せながら、それでも何も映さない。
「ウナルベも、あの目をしていた。永遠に囚われた存在……。鏡と剣がもつ神の力は、すべてを消し去ってしまうの?」
ヒラクは顔をこわばらせた。
「すべての存在はこの世界に内包されるものだ。永遠とは留まることではない。始源に回帰すること。つまり、世界の始まりの状態へと戻ることをいうのだ。剣と鏡はそれを可能にする道具であり、それをなし得た者こそ、新しい世界を創造する神となる」
ユピは一呼吸置くと、見るものを凍てつかせるような青い瞳でヒラクを見下ろした。
「剣と鏡を使えるのは、勾玉主だけ。つまり、君だ」
「おれが……神……?」
驚愕するヒラクを見て、ユピはしっかりとうなずく。
「そう、神になり得る者」
ユピはヒラクを導くように手を差しのべた。
「こちらへおいで。神への扉を開くための鍵はここにある」
「鍵? どこにあるの?」
ヒラクはユピの手のひらをじっと見た。
その手には何も持っていない。
そこにあるはずの勾玉を思い浮かべたユピは微かに表情を暗くしたが、手のひらをぐっと握りしめると、微笑みながら人差し指で自分の額を示した。
「ここだよ。神への扉を開く鍵は、蓄積された魂の記憶の底に沈んでいる。言葉では説明できない。感覚を研ぎ澄まし、さらにその感覚を超えたところで知るのだ。君にはそれができるだろう? 私が手に入れた鍵を使えるのは君だけだ。さあ、おいで、私の中に……」
ヒラクは全身で危険を感じ取った。
歩み寄るユピを拒むように、ヒラクは表情をこわばらせて立ち上がり、じりじりと後ずさりする。
「君は自分がなぜここに来たかわかっていないようだね」
ユピは足を止め、ヒラクを改めてじっと見た。
窓から差し込むベールのような光がユピの白い肌を柔らかく包む。
青い瞳を縁取るまつげの先まで光を帯びているユピは、神聖なまでに美しく、圧倒的な存在感を放つ。
けれどもその神聖さには陰鬱で暗いものが潜んでいる。
「剣と鏡が勾玉を呼んだ」
ユピは白い息とともに言葉を吐き出しながら、ヒラクの前に詰め寄ってくる。
「君がここにいるのは当然のことだ。剣と鏡を使うために、今、君はここにいる」
「そんなの知らないよ」
後ろに退こうとする足を前に戻して、ヒラクはその場に踏みとどまる。
自分をにらみつけるヒラクに顔を近づけて、ユピは目を細めて笑う。
「君はまだわからないの? 自分の意志と思っていたものがそうではないということを、僕はわかりやすい例を使って示してみせたよね?」
ユピの言葉で、ヒラクは割れた中央の窓ガラスに目をやった。
大神官やトーマ、ジークの顔が次々と頭に浮かび、白羽鳥が飛ぶ姿と重なって思い出された。
「そもそも君が『神を知りたい』と思ったのも、君の意志を利用した誰かの意志とは思えない?」
ユピの言葉に凍りつき、ヒラクはごくりとつばを飲み込んだ。
そんなヒラクの様子を見て、ユピは悠然と笑う。
「だけど別にそれはどうでもいいことだ。それが誰の意志だろうと、君もそれを望むなら、望みを叶えることに迷う必要もない。君が君であることに、大して意味などないんだよ」
そう言ったユピの表情がどこか悲しそうに見えたのは、自分の気のせいではないと、ヒラクははっきりと思った。
「それは誰の言葉?」
「えっ……」ユピははっきりと動揺を見せた。
ヒラクは畳み掛けるように言う。
「それはユピの……ユピ自身の言葉でしょう?」
「……もうその名は不要だ。ユピの願いも私の願いも同じこと……」
「ユピ!」
ヒラクはまっすぐにユピを見た。
ユピの青い瞳が見開かれる。
ヒラクはユピを見上げ、両手を伸ばして包むように頬に触れた。
陶器のような肌に生気はなく、薄い唇には血の気もないが、それでもヒラクはユピの体温をその手に確かに感じていた。
「鏡も剣も知らない。勾玉と関係があるにしてもどうでもいい。おれが今ここにいるのは、ユピに会いたかったからだ」
ヒラクは暗闇に火を灯すような明るい琥珀色の瞳で、挑むようにユピを見た。
「ユピは確かにここにいる。だからおれは会いに行く」
その言葉を聞いて、ユピは満足そうに微笑み、なぶるような目でヒラクを見た。
「いい子だ。さあ、おいで……私の中に」
ユピは微笑をたたえたまま、ゆっくりと目を閉じた。
ヒラクはユピの両頬を包み込む手を自分のそばに引き寄せる。
そして額を合わせると、ヒラクも静かに目を閉じて、意識をユピに向けて集中した。
ヒラクの体から淡い緑の光が放たれる。
ヒラクは明るい日差しの中の水に溶け込んでいくような感覚に包まれた。
(ユピ……。今、行くよ……)
緑の光がユピの額に吸い込まれていく。
ユピの体がヒラクと同じ緑の光に包まれたかと思うと、そのまま折り重なるようにして、二人は床に倒れて意識を失った。
そしてヒラクはユピの遠い記憶の迷宮に入り込んだ。
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【登場人物】
ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。ユピに心を支配され、一時は自分を見失い、勾玉の光を失うが、今は自分を取り戻し、ユピの中に潜む邪悪な存在と向き合う覚悟を決める。
ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。南多島海で破壊神の剣を手に入れるとヒラクの前から姿を消す。再び神帝国に現れたユピは父である神帝を殺し鏡を奪う。ユピの中に心と体を支配するもう一つの存在がある。
ウナルベ……破壊神の島で剣を守っていた謎の生き物。猪の胴体、鳥の翼、トカゲのしっぽを持っていた。破壊神の島から脱出する際、トカゲのしっぽを失い飛行できるようになった。ウナルベはヒラクが名づけた名前。アノイの言葉で「おばさん」の意味。
ジーク……勾玉主を迎えるために幼いころから訓練された希求兵。ヒラクに忠誠を誓うが、ユピに対して強い警戒心を抱いていたが、勾玉主ではなくヒラク個人への忠誠心を抱いていることをユピに逆に利用され、ヒラクのそばを離れてユピに従った。
トーマ……神帝国の城に勤めながら潜伏していた希求兵。勾玉主への忠誠心を利用され、ユピの言葉の支配によりヒラクをユピのもとに連れてくる。そのことへの自責の念からユピの言葉の誘導で自ら命を絶つ。
※希求兵……ルミネスキ女王に精鋭部隊として育てられた元ネコナータの民の孤児たち。幼少の頃から訓練を受け、勾玉主をみつけ神帝を討つ使命のもと神帝国に送り込まれ、15年以上潜伏していた。
大神官……神帝を神王の生まれ変わりとして祀り上げ、神官としての権威を誇りながら軍師と共に神帝国の二大勢力として君臨していた。ユピの言葉の支配により、死の二択を迫られ自ら命を絶つ。
マイラ…黄金王がルミネスキの湖から引き揚げた鏡が土着の月の女神の姿を消そうとしたとき、その月の女神の存在がその時ちょうど命を落とした老婆の体に入りこんだ。それがマイラの正体であり、マイラは不死の身である自分の存在の根源を求め、王の鏡を手に入れようと画策していた。
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